猫を起こさないように
トップをねらえ
トップをねらえ

アニメ「トップをねらえ2!」感想(だいぶエヴァ呪)

 ピのつくイベントがもたらした唯一の恩恵である連休を使って、「トップをねらえ2!」を通して見る。はてブ民との死闘でも伝えたと思いますが、原典至上主義者なので、この2も「あの名作の監督を変えて、パロディみたいな続編を作るなんて!」と、持ち前の潔癖さから視聴を拒否していました。それがシンエヴァで呪いが解けーーあ、カン違いしないで下さいよ! 監督がクリエイターとしての良心を持っているという思い込みが消えたという意味ですからね!ーーて、17年越しに本作の視聴へと至ったわけです。感想としては、これ、エヴァンゲリオンを主題とした変奏曲の第一楽章って感じですね。さらにグレンラガンの第二楽章、見てないけどダリフラ?の第三楽章へと続いていく、エヴァに影響を受けた作り手たちによるアンサーのひとつだと言えます。端的に言って、シンエヴァで見たいと思っていたものが少しは見れて、かなり楽しんだと思います(1話で主人公の下半身ばかりを執拗に映し続けるのには、正直どうしようかと思いましたが……)。

 そしてトップ2を見たことで、シンエヴァの構成について解像度が上がりました。トップ2はシンエヴァの副監督が作っており、前者の要素を後者から引き算すれば、監督が手がけたパートが明らかになるという寸法です。この視点でシンエヴァを腑分けすれば、序盤の第三村のロケハンが監督(レイ回りはたぶん副監督)、中盤から終盤にかけての戦闘が副監督、最終盤の補完計画が監督といった構成になるでしょうか。つまり、シンエヴァは表現手法による三幕構成の芝居になっているのです。序盤はロケハンとアングルの模索に特撮の手法、中盤から終盤はトップ2を彷彿とさせるロボットアクションの描写に「間に合わないから」コンテを切る従来の手法、最終盤は旧劇・新劇の過去素材に風景写真と鉛筆画を加えたテレビ版弐拾伍話・弐拾六話と同じコラージュの手法で、それぞれ作られています。シン・ゴジラのときも、最後の最後は「すべての素材を人質に、編集室へ立てこもった」ようですが、今回は編集のための素材が足りないあまり旧劇まで引っ張り出すハメになって、さぞかしご苦労なさったでしょう。まあ、マラソンを走るためにバットを素振りするみたいな、無駄な努力の総天然色見本となってしまったわけですが! 余裕があるときは社長先輩(笑)の顔で後発の育成の真似事をしたって、追い詰められると「100%自分の意志だけで画面を作れる」コラージュの手法へと退行してしまうことからもわかりますが、監督は自分以外のだれも信用していないし、だれかを育てる気なんてさらさらないんです。もっとも近くで彼を見てきたジブリの翁が「大人になれないひと」だと言明するように、監督は成長どころか「トップをねらえ!」の当時から一貫して何も変わっていません。シンエヴァ終盤の手法と終わらせ方が、それを強烈に裏書きしているではありませんか。

 考えれば考えるほど、この作品をもってして成熟や前進を語る人々の内面には、「精神の盲点」とも呼ぶべき病裡が潜んでいるとしか思えません。彼らの態度は、皮層的な雰囲気だけに流される、所謂「B層」と申しましょうか、為政者がいかようにも操縦可能な「大衆」そのものです。「なぜならば」、本邦においては学校教育の偉大な成果から、正解を持った人物が常にいると信じこまされ、社会に出た後も脳内に仮構したその「先生」へ向けて品行方正にふるまうタイプの人種が、かなりの数で存在するからです。そして、集団を指揮する側にとって彼らの態度は好都合なので、長じてからその心的な指向性を修正されることはありません。「:呪」のリンクを公式アカウントにぶら下げて、「こういうのも悪い影響を及ぼすと思う」とご注進に上がる人物を見たときは、愕然としましたね。「校則を守らない不良を、先生に言いつけて指導してもらう」という心性が、大人になっても維持され続けているんですもの!(ちなみに、この先生への信頼が反転したものが、野党的な言説です)

 新劇に「世界がまだ見ぬサイファイの新たな地平」を求めたのが求めすぎだったことは、もう残念ながら認めざるをえません。しかしながら、あんなグズグズの、煮過ぎて原型を留めなくなった豆腐みたいな結末を迎えるくらいなら、シンエヴァはトップ2水準のエンディングで必要十分だったし、監督が余計な色気(キモッ!)を出さなければ、まちがいなく達成できたと思いますよ。エヴァ変奏曲に携わったスタッフを擁しているのだから、せめて第三幕をすべて彼らの差配に預けて、普通のフィクションとして語り終えていれば、新劇の当初の志に含まれていただろう「ファンにエヴァを返す」という目的を、象徴的にも実際にも達成できていたのにと、いつまでも悔やまれてなりません。

 これが最後のシンエヴァ語りになることを祈りつつ、終わります。