猫を起こさないように
原神
原神

ゲーム「ファイナルファンタジー16(製品版)」感想

デモ版

ゲーム「ファイナルファンタジー16(デモ版)」感想

開始10時間

 ファイナルファンタジー16製品版、主人公が本当の自分を受け入れる(笑)ところまで進める。PS5専売のおかげで大画面に耐えるほどグラフィックがいいし、デモ版でステレオかと残念に思っていたサウンドがサラウンドで鳴っているのは驚きでした。アクションは軽快かつ派手な上に、ボス戦を含めた難易度も全体的に低めで、反射神経の衰えた中年美少女であるにも関わらず、ここまで一度の全滅さえなく、アルコールを入れながらのプレイでも大丈夫そうなのは、個人的に好印象です。ゲーム部分の手触りは正直なところ、エルダー・スクロールズで言うならオブリビオン、ゴッド・オブ・ウォーで言うなら3、アンチャーテッドで言うなら2って感じで、一本道のマップとムービーが交互に繰り返され、自由度はそれほど高くありません。しかしながら、召喚獣戦が出色のオリジナリティで、ハイテンポのグレゴリオ聖歌みたいな男声合唱が流れる中での大怪獣バトルは、シンプルにテンションがブチあがります。さて、ここまでを絶賛しておきながら、ストーリーに触れる段になると急ブレーキを踏まざるをえないのも、また事実です。

 ビジュアル優先で、キャラの感情と言動に一貫性がないのは、当シリーズのお約束として看過しましょう。もっとも気になるのは女性の描き方、もっと言えば「母なるものへの嫌悪」を強く感じるところです。本作では、魔法を使える人間が被差別民として描かれるーー「ベアラー」という単語が語尾下がりでなく語尾上がりで発音されるところに、我々の英語下手の正体がある気がするーーのですが、その表現の仕方がひどい。漫画家が批判者の容姿を不細工にする感じとでも言いましょうか、差別側をとにかく悪魔的に描くのです。とあるクエストなどは、「そろそろ説明だけじゃなくて、差別の具体的な感じをプレイヤーに伝えておきたいな……そうだ! 産み落としたばかりの新生児を母親が『おぞましい』と役人に処分してもらう話を入れよう! そのときの兄の台詞はこうだ、『今度はもっとちゃんとした弟をちょうだい』! (手の甲で垂れ流れるヨダレをぬぐいながら)ククク……残酷だ、この上なく残酷な世界の実相だよ……!!」とか言いながら書いてる感じで、それまでの好印象とゲームへの熱を一気に氷点下へ冷却するレベルにまで達しており、正直この場面を読んだ直後にもうプレイするのを止めようかと思ったほどでした。

FF14のときにも感じましたが、この制作者はあまりに思考が軽いというか、デリカシーが著しく欠如しているように思います。弟を溺愛し兄を冷遇する主人公の母親の描き方も極端だし、幼少期のプライベートな体験を反映しているのではないかと疑うレベルです。これが原神なら、ストーリーテリングで特定の人々を不快にさせるようなヘマは、絶対にしませんよ。両者へ感じる差異について、フォロワーの減少を覚悟で率直に思ったままを書けば、原神が「両親を敬う国立理系博士たちによる対話」で作られているのに対して、FF16は「両親の離婚した私立文系学士による独断暴走」で作られていると表現できるでしょう。ちょうど主人公たちの旅の最終目的は「”マザー”クリスタルを、ブッこわーす!」であることが判明したところですが、生命や魂のあつかいが雑で「世界観そのものが不快」ーーFF14でも同じことを言った気がしますーーって、かなり致命的じゃないですか? もちろんクリアまではプレイするつもりですが、現段階の印象がくつがえるかは、はなはだ疑問です。

 思い返せば、最初のクエストが「舶来のラム酒」を「鍛冶屋ブラックソーン」に渡すという内容で、思考の無さとセンスの欠如をフルスロットルでぶつけられるイヤな予感は、残念ながら当たっていたと言えるでしょう。「ラム酒」は百歩ゆずって認めるとして、すべて地続きの世界で「舶来」ってどういう意味で使ってんの? どうせ、「スミスじゃ安直だからソーンにしよう、なんかカッコいいし」って、安直に決めたんでしょ? 形容詞1つと固有名詞1つで世界観の崩壊寸前まで持っていけるセンスは、逆トールキンとでも表現すべきもので、ファンタジー世界を構築するには致命的な非才に、FF14に覚えた不快感は正しいものだったなとあらためて思いました。あと、「機会を反故にする」とか、日本語もところどころ間違ってるし、あーもう! ホンマにイライラするわ!

13年後の5年後

雑文「PAPER MOONとFINAL FANTAZY(近況報告2023.6.26)」

デビルタイタン後

 ファイナルファンタジー16、就寝前の30分でプレイを継続中。グラフィックに関しては、屋内外の明暗差とか、植生にこだわったフィールドとか、布の材質までわかる衣類とか、よくできている部分は本当に多いんですよ。エヴァっぽい召喚獣戦も、大画面のサラウンドを条件として、大迫力の仕上がりになっています。それなのになぜ、こんなにも強く残念な感じが全体にただよっているのでしょうか。シナリオの無神経さはすでにクソミソにお伝えしましたので、今日はゲーム部分のダメさについて触れていきましょう。

 「スタイリッシュにもふるまえる」戦闘は、大剣使いにも関わらず主人公の攻撃力が異常に低く、1体を倒すのに誇張ではなく100回も斬りつけなくてはならず、ベルセルクのような「重たい一撃で敵を粉砕する」快感は絶無です。リミットブレイクなる必殺技も、攻撃力をそのままに動きの速度だけが上昇する仕組みになっていて、その様子はまさに以前どこかで表現した「ストロー級のアジア人がヘビー級の黒人に向かって行う飛燕の連撃」であり、演出の派手さも相まって、思わず変な笑いがこぼれてしまうほどです。ボス戦はこれに加えて、「地面に大技の予告エフェクトが出る」のを範囲外へ回避するステップが加わりますが、「アイスピックを高速で突きたてて氷を削る」みたいにして1000回も斬りつける作業は、基本的に変わりません。

 フィールド部分の話をすれば、主人公はジャンプが苦手で、わずかな段差さえ常に迂回することになり、チョコボのダッシュも必死に足を動かしている割にはスピード感に欠け、店に売っている品物は数千から数万ギルするのに、意味深に光っている探索物の正体は2ギルか3ギルなのです。ここまで書いてきて気づいたんですけど、本作の正体って「オンラインゲームしか作ったことのない人物が、初めて手をつけたオフラインゲーム」なんじゃないですかねえ。1アタックの攻撃力がいちじるしく低いのも、床に長々と回避エフェクトが表示されるのも、回線のラグから逆算された仕様に思えるし、キャラの行動範囲とリソース獲得への強い制限は説明するまでもないでしょう。

 思えば、ニンテンドーの主力ゲーム群がすばらしいのは、2Ⅾにせよ3Ⅾにせよ、プレイヤーの分身たる「マリオのアクション」や「リンクのできること」をまず「気持ちよさ」の観点から作りこみ、それを前提としてゲーム部分を構築している感覚が常にあるところでしょう。他方で、本作を含む近年のファイナルファンタジーは、「イケメンの主人公と美麗なフィールドを作成しました。さて、どうやってこれを遊ばせましょう?」という手順で作られてるように見えるんですよね。前者が「作る料理を決めてから材料を仕入れる料理人」なら、後者は「高級食材を購入してから何を作るか考えるグルマン」だと指摘できるでしょう。ニンテンドーの好ましさを例えると、「安い赤身しか手に入らなかったから、いい醤油を使ってヅケにしよう。ご飯は釜で炊いて、せめてワサビはすりたてで提供しよう」といったふうに、熟練の料理人によるジャッジがあるところなんですよね。

 一方でファイナルファンタジー16は、「最高級の大トロを仕入れてきやしたぜ、旦那!」「うーん、いまオレは麻婆豆腐の気分なんだ……ひらめいた!」「オッ、まさか!」「そのまさかさ!」「うへえ、大トロをマーボーの具材に使うなんて、聞いたこともねえ! こいつァ、豪気だ!」「(小鼻をふくらませて)フフフ、真のクリエイティブは、だれも想像しないような地平にこそある……」といった、自称グルメの成金が内輪ウケに大金を使ってる感じであり、客である私の感想は「まっず!」なわけです。それにしてもこの怪作に、いったいどのくらいの人とカネと時間を費やしたんでしょうか(ググる)……(ギョロ目で)はあぁちいぃねえぇんん!? この間に台頭した半島や大陸の制作会社のきらびやかな活躍を見れば、本邦のゲーム業界が負けるべくして負けたことがよくわかりますね……。

バハムート後

 ファイナルファンタジー16、ド迫力のバハムート戦をクリア。兄弟召喚獣での共闘に始まり、宇宙へ舞台を移してのグレンラガンを彷彿とさせる大立ち回り、メガからゼタへと至るフレアのインフレーションなど、QTE的とは言いながら、そこに介入して勝敗を決することのできる喜びに酔いしれました。他のすべての要素は脇に置くとして、召喚獣戦だけは100インチ以上のスクリーンと7チャンネル以上のサラウンドを前提に、ぜひ体験することをオススメします。しかしながら、その昂揚の極みは直後のムービーシーンで氷点下を突き抜けて、絶対零度にまで冷却されてしまったことも、また事実です。繰り返しますが、本作の主人公サイドはどいつもこいつも「犯罪歴の無い半天狗」であり、そもそもだれかと対話をしたり説得したりしようとする意志はなく、クリスタルを破壊したあとに自然が回復するような描写もないものだから、隠れ家の一味全員が故人の妄言を疑わないマルセイーーやだなあ、バターサンドのことですよ!ーー集団にしか見えません。それ以外のあらゆる登場人物も「狂気じみた差別者」ーーしかも、昭和前期の地域・血脈へ向けられたレベルーーとしてしか描かれないため、プレイ中に不快な気分が途絶えることはありません。

 バハムート打倒後のムービーを見たとき、私に訪れた慨嘆はこうですーーどうして我々は、こんなにも親を憎むようになってしまったんだろう! ひとりの母親に息子たちを化け物と呼ばせ、錯乱の果てに頸動脈をみずから掻き切っての自死を選ばせるーー原神を経てしまったいま、これは本当に異常な作劇だと感じます。「平手を打って自殺を止め、隠れ家に連れ帰る」、そこまでは無理でも、せめて「崩落した瓦礫の下敷きとなり、事故死する」ぐらいにとどめる判断をしないのは、あまりにもデリカシーに欠けていませんか。あるいは以前に指摘したように、制作者の抱く「母なるものへの憎悪」が深すぎるせいなのかもしれません(思考が浅いだけの可能性も充分にあるーー「うーん、和解ルートもありっちゃありだけど、尺の問題もあるし、ここで処理しとくかー」ーーのが、本作の怖いところです)。タイムラインに「PS5を持っていないのは、ゲーム業界を志す者にとって致命的。Steamがあるって言うけど、いつFF16をプレイするつもりなの?」みたいな関係者の話が流れてきましたが、こんなゲームをプレイしても世界と戦えないことだけは断言できます。

 いますべきなのは、大陸の為政者へ向けた敵愾心をオーバーラップさせるのを止めて、オリジナルを作れない剽窃ベースの程度が低い文化と侮るのを止めて、なぜ原神がここまでの規模で世界的にヒットしたのか、どうして居ならぶ本邦のゲーム制作会社たちはこれを生むことができなかったのか、見ないふりをせず、丁寧に真摯に虚心に坦懐に、その理由を分析することです。「母親が目の前で自殺するのを止めない子ども」の話が、いったい世界中のどの文化圏で肯定的に受け止められるのか、答えを持っているというのならぜひ教えていただきたいものです。アニメにせよゲームにせよ、スーパーアニメーターやスーパープログラマーが大ヒット一発でフワッとディレクターへと昇格し、シナリオのライティングまでぜんぶ任されてしまう「構造的問題」をどうにかしないと、本当にもう先はありませんよ。両業界をあげて、専門のシナリオライターをしっかり育成することが急務であると、老婆心ながら忠告しておきます。

クリア後(FINAL DIS-CLIVE)

 ファイナルファンタジー16、発売日から2週間をかけてようやくクリア。最終戦のフィニッシュブローが「くたばれ!」と叫びながらラスボスの横ツラにグーパンをいれるQTEーーこんなにも加担したくないQTEは生まれて初めてーーだったのには、999999のダメージ表示を前に、乾いた笑いが出ました。シンエヴァのときにも書きましたが、かつて大卒高偏差値のサロンだったオタク文化は、いまや「中卒ヤンキーたちがうんこ座りするトー横」に変じてしまったことを、あらためて実感させられた次第です。それから、冗談ぬきで30分近く延々と続くエンドロールをながめながら、口を糊するための仕事にすぎないとは言え、こんなにも「意味不明の設定」「支離滅裂な言動」「浅薄で稚拙な人間観」にあふれたヨタ話を、よくぞ完成までこぎつけたものだと、ディレクターとシナリオライター「以外の」すべてのスタッフをねぎらう気持ちになりました。

 制作者インタビューを読んでいて思いましたけど、この人物って「ゲーム畑の外から就任した経営陣」に向けたプレゼンが、メチャクチャうまいんでしょうねー。生涯で一度もゲームになんか触ったことのない取締役たちも、召喚獣戦とか盛り上がるシーンだけをつなぎあわせて見せられたら、大ヒットで制作費を回収できるような気になっちゃったんでしょうねー。その華々しいプレゼンの裏で、初めてのオフラインRPG制作にまったく手ごたえを感じられず、「やっべー、これマジでシリーズ最終作になっちまうかもなー」などと考えてしまい、ラスボスに「最終幻想」と言わせてみたり、初代FFオープニングの「そして・・・・ たんきゅうのたびははじまった」を裏返した台詞でゲームを閉じたりしたんでしょうねー。もし今後、ファイナルファンタジー17が作られるとしたら、6までの初期メンバーを呼び戻してほしいし、それが無理なら11をオフライン版でHDリメイクするのがあらたな死に金を生まない経営戦略だと、ゲームに微塵も興味のない首脳陣へと進言しておきましょう。

 最後に、語り忘れていたミドなるキャラクターへ焦点を当てて終わります。このキャラ、ファンタジー世界なのに女子大生という気のくるった設定で、シドの娘を名乗らせるくせに母親の存在や幼少期の様子など、のちの登場のための伏線らしい伏線はいっさいなく、それこそ虚空から突然、13年後の5年後にアジトへ出現するのです。彼女のする奇矯な言動の数々は、あきらかに何らかの発達特性を示すもので、男性ならば「空気を読めない」や「対人能力が欠如している」などの評価から、組織内で孤立するだろうレベルに達しています。作品中でこのキャラが皆から好意的に受け止められているのは、これを「エキセントリックな魅力」として受容する、男性側の性的なまなざしで作品世界の根幹が構築されているからでしょう。本作において、しつこく、しつこく、しつこぉくーー「もうええて!」とリアルで思わず叫んだほどーー繰り返される「人が人として生きられる世界」というフレーズも、昭和の人権活動家が部落差別を語るときの「人」とまったく同じ色がついているし、以前に「世界観が不快」とお伝えしましたが、「世界を語る作り手の視線がキモチワルイ」と言い換えて、この怪作へたむけるファイナルディスクライブ(FINAL DIS-CLIVE)とさせていただきます……ドヤッ!

