猫を起こさないように
サイバーパンク2077
サイバーパンク2077

ゲーム「ドラゴンクエスト11S(PC版)」感想

 え、もうエヴァの話は聞き飽きましたよ、それより最近あそんでるゲームのことでも教えてくださいよ、だって? オーケー、オーケー、自分でも病んだツイートを連打してる自覚はあったので、ドラゴンクエスト11Sの話でもしようか。PC版なのにスitchy版のダウングレード・グラフィックであることに萎えたところまでは伝えたと思うけど、スチームパンク2077のタケムラ無言電話バグで最新のセーブデータが進行不可能になったのをきっかけに、しぶしぶ出もどったってