漫画「むこうぶち(20巻まで)」感想
むこうぶち、既刊56巻まで読了。途中から読み終わるのが惜しくなって、1日1話にペースダウンしたので、ずいぶんと時間がかかってしまいました。こんなすごい漫画を20年も知らずにいたという事実に、古いおたくとしてはただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。舞台だったバブル時代はこの巻で終焉を迎え、いったん物語にはピリオドが打たれた感じですが、作品テーマを語り終えてから主要人物のひとりをキッチリ退場させましたので刃牙シリーズと同じく、ここからはどういう形で作品が途絶しても大往生と呼べるステージに入ったと言えるでしょう。基本的に単話完結なので、優秀な闘牌ブレインさえいれば、延々とバブル期の設定で連載を続けることはできたはずですが、いったん最終回を描いておきたい心境の変化が作者にあったのかもしれません。最後の頂上対決はたったの6話で完結しており、作者インタビューからも感じる、自作にのめりこみ過ぎない距離感に感服しました。アゴの尖った方の作劇なら、6話どころか20年かけて250話くらいに引き伸ばせただろう勝負ですのに!
「長期連載はどこかの段階で必ず作者の人生や思想と骨がらみになり、大御所になっていく過程で編集者も口を出せなくなるため、歪みが修正されず大きくなってどんどん狂っていく」というのが私の持論だったのですが、むこうぶちは見事なまでにこれへ当てはまりません。あのね、強調しておきますけど、作画・ストーリー・キャラクターが20年の連載で少しも狂わないというのは、空前絶後の驚異的なバランス感覚ですよ! さらに主人公を「無人格の狂言回し」に置いたまま、最後まで正体を明かさなかったのも非常にポイントが高いです。本作は「人生で最高の漫画を10本あげよ」と言われたら、必ず入る一作となりました(もう一本は「ラーメン発見伝」シリーズ)。
どの話もよくできてるんですけど、56巻478話のうちでもっとも印象的な回を2つ挙げるとしたら、まずは「石川さんの戦い」でしょう。軽度の知的障害を持つ工員が、作中はじめて御無礼の人にオーラスで振り込ませてトップを取るという展開に、いたく感動しました。他の作品だったら「聖なる白痴」みたいな描き方の女子高生とか出してきそうなところに、短躯でロンパリのオッサンを持ってくるのがすごい。そして、振り込んだときの御無礼の人の「信じられない」という表情が、とてもいい。これまでの何百話にわたる無敗があるからこその衝撃で、1分ほどまじまじとそのコマを眺めちゃいましたよ。もうひとつは事実上の最終話「バブルの終わり・完」で、御無礼の人がはじめて対戦相手の名前を呼ぶところです。これも475話の積み重ねがあっての名シーンで、いったんその台詞でページを繰るのを止めて、しばし虚空を見つめて感慨に浸りましたからね。勝手な投影ではありますが、麻雀を通じてしか他人と関われない奇形、そのディスコミュニケーションの極地が「思わず」ほどけた瞬間のように見えたのです。この作品を読むと、書き割りではない生身の人間が生き生きと描かれていて、いかに近年の虚構群が「記号によるキャラ化」で作られているかを対比的に痛感させられます。
そして、エログロやギャンブルといった出自を持つ物語が高い普遍性を持ちながら、本邦では人口へ膾炙していく段階で、ある閾値を超えられないという現実は、じつにくちおしいことです。みんなもっと学校や職場や町内会やマンションの自治会で「ランス10」や「むこうぶち」を宣伝しよう!(無茶ぶり)
質問:麻雀出来ないので、麻雀漫画をスルーしてきた人生なのですが先日漫画家さんから麻雀漫画は麻雀を知らなくても面白いと言われ勧められたのがむこうぶちでした。猊下も推しとの事でしたら何を差し置いても読んでみようと思います!
回答:貴君の画業に間違いなくプラスの影響があることを確信しながら、「何を差し置いても」読むとの宣言には懊悩の微笑を浮かべる始末であります。むこうぶちの持つ美点として、男性の登場人物がじつに多彩であることが挙げられるでしょう。近年の虚構における男性はどれも、「イケメン」「イケオジ」「ブサメン」「キモデブ」ぐらいの単語を骨格に肉付けしてある感じといいましょうか、美醜と老若という2つのスライダーしか持たないキャラメイクになってると思うんですよねー。むこうぶちは基本的に単話完結になっていて、毎回ゲストキャラが入れ替わるのですが、外見を含めてひとりとして同じ造形の男性がいないのです。職業にもよると思いますが、現実でも日々交流がある人たちって、けっこう均質じゃないですか。そして年齢を重ねると、ますますその均質性は高まっていく。むこうぶちはフィクションなのに、「ああ、現実ってこんなにも多様だったんだ」とどこか気づかされる感じがあるのは、すごいなあと思っています。おススメである「石川さんの戦い」までは、ぜひ読んでほしいです。この人物をフィクションに登場させて、どの団体からも非難や抗議を受ける隙がないというのは、よく考えればとんでもない脚本力です。