猫を起こさないように
三体
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小説「三体(第3部)」感想

 小説「三体(第1部)」感想
 小説「三体(第2部)」感想

 三体第3部をようやく読了。いま調べたら、第2部を読み終わったのが昨年の8月なので、ずいぶんと間が空いてしまいました。この原因は「七夕の国・友の会」という同人誌へ寄稿の依頼を受けたことです。最近は「テキストで、読んだ相手をうちのめす(五七五)」という初期動機がだいぶ薄れてきて、「将来の自分のために、時系列で感情の軌跡を残す」方向へと軸足が移りつつあります。その同人誌の原稿の中に、三体の第3部を読んでいる途中であることを書いてしまったので、「他者への公開は感情の時系列」というハウスルールを守るために「このテキストが発表されるまでは読了できない」という、ハタから見ればまったく理解できないであろう謎の制約が生じたからです。同人誌そのものは今年の1月に世へ出たのですが、それまでに三体第3部を読んでいる途中だということを、すっかり忘れてしまっていたのでした(みなさん、これがアルコールへ充分に脳味噌をソークさせた場合の、中年期以降の記憶力です)。

 第2部感想の最後に「ストーリーはきれいに終わってるし、この先は何を書いても蛇足じゃないの?」みたいな疑問を呈していましたが、大陸の文化から長く断絶されていたゆえのナメた発言だったことが、第3部で明らかとなりました。ご存知のように、昨年8月から今年1月までに起こった私的大事件は、原神インパクトとの出会いです。このC(CHINA)RPGを通じて、限られた人間関係の社畜な日々に加えて、偏ったタイムラインと国営放送のニュースに影響され、知らぬうちに構築されていた偏見未満の思い込みのようなものがすべてふっとび、長らくぶりに大陸文化への畏敬が復活したのでした。それはまさに「蒙を啓く」という表現がピッタリの精神的なパラダイムシフトで、「どうせ剽窃ベースの低いクオリティだろう」という傲慢な侮りが抜けた状態で三体第3部の残りを読めたことは、怪我の功名ならぬ同人誌の功名だったと言えるでしょう。

 このC(CHINA)SFを通して読んだいま、私はこの第3部がいちばん好きだと断言できます。物語規模で言えば、誇張抜きで人類史上最大のものとなっていて、本邦で類似のものを挙げるなら、小説だと「神狩り」や「百億の昼と千億の夜」、映像だと「トップをねらえ!(6話)」「劇場版グレンラガン螺巌篇」と同等か、それ以上のスケールなのです。「荒唐無稽なハードSF」、あるいは「ハードSFなのに荒唐無稽」とでも表現しましょうか、この狭い列島に住まう神経症のサイファイ作家からは逆立ちしても出てこない類の作品で、「科学考証や物理学の正確さ、さらに自身で張った伏線さえ、ドラマツルギーという熱量の前には膝を折る」展開が次々と繰り広げられ、水滸伝や封神演義のハードSF版とでも形容すべき豪快な中身に仕上がっています。いつも通りネタバレ上等でしゃべっちゃいますが、ビッグバンからビッグクランチに至るまでの時間軸で展開する物語は、この地球上に存在するどんな人間のどんな苦悩をも相対化の果てに無化できるスケールで、「日々の重責に圧し潰されそうな人物」ーー例えば、世界最強の軍隊を有する民主主義国家のビッグ統領とかねーーほど楽しく読めるというか、気が楽になる効果は確実にあると思いました。

 第1部にヤン・ウェンリーが歴史上の偉人として出てきたのにのけぞった話をしましたが、「いま持てる知識を総動員して、元ネタが割れるのを気にする節操は捨てて、己の生きたすべてを作品にブチこむ」書き手のようで、「あ、これは『100,000年後の安全』を見た衝撃を作品に入れたかったんだな」とか、ストーリーの端々からナマっぽい気配が立ち上がるのも、まるで作家本人と対話しているようで面白かったです。個人的に気にかかったのは、これだけの時間スケールを伴った作品であるにも関わらず、「生病老死の否定」が寸毫も含まれないところでしょう。これは原神のストーリーにも強く感じる点で、「不老不死を肯んじない」というのは大陸文化における何か哲学的教養なのでしょうか(有識者からの解説を求めたいところです)。正直に言えば、特に下巻へ突入してからはあまりに日常から離れた情景を描写するため、頭の中に映像を浮かべるのが難しい個所がいくつもありましたので、ネットフリックスでのドラマ化には大いに期待しております。

