猫を起こさないように
シン・エヴァンゲリオン劇場版
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アニメ「エヴァQ IMAX版」感想その1

 エヴァQのアイ・マックス版、行ってくる。制作者の想定する最高の状態でシンエヴァを迎えるためには、そして駄作だった場合に言い訳の余地をいっさい残さず、完膚なきまでにディスり上げるためには、これは必要な苦行なのです。たとえ0.003の違い(見た目をそろえるだけの、意味のないバージョン情報!)であったとしても、たとえ最後の予告編30秒が新作されてるのを見るためだけになったとしても、こじらせたファンとして1万円(2,500円のチケット代と90分を時給計算で7,500円)を捧げることになんのためらいもございません。

 ラわーん、エヴァQアイ・マックス版の感想をEvernoteで書いてたら、間違って上書き更新してぜんぶ消えたよう! 無料版だから履歴から復元もできないよう! もしかして、これがエバーの呪縛?(違います)

 よし、根性復元(記憶を頼りに一から打ち直し)したぜ! さすがエヴァ、怨嗟が深いあまり、ほぼ一字一句たがわずに復元できたぜ!

 んで、エヴァQアイ・マックス版、見てきた。片田舎の映画館で、鬼滅の刃と交互にアイ・マックスの箱を使ってて、少し前までの熱気が残っているようでしたが、私を含めて観客は数名しかおらず、感染リスクの心配だけはまったくない状態でした。結論から言えば、「旧版と全然ちがう!」みたいなタイコ持ち記事もあるようだけど、もし過去に劇場で見たことがあるならば、わざわざ行く必要はありません。巨神兵がオミットされて現れないのはすごくよかったし、冒頭8分だけは強い思い入れがあるので体験がリッチになった気がしたけど、それ以外の部分では旧版との違いをほとんど感じることができませんでした。エヴァQは劇場・ビデオ・テレビで軽く二桁回は見てるけど、ほのめかされていたシンエヴァに向けた台詞の変更なども、なんかトリプルセブンがスリーセブンになってた(パチ屋への配慮?)ぐらいで、まったくわかりませんでした(将棋はまだ「打って」ました)。もっとも、あの巨大IPであるエヴァを解釈違いで他ならぬ原作者がここまでブチ壊せることに、改めて感心はしましたけれど! 30秒の次回予告が新作(もちろん、8+2号機なんてどこにも出てこない)されてて、公式がスクリプト・バレしてるのでもう言っちゃいますけど、「父ゲンドウと対峙する碇シンジ」のナレーションのところーー「初号機パイロット、碇シンジです!」のシーンにクリソツーーで作画がエヴァ破のキャラデザで行われていたことには興奮しました。この5秒足らずだけでも、1万円をはらう価値はあったと思います。テレビ版のエヴァって放送はスタートしたのに制作が間に合ってなくて、19話をスタッフ全員の総力戦で作り上げたところで絵的には力尽きて、そこからはバンク・マシマシの精神世界に突入せざるを得なかったという話を聞いたことがありますけど、初号機の覚醒までは規定の線路を走ってたのに、そこから以降は語るべき物語が消滅してしまうという一種の呪いを、新劇でも引き受けちゃった感じがするんですよね。この作画の違いは、英語版のサブタイトル”thrice upon a time”ーー過去に三度(みたび)ーー通り、エヴァQ世界の終局から過去に巻き戻るか平行宇宙へ移動するかして、19話における初号機覚醒から三度目のストーリーの語り直しが行われることを示唆しているんじゃないでしょうか(早口)! 新の「”ヱ”ヴァンゲリ”ヲ”ン」が旧の「エヴァンゲリオン」へと合流・収束すると考えれば、「シン・エヴァンゲリオン」というタイトル表記も平仄が合いますね。テレビ版企画書(約束の地、アルカ!)の最終話「たったひとつの、冴えたやりかた」にあった「ラストは大団円」のイメージが、今度こそ具体的に描かれることを期待しています。

 あと以前(十年ぐらい前)、ツイッターだか2ちゃんねるだかで音大生を名乗る人物が「アニオタどもは曲の良し悪しの判断がつかず、映像と紐づけてしか聞けない。ヤツらは音楽の素養が無いから、純粋な楽曲の評価ができない」みたいなことを語ってて、私なんかは図星を突かれてショックを受けたのをいまだに覚えてるんだけど、エヴァQのエンドロールで流れる「桜流し」はこの指摘の逆になってるなあと思いました。楽曲は素晴らしいのにヘンな映像と紐づいてしまって、パブロフの犬状態で曲単体を平静な気持ちで聞くことは、もはやできないのです。「桜流し」、エヴァと関係ないところで単独で作られて、エヌ・エイチュ・ケーに取り上げられたりしてたら、それこそ「花は咲く」みたいな幅広い歌い継がれ方をしてたような気がするんですよね。カントクがUTD氏にエヴァQの脚本を渡して、「あなたもクリエイターなら、震災の悲劇に表現で応えるべきです」と言ったとか言わなかったとかいう話があるけど、さすがカントク(cunt-Q)、なんて傲慢なんでしょうか! あのね、エヴァQこそ「桜流し」という名曲になんとなく言及しにくくさせて、マイナー墓場へと葬り去った元凶アニメですよ! なので今度こそ「One Last Kiss」が、アニオタどもが楽曲の良し悪しもわからないまま、感動的なシーンの映像と紐づけて何度も聞くような曲になることを心から祈っています。

