猫を起こさないように
半沢直樹
半沢直樹

ドラマ「麒麟がくる」最終回感想

 ミーハーなので、麒麟・イズ・カミング、最終回だけ見る。終始「いま、ここ」に向きあわない、回想シーンまみれの、盛り上げることをあえて避けているのかと疑わせる展開で、この一年間を追いかけて「来なくて」本当によかったなー、と思いました。忠臣蔵に代表されるような、いじめられていじめられて、耐えて耐えて耐えて、その忍耐がある閾値を超えて爆発すると、客観的にはテロリストに過ぎない行為が義士のそれへと転じて称えられる、本邦の民族的な病であるところの、あの歪んだカタルシスが描き切れてませんねー。もっとケレン味があってもよかったと思うんですよねー。本能寺で信長と対峙して、敦盛を強要ーー半沢直樹ばりに突然「舞えーッ!」と叫ぶーーしてから首級を挙げるとか、史実無視の生存におわせエンドにするくらいなら、いっそ朝鮮出兵時に敵の大将になってて秀吉をボコボコにくらすとかさー(適当)。

ドラマ「半沢直樹2」感想

 え、だってそうでしょう? 組織名と役職名を明らかにしながら上長の許可も得ないまま業務内容に関する個人の感想を衆人環視の便所壁に書きちらすんですから! もし「ぼくたち、すごくがんばりました!」なんて言いながら納品してくる下請け業者がいれば、その場は笑顔で慇懃に対応しながら次回の契約更新は見送りますね! リーサラ・ウェポンであるッ!

 遅ればせながら、話題のハーフ澤NAOKIをチラ見しておるが、みんな大好き水戸黄門フォーマットーーあちらは開始45分で印籠、こちらは開始45分で土下座ーーを踏襲した銀行歌舞伎がたいへん楽しい(家人はスッと立っていなくなるので、下品な面白さなのだろう)。感心したのはテンポの速さで、最初はまちがって総集編を再生したかと思ったぐらいである。昭和のドラマ(スクール・ウォーズ)で育った身にとっては、10話で終わりなんていうのはほとんど打ち切り(スクール・ウォーズ2)みたいな短さだ。しかしながら、ネット動画のテンポに慣らされた客層を引き戻そうとする工夫と努力には違いなく、そのネットに愛され助けられながら週刊誌フォーマットを脱却できず馬脚をあらわしたマッソー男の態度とは好対照をなしていると言えよう。そして過剰な演技と感情を抜いてみれば、あらためて我が身をふりかえっての日々の仕事の無意味さに気づかされた。世の中の文系仕事はこのドラマのようにマイナスをゼロへ戻すだけの作業に満ちあふれている。現実はもっと淡々としており、面罵も土下座もないままに人が殺されていく。さらに組織内で死んで亡霊になっていることに、当の本人さえ気づいていない場合も多い。社内調整や人間関係のバランス取りに汲々とするばかりで、多くの時間を費やしながら何のプラスも達成できない。これこそが政治を含めた本邦における文系仕事の正体であり、高度に編まれているがゆえに局所的で普遍性を持てないブルシット・ジョブの塊である。

 質問:猊下はトゥー↑、トゥー↑、フォー↓(ハリソンフォードの真似で)・バケーションなのかな。

 回答:いえ、ノー・バケーションでした。謎の定額制サービス「働かせホーダイ!」が適用されていますので。