雑文「宵宮賛歌(近況報告2023.5.28)」

 原神、伝説任務「星拾いの旅」を読む。「宵宮、スメールへ行く」という筋立てを聞いただけで、本作が持つ「異邦人による諸国漫遊記」の魅力から、間違いなく面白くなるのがわかるでしょう。義理と人情で泣かせにかかる物語は、特に小鳥猊下のようなすれっからしの冷笑家を相手にする場合、かなりの難しい注文になるものです。最近では、だれかを馬鹿や悪役にするストーリーテリングへ向けた拒絶反応が強く出ていて、一瞬でもその気配を感じとると、脳の「物語受容器官」が完全に閉じるーーゆえに、ほとんどの転生モノは読めないーーようになっています。また、シンエヴァ以降は登場人物への人格洗脳について非常に敏感になっており、「そのキャラがするはずのない言動」ーーすなわち、作者のマリオネット現象ーーを目にした瞬間、件の器官が強制終了してしまうのです。今回の伝説任務も、どこかでこの脱線が起こるのではないかと半ばおびえながら読み始めたのですが、設定・キャラ・ストーリーが一度たりとも軌道を外すことなく整然と進行し、生じた感情のさざ波はいっさいくじかれることなくテンションを高めてゆき、最後には逆まく巨大な情動のうず潮となって、気がつけば画面の文字が読めないほどの大泣きをさせられていました。

 否応な苦しみを前に子どものままでいることを許されず、確かに存在したはずの感覚が失われていくのに為すすべを持たないーー「子どものときにしか見えない生き物」を狂言回しとして、「やがて失われる子どもという属性」へ優しく寄り添いながら、「流星雨を見ること」と「自分の足で走ること」という二人の目的を一点に重ねあわせてゆく構成の見事さは、ここまでの原神世界におけるもっとも高い到達点のひとつだと指摘して、決して過言にはならないでしょう。「我々は、ひとりの子どもを見捨てない」ーーこれは、かつてnWoに書かれたうちでもっとも美しい言葉のひとつだと自負しているものですが、今回の道行きはかような真情に満ちあふれています。「全力で走るとき、耳元で風がビュウと鳴るのが好き」という台詞に古い記憶を刺激され、自分が「坂の多い町で育った、走るのが大好きな子ども」だったことを数十年ぶりに思いだしました(なぜ、そのことをずっと忘れていたのでしょうか)。

 「星拾いの旅」という掌編は、宵宮なる個性を抜きにしては成立しない筋書きになっており、これも特筆すべき美点だと言えるでしょう。この人物は、SNSに多く棲息する家族憎悪の「大卒白襟」が冷笑する「中卒職人」であり、耳が遠くなって少しボケ始めた父親を明るく介護しながら暮らしている。彼女はまっとうな両親と近隣の大人たちに育てられた、まごうことなき「地域社会の子ども」であり、肥大した頭ではなく等身大の心と手を使って日々を生きている。さらに言えば、正しく成長した人間は自然に善意と利他を身にまとうのだという希望の体現でもあるでしょう。彼女のような存在と負の共依存ではない関係を築くことを夢想しながらも、悪意と利己の塊である「間違った人間」が「正しい人間」を近くでわずらわせるべきではないとも思わされます。打算ばかりで呼吸するようには人助けへと身を投げだせないこと、そして、ひねこびた性格を時代と社会のせいにし続けてきたことを、大の大人に深く恥いらせる純粋の清廉さが、宵宮からはまばゆいばかりに発散しているのです。ネット経由で定着した「毒親」なる激烈な単語は、ピンポイントで一部の人間を救済する力を持ちながら、その辺縁あるいは外周にいるだれかにとって、旧エヴァにおけるアダルトチルドレンと同様、偽りの自己定義と化してしまうのではないかと懸念し続けていましたが、原神のつむぐ物語は、特に思春期のオタクたちにとって、その誘惑に対抗するための有効な処方箋となるのかもしれないーー若いファンたちの感想に触れ、そんなふうに感じました。

 今回の伝説任務を通じて、「萌えコション」でありながら重篤な「性能厨」でもある私は、いずれにも合致する雷電将軍や神里家のご令嬢を愛用するかたわらで、すでに宵宮を所持していたにも関わらず、単純に性能だけの理由からレベル1桟敷へと追いやっていることを深く反省しました(ちなみに、白朮先生のレベルマとスキルマは達成済みです)。そして、伝説任務1章のときは「土のにおい」なんて言い方ではぐらかしていましたが、ようやく本当の気持ちに気づきました。宵宮のことが大好きです、今度はウソじゃないです。

小説「三体(第3部)」感想

 小説「三体(第1部)」感想
 小説「三体(第2部)」感想

 三体第3部をようやく読了。いま調べたら、第2部を読み終わったのが昨年の8月なので、ずいぶんと間が空いてしまいました。この原因は「七夕の国・友の会」という同人誌へ寄稿の依頼を受けたことです。最近は「テキストで、読んだ相手をうちのめす(五七五)」という初期動機がだいぶ薄れてきて、「将来の自分のために、時系列で感情の軌跡を残す」方向へと軸足が移りつつあります。その同人誌の原稿の中に、三体の第3部を読んでいる途中であることを書いてしまったので、「他者への公開は感情の時系列」というハウスルールを守るために「このテキストが発表されるまでは読了できない」という、ハタから見ればまったく理解できないであろう謎の制約が生じたからです。同人誌そのものは今年の1月に世へ出たのですが、それまでに三体第3部を読んでいる途中だということを、すっかり忘れてしまっていたのでした(みなさん、これがアルコールへ充分に脳味噌をソークさせた場合の、中年期以降の記憶力です)。

 第2部感想の最後に「ストーリーはきれいに終わってるし、この先は何を書いても蛇足じゃないの?」みたいな疑問を呈していましたが、大陸の文化から長く断絶されていたゆえのナメた発言だったことが、第3部で明らかとなりました。ご存知のように、昨年8月から今年1月までに起こった私的大事件は、原神インパクトとの出会いです。このC(CHINA)RPGを通じて、限られた人間関係の社畜な日々に加えて、偏ったタイムラインと国営放送のニュースに影響され、知らぬうちに構築されていた偏見未満の思い込みのようなものがすべてふっとび、長らくぶりに大陸文化への畏敬が復活したのでした。それはまさに「蒙を啓く」という表現がピッタリの精神的なパラダイムシフトで、「どうせ剽窃ベースの低いクオリティだろう」という傲慢な侮りが抜けた状態で三体第3部の残りを読めたことは、怪我の功名ならぬ同人誌の功名だったと言えるでしょう。