 え、「残酷な天使のテーゼ」はワンチャン流れますかね、だって? うーん、テレビ版から25年の歳月を経て、私の中で「残テ」はワンピースと同じカテゴリ(ワンチャンなんて言葉を好んで使う低偏差値ヤンキーの領域)に入ってるので、個人的には流れてほしくないかなあ。

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

アニメ「シン・エヴァンゲリオン劇場版・本予告」感想

質問:シンエヴァの本予告、出ましたね。試写会を見た人の評価もすこぶるいいみたいですし、これは期待できるのでは?

回答:うーん、試写会の感想っていっても、関係者のでしょ? Qのときも公開前に原画マンだったかのひとりが、「我々はとんでもない怪物を作りだしてしまった」とか興奮ぎみにツイートしてたの覚えてんだけど、フタを開けたら中身はあんな感じだったじゃない? 作る側は創造の熱狂で作品への客観性なんか吹きとぶものだし、アニメーターの方々の評価は、全体のバランスというより切片へのフェティシズムーー「今の動きすごいな!」「この構図キマッてるね!」ーーにあふれているので、一般的な評価者としてはまったく信用できません。私とエヴァの関係はさんざん語ってきましたけど、熱烈な恋愛でゴールインしたはずの夫がDVモラハラ野郎だったと判明し、長い苦難の結婚生活の果て、別れ話を切り出したら、もう暴力はふるわない、真人間になって定期的に家へカネも入れる、なんて泣きながら言われて縁を切れず、どこか信用しきれないまま、いつまたなぐられるかビクビクしている幼妻と同じなのです。

 つらつらと本予告を見た感想など述べると、ぶんだー(笑)とピンクタラコとコネメガネがいくら出てきても鬱の底みたいに気持ちは動きませんが、無重力空間でアスカの下半身を執拗に映し続けるのにはEDなのにチンピクでしたし、シンジさんが初号機のコクピットに座っているのには目頭が熱くなりました。第三新東京市を背景にした、旧劇の量産機とのバトルとは大違いの、ヌルヌルと重量感の無いCGぽい殺陣がわざとだとすると、冒頭10分の映像でも画面外から繰演線が見えてるみたいな指摘もあったし、ストーリーにVR的な要素も入ってくるのかしらん。でもね、もし13号機(たぶんカヲル君が乗ってる)がラスボスなのだとしたら、本当にガッカリですよ。エヴァって、理由もわからず我々を滅ぼしにやってくる、ディスコミュニケーションの象徴としての、天使の名を持つ正体不明の使徒に、どう人類が抗うかという巨大なスケールの話だったのに、前も言いましたけど空前絶後の大駄作であるQ以降、浅間山荘の内ゲバの話へと卑小化されちゃってるんですよ。エヴァの魅力をエヴァの創始者が理解していない、あるいは我々が小出しの情報から二十六年もカン違いをしていたのだとしたら、これほど不幸なすれちがいはないでしょう。予告の最後の「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」ていうシンジさんのつぶやきにしても、旧劇の「さよなら、かあさん」に引っかけてんでしょうけど、エヴァンゲリオンって単語が機体を指してんのか、なんかの概念を指してんのか、作品そのものをメタく意味してんのか、まず「ボクの考えたカッコいい台詞」ありきみたいな感じに響いて、物語からは浮いちゃってる気がするなー。

 あと、十年くらい前にルーブル行って、ほぼ貸切の状態で館内を見学して、モナリザの防護ガラスにキチガイがティーカップを投げつけてついた傷も間近で見た私だから言うんですけど、テーマソングの歌詞、なんかダサくないですか? それと、もし本作が並行宇宙の結論に落ちるのだとしたら私がもっとも見たいのは、2011年に震災が起こらず、2014年か2015年に破の続きとして新エヴァが終わる世界線です(もちろんエンディングは、beautiful worldのアカペラ・バージョン)。予感ですけど今回のシンエヴァは、話の緻密さは脇に置いて、若干の謎の整合性は投げうって、スターウォーズ9みたく大団円のための大団円をやる気がします。そして公開が終わったら、エヴァ界隈はシークエル後のスターウォーズみたいな状況になるのではないでしょうか。全体としては冷めてるけど、マンダンロリアンとか「わかってる」スピンオフが局所的に傷を癒やしてくれるみたいな。読んだことないですけど、ANIMAのTVアニメ化とかね。残りの1ヶ月は一縷の希望ーーシンエヴァにまつわるこれまでの映像情報すべてがフェイクで、純然たる破の続編としてのエヴァ急が上映され、騒然となる会場でひとり莞爾として笑うーーにすがりながら、下を向いて過ごしたいと思います(静かにうつむく)。え、冬にたたずむ謎の子どもキャラ、だれなんでしょうねって? (ゆっくり顔を上げて)前にも言いましたけど、トウジと委員長の子どもなんじゃないですかね。ちょっと父親の面影があって、鼻ッぱしらの強そうなとこ、萌えますよね……。

 「(ハンドポケットの銀髪が遠目で)キボウ……これがリリンの言う、希望ですか」

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

アニメ「エヴァ破再視聴、あるいは旧エヴァ19話礼賛」

 なんかYoutubeで序破Qが無料公開されていると聞きおよび、久しぶりにロスの自宅に備えた7.1chサラウンドのシアター(忘れてた)でアンプの埃をはらって、10年ぶり(10年ぶり!)に破を大画面で見た。オリジナルの8話から19話を再構築しながら、同時に旧劇場版のモチーフをあちこちに散りばめて、本当に新しいエヴァの新たな行く末へ、期待しか持てない仕上がりだったことを再発見し、悔しさのあまり涙が出てきた。2010年の段階で、都市を襲う津波がすでにビジュアル化されていたり、海洋研究所で大災害を生き残った者がいなくなった者を悼むやりとりがあったり、2011年の出来事をあらかじめ予見したかのような先回りのアンサーさえ描かれいる。今回あらためて、Qでの方針転換が本当に余計で必要のない、作品の自走性と共時性を裏切った、ただただ世の悲惨をエンターテイメント化する類の冒涜だったとの気持ちを強くさせられた次第である。

 さて、ここからはただのおたく語りとなる。くぐもった早口で本当にキモいので、注意してほしい。終盤のアスカ退場以降の展開について、テレビ版の19話があまりに完璧すぎるため、カネと労力はより以上にかけられているだろうにも関わらず、ゼルエル戦のパートがゴテゴテと厚塗りされた(特にコネメガネ周辺)緊張感のないものにしか見えなくなっている。劇場公開版では本部への使徒侵入後のシーン全般に赤いフィルターがかけられていたのをご記憶だろうか。第19話の構成・構図・カット割りのテンポがハイパーすぎて新作で上書きすることができず、コピーで流用するしかないのを、演出で異なったふうに見せようとあがく試みがすべて空回りしているのだ。後のぶんだー(笑)艦長の台詞にしても「メインシャフトが丸見えだわ」はテレビ版の録音の方がはるかに鬼気迫る感じだったし、「5番射出急いで」の下りも緊迫感を大きく損なう改変ーーロックを解除してから、初号機がキックでボタンを押すーーが行われており、見るたび生理的な違和感でイラッとする。電源が切れる直前のシーンも原作のゲス顔(劇場公開版はゲス顔のままだった)から、観客にアピールするためのヒロイックな表情に差し替えられており、人類の存亡をひとりで背負ったあの場面におけるシンジさんの必死さを大きく減じているように思う。あらゆる手段でテレビ版の19話を越えようともがくも、完璧すぎる内容にことごとくはねかえされ、苦肉の策で行った修正や追加演出ーーシンジさんの「でもそんなのかんけえねえ」、コネメガネの「もったえー(え、何? オマエ滑舌わりいな)」ーーが見事にスベッているのは、もはや気の毒でさえある。新劇場版しか知らない君には、ぜひテレビ版の19話だけでも見てほしい。

 あと、劇場公開版はBGMが台詞や効果音を圧倒するぐらいもっとギンギンに鳴っていて、DVD版の音量バランスにガックリして、アンプを調整することで再現できないか一晩中、延々と設定を詰めていたことも思い出した。あの頃は、本当に次への期待にあふれていて、楽しかったなー。本当に、楽しかった……

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

雑文「エヴァにまつわる騒動について」

 タラムイーンに流れてきたカントク(Cunt-Q)の記事を読んでたら、久しぶりにロイヤル宇宙軍のことを思い出したのね。私の中ではずっと、青白い書生風のウラナリといった風貌で、映画に関してはストイックの完璧主義、続編のブルーなんとかがいつまでも完成しないのも、それが理由だとばかり思ってた。例の会社の商売ッ気とか、オトナの汚い部分はぜんぶ、ダイエット本と不倫で有名になったあの人物が引き受けてて、あとは全員、清廉の純粋クリエイターばかりだと、勝手にイメージしてたわけ。もちろん、彼もその中に入ってたのよ、仕事を選ぶ、節操がある方のカントク、みたいな感じで。そしたらさあ、記事をきっかけに近況を知りたくなって、なんの気なしに名前をググッてみたら、もうビックリ仰天よ。ほとんどパラダイムシフトみたいな衝撃ってゆーの?

 ハット族のような巨漢が京都の寺に寝泊まりして(たぶん、酒を抜くため)ラクガキみたいな襖絵を書いたり、ドン・ペリニヨンとコラボしてゴミみたいなプロジェクション・マッピングを作って「ドンペリの味を表現した」みたいなこと言ってたり、会社名の威を借りたゲッスいゲッスいポジショニングーー私にとってはマイナス・ワードで「仕事はしない、責任は取らない、でも組織内の位置どりだけで他人の成果をかすめとる」ぐらいの意味で使ってるーーばっかしてんのよ。まあ、こういうの言いたくないんだけど、祖母がよく口にした「人品は顔に出る」って言葉をしみじみと思い出させてくれるのよ。そら、キャバクラとドンペリ三昧じゃ、続編も完成せんわな。こんなクリエイター気取りのゴロツキみたいのに何年も何十億もたかられてたら、そら鬱にもなるわ。「エヴァの呪縛」って言葉、劇中でよく使われてましたけど、こういう意味だったんですね。ようやくマリ・パイセンの「世間を知りニャさいッ!」という台詞に血が通いました。

 この事実を知ったあと、少しだけ(3秒くらい)カントクに同情しましたが、アルコール依存症を家族の病と呼ぶのと似た状態が、長く社内にあったんでしょうね。カントクが本気で問い詰めたら、「お前の才能を間近で見せつけられて、俺はいつも自分に絶望し続けてきたんだ! だから、俺はいつも酔っ払ってるんだ! ぜんぶお前のせいだ、お前が俺をこうさせたんだ! 俺は、お前になりたかったんだ!」とか、わんわん泣きじゃくりながら言いそうなところとか。うわ、すごい言いそう。

 それにしても、見れば見るほどすごいツラがまえ……毛はあるが愛嬌はないジャバ・ザ・ハットとでも表現しましょうか……うーむ、やっぱり人品は顔に出ますね。みなさんも気をつけましょう。

 E5出撃準備の傍らで、昨日読んだ記事についてツイッターの反応見てる。今回の騒動をエヴァQに当てはめてるのーーネルフ(キリッ)があの会社で、ヴィレ(笑)がカラーという筋立てーーを見かけて、あー、いよいよ昔のエヴァっぽくなってきたなー、と思った。こういうメタな読みを許容しない作り方で、カントクという個人から切り離したSF作品として改めてエヴァを完結させよう、ガンダムのように他のクリエイターが参画できる土台を準備しようとスタートしたはずなのに、その最初の志は今回の暴露記事をとどめとして、見るも無残に砕け散ってしまった。

 ラわーん、これじゃエヴァQじゃなくて、エヴァ旧だよう!

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

雑文「エヴァQ生実況(2014.9.5)」

 すごい早回し。この併映いらなかったよな。

 この巨神兵がセット販売なのも、Qの嫌いなところだ。明らかに現実のとある災害を本作へ紐付けようとしている感じが。

 すべてのエヴァファンをだまくらかした(気難しい、何も褒めないことを信条とする批評家連さえ!)伝説の8分が始まるよーー‼︎

 思えば金ローでこの先行放送を見て、実際に劇場へ向かうまでの20時間くらいが、もっともエヴァ熱が高まり、いちキモオタとして存分に二次創作的な妄想を膨らませるのできた、楽しく幸せな時間だった。

 これまでカントクが関わった作品へのオマージュをふんだんに盛り込んできた新劇である。ラスト二作はバイオレンス・ジャック的な大お祭りのエンターテイメントをやるんじゃないかと想像していた。

 たとえばこの場面に先駆けての、戦略自衛隊が迫る中でのオネアミスばりの弐号機打ち上げシーンが見られるのかもしれないと期待していた。

 そして、地球に帰還したシンジ君の大活躍を、何の疑いもない未来として、まざまざと幻視していた。

 それが、あんなふうに、陰惨に裏切られることになるとは……

 サターンファイブみたいな小ネタにイラッとくる。うるせえ。

 なんか画面暗くない? ジバニャン好きの小学生に配慮しているの?

 旧劇と同じく四人に囲まれて銃を向けられる主人公。戦自と同じデザイン?のコスチューム。いま思ったけど、スターウォーズep3の感じで新劇から旧劇へと巻き戻そうとしたのかな……

 おい、ポッと出の新キャラごときがシンジさんをにらんでんじゃねえよ!

 おい、状況を説明してやれよ! ブッ殺すぞババア!

 寒々しいまでに上滑りしたブンダー起動シークエンス。ここ、地球のどこなの……

 Qの中で、この「緊張するわー」だけはゆるす。

 なんで登場人物の全員が同じ語彙レベルなんだよ……

 ポッと出の新キャラごときがシンジさんに舌打ちしてんじゃねえよ!

 だから、説明してやれよ!

 なんで説明しないのかさっぱりわからない。ねえ、説明したら死ぬの?

 明らかにこの場面、膣内に槍イコール陰茎を突っ込んだ子宮口ないし処女膜の破砕を連想させようとしている。ここまでの新劇には無かった、あからさまなセックスの暗喩である。

 子ども向けのアニメにセックス要素を取り入れるなんていう、90年代全開のアングラ感、カッコイー‼︎ コウノトリを信じる(以下略)!! これがライブ感なんですね、カントク(cunt-Q)⁉︎

 唐突にサラリと明かされる、時空制御さえ可能とするスーパーテクノロジー。

 ほんとここ、地球のどこなの……

 たった十四年でここまで科学が進歩することをもはや信じることはできない。なぜならぼくたちは、自家用車が空を飛ばない2014年をすでに生きているから。

 ギターのウィープが視聴者の慟哭を表しているんですね!

 人類も滅んだみたいだし、もう地球を捨ててどっかいっちゃえよ。いや、もしかすると今後のギャラクティカ路線への伏線なのかもしれない。

 いや、なんで技術屋じゃなくてテストドライバーが事故の責任負わされんのよ。社長もだんまりやし。悪いの君らやないの。

 そんな効果音じゃ、強化ガラスは割れないよ!

 出た、「エヴァの呪縛」! 古い鯖に当たったときのような深刻な蟻走感が全身を包む!

 だから、説明しろよ! クソババアどもが!

 この期に及んで高圧的な命令口調……毒親の典型例……

 勘弁して欲しいのはこっちだよ!

 アウト・オブ・レンジ(ファンの心が)。

 そうこの、ネルフ本部とブンダーしか劇中に存在しない感じ。アングラ演劇を思わせる閉塞感。制作側が意図してその雰囲気を作ったのでは「ない」ことが透けて見えるのが、絶望に拍車をかける。

 ちょっと待って! なんであのドーム状のものを見ただけでエヴァってわかったの?

 旧劇の殺戮会場。

 ピアノの上達スピードが速すぎる! 3秒で雨だれ式から両手を!

 ジェネシスつながり?

 たぶん回収されない伏線。

 「元気少ない」「おなか満腹」。脚本家の自意識が鼻につく。

 言葉だけで解説すんなよ! わけがわからないよ!

 ダッシュがついてた。

 なんでピアノの内部構造を3D化するのに何千万もかけたんですかァーーッ‼︎ 何千万もかけてるのになんでテレビ版ではバッサリ編集しちゃうんですかァーーッ!! 無意味の浪費が本作の裏テーマなんですか、カントク(cunt-Q)ゥーーッ‼︎

 エロゲっぽい写真。旧劇の巨大アヤナミの残骸。

 旧劇の記憶の洪水を連想させるシーン。突然の絶叫を少しズラして、エヴァファンをビックリさせるという、憎らしいセルフパロディ演出。

 ふたりで完成できるようなものなんだ、エヴァって……

 まさか、これを見た誰もが「エヴァなんてどうでもいいんだ」と考えるようになるとは……ライブ感?

 「君になら」「君となら」。日本語最大の特徴であるところの、助詞を上手く処理した名セリフの誕生だァーーッ! と、脚本家が考えていそうなところがすごいムカつく。

 ほんと、ネルフ本部とブンダーしか存在しないのね。

 インフィニティ……もう英語の単語はダサいってことに気づこうよ。

 いや、テレビ版ではそんないうほど連弾しなかったし。

 マークシックス……バックセックスみたいなポーズだな。

 だから暗いよ! もっと光を!

 だから武器をおいて説明しろよ! 28歳なんだろ! おまえが馬鹿なガキだよ!

 旧劇に逆行した血涙という露悪趣味。

 操縦席に飲み物がたくさん散らかっばってるってことは、13号機がフタを開く前からそこにいたんだよね。どこから入ったの?

 いや、どうでもいいんだけど。もうキミ、ほんとどうでもいいキャラになりさがったよね。意味深なセリフのすべてに、なんの意味もないことがわかったからだよ。

 男とか女とか言わないのが新劇だったのに、いまのセリフは旧劇そのものだ。

 エヴァの特撮的対比による巨大感がことごとく失われる状況設定。たぶん、制作側の意図したものでは「ない」ことが絶望に拍車をかける。

 いや、だからなんでその黒いソウメンが使徒だってわかったの……

 新規ファンに旧劇のアレっぷりを体験させるためのQなんですよね? 次回は破の続きなんですよね、カントク(cunt-Q)?

 本作では碇司令の婿養子設定が消滅しているが、これはカントク(cunt-Q)が自分のスタジオを持ったゆえの主体性回復を、お得意のライブ感覚で表現しているのではないか。

 さらに、Q制作の中で多くの離反者を生んだことが、廃墟に立つ孤独な王としての自己イメージを碇ゲンドウに投影させたと思われる。カントク(cunt-Q)ならではの、疾走する山吹色のライブ感だ。

 改訂できるんだ。聖書とコーランもあとから書きかえできるよ!

 冬月先生の電源コード抜き削除とか、やっぱQには余計なシーンが多すぎたね!

 俺たちは中指を立てたい気持ちでいっぱいだ!

 ブラックボックスを抱えたリアルロボットを人の知恵でなんとか制御しながら運用していくもどかしさがエヴァの魅力だったのに、この弐号機は原理不要の絵作りスーパーロボットと化してしまっている。おそらく、ライブ感によるものだろう。

 全身がコア……全身がクリトリスみたいな感じ?

 ほんと、支離滅裂なストーリーを音楽で無理矢理ひとつにつないでる感じ。

 旧劇っぽいセリフ。Qってカントク(cunt-Q)がほとんど脚本書いてるんだろうな。

 あれ、モザイクかけないの?

 また男と女に拘泥したこのセリフ。すごい旧劇っぽい。

 なんや、世間って。人類ほろびたんとちゃうんか。

 テレビ局のお偉いさんたる「ゼーレ」がいなくなった今、物語のすべての帰結はカントク(cunt-Q)の責任ですよ!

 旧劇の記憶がないと「自分のことばっかり」なんて発言は出ませんよね。

 L結界密度……放射能を連想させようとしてるのか……

 NEXT。EVANGELION3.0+1.0。これは破の続きからの急やりなおしで決まりだね!

 最後に不謹慎を承知で、フォロワーの減少を覚悟で言わせていただきます。東日本大震災における本邦最大の喪失のひとつは、エヴァンゲリオンです。あの震災さえなければ、エヴァンゲリオンは今度こそまっとうなエンターテイメントとして終わることができたのに!

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

映画「シンエヴァ」特報2.5感想

 特報2.5見る。いや、目に入ってしまう。ハーッ(深いため息)、あのさあ、最後のふりがな付きテロップ、あれなんなん? ほうほう、小学生の新規層を獲得するため? ハハハハ、そっかー、なるほどなー、気づかなかったわー……(突如激昂し、掌で机を一撃する)まともな親がこんな異常で不健全な作品を子どもに見せるわけねえだろ! ユアストーリーのほうがまだ心の傷が浅くて済むわ!

 さんざんQの文句言ってきて、これだけは触れるまいとずっと我慢してボカしてきたけど、もう本当にアッタマきたから言わせてもらう! 聞きたくないヤツは耳ふさいどけ! オマエさあ、震災で未来が絶たれた絶望をリアルに表現するために、二人の間に子どもができなかったことをエヴァQの演出に織りこんだだろ? それだけはよ、人としてやっちゃいけなかったんじゃねえか? 眼窩から血の涙を流す妻の顔を無言で眺めるゲンドウとか、血と肉に爆散する肥えた妊婦体型のリリスとか、リリスから出てきた使徒(イコール胎児)の首をはねたりとかさあ! テメエにとって大切なだれかの尊厳を踏みにじってまで、たいそうな「ご気分」とやらをフィルムに「定着」させる大義なんて存在するはずがあるかよ!

 オイ、結婚してから数年間子どもを授からなかった女性が正月にダンナの実家へ帰省した際、箸袋の「××子」という名前から「子」だけ消されていたみたいな嫁イジメの話を思い出しちまったじゃねーか、けったくそわりい! Qをはじめて見たとき、このイジメの話をはじめて聞いたときと同じくらいゾッとして、もっとも秘すべき夫婦のできごとさえ満天下へ無邪気に(そう、表情だけは深刻に、無邪気に)晒し上げられるなんて、クリエイターのヨメにだけはなるまいと固く誓ったわ!

 あのさあ、アンタ、シン・エヴァをよ、家族と被災者を生贄に捧げてまで完成させた、あの倫理無視・道徳遺棄の大失敗作、エヴァQの続きとして作ることにもう決めたんだろ? そんなら、小学生に向けたひらがな付きテロップなんて一切いらねえし、腹を据えて覚悟を決めろよ! 自らの恥部をさらけだし、家族の恥部をさらけだし、震災から9年が経過したいまの「気分」に正面から向き合えよ! 旧エヴァみたいな、そういう人肉の量り売りみたいな、アングラ単館上映フィルムの作り方をするって、決めたんだろうがよ! それが、子ども向けの冒険活劇漫画映画だァ? いまさらクソみてーな逃げ口上をうって、日和ってんじゃねえよ! 本当に商売抜きでいまを生きる子どもたちの困難さに向きあいたいなら、そのためだけの完全新作を立ち上げればいいじゃねーか!

 そういや、旧劇場版の最後に見たくもねえラブ・アンド・ポップのCMをブチこんできやがったことをいまさら思い出したぜ! 何がシン・ウルトラマンだよ! すでに腰が引けてんじゃねーかよ! またエヴァをプロダクトとして完結させることから逃げるのかよ! いい加減そろそろ大人になって、世間を知りニャさいッ! 今回の冒頭10分公開以降、お得意の広告手法でSNSの反応をリサーチしたら、もうエヴァの現状がどんなもんか、よーくわかったろうがよ! かつて旗振りの急先鋒だった高学歴の知識人や著名人は軒並み沈黙(笑)を守り、出てくる意見は冷めた批判や無関心ばかりで、期待感を示している少数はパチンコから合流した(コード・トリプルセブン!)低学歴・低所得のヤンキーばかり! Qのせいで序破からの客は全員いなくなって、もうどこにも新規なんて増えてねーんだよ! 閑散とした会場には旧エヴァが好きだったから、この作品の最期を看取ろうという層しかもはや残ってねーんだよ! 昔みたいには声もでないヨボヨボのロックスターの、ジジイの腰振りを見にきてるジジイばかりなんだよ! その点で言やあ、シンカイさんのほうがまだ誠実に作品に向き合ってるじゃねえかよ! アンタが適当にしゃべらせた破のシンジ君の「セカイがどうなったっていい」発言に対して、映画丸々一本つかってアンサーしてきたじゃねえかよ! しかもすでに百億かせいで、エヴァ・リブートよりはるかに売れてんだよ!

 なに、天気の子の終盤で雷が落ちたトラックの挙動がおかしくないですか、どんな物理法則で前輪が浮いたんですか、あと落雷から爆発までしばらく間があるのもよくわからないです、だと? バカモノ! あれはシンカイさんが旧エヴァ劇場版でネルフ職員の「南の、ハブステーションです」という台詞の直後に、トラックの正面から砲弾が二発撃ち込まれ、時間差で爆発したシーンのカッコよさにウレションし、オマージュし、トレースしたからに決まっておろうが! シンカイ・ワールドの物理法則はエヴァンゲリオン・ワールドに準拠し、さらにエヴァンゲリオン・ワールドの物理法則は、トクサツ・ワールドの物理法則に従う! つまりシンカイ・ワールドの背景美術がハイパー・リアルなのにところどころ物理法則がおかしいのは、エヴァ好きが昂じすぎて結果として、トクサツ・ワールドから動きを孫引きしてしまっているからだ! ピアノの一音ごとに背景が切り替わる演出は旧エヴァ劇場版の実写パートから引っ張ってきていたり、女子のパイオツのサイズに関したビロウ(尾籠)・トークと思春期ポエム以外は、シンカイ・サンにとって映画はぜんぶエヴァンゲリオンなんだよ!

 怒りすぎて何を言っているか自分でもわからなくなってきたが、シン・エヴァではもうこれ以上、矛盾した情報を小出しに撒いて、視聴者を混乱させることでバズらせる(バズってない)宣伝手法を使うのをやめてくれ! 何があっても来年6月までは生き延びて、必ず初日に見に行くから、品よくおとなしくしていてくれ! シン・ゴジラのときに興行はバクチと言っていたが、エヴァの大看板に対して小手先の広報は必要ないどころか、むしろ邪魔になってると言わせてくれ!

 頼む、どんなキッタネー最期を迎えても、必ず看取るって約束するから!

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

映画「シンエヴァ」冒頭10分感想

 シン・エヴァの冒頭公開を見て、自分でも驚くほどにガックリきている今の心情をここに残しておきたい。

 エヴァ新劇場版、序と破までは明快にエンタメ活劇路線だったし、カントクと作品の間に適切な距離感があった。新しく会社を立ち上げ、エヴァという大看板を意識的に利用して、アニメ製作の社会的位置をきちんと確立することを主眼に動いているように見えた。タイアップを含めたマネタイズをきっちり行い、スタッフにはスキルに応じた金銭的還元を怠らず、公開後は全記録全集でいかに創造したかの舞台裏を後から来た人たちが理解できるよう丁寧に残して、持続可能な文化プラットフォームとして日本のアニメを未来へ繋げていこうという確かな意志が感じられた。個人的には、カントクの公人としての性格が前面に押し出されている感じがしたわけ。登場する大人たちも旧作よりはずっと成長していて、それぞれが次世代への責任を果たそうと動いていたし、作品の内外にわたるそういった成熟のおかげで、見ていて大きな安心感があった。

 それが、Qでガラッと変わってしまった。序破のエンタメ活劇から純文私小説路線に切り替わり、カントクと作品の距離がゼロになって、旧作のように彼の情動がモロに前面へ押し出されるようになった。サードインパクト後の世界設定が嘘くさく空回りしているのに、「男と女」「セックス」「石女」などのモチーフだけが妙にリアルで生々しくて、両者のバランスが非常に悪いがゆえに、ひたすら不安感だけを掻き立てる作品となってしまった。意識的かどうかはわからないが、Qではカントクの私人としての性格が前面に押し出されている。

 公開後、自信をもって送り出した作品に対する批判的な受け止められ方にカントクは苛立っているように見えたし、Qについてだけ全記録全集が発売されていないことはこの推測を裏付ける。Qにおける大きな変節は、東日本大震災に影響された(御大が被災地にカントクを連れていきさえしなければ! 彼は眼前に広がる光景に「衝撃を受けなければならない」し、自分はそれに「作品をもって応えなければならない」と真面目に考えたのだと想像する)ゆえだと私は確信している。

 もしかすると、シン・ゴジラの大成功によってその呪いは解かれたのではないかと、どこかで期待していたのだ。しかし、公開された10分余の冒頭は、あえて言う、失敗作だったQの続きとなっていて、魅力のない新キャラと舞台設定を画面密度と情報量(空疎な造語が主な)で無理矢理に押し切ろう、マイナスから物量でメーターを振り切ることで前作ごとプラスに転換しようとあがいているとの印象をしか受けなかった。正直、序破の段階では「迫りくる滅亡を前に、小異を捨てて大同へ団結する人類」みたいな展開を期待していたのだ。今度こそ自らが生み出したセカイ系を打ち破り、相容れない他者と協調しながら世界の存続を目指す--シン・ゴジラでは、それができていたのに! そもそも、協調すべき他者としての人類はQ世界では死に果ててしまっており、もうどこにもいないのだった。

 「科学技術ではギリギリ届かない空隙を、人の知恵と努力で補って勝つ」という、かろうじて我々の現実の枠内に収まる(ように思えた)制約から来ていたエヴァの醍醐味は、重力制御なんてもの(古代人のオーバーテクノロジー!)が出てきた時点で、作品世界のルールの底が破れて、雲散霧消してしまった。依拠する現実を失い、次元跳躍、時間遡行、死者蘇生、何が出てきてもおかしくないこの状況は、自由を突き詰めた先の狂気に達していて、シン・エヴァの何を楽しめばいいのか私にはわからなくなってしまった(少し気持ちが動いたのは、パリの街が復元したところと、USBの裏表を間違えたところだった)。

 じゃあ、公開されたら見ないのかと聞かれれば、初日のできるだけ早い回に見に行くだろう。内容に関わらず、三回は見るだろう。若い諸君からの「イヤなら見なきゃいいじゃん(笑)」の軽口が聞こえるようだが、二十年以上(二十年以上!)を人生と並走した作品の完結編である。二十年以上を連れ添うDV夫について「別れればいいじゃん(笑)」のご忠告に従ったとして、DV夫と過ごした二十年が人生から消えることはないし、平穏な日常に現れた彼はヨリを戻そうと、また昼間から超絶技巧のセックスで迫ってくるのだ。

 あと、エヴァQと最後のジェダイは、連作なのに張られた伏線には特に意味が無いことを示し、シリーズの持つ暗黙のお約束(不可欠な)を壊した点で、非常に似通った性質を持つ作品だな、と思った。どちらも「別にそれをやること自体は否定しないけど、わざわざ固定ファンのついたシリーズでやらなくてもいいんじゃねえの? あれか、新作だとそのアイデアじゃ客がつかないからか」という気分にさせられる。ライアン・ジョンソンはポッと出のお調子者だからまだ許せた(許せない)が、カントクはエヴァの創始者その人なのだからいっそう罪が深い。

 それと、素朴な疑問なんだけど、どんどん敵役でエヴァもどき人造使徒(あるいは使徒もどき人造エヴァ)が出てくるけど、あれ、誰が作ってるの? ネルフってもうおじさんとおじいさんの二人しかいない組織(副司令が黒幕の電源プラグを手ずから抜きに行かなければならないほどの人手不足)なのに、ねえ、誰が作ってるの?

 え、AVANT2あるの? マジで? これはやはり、破の続きバージョンも用意されて……(以下、ループ)

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」