 ただ、どこで物語のピリオドを打つのか最後の数ページまで予想がつかずにドキドキしながら読み進めたのですが、結末部分だけかなりの肩すかしと言いましょうか、小説的技巧に走った終わり方になっているのは少し残念に思いました。まあ、「十次元での新生」なんてのを文章で表現できる気はしませんので、この積み残しはドラマ版で解決されると信じております。あと、智子まわりの描写の仕方は作者の趣味や性癖が出すぎてる気はしましたねー。まっさきに連想したのは、ぴっちりツナギを着たお姉ちゃんが大排気量のバイクにまたがってハイウェイを神めがけて疾走する「神狩り2」のエンディングで、中老年期の男性作家が積み上げてきた知識や経験、そして名声までをも若々しい女体の前にかなぐり捨てる「悲しきオスの習性」は、ちょっと直視に困る感じがあります。ともあれ、スーパーストリングス理論の台頭に伴う物理学50年の停滞が生み出した集大成的フィクションであるところの三体第3部、超おススメです!

小説「虐殺器官』感想

 タイトルがすばらしいので、「読まなきゃな……」と思いながら十数年が経過した虐殺器官をようやく読む(青少年のみなさん、これが中年期以降の時間感覚です)。膨大な設定と蘊蓄の集積を、まるで日本人みたいな自意識のアメリカ人の語りで聞かされる、しかもぜんぜん話が進まない、ダメなときのメタルギアシリーズみたいな作品でした。「ストーリーを語るための設定」と「設定を語るためのストーリー」があるとすれば完全に後者へ寄ってて、全体の90%を過ぎてもまだ蘊蓄を語り始めるので、思わず「いい加減ストーリーに集中しろ!」と叫んでしまいました。もはや調べる気はありませんが、世界のコジマが激賞しそうな雰囲気だけはただよっています。なんと言いますか、現実における死の経験不可能性が結果として神秘のヴェールをまとわせたって感じがしますねー。

 あと、三体のときにも指摘しましたけれど、男性作家が作中でつい少女をリョナっちゃうのは、現実における少女との性交不可能性にイラだつあまり、架空の暴力へと欲望を転化しちゃうんでしょうか。作中で頻発する児童スナッフには、現実における本作の映像化不可能性を感じますが、もし「原作に極めて忠実な」実写が存在するのだとしたら、ぜったいに見ます!

雑文「原神の超越、あるいは獣の本性」

 原神、「消化」になってしまうのがもったいなくて、できるだけ攻略情報を調べずにゆっくり世界を「散策」している。己の弱点や拙い部分を自覚しながら隠そうとせず、現在進行形の全身全力全霊で作っている熱気が伝わってきて、「とても好ましい」というファーストインプレッションは途切れることなく続いている。ただ、ソウルハッカーズ2のあとに原神へ触れてしまったことは、私の中のある価値観について、かなり決定的な影響を与えてしまったと言わざるをえない。つまり、「本邦の衰退」なる言辞を横目にしながら、日々の生活では実感を持つことを避けてきた事実に、己の体験を通じて正対させられたのである。ソウルハッカーズ2を現場監督の驕りが招いた高級建材の瓦礫の山だとするなら、原神は建材の質が劣っていることを知る職人の、工夫と熱意と矜持で組み上げられた大伽藍と言えるだろう。そして、見た目には本邦の2次元作品の精髄のようにしか映らないのに、その皮一枚下には大陸の文化と思考が岩のように脈うっているのである。

 栗本薫から薫陶を受けた私は、中国語の翻訳が生みだす独特の文体と、頻出する類型的でない表現に心をつかまれ、原神の体現する思想とも言うべきものに、すっかりやられてしまった。それは言葉にすれば、ここ半世紀を通じて我々があえて意味を軽くしてきた「親と子の絆」「師弟の敬愛」「他者との縁」「商売の掟」「仁義と報恩」「技術と志の継承」「若さと老いの等価」といったものであり、そして何より「現存する人類を延伸した先にある超越」を心から信じる態度が、作品全体に朗々と響きわたっているのである。登場する原神たちにしても、西洋的な孤絶した審判者ではなく、あくまで「人間と地続きに連続した存在」として描かれている。昨日、最新の配信イベントを最後までクリアしたのだが、「ワインの香りをかいだ瞬間、自分を捨てたと思っていた両親の、暖かな背中が脳裏によみがえる」というシーンで、常ならば冷笑的に眺めるだけの自分が、胸をつかれ涙を流しているのに遅れて気づいて、ひどく動揺してしまった。この場面が泣かせのためだけにする小手先のプロットではなく、原神世界に響く確かな通低音とつながっているから、心をゆさぶられたのだと思う。

 「親を憎んだ者たちが始めたおたく文化が、親を愛する者たちに受け継がれていく衝撃」という指摘もあろうが、それはむしろ土地ではなく世代の問題に帰するのかもしれない。話を元に戻すが、家族の形にせよ何にせよ、我々はなぜか旧来への付与でなく解体をどうにも志向してしまうようだ。しかし彼らは、種の継続に向けた動物としての当然をキャンセルしようとする仕草に、何を恥じることもなく異議をとなえ、違和感に首をかしげてみせる。反して我々は、親と子、男と女、師と弟、すべてが一様に対等であるという舶来のアイデア(思いつき)を、だれかの一方的な我慢で成立する虚妄だとは指摘せず、曖昧な微笑で静かに受け入れて、ただただ己の寿命だけは平穏に逃げ切りたいという「さもしい利己主義」をしか抱けない。じっさい、相手を刺し殺す1秒前までは表面上ニコニコと穏やかにふるまい、我慢の時間的な長さによってテロ行為が礼賛の対象へと変質するプロセスーー忠臣蔵がその最たるものだろうーーが我々の心性の正味のところで、「忍耐の末の破滅」を美徳とする生き様では、各国にある中華街が体現するような「ポジティブな生き汚なさ」など構築のしようもない。「三体」を読んだときにも感じたことだが、一過性の思考実験的トレンドに過ぎない人間性の否定に取りあわず、自らの本性を獣の延長として迷わず思考し続けるような人々と100年のスパンで競いあうことなど、はたしてできるのだろうか。その疑念が、ずっと頭を離れない。

 そして、昭和の模倣としての己の人生が「たかが小説」「たかがゲーム」によって、何の普遍性も持たない過去の影法師であることに気づかされ、欠落した魂に抱く幻肢痛のごとき苦しみに悩まされ続けている。そんな気持ちのまま、第2章の花火師の話を読み終えた。ああーー宵宮からは、土のにおいがする。

小説「三体(第2部)」感想

 小説「三体(第1部)」感想

 三体第2部、上巻の後半から加速がついて、一気に読了する。正直、第1部から想像していた内容とは大きく異なった、怒涛の展開と破格の面白さでした。作中で言及のある銀英伝を始めとして、ヤマト、ガンダム、エヴァなど本邦の想像力を下敷きに出力されている感じが伝わってきて、やはり水滸伝や封神演義のようなフィクションとしてチューニングを合わせるべき作品だと思います。SFとしてとらえた場合、「黒暗森林」という概念がラストの謎解きを含めた世界観の骨格になっているので、これに充分な説得力を感じられるかが評価の分かれ目になるでしょう。まあ、私は「民明書房刊」ぐらいの感じで楽しみましたけど、エンタメ目的の理論やさかいに、スーパー・ストリングスの学者センセたちよりは、よっぽど罪がおまへんなあ(ウワメ遣い)。個人的には理論そのものより、「猜疑連鎖が宇宙の律だけど、やっぱ地球から愛を広めなくちゃね!」みたいな台詞に、思わず米粒を噴き出しました。中華思想にどっぷり浸かった人物が日本のアニメに衝撃を受けた様子(ヤック、デカルチャー!)を、何の加工もなく素直に表現しているんですかねえ。

 セカイ系をなぞると思わせながら、森雪のイビツな造形に代表される「童貞男性の中でボッコボコに発酵した女性のセクシャルな魅力」を連想させる文章表現は、第1部に引き続いてそこここに散見されるものの、ヒロインとの関係性に問題の解決を集約しなかったのには、己がいかに少女へ世界の命運を背負わせる本邦の虚構群に毒されていたか、恥じ入る気持ちにはなりました。そして、本作をエンタメとして楽しんだ以上に私を落ちこませたのは、「四百年先の未来」という視座から同胞の存続を我が事として真剣に考えることのできる者が、はたしていま本邦にいるのかという疑問と、遅れてやってくる諦念です。「己の人生と、願わくば子の代がマシな時代を逃げ切れればいい」ぐらいの祈りまでがせいぜいで、そんな長大な未来を現実の地続きとして思考する人物が本邦にひとりでもいるとは、まったく信じることができません。

 しかしながら、今期のFGO夏イベにも顕著な、個人的に”刃牙問題”と呼称している「文系の想像力が最上かつ最良の価値だという妄想」ーーオレの宇宙社会学による呪文は、スーパー水爆より破壊力バツグンだぜ!ーーが、本作にも中華思想さえ凌駕する作者の自我としてシミのように表出しているので、現実とフィクションの間に、何か実効的な相互作用を見出さないのが賢明だなと、いち社会人として正気に戻りました。あれ、でもまだ第3部が残ってるけど、ストーリーはきれいに終わってない? もしかして、「黒暗森林」の思想を前提に、地球の宗教が変容していく話とかをするのかしら?

雑文「BCSとKOJIMA、そして3BODY(近況報告2022.8.11)」

 世界のコジマ(笑)による「ベター・コール・ソウル、シーズン2の途中で止まってるけど、続きを見るべき?」みたいな妄言がタイムラインへ流れてきて、ひさびさの強烈な感情に脳が沸騰している。さらに最悪なのは、「シーズン6の11話だけ見た」と明言しているところで、いまこの地点から振り返って、極めて細密に編まれてきたことが明らかとなった物語を、結末部分だけつまみ食いしてるって、ネタバレ配信者とかファスト映画の持つ創作物への敬意の無さとアンタの態度、なにがちゃいますのん。この人物、ブレードランナーとか世間の評価が定まった基本的に「味つけの濃い」フィクションの骨格へ、「俺の考えた最強の設定」をトッピングしたパロディを創作のベースとしていて、彼の提示するオリジナル要素に感心したことは、ただの一度もありません。

 今回の発言は「モーツァルトの演奏に難癖をつける、自らの非才に気づかないサリエリ」みたいな滑稽さであることを、だれか教えてあげて下さい。デス・ストランディング、基地に到着する手前で止めたけど、最後までプレイするべきですかね? Youtubeでエンディングだけ見ちゃダメですか? メタルギアの版権にまつわる騒動も、これまでは同情的に眺めていましたが、今回の発言を目にして以降は、この人物のふるまいにも問題があり、コナミ側の言い分には充分な理があったのだろうなと思うようになりました。怖いですね、ツイッターって! この傲慢なサリエリ君は、ベター・コール・ソウルの面白さがわからない一方で、三体第1部を激賞してるんですけど、「白身魚の刺身は、バーガーより味が薄くて、不味い。大統領もそう言ってる」と公言して恥じない自称・美食家みたいなもんですね!

 いい加減ムカつくので、世界的な痔質野郎から離れますが、三体第1部を読んでいていちばん引っかかったのは、地球三体組織の創始者が物理学者になった娘を評する場面です。「あの子は特別だった。数式を教えると『何に使えるの?』ではなく、『美しいわね!』と答える子だった」という内容で、「それって、数学が得意な人間にとって、極めてノーマルな感覚では?」と思うと同時に、このくだりに文系と中国人、どちらの感性がより濃く反映しているか、いぶかしく思いました。いま三体第2部の前半を読み進めてますけど、グラップラー刃牙の「脳内シャドーを何千戦も行ってキャリアを積めるから、あらゆる格闘技の中でイマジネーションが最強」と同じ結論になりそうで、ハラハラしています。

小説「三体(第1部)」感想

 いまさらながら、三体の第1部を最後まで読む。オバマ前大統領の発言がよく引き合いに出されますが、「中国から出てきたサイファイ」というのが最大の評価軸で、例えばFBIなどによる「中華人民の心性を知るために熟読する」といった視点が、読み手の興味の半分ぐらいを占めている気がします。

 前半は近年の個人的な関心にクリティカルヒットする「物理学は死んだ」「三体問題に解は存在しない」に駆動されてグイグイ読んだんですけど、後半はアルファ・ケンタウリに知的生命体がいるベタさとか、その知的生命体の思考と文明が地球人のそれらを延伸したものでしかないとか、「少女」に向けた男性作家の視点がいちいちキモい(グロ趣味だし)なとか、そもそも史アニキぐらいしかキャラが立ってないんじゃねえのとか、全体的に事前情報で予期していたハードSFというよりは、大衆向けの武侠小説ノリだったのは意外でしたねー。

 あれですかね、全3部作はマトリックス・シリーズのように推移するんですかね、「理論」「ドンパチ」「宗教」っていうね。続きを読むべきかどうか、ちょっと迷っています。

質問:アンチを許さない空気感、みたいなものは感じざるを得ないなあと思いました
回答:小説の巧拙でいうと上手い方の作品ではないので、オバマからの言及が世間の評価を確定したように思います。中国共産党の中央政治局さえ許せば、少女をリョナりたいという欲望だけはビンビンに伝わってきました。

 小説「三体(第2部)」感想