 このC(CHINA)SFを通して読んだいま、私はこの第3部がいちばん好きだと断言できます。物語規模で言えば、誇張抜きで人類史上最大のものとなっていて、本邦で類似のものを挙げるなら、小説だと「神狩り」や「百億の昼と千億の夜」、映像だと「トップをねらえ!(6話)」「劇場版グレンラガン螺巌篇」と同等か、それ以上のスケールなのです。「荒唐無稽なハードSF」、あるいは「ハードSFなのに荒唐無稽」とでも表現しましょうか、この狭い列島に住まう神経症のサイファイ作家からは逆立ちしても出てこない類の作品で、「科学考証や物理学の正確さ、さらに自身で張った伏線さえ、ドラマツルギーという熱量の前には膝を折る」展開が次々と繰り広げられ、水滸伝や封神演義のハードSF版とでも形容すべき豪快な中身に仕上がっています。いつも通りネタバレ上等でしゃべっちゃいますが、ビッグバンからビッグクランチに至るまでの時間軸で展開する物語は、この地球上に存在するどんな人間のどんな苦悩をも相対化の果てに無化できるスケールで、「日々の重責に圧し潰されそうな人物」ーー例えば、世界最強の軍隊を有する民主主義国家のビッグ統領とかねーーほど楽しく読めるというか、気が楽になる効果は確実にあると思いました。

 第1部にヤン・ウェンリーが歴史上の偉人として出てきたのにのけぞった話をしましたが、「いま持てる知識を総動員して、元ネタが割れるのを気にする節操は捨てて、己の生きたすべてを作品にブチこむ」書き手のようで、「あ、これは『100,000年後の安全』を見た衝撃を作品に入れたかったんだな」とか、ストーリーの端々からナマっぽい気配が立ち上がるのも、まるで作家本人と対話しているようで面白かったです。個人的に気にかかったのは、これだけの時間スケールを伴った作品であるにも関わらず、「生病老死の否定」が寸毫も含まれないところでしょう。これは原神のストーリーにも強く感じる点で、「不老不死を肯んじない」というのは大陸文化における何か哲学的教養なのでしょうか(有識者からの解説を求めたいところです)。正直に言えば、特に下巻へ突入してからはあまりに日常から離れた情景を描写するため、頭の中に映像を浮かべるのが難しい個所がいくつもありましたので、ネットフリックスでのドラマ化には大いに期待しております。

 ただ、どこで物語のピリオドを打つのか最後の数ページまで予想がつかずにドキドキしながら読み進めたのですが、結末部分だけかなりの肩すかしと言いましょうか、小説的技巧に走った終わり方になっているのは少し残念に思いました。まあ、「十次元での新生」なんてのを文章で表現できる気はしませんので、この積み残しはドラマ版で解決されると信じております。あと、智子まわりの描写の仕方は作者の趣味や性癖が出すぎてる気はしましたねー。まっさきに連想したのは、ぴっちりツナギを着たお姉ちゃんが大排気量のバイクにまたがってハイウェイを神めがけて疾走する「神狩り2」のエンディングで、中老年期の男性作家が積み上げてきた知識や経験、そして名声までをも若々しい女体の前にかなぐり捨てる「悲しきオスの習性」は、ちょっと直視に困る感じがあります。ともあれ、スーパーストリングス理論の台頭に伴う物理学50年の停滞が生み出した集大成的フィクションであるところの三体第3部、超おススメです!

ゲーム「FGOリリムハーロット」感想

 崩壊スターレイルの合間に、FGOの最新イベントを読む。アーケード版は未プレイであり、物語の背景はよくわかりませんが、すべてファンガスの筆なのでたいへん気持ちよく読めました。しばらく翻訳ダラダラ長文ばかり読んでいたので、日本語ネイティブの達人による各単語の定義がカチッと決まった畳みかける短文は、まるでぼやけていた視界のピントをしぼられるようで、少し背筋の伸びる感じがあります。しかしながら、PSP版エクストラ?の世界観について、かけた労力と思い入れに比して満足な反応を得られていないと感じているのでしょうか、FGOを含めて何度も何度も再話されるのには、いささか食傷ぎみなことも事実です。特にこのネロ・クラウディウスというキャラクターは、ファンガスにとっての惣流・アスカ・ラングレーに相当しており、作り手の思い入れが観客のそれを凌駕してしまっている点でも共通しています。また、第1部終章における人類悪の概念は文学方向にもっと普遍的な解釈を許すものでしたが、その候補者たちがすべて出そろったいま、結果としてFate世界におけるキャラクターの話になってしまったのは、非常に残念なところです(「人類悪は人類愛」なるスットコドッコイの定義も、Fate世界の神であるファンガスによって明言されてしまった)。

 崩スタは第2章の公開されているところまでストーリーを進めましたが、「不老不死を終わらせるため、非人間的な概念に近い神を殺すことを目途として、宇宙を彷徨う船団」という設定と展開には、ひさしぶりに背筋がゾクゾクしました。もしかすると、「神が人の知恵と言語で定義できる内面を持つべきではない」というのは、かつてラブクラフトやムアコックを愛好したがゆえの、抜きがたい「刷り込み」となっているような気がします。ドラコーの内面を記述するテキストの見事さに嘆息しながらも、書かれている内容へ共鳴する部分が少なかったのは、個人的に「泣いている子ども」の話はもういいかなと思いはじめているからでしょう。その一方で、毎夜アルコールを入れつつ推しの子のミュージック・ビデオを見てはらはらと落涙しており、もしかするとこれは「愛されること」から「愛すること」へとうの昔に視点が移動していた事実に、ようやく気づかされたゆえなのかもしれません(ちなみに、第2話以降のサスペンスには、やはり関心が持てませんでした)。

 あとさー、今回のイベントに「きれいはきたない、きたないはきれい」ってフレーズが出てくるんだけど……貴様ッ、見ているなッ(星マークの刺青)! もちろん、シェイクスピアからの引用だってことは百も承知だけど、そう考えたってしょうがないじゃん! 昔っから小鳥猊下って無名なのをいいことに、エロゲ作家とか、ラノベ作家とか、純文学作家とかから、無断で引用されまくってるんだもん! 最近、AI絵師が商業絵師にオリジナルであることを否定されて暴れてる様子がタイムラインに流れてきたけど、なんだか気持ちはわかるって思っちゃったなー。クリエイター職の人って、非クリエイター職の人に対して、ときどきビックリするほど冷淡なことありません? それも、他の職種からは決して感じないレベルの、かつての地域差別に近いようなトーンなのです。あの感情って、いったいどこから来てるんでしょうね?

 それと、原神の新しい伝説任務を読みましたけれど、これってほとんど「Kの一族」の話じゃないですか? 来たる鍾離先生ピックアップのためにコツコツ貯めていた石をぜんぶ使って、白朮先生を引くハメになったことを最後にお伝えしておきます。原神って、「永遠の否定」をテーマとして強く押しだしているので、この人がラスボスでもおかしくない感じ、出てきちゃったなー。

 FGOの新イベントに関する感想をつぶやいたら、半日もしないうちに2名ほどの匿名オタク(or本人)が現れて、「特にキミのファンでもないんだが、ふだんあまりゲームもしないんだが、ファンガスが書いたというのは事実誤認なんだが? リリムハーロットはスチールアロー刃の手によるものなんだが?」と中指で眼鏡を押しあげながら、一方的に宣言して去ってゆかれました。わざわざご指摘いただき、誠にありがとうございます。余計なお世話なんだよ、テメーら! テキスト嚥下障害のあるウチのオジキがちゃんと飲みくだせて症状も緩和されてんだから、だれが書いたものだろうと何の問題もねーじゃねーか! それをプラセボだのジェネリックだの、いちいち小うるせーんだよ! 気になって調べてみたらよ、スチールアロー刃が所属していた良く効く心臓病の薬みたいな名前の会社は、オレがインターネット便所壁へと上梓した「慟哭ゲー」の内容を剽窃するエロゲーを、贄の刻印の如く明白なエア・マルシーを無視して、強引に発売へと踏み切ったところじゃねーか! 「ヒロインを選択する際の一回性」や「USBイコール小型HDが販売メディア」というクリティカルな部分のアイデアをシレッとパクりやがって! まどマギのライターからニチャッと横目で社内回覧されたんだろうが、オマージュならオマージュでぜんぜんかまわねえから、元ネタにはキチンと言及して敬意をもって紹介しろよ! なんでリアルにくらべてネットでのオレの扱いは、いつもいつもこんなにぞんざいなんだYoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! コイツらもじっさいに会ったら、どうせ「昔から読んでました」とか「あまりに恐れ多くて」とか言うんだろうけど、そんな身銭を切らないオツイショーはもうビタイチいらねーんだよ! 初対面での親しみやすさと距離感が最接近状態で、その後はどんどん出ッ歯ムーンウォークで遠ざかっていく系のオタクを救えるのは、現世のオーソリティであるキサマらだけなんだよ! 遠巻きに後頭部へ片手を当てて会釈してないで、ただただオレのテキストに現世の利益を誘導してくれよ! この度は、ご指摘ありがとうございました。真摯に受け止めて、次へ生かしたいと思います。

雑文「GENSHINとSTARRAIL(近況報告2023.5.3)」

 崩壊スターレイル、第1章クリア。シリアスのテキストは原神に軍配が上がりますが、ギャグ・小ネタ・設定のテキストはこちらの方が好みです。そうそう、また冒頭から盛大にレイルを外れますが、原神の最新イベントはまさにそのシナリオが持つ魅力を臨界にまで凝縮した内容でしたね! 崩スタの終始ツッコミ不在の感じに比べて、パイモンの狂言回しとしての優秀さもあらためて理解できました。「性格は運命になる」ーーボーイズ・ラブにおわせの目的で唐突に投げこまれたように思えた「CLAMP型金髪美青年」がここまで大化けに化けるとは本当に、想像だにしていなかったです。これだけ多くのキャラを動かしながら、NPCを含めてだれひとりとして下げずに語りきるのは、原神の特筆すべき美点と言えるでしょう。余韻としての後日談は「かゆいところ」をあらかじめマッピングして、ひとつも余さず順にかゆみを消していったばかりか、「失われた手紙」という将来への伏線までキッチリと用意されているのは、もう脱帽という他ありません。本邦における近年の創作界隈で特に顕著な、「特定のキャラをアホか悪役にして、主人公が作者の化身となってそれを一方的に断罪してスカッとする」作品群が、いかに精神的な未成熟から発したものであるかを、原神の成熟は教えてくれます。

 さて、強引に崩スタのギャグ・小ネタ・設定の方へとレイルを戻しますが、特にゴミ箱とか公衆電話とか、街の設置物を調べることによって次第に明らかとなる主人公の狂気じみた内面(ピエロ方向)は、本作のユニークな見どころだと言えるでしょう。皆さんの感想を読みたくて、ツイート検索しようとしたらサジェストに「微妙」というワードが出現し、「おッ、キッズ諸君、元気にやっとるねえ!」と愉快な気持ちになりました。確かにこのゲーム、プレイ入口の手触りはJRPGの窮屈さを完璧に擬態しながら、それ以外すべての要素が湯水の如く金銭を投じたハイパーさという異常な作り方になっているので、本質を見抜くにはある程度まで長く触ることが必要でしょう。繰り返しになりますが、この世界観を原神のマップとアクションで再現「できる」のに、あえてそれを「しない」選択が意識的になされているのが、おそろしいのです。例えるなら、歩行の不自由なヒョロガリ(JRPG)がよろめいて転倒するのを、筋肉質の大男が指さしてゲラゲラ笑っていると思った次の瞬間、そのマッチョは真顔になって五体投地から額を地面に擦りつけ、ウラナリ(JRPG)を伏し拝み始めるみたいな異様さが、全編にわたって横溢している。また、模擬宇宙を始めとするテキストにかつてのゲームブックを想起させるものが多くあり、「ファミコン世代の生き残りが、人生におけるアナログとデジタル双方のゲーム体験をふりかえりながら、JRPGの衰退を歴史的な文脈で鳥瞰する」ときに、本作の面白さは最大化される気がします(私だけ?)。

 あと、課金をためらわせないためにプレイヤーへ与える納得として、なにが最も重要だと思います? ワクワクするストーリー? 魅力的なキャラクター? 高精彩なグラフィック? 戦略性にあふれたバトル? いやいや、正解は「自分の興味が無くなるまでは、サービスの継続が約束されていること」です。崩スタは、少なくとも6年先までの運営とアップデートが明言されており、加えて原神の世界的な成功がその実現性を担保しているのです。本邦のスマホゲーの多くが大陸と半島に負け続けている理由がまさにこれで、調子のいいときはエコノミック・アニマル的な下品さが全面に出てくる一方で、いったん負けがこんでくると敗北の受忍を「引き際の潔さ」に読みかえた破滅を、逍遥と受け入れる傾向が我々の根っこに横たわっている。それは、彼らの「生き汚なさ」と真逆の位置にあるモーメントで、単なる資金繰りや経営の話がいつのまにか哲学や美意識の話へとすりかわってしまう(そして、負ける)。

 さて、最後に再び大脱線した話を元のレイルへと戻して終わります。原神のアクションをタッチパネルでプレイすることは、親指5本の中年にとって文字通りの「無理ゲー」でしたが、崩スタはコマンド制なので切迫的なアクション要素がなく、外出先でのスマホプレイに向いている点がすばらしいです。それとよく見ると、「崩壊スターレイル」のタイトルロゴのデザインが、まんまファイナルファンタジーなのは笑いました。あのな、キミたちのレスペクト、ちょっと重ためのメンヘラ片想いみたいになっとるで? 悪いけど、ウチ(以下、語尾あがり)らにはもう、そんなふうに想ってもらう資格なんかないねん……だって、ウチらは、ウチらは……ヤリーロ・セックス(韜晦帝翁真君)!

ゲーム「崩壊スターレイル」感想

 崩壊スターレイル、シアタールームで現世を遮断して、どっぷりと10時間ほどプレイした感想を書きます。冒頭から脱線ーーレイルだけにな、ってやかましいわーーさせていただきますと、日本ファルコムの株主総会に毎年参加する謎の中国人が、原神の制作会社社員だったという話をどこかで読みました。PCエンジン版の初代英雄伝説(アグニージャ!)をくるったように周回ーーハイ・レスポンスの快作だったので、周回数だけなら月風魔伝を越えるかもしれないーーし、その後リリースされた風の伝説ザナドゥの1と2は私の中でかなり神格化されている作品です。そこからしばらくは疎遠となり、ひさしぶりに軌跡シリーズの零と碧をプレイして、老いた会社が老いたファンより細々と集金するための装置である「終わらない物語」のにおいを嗅ぎとり、離れてしまったユーザーでもあります。最近、ゲーマーとしての「老い」を実感したのは、原神のアンケートで生年月日を選択する項目に「1980年以前」の表記を見たときです。いまや昭和は我々にとっての明治くらいなんだなと、とても愉快な気分になったのを覚えています。本邦のロールプレイングゲーム、いわゆるJRPGの現在位置を赤裸々に示す作品としては、ソウルハッカーズ2が挙げられるでしょう。あらかじめプレイしておくと、本作と比してのフリーフォール級の落差を実感できると思います。

 長い前置きでしたが、崩スタ(天理スタミナラーメンの略称みてえ)は戦闘とマップをのぞくと、システム部分はほぼ原神のそれを踏襲しています(課金や育成まわりのギミックも同じ)。しかしながら、もっとも注目すべき点は戦闘とマップの仕様であり、まずもってこの令和の御代に、いまをときめくゲーム会社が、わざわざ古臭いターン制コマンドバトルを持ってきたのは、純粋な驚きだと言えるでしょう。ぜひ、ソウルハッカーズ2で最も作りこまれているリンゴたんの動きと比較してほしいのですが、「前進してなぐって、元の位置にバックジャンプ」をあざわらうかのように、本作では個体毎に違うモーションを与えられたキャラたちが、超絶的なカメラワークでギュンギュンと動きまくります。リリース直後にもかかわらず、すでに20体以上はいるプレイアブルキャラのどれもが、ハッカーズ主役チーム4体のうち、最も作りこまれているはずのリンゴたんをはるかに凌駕する仕上がりなのです(当然、戦闘だけでなく移動用のモデルも用意されている)。

 次にマップですが、細かくエリア毎に区切られているばかりか、エリアの終端を表すラインがご丁寧に空中へ明示されており、エリア間の移動にはロード時間が伴います。さらにジャンプの機能は実装されておらず、わずかの段差も徒歩で乗り越えることはできません。まるでどこぞのJRPGのようですけど、いいですか、原神のマップを作れる技術力の会社がね、これをシームレスで自由に上下へ動き回れるようにできないはずがないんですよ! リワードのひとつに「オープンじゃないワールド」って揶揄があるんですけど、本邦の技術力の無さから逆算された窮屈な仕様を面白がりながらも、コイツら「敬意をもって」わざと模倣してやがるんです! これを例えるなら、両手両足を縄でしばったフルチンのスイマーが全日本選手権に現れ、まったくふざけた泳法で全種目の日本記録を塗りかえていくようなもんですよ! しかも、それぞれで10秒以上を短縮しながら! 馬鹿にされてるならまだ戦いようもありますが、停滞したJRPGの「破れたズボンの膝に色のちがうパッチを当てる」がごとき貧乏くささを「尊敬」して、自らをダウングレードしてまで目線を下げて、わざわざ我々のレベルにまで「降りて」きてくれているんです! 原神のときは「まさか、負けるのか! このオレ様が!」とひどくうろたえる感じがありましたが、崩スタでは余裕に満ちた強者の手加減を目の当たりにして「ああ、俺たち、負けるんだなあ……」という脱力感にも似たあきらめを覚えます。

 半ば虚脱状態のまま続けますが、ゲーム導入部の印象としては、スレイヤーズ!の作者が書いていたSF作品(名前は忘れた)をなぜか思い出しました。そして、中国哲学を宇宙の成り立ちに敷衍した「神々と世界の謎」は、膨大なテキスト量で深い考察を許してくれます。さらに、星神たちの設定にはクトゥルフ神話やゴッドハンドの狂気を連想するものがあり、「1惑星1物語」の展開はデュマレスト・サーガを彷彿とさせます。これが軌跡シリーズなら、惑星ごとに作品が分割販売され、後から来た者たちが見たらとっちらかった順序に、追いかける気をなくすことでしょう。「いや、20作品あるけど、ホニャララ編だけでも面白いから!」と熱弁されても、いまさらメンドくさい古参からウザがらみされるためのニワカになる気は起きません。

 ワンパッケージでどの時期から参入しても混乱なくストーリーを追うことができ、潤沢な課金で制作費をまかないながらどんどん世界を拡張していくクリエイティブの永久機関とも呼ぶべきこの仕組みを、なぜ本邦において日本ファルコムあたりが構築できなかったのか、心の底から残念でなりません。もしかすると、最初期の哲学なき拙劣な課金ゲームーー「ボクたち、任天堂の倒し方を知ってますよ」ーーへの嫌悪感のせいで、それを自分たちの「芸術品」と合体させるという発想から遠ざけられてしまったことが原因なのでしょうか。そんな「あいのこ(ラブ・チャイルドの意)」には、家名を継がせられないと考えたのかもしれません。結局、我々はどの業界においても、たとえ滅びてゆくとしてさえ、我々の本性を形づくる「潔癖さ」と心中する他に道はないのでしょう。

 あと、古くからの読者は知っていると思いますが、小鳥猊下の誕生日は3月7日って設定なんですよねー。崩スタの「三月なのか」ってキャラ、え、あれれ、もしかしてそうなの? いやー、まいっちゃうなー、本邦の気難しい中年オタク層にテキストで原神をエヴァンゲルしたのは確かだけど、その功績がホヨバに認められたのかなー、こいつはとんだハニートラップだなー。正直、ガチャで引いたキャラのほうがぜんぜん強いんだけど、よーし、オジサン、なのチャンをご指名して最後まで育てちゃおうかナ! あッ、崩壊スターレイルの致命的な欠陥を唐突に思い出しました! それはこのキャラの一人称が「ウチ」なのに、語尾さがりで発音するところです! このジャリ、けっこうな頻度でウチウチ連発しよんねんけど、ぜえんぶ語尾さがりになっとうから、関西人のワイはごっつうイラつくねん! こんだけで、パーティから外したろか思うわ! 「ウチ」の発音は語尾あがりがフツウやろがい! 「ウチは日本いち不幸な少女や」やろがい! この件に関してはな、全セリフの再録を求めて徹底的にホヨバと戦っていくで!

 雑文「GENSHINとSTARRAIL(近況報告2023.5.3)」

雑文「GENSHINとEVANGELION、そしてKANCOLLE(近況報告2023.4.14)」

 ナヒーダ編の第2章を読んで、大泣きしている。つくづく原神って、「偶然に家庭を持つことができてしまった就職氷河期オタクにとっての水戸黄門」だと思います。「故郷に帰り、家族と再会する。それがいちばん重要なこと」「時間という病は、すべての者を死にいたらしめる」ーー記憶と経験が時間で変化するのを「成長」と定義し、魂の輪廻を認めながらも成長の漂白だとしりぞけ、それぞれが過ごす一度きりの生を大切にせよと、目を合わせて語りかけてくる。そして、記憶と経験が消えてしまったあと、己が名付けをした存在だけが「生きた足跡」として世界に残されるという「当たり前さ」を正面からぶつけられ、シンプルな「ただいま」の一言に涙が伝い落ちるのです。でもね、本邦の初老オタクがこんなふうにヒネクレてしまったのは、何から何までエヴァンゲリオンが悪いんですよ(唐突)!

 毒親に苦しめられるアダルトチルドレンを「なんかカッコいいもの」として思春期の自己定義に組みこませてしまった、じつに罪深い作品だと言えるでしょう。多くの若者たち(当時)は病んでいるフリをするうちに、その偽りの病が人格の一部になってしまったのです。エヴァ新劇も、破の段階までは過去のトラウマを乗り越えて大人になろうとするミサトや、妻の死を乗り越えて息子と和解しようとするゲンドウの姿を真摯に描こうとしていました。シンエヴァ公開の際に「解呪」なる単語がネットに踊りましたが、多くのオタクたちが現実の20年を苦しんできた「家族の問題」を、世界の謎と並走しながらキャラクターの人生として解決してくれれば、おそらく私も「解呪」されただろうにと夢想するのです。ナヒーダのする「恨みを忘れてくれとは言わない。ただ次の世代のため、対話に応じてほしい」という龍への説得を聞きながらそんなことをボンヤリと考え、3人目の彼女のための課金を心に決めました。

 あと、ゆるく厳選した装備とにぶい反射神経で最高難度をクリアできる原神の調整を、本邦の神経症的なゲーム制作者たちには、ぜひ見習ってほしいものですね! ハナからふつうにクリアさせる気のない、艦これのイベント海域とかね! アニメ2期の後半を見ましたけど、相変わらず日常パートの演技の付け方と間の取り方が独特っていうか、意味不明ですね! あのさあ、「彼女は歩行を始めた。まず、利き手側の右足を膝裏部分がほぼ90度になるまで引き上げる。次に、前方の地面へ向けて踵を斜めに振り下ろす」みたいになってんだよ! もしかして演出志望の方にとってだけ、何がダメかを言語化することでよい教材になる可能性はあるかもしれませんけどね! しかしながら、そんなツッコミは些細なものであり、なんと最終話において鬼畜米英が味方になったのには、心底から驚愕させられました! ゆとりーー「え、日本ってアメリカと戦争してたんですか?」ーー世代への痛烈な皮肉でやってるんですよね? いったいぜんたい、我々は何と戦わされてるんですか! チクショウ、残りバケツが50を切りやがった! 艦隊これくしょん、史上最低のゲーム体験や!

雑文「神里綾華日記(近況報告2023.3.24)」

 現人神たるパーフェクト雷電将軍を擁する我が陣営において、その守護者たる神里家のご令嬢を引かないという選択肢はあらかじめ奪われているのである。各地を駆けめぐって集めた原石は優に1万5千個を越え、育成素材もレベル90に必要な数量を準備し、モラも600万ほどは耳をそろえて預金してある。禁治産者たる「宵越しのカネは持たない」凡百のテキストサイト管理人のようではなく、昭和の資産運用ーー「100万円を定期預金に入れておけば、10年後は200万円になってるんだ」ーーリテラシーに忠実なコツコツ型のフルタイマーであるため、2ヶ月に渡る備蓄など20年に渡る無視を耐えしのぶことに比べれば、はるかに容易であった。そしてついに、神里家ご令嬢の降臨日を迎えたわけであるが、その元素的相棒である異能・申鶴まで無償石の内側で引けてしまったのである。これを喜ぶのは原神インパクトの提供する間断のないクリエイティブに対して、ルンペンのようにーー「右や左の旦那様、哀れな乞食でございます」ーー失礼な態度であると言えよう。

 そこで新たに課金を行い、神里家のご令嬢にふさわしい正装である「霧切の廻光」を献上しようと思いたった。正直なところ、星5武器は少々過剰な戦力で、かならずしも入手する必要はない。しかしながら、3ヶ月近くを無償でプレイしてきたことへの感謝と負い目を、生来の貴族精神が看過できなかったのだ。もはや暗記してしまった原神専用クレカの番号を高速タイプで入力して、穏やかな春の陽射しのような微笑でガチャを回す。するとどうだろう、すり抜け2回と天井3回の絵に描いたような大爆死を遂げる結果となった。眉間に手斧が深々と刺さった状態で、アゴにしたたる鮮血を手の甲でぬぐいながら、「危なかった」とつぶやく貴人がそこにはおり、コツコツ型のフルタイマーで持ち家がなければ、本当に生活が危ないところだった。気をとりなおして、神里家のご令嬢と献上武器をレベル90まできたえ、軽く厳選済み(当然)の聖遺物を5つともレベル20にし、天賦のひとつをレベル8まで上げたあたりでモラが尽きた。素材もすべて底をつき、文字通りの素寒貧となったのである。俗に言う「エリクサー症候群」とは昭和の定期預金を知る層ーー「年利で言えば、8%くらいかな。高くはないよ」ーーのみが罹患する精神疾患だと思うが、リヤカーが横づけされたバラックのトタン屋根の下で、「明日は今日よりもきっと良い日」を信じられた時代の気風をテイワットにおいても感じられるとは、夢にも思わなかった。

 いや、それにしてもこのゲーム、ちょっと育成が重すぎません? レベル1の星5と星4が地平線の彼方まで列をなして待機してるんですけど……。ディシアも好きなキャラなので手元に置いておきたかったのに、「引いたところで、少なくとも1年以上は育成の手が回らない」からガチャを控えるような状況がソシャゲで訪れるなんて……いやいや、「父ちゃん、明日はホームランだね」!

雑文「原神の文学性について(近況報告2023.3.6)」

 原神の最新ストーリーを読む。ディシア編については演出の一部が破綻しており、定期的なバージョン更新の弊害を強く感じさせる仕上がりで、物語としてもビルドアップとその解決に雑な部分が見られました。いくらでも待てるーー探索しても探索しても、達成率100%にならないーーので、納期よりもブラッシュアップを優先してほしいと思います。その一方、魔神任務「カリベルト」は叙述トリックを交えた描写で原神世界の深奥に迫るばかりか、SF的なセンス・オブ・ワンダーにも満ちあふれていました。大胆に予想しておきますと、テイワットは2重地下世界の上部構造なんじゃないでしょうか。ナヒーダ編とあわせて考えると、もう1つ上に本当の世界があるーーいま冒険しているのは、ドラクエ3で言うところのアリアハンにすぎないーー3層構造になっているような気がします。

 このストーリーで語られているキャラの心情についても、ほとんど文学の域に到達していると言えるでしょう。我々がカタカナで無益さを揶揄するときのそれではなく、かつて帝国大学文学部が重々しく教授していたときの、大文字の「文学」です。nWoの更新において幾度もリフレインされてきた「醜い肉塊にすぎない私が愛されたいと願うとき、貴方は私を愛することができるのか?」という究極の問いに、「できる。それが我が子ならば」と親の立ち場から断言されてしまったことに、いまは少し愕然とさせられています。この問いは本来なら肉親に向けられるべきところを、肉親との関係性からそれがかなわず、他者へと向かうがゆえにいつも無効化されてしまう性質を持っており、例えば栗本薫を創始とする「やおい」作品群などは、なんとかしてこの無効化を乗り越えて他者へ届こうとする力学が、特定の人々にとって極めて切実な「文学」でした。ある種の悲鳴とも言えるその問いかけに対して、まっすぐ目をのぞきこみ、「まず、親との関係をちゃんと精算しろ。そうすれば、我が子がどんな存在であれ、おまえは抱きしめることができる」と、たかだかゲームぐらいに言われてしまったことへ、ある種の敗北感がこみあげてくるのです。

