猫を起こさないように
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雑文「twitter批判と創造性について」

 通りすがりに”Hi, there!”くらいの感じで「いいね」してやってんのに、だれも挨拶をかえさないどころか目さえ合わせない。まったくここは礼儀のなっていないインターネットですね。私がヤング・エグゼクティブをつとめている現実社会では考えられないことですよ。挨拶は相手に自分をモノ化させないことで犯罪をふせぐって教わらなかったんですか! これ以上は凄惨な事件になりますよ!

 んで、自分のためにイヤイヤ「いいね」つけてるーー強気な言葉とは裏腹に、都度の消毒で少女の指先は赤くただれ、ところどころ裂けた皮膚の下に赤い肉がのぞいているーーと、否応にフォロワーの多いアカウントを観察することになるわけですよ。24時間中18時間くらい断続的に1ツイートへ収まるニュースや世間への感想を述べていて、わたしもフォロワーを増やすためにはそういった発言をしなければならないのかと思った次第。では、試みに社会的な1ツイートを。バズったら、いいおにく買おう。

 建立1300年の法隆寺の前に、創業10年未満の立ち食いステーキ屋の出店がいきなり許可され、あげく半年も経たず下品な看板を残してつぶれ、それがいつまでも放置されて景観を乱し続けるのが、奈良県の観光行政の本質。

 あれですよね、1000リツートを1越えるごとにツイッター社から1ドルもらえるんですよね? みんなそれで生計たててるんですよね? だから毎日あれだけ時事にからめたツイートをしてるんですよね? あたし、信じてるから!

 本邦の抱える問題とは、新しい事象に対して即座に新しい言葉が発明され、一瞬で社会の隅々まで行きわたり、それこそ老若男女、社長から乞食、教授から中卒まで、その言葉を使い、その言葉で思考するようになることである。浸透の過程に何の疑義もなく、発明された言葉が後からの批判で覆ることもない。少し話はズレるが、もはや国民的スポーツの座から陥落して久しい野球のニュースがスポーツコーナーで大きな割合を占める理由もこれに近い。使い古された定型(「Aの頑張りに応えるため、気持ちでBしたとC」構文)だけでニュース文が書けるので、その利便性が世の実情とは乖離して存在し続ける理由だ。最近のニュース文にはひどいものが多いので、この種のライティングこそAIで自動化すべき分野だろうと思う。閑話休題。そんな1984年的な「言語に思考させられている状況」への抵抗として、nWoでは固有名詞や類型的な言い回しを避ける表現を長く心がけてきた。それもこれも、いまは亡き栗本御大が「小説に新聞の見出しみたいな表現を使ってんじゃねーよ! 言葉は使われれば使われるほど摩耗して意味を減じていくんだよ! 小説ってのは新たに言葉を創造していく作業なんだよ!」みたいな内容を小説道場で吠えていたことへ、持ち前の素直さで従った結果である。冷静に考えれば、モーツァルトがぽつぽつ楽譜を埋めるばかりの新人作曲家へするアドバイスみたいなムチャぶりではある。おかげで二十年が経過した今、もう何も書くことがなくなってしまった。かつて、本当に独創的なテキストを書いていたサイト運営者がいたのだが、彼の消息を追ってみると、ただのゲーム実況者になっていた。あまりに独創的すぎたので、どこかの時点で言葉のオリジナリティが枯渇してしまったのだろうと推測する。だが、枯渇しても表現への欲求が消えるわけではない。「生きながら萌えゲーに葬られ」から一節を引用する。

 「何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。」

 つまるところ、ゲームや映画への感想も、ニュースへの言及も、他者の言動への批判も、人間社会に寄生する血吸い虫の所業と変わるところはなく、そう考えるともう何もかもの意味を失って唇はこわばり、少しも口を開くことができなくなってしまう。私が本当に聞きたいのは、この諦念から話すことを止めただれかの声であり、圧倒的なオリジナルを放擲し、他者の創造物に乗せて話を続けることに決めただれかの本心なのだ。永遠も半ばを過ぎて、何も語ることがない空っぽの心を抱えて生きている。みんなどうやってこの気持ちをしのいでいるのだろう。

