猫を起こさないように
デューン
デューン

映画「デューン」感想

 ヴィルヌーヴ版デューン、長く積んでいたのをようやく見る。やっぱり映画は90分くらいがベストで、長くても2時間前後、2時間30分以上あるものは、観客のことを度外視したディレクターのエゴが、どうしても編集に流入ーーいい撮影だし、切りたくねえなーーしてしまうような気がします。前監督作のブレラン続編と同じく、本作では引いたアングルから定点での長回しカメラが多用され、「タルコフスキーのデューン」というタイトルでもまったく違和感はないでしょう。原作小説は発表当時、我々の世代にとっての初代マトリックスと同じレベルで神格化した受容が行われましたが、数々の巨匠たちが挑むも満足のいく映像化にはついに至らなかった、悲運の作品でもあります。本作は間違いなく、これまでに撮られたどのデューンをも越えていますが、原作ファンの満足する域にあるかと問われれば、そうではないと答えるしかありません。

 最初の1時間ぐらいまでは世界観の提示と物語のビルドアップが非常に巧みで、「この監督にスターウォーズのシークエルを撮影してほしかったなー」とか考えてましたけど、後半にさしかかる頃には「でも、ライアン・ジョンソンと同じ結果になっただろうなー」と考えなおしました。この監督に足りないのは「大きなウソによるケレン味とアクションのアイデア」で、サンドワームにしてもさっさと全身を写せばいいのに、怪談話の幽霊みたいな焦らし方のチラ見せに終始するし、最終盤の決闘も薄味すぎて、予言の打破を象徴する「運命の戦い」の力強さは少しも感じられませんでした。ドゥニちゃんさあ、もっとこう、ナイフとナイフのつばぜり合いに火花が散るのを、毛穴が見えるくらいカメラを寄せて、決闘者が歯を食いしばる様ぐらい撮らなきゃダメじゃん! それもミラーボールみたいに、グルグル光源をまわしてさあ!

 ブレランの続編にも満々に表れていましたけど、全体的に「デューンの世界観を西洋人の思い描く東洋思想というテンプレで解釈した」みたいな中身になっています。最近、ブラピが高野山の厄除けに参加したニュースが流れてきましたが、「軽い気持ちで列席したけど、荘厳な雰囲気に圧倒された」みたいに語っていて、椅子に座らされて半開きの口で(これはいつもの)両目をうるませて、合掌する写真まで掲載されちゃってんの。いつも「うらやましいなあ」と思うのは、キリスト教の枠組みで思考様式までガチガチにしばられている西洋人が、それを本邦での体験を通じて徹底的にキャンセルされる、性的絶頂にも似た精神的な快楽へ全身を浸しているのを見せられるときです。詳述は避けますけれども、我々も文化による枠組みで思考や行動をガチガチにしばられていながら、西洋諸国を観光に訪れたところで、それが彼らのようにキャンセルされることなんて、ありえないのですから!

 話をデューンに戻しますと、いっしょに見た家人の感想は「長かったけど、主役の子がキレイやったから、面白かったわ」でした。まさしく無意識の慧眼であり、多くの女性にとってこの映画の魅力の8割くらいは、ティモシー・シャラメのルックスとエロいハダカ(あら!)に依拠するものでしょう。多くの男性にとって似たような映画がたしかあったなー、何だったかなーと考えていたら、レオンだった。いやいや、どんなにブヒ山肉之進の皆様が小鼻のふくらみをマスクの下に隠して否定しようとも、レオンの魅力の9割5分は13歳のナタリー・ポートマンが演じるマチルダの嬌態によって形づくられているのですよ! よろしい、「この意見に賛同するなら、ただちにマチルダが君の恋人か娘になるけど?」と問われて、ガックリと膝を折りながら「イエス……」と屈従しない男性のみが、私に石を投げなさい。ストーリー展開が「ほとんど漫画」であるレオンという映画は、13歳のリアル美少女がいなかったならば、いまよりずっとニッチな受け止められ方にとどまったことは、まず間違いありません(でも、完全版の未成年ガチ飲酒シーンはやりすぎ)。

 んで、デューンなんですけど、なんか話が終わってなくない? え、これパート1なのに加えて、全何部作かもまだ明らかになってないの? またしても、単品誤認の売り方じゃないですかァーッ!! 次回作も、劇場には見に行かなァーい!!