 さらに自分語りを続けるならば、かつて「虚構における美少女キャラの白痴性を消費することに、罪は無いのか?」と問いかけた小説を書いたことがありました。「見た目が愛らしく、性的な視線を許容してくれ、簡単にセックスできる」という男性の古い欲望を、2次元に投影する過程で希釈したのがエロゲーの美少女であり、泣きゲーにおいて「見た目が儚く、深く傷ついていて、簡単に依存してくる」へと変奏されたのち、現在の萌え絵へと遺伝子を継承されていく。おそらくは自己嫌悪から発した、このほとんど神学的な問いにさえ、原神はこちらの両肩へ手を置いて「罪は無い。一個の人間として描写されるならば」と断言した上でショウ・アンド・テルにまでおよんでくるのが、本当におそろしい。国家と世代の双方にまたがるゲームを通じたこの異文化体験のさなか、長く依怙地に保持してきたアイデンティティをキャンセルされる瞬間があり、油断しているとプレイ中にしばし茫然とさせられてしまいます。

 先日、タイムラインへ流れてきた大陸の「寝そべり族」に関する記事を読みました。興味深くはありましたが、場の衰退と個の加齢をオーバーラップさせて、本邦の精神性の正体である「寂滅」に訴えるのは、読者を獲得する戦略としては正しいのでしょうが、社会批評として早々に結論を出そうとするのはイージーに過ぎます。少なくともこれから20年を定点観測して、彼らが思想未満のそれを老いていく過程で成熟させ完遂できるのか、その行く末までを含めてこの記事は完成するような気がしました。原神になぞらえて言うなら、死をゼロとした衰えの時間軸に精神を「摩耗」させられない強靭さを、いったいどのくらいの数の魂が維持できるのでしょうか。個人的には、「最後の世代」を政治的に標榜する若者の内面などよりは、世界最大のアプリに携わる人々が抱く「もちろんゲーム制作に、社会を維持するための生産性なんてない。しかし、これこそが我々の存在理由であり、いまを生きる意味そのものだ」という熱量に進行形の時代を感じます。それに原神を愛好する若いファンたちは、熱を失うばかりの世代の諦念とは、離れた場所にいるように見えるのです。

 最近では、先に退場する者たちが「世界はどんどん悪くなっていく」と口に出すことの無責任さを、強く意識します。特攻隊員の生き残りがテレビの生放送に呼ばれ、司会者がなんとか戦後の若者たちへの批判を引き出そうとするのに、「彼らは教育も受け、私たちよりずっと賢い。きっと、世界は良い方向に進んでいくと思う」と答えたというあの逸話を思い出すのです。余談ながら、いまはなきマイナー球団のホームラン打者についてのドキュメンタリーを偶然に見てしまったのですが、全編にわたって昭和のイヤな部分が濃縮された内容で、あの時代に感じていた「生きづらさ」を生々しく追体験させられました。二度とあそこへ戻りたくないと心の底から言えることは、多少の行きつ戻りつはありながら、人類が総体としては良くなっていくことの証左であるようにも感じます。上の世代を憎む者たちの作り出した文化から、憎しみだけを取りのぞいた遺伝子が、異境の若者たちを通じて世界中へと伝播し受け継がれていくーーこの未来はもちろん、我々にとって愉快ではありませんが、それほど悪い顛末ではないような気がしてなりません。

雑文「PEOPLE‘S GENSHIN IMPACT(近況報告2023.2.21)」

2022年12月29日

 今年を振り返れば、原神から受けた衝撃は個人的な大事件であった。もちろん諸君の予想するとおり、窓がネジで閉まりきらず、隙間風のびょうびょう鳴るデジタル四畳半の向かいには、雷電将軍がプレステ5のつながれたブラウン管テレビをながめながら、つまらなさそうにコタツ蜜柑に興じておられる。しかも、草薙の稲光を携えた防御60%無視のご本尊であり、レベルは本体・武器ともに90へと到達し、なんとなれば聖遺物の厳選も軽く終わっているぐらいである。

2023年2月21日

 原神、冒険ランク56に到達。苦節2ヶ月をかけて育成した天賦オール10のパーフェクト雷電将軍がおっぱいの谷間から刀ーーおそらく、ウテナへのオマージューーを抜き出しながら、「稲光・イズ・永遠」とハスキーボイスで発声すると、世界ランク8のあらゆる敵が一瞬で蒸発するようになった。このゲーム、FGOなどの旧世代アプリに比べるとガチャがとてもよく考えられていて、天井が低い代わりとして育成をかなり重めに設定してあり、ガチャへ付随するポイントで育成に必要な各種リソースを交換できるようになっている。例えば、FGOのガチャはピックアップの星5以外すべてゴミが排出され、まさに「万札シュレッダー」としか形容のできない人類悪的ギャンブルであるのに対して、原神のそれは「ゲーム内のモノと時間を適正価格で購入させていただいている」ような印象さえ受ける。それこそ、「キャラは持ってるけど、育成のためのモラと素材が足りないからガチャで補充しよう」なんて引き方もできなくはなく、天井がアホみたく高いクセに育成は秒で終わるーーゆえにキャラへ愛着のわきにくいーーどこぞのFGOには新アプリを導入する際、ぜひこのバランスを見習ってほしいものだ。

 さて、「おっぱい、ぷるんぷるーん」以外のゲーム内近況報告ですが、重すぎる育成リソースをやりくりするため、モラと経験値本めあてに各地の探索度を上げたり、手つかずだったデートイベントを順に消化しているところです。初期に導入された軽い読み物と油断していたら、凝光の「私は幼少期に良い教育を受けられなかったから、貧しい子どもたちと関わることが彼らにとって教育になればと考えている。時が過ぎて私の肉体が消えたあとも、この名が良い統治を表す概念として彼らに引き継がれていけばと願う」という告白にふいをうたれ、号泣してしまいました。人間の世界と関わるのがイヤでイヤでオタクになったはずなのに、気がつけば人類の継続を願う言葉に共鳴している自分を不思議な気持ちでながめています。親を憎まない若いオタクたちがこうなのか、大陸の文化に底流する思想がこうなのかは判然としませんが、P’S REPUBLIC OF CHINAのことは嫌いになっても、GENSHIN IMPACTのことは嫌いにならないでください! 貴様ッ、中華アプリへの課金は銃やミサイルに姿を変えてオマエをいずれ殺しにくるぞ! 構わないッ、凝光様や雷電将軍への愛がオレの死だというなら、むしろ望むところだッ!

質問:実際、大陸文化とのかろうじて共感できる部分ってMOEしかないんじゃないかとか本気で思いますね
回答:まあ、チビで出ッ歯でメガネで首からカメラをさげた農協の我々も、同じ手法で世界を懐柔してきたわけですから、このカウンター文化侵略に異議を申し立てる権利などないわけで。さあ、ごいっしょに、「萌え、萌え、きゅん」!