 なにッ! エフジーオーの2部第5.5章が明日開幕と申すか! 題材からして1.5部第3章の書き手と推測する。(ヨダレを手の甲でぬぐいながら)こいつァ、楽しめそうだぜ……空っぽの心に他人の創作物からエネルギーを吸い上げて、自分語りを垂れ流す社会的無責任さをな……!!

よい大人のツイッター講座 第五回(+α)

過去の講座はこちら。

第一回 / 第二回 / 第三回 / 第四回

第五回

 (解像度の低い画面。遠くからサイレンの音。綿の飛び出たカウチに浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、至近距離からカメラをのぞきこんで)ハロー、ハロー! (画面外を見て、何かを確認しながら)写ってる? 写ってるかな?

 (咳払いして)やあ、ぼくの名前はトゥレット。みんなをより良いツイートに導く、当ツイッター講座の伝道師だ。もうだれもぼくのことも、ぼくの番組のことも覚えてないかな? 半年テレビに出ないだけで消えた芸人あつかいされる、新陳代謝の早いこの業界だ、無理もないさ! でも、それほど悲観もしていないんだ。インターネットを使えば、テレビと同じようにぼくもぼくの声をみんなに届けることができる。ユーチューバーっていうんだろ? いまでは日銭を稼ぐばかりの港湾労働者のぼくでも、ためになる動画をアップするだけで人気者になれて、どういう仕組みかわからないけど、(瞳の奥に凄惨なかぎろい)お金までもらえるっていうじゃないか! だからさ、二ヶ月ばかり飲みにいくのを我慢して、こうして中古のパソコンとネットカメラを買ってきたってわけさ! おかげで体調もすこぶるいい!

 (突然、女性の金切り声。続いて、激しく壁を叩く音)うるせえ、ババア! てめえの商売の邪魔なんざしてねえよ! そもそもてめえみたいなメンスあがりのビッチ、だれも買いにきやしねえよ! (カメラに気づき、咳払いをして)ご、ゴホン! つまりこれは……そう、汝の隣人を愛せよ、という教訓だ! では、気をとりなおして……

 まだ君はこんなふうに考えているのかい? 「アイビーリーグ出身のぼくなのに、ツイッターではペニスがついてるだけでバカとして発見されちまう!」「本当に賢い人たちはツイッターにもフェイスブックにも手を出さず、ゲーティッドコミュニティでストックオプションの豊かな老後を送っているはずさ!」「結局、セルフィーで撮影したプレイメイトまがいのソフトコアポルノをアップしたり、ワパニーズ向けのファンフィクション・ハードコアポルノをFBIの目を盗んでアップする奴らに、みんな群がっているだけじゃないか!」

 オー、イエス、アイ・ストロングリー・アグリー・ウィズ・ユー! バット、ルック・アット・ザ・ブライト・サイド・オブ・ツイッター! ナイスバディの美女でもない、エロカートゥーンさえ描けないぼくたちが一発逆転をねらえるのもまたここ、ツイッターなのさ! 失うものなんて何もない、ぼくといっしょにツイート技術を学びさえすれば、きょういまこの瞬間からラヴィアンローズ、キミにはただ手に入れ続けるだけの人生が待っているんだ! (カウチの背後からごそごそとフリップを取り出して)では、今日の教材はこれだ!

 『誰でも等分に周囲が思うよりはずっと繊細に違いない。けれど、受け入れ難い現実を前にした時、その改変ではなく逃避を選択する弱さに共感を覚える。』

 オーノー! これじゃイエス復活できない! ナザレで塩漬けになっちゃう! このままじゃ、イエス復活できないよぉぉぉ! きちゃう、サルベーション・アーミーきちゃうぅぅぅ! (金切り声、壁ドン)うるせえ、ババア! そんなに気にいらねえなら、ストリートに出てろよ! 歯抜けフェラーティオウのペニーでペニーを稼いできやがれ! (カメラに気づき、咳払いをして)ご、ゴホン!

 ジャパニーズは三つのキャラクターを備えたランゲージで、それぞれが異なった性質を持っていることは知っているね。初歩的な話だけれど、漢字キャラクターとひらがなキャラクターの持つ硬軟の差異を感じとることは、じつはとても重要だ。あ、いま鼻で笑ったね? そういうキミが初めて書いたノベルのヒロインはティーンであるにも関わらず、全部ひらがなでしゃべっていたじゃないか! ことほどかように、漢字とひらがなのバランスは難しいのさ! ひらがなを入れすぎると知性の液状化をまねいて――ちょうどキミのヒロインのようにね!――しまうし、漢字を入れすぎるとゴツゴツして読みづらい。漢字とひらがなはちょうどソバ粉と水の関係と同じで、重要なことはみんな知っていても、それを感じとるには訓練がいる。漢字とひらがなのバランスについては、自分の好みはどうか、読み手がだれか、そして流行りは何か、考えるべき要素は無数にあって、ひとつの正解はない。でも、普段からこれを意識するだけでだいぶちがってくるよ。では実際に、このツイートのいくつかの漢字をひらがなに開いてみよう。

 『だれでも等分に周囲が思うよりはずっと繊細にちがいない。けれど、受け入れがたい現実を前にしたとき、その改変ではなく逃避を選択する弱さに共感を覚える。』

 ほら、だいぶ印象がやわらなくなっただろ? ティップスとして、ふたつ以上の読みを持つ漢字で、読みの出現頻度がほぼ同じなら、必ず読ませたい方へ開こう。このツイートで言えば、時っていう漢字はジとトキの両方に読めるから、トキへと開こう。え、文節の最後だからジと読んだりする心配はないって?

 ブラッディ・アス・ホール! ホモセクシャルかよ! 人間の脳はふたつの読みをいったん思い浮かべてから、瞬時にどっちかを選択してるんだよ! 開くと開かないとでは、文章を読み下していく速度がコンマ一秒ほど変わってくるだろ! コンマ一秒あれば地上最強の生物なら二三回は殺せるだろ! 乳幼児以前の、当たり前の配慮だろ! 書き手がどれだけ論理的に時間を重ねたって、読み手が読まないことを決めるのはいつだって一瞬で感覚的なんだよ! 時間あまりのブラッディ・ニート野郎の感覚で、ツイッター上のヒリヒリするような時間の奪い合いを考えてんじゃないよ! おまえのブラッディ・ツイートなんて、だれも読みゃしないよ! コストコのチラシの裏にエロカートゥーンの練習でもしてろよ!

 漢字とひらがなの関係について、もうひとつ指摘しておこう。それは、漢語の使い過ぎはよくないということだ。多すぎる漢語は、知性への自信の無さを読み手に明らかにしてしまうんだ。たとえば「中二病がひどい」と書けばすむところを「重篤な厨弐症状の深刻な罹患の証左」なんて書くのがそれで、あまりに読み手に対して警戒しすぎている。馬鹿だと思われたくないあまり、理解されることを恐れている。理解されなければ、馬鹿にされることもないからね。そう、漢語はときに防御的になりすぎる。漢語をひらがなまじりの表現へパラフレーズすることで、読み手への信頼を表明しよう。大丈夫、理解させることで読み手は必ずキミのツイートの共犯者になってくれる。

 『だれでも等分にまわりが思うよりはずっと繊細にちがいない。けれど、受け入れがたい現実を前にしたとき、それを変えることではなく逃げることを選ぶ弱さに共感を覚える。』

 うん、グッとよくなった。読み手に対する構えが消えて、とてもオープン・マインディッドなツイートになってきた。え、「等分」を「同じくらい」に変えたらどうですかって? ハハハ、キミの頭の両サイドについてるのは、チャイニーズ・ダンプリングか何かなのかい?

 文章の冒頭からそんなに漢語を開いてどうするんだよ! まるでただの白痴じゃないか! そこまでやったら、アホの売春婦がサバ缶を片手にストリートで股を開いているみたいに見えるのがわからないのかよ! 神父からクリミナルまで、シックス・ビリオンの一方的な衆人環視を意識できないようならツイッターなんざやめちまえよ! アズ・スーン・アズ・ポシブル! 

 では、そろそろ読点を入れていくとしよう。イングリッシュのカンマとはちがってジャパニーズの読点は、単純に読みあげたときのリズムを調整するためにある。基本的にはどこに入れたって、あるいは入れなくたってかまやしない。つまり、書き手のセンスがもっとも求められるのが読点の扱いなんだ。このツイートには二箇所、読点を追加する余地がある。さあ、考えて入れてごらん。

 そうだね、「等分に」のうしろにひとつ、入れるべきだね。この節が「ずっと」以下にかかっていることがよく伝わる。それに、繊細と言われて気分の悪い人間は少ないだろうから、読点でタメを作って書き手の意図を強調するに越したことはない。ついでに「だれでも」を「だれだって」に変えておこう。「だれでも」は客観的すぎて突き放した感じにひびくけど、「だれだって」なら書き手が自分自身をそこに含めていることを伝えられる。

 次に、「弱さに」の後に読点を入れよう。なに、「変えることではなく」の後ろの方が分節の切れ目になっていていいじゃないですかって? ハハハ、キミの顔の正面にふたつあるのは ピーピング用のノットホールズなのかい?

 読点は読ませたいリズムを誘導するためにつけるって言ったばかりだろ! 文章が読み手の頭の中で音読されたときのことを想像しなきゃダメだろ! 「弱さに」までを一息で呵成に読みあげたあと、そこに共感を覚えてしまうことを異常だと思われないかという一瞬のためらいが、この読点には含まれてるんじゃないか! 外国語話者みたいな感覚で日本語をしゃべるなよ! トゥー・イージーのはずだろ! だれもユーのブラッディ・ツイートなんかブラッディ・リツイートしないよ! もうツイッターやめちまえよ! ユー・ファック! ファック・ユア・アンクル!

 『だれだって等分に、まわりが思うよりはずっと繊細にちがいない。けれど、受け入れがたい現実を前にしたとき、それを変えることではなく逃げることを選ぶ弱さに、共感を覚える。』

 どうだろう? これを完成品としてツイートしても、だれにも文句は言われないはずだ。でもそれはキミが、ファイブ・ディジッツのフォロワーを有するインフルエンサーになった後の話だ。スパム業者まみれのスリー・ディジッツ・フォロワーしかいないキミには、まだやるべきことがある。きょうはツイートの最上級技術をキミにプレゼントしよう。

 「共感を覚える」、あまりに使い古された言葉だね。いいかい、言葉は使われれば使われるほど摩耗する。このフレーズはニュース番組の原稿のように、あまりに自動的に使われすぎて、字面とは裏腹にもはや何の共感も呼び覚まさない。より摩耗度の低い言葉を探して、パラフレーズしよう。

 最後に、「けれど」を取り除こう。うん、キミの不安はわかる。接続詞を省略することは、ディスコースマーカーの役割を読み手にゆだねることで、書き手にとってすごく勇気がいることだ。けれど、それは時間を越えた意味選択の広がりを読み手にゆだねることにつながるんだ。読み手を信頼しよう。だれかを信頼することで、キミの文章は初めて普遍性と、もしかすると不朽の翼を手に入れることができる。

 『だれだって等分に、まわりが思うよりはずっと繊細にちがいない。受け入れがたい現実を前にしたとき、それを変えることではなく逃げることを選ぶ弱さに、共鳴してしまう。』

