猫を起こさないように
失われた時を求めて
失われた時を求めて

よい大人のギャグ講座

 (ローマ風の貫頭衣を着た男が寝そべって緑茶をかけたシリアルを口元へ運びながら)シリアル・エクスペリメンツ・レインッ!

 やあ、おひさしぶり、みんなのトゥレットだ。ツイッターの伝道師? いや、ただの人間のトゥレットだよ。さて、先ほど放たれた至高のギャグにクスりともしなかったというなら、君は感性の深刻な磨耗を疑ったほうがいいだろう。だが、単純に教養の問題であることを勘案して、今日は特別に稀代のキング・ギャグ・メイカーである私から解説を行おうじゃないか。

 まずシリアルだけど、連続を意味するserialと食品のcerealをカタカナ英語の特性を利用して、意図的に誤読している。次にエクスペリメンツはexperimentsであり、実験を意味している。科学のそれではなく、「実験的な作品」といった文脈での意味合いでの使用だ。最後にレインだけど、横たえるを意味するlieの過去分詞形lainのことだ。これは「横たえられた」という意味で扱っている。ここまでで解説としては十分な気がするが、最近の私は君たちの無視・無音に識字の問題や文盲的な要素があるのではないかと深刻に疑っている。なので、さらに説明していこう。

 まずレインから、ローマ時代の横になってする食事方式が記述される。世界史の知識がわずかにでもあれば、この連想は簡単だろう。これにより、古代ローマ人が現代のシリアルを食するという可笑しさが生じることになる。次に、エクスペリメンツから「シリアルの実験的な食べ方」と着想し、ふつうはミルクなどをかけるところへ緑茶を用いている。ここには少々、思考の飛躍が必要だね。え、なんだって? コーヒーとかコーラのほうが面白くないッスか?だって?

 ほざけ、アリオン、人の子のぶんざいで! 酒の入った席での珍妙なイントネーションによる発語へ向けられた失禁的な笑いをギャグだと勘違いできるほど低偏差値の大学生風情めが! コーヒーやコーラをかけてシリアル食ってるアメリカ人なんてふつうにいそうだろ! 西洋のものに東洋のものをぶっかけ(bukkake)るからこそ、現実を超越したギャグ時空を形成できるんだろ! おまえみたいな低知能に高尚なギャグの理解なんて無理だよ! ダーイ、ダイ・スーン!

 緑茶を採用したことによって、羊の東西・時代の新古を重層的に配する結果となり、非常に深みのあるギャグ、一過性ではなく幾度も笑うことのできる耐久力のあるギャグに仕上がっているのがおわかりいただけたかと思う。

 余談だけど、今回のギャグに用いたアニメの最終回はプルーストの大著「失われた時を求めて」に登場したアイデアを下敷きにしている。そう、においが記憶のトリガーになるというあまりにも有名な、あのギミックだ。オンラインでの交流が偽りであるのは、においを欠いている点が大きいと思う。大学時代、居酒屋で交わした君との何気ない会話は、脂やレモンや雨のにおいで幾度も反芻される。一方、Zoomで交わした君との会話は、においというトリガーを持てないがゆえに、二度と思い出されない記憶の底へと沈むだろう。イヤホンをつっこんだ耳は空間の把握を失わせ、においのない動画は記憶の立体化を妨げ、そうして四畳半一間の個室に閉じこめられた君は、本来の現実の何分の一にも減じた贋作を、これこそが真作だと信じるようになる。

 為政者にとって人々が集うときに生じる混沌は、予測不能でありコントロールできないという点で、最も封じておきたい事象のひとつであることは疑いがない。どうか、一過性の何かに人間を去勢されないように! この世には、君たちの人間が弱っていくことを喜ぶ者たちが確かにいるのだから。そして、不織布の内側のつばきのにおいが、どうか私たちの不幸せな記憶と直結しませんように!

 おわり(制作・著作NWO)