 フーム、たかがヒューマンワークにこれを言うのは神の御業への冒涜に響くかもしれない。でも、言う。これは、完璧なツイートだ。じつのところ、ツイートの技術なんてむずかしいものではなくて、もしかするとそれはすべて、盲目のだれかが見えないはずのだれかに身をあずけるような、無上の信頼なのかもしれな(語尾をかき消すような金切り声、壁を叩く音)。

 ババア、いっつも俺の邪魔ばっかりしやがって、ブチころがすぞ! 外で会うときゃ挨拶もしねえくせに、壁越しで見えねえからって調子にのってんじゃねえ! てめえなんざ、とっととチャーチにでも行って救世軍のゲロみてえな粥で溺れくたばっちまえ!(壁越しにくぐもった罵倒。鼻段ボール、猛然と立ち上がる。倒れるカメラ。静寂。騒擾。悲鳴。静寂)

おわり(制作・著作 NMO)

(おまけ・ドラクエ7編)

 トゥレットの3分間ツイート・クッキング(流れ出す例の軽妙な音楽)! ヘイ、イッツミー! ほんの短い時間で君のダメなツイートをキラキラツイートに変身させるよ! 今日のダメツイートはこちら!

『家族を持ってはじめて気づくキーファの屑さ(挨拶)!』

 ぶるぶるぶる、ディスガスティング! こいつはゾッとするね! まずは「家族を持って」を「大人になって」に変えよう! え、「子を成して」はどうですか、だって?

 カット・ユア・オウン・ブラッディ・スロート! ツイッターもやってゲームもするようなのに、まともな人間がいるわけないだろ! 自前の家族を持つだけでも十分に無理ゲーな連中なのに、さらにハードルを上げてどうするんだよ! このツイートの目的は読み手にキーファへの優越感を与えて、上から目線の笑いを笑わせることだろ! 誰だって年齢だけは自動的に重ねるんだし、「大人になった」って表現はどんなダメ人間にもオールマイティに使えるだろ! 最初からツイートの間口を狭めてどうするんだよ! 簡単なことだろ!

『大人になってはじめて気づくキーファの屑さ(挨拶)!』

 次に「屑」という漢字をカタカナに開こう。え、どっちでも意味は同じじゃないですか、だって?

 ユー・マザーファッキング・サノバビッチ! このキーファという男は、青い血の一粒種にも関わらず河原芸人との情欲に溺れた屑、歴史の流れの中に己を相対化できない痴呆めいた屑、数百年を耐えた国家を存続させる責任から逃避して賎民との交雑を選んだ真正の屑じゃないか! ありのままに漢字で書いたら、あまりに重すぎて笑えなくなるだろ! 漢字とひらがなとカタカナのうち、いちばん単語を軽くできるキャラクターで表記しなきゃどうしようもないだろ! 少しは頭を使えよ!

『大人になってはじめて気づくキーファのクズさ(挨拶)!』

 うーん、まだ少し重たい感じがするね。ここは「さ」を「っぷり」に変えよう。「飲みっぷり」「食べっぷり」の響きが示すように、「っぷり」はどんなマイナスの意味を持った単語でもいったん肯定した上で、さらに軽くする効果まであるマジックワードなんだ。セイ・マジックワード! 英語圏で親が子に求めるプリーズと同じような機能さ。「すごいデブですね」って言われたら死にたくなるけど、「すごいデブっぷりですね」って言われたら、なんだかちょっとほめられたような気になるだろ? 簡単なのさ!

『大人になってはじめて気づくキーファのクズっぷり(挨拶)!』

 ほら、たった3分間であのダメツイートが微笑みをさそう素敵ツイートに変わっただろ? いつでもどこでも誰にでも、ほんと簡単にできるんだ! オップス、イッツ・タイム・トゥ・ゴー! バッハハーイ(流れだす例の軽妙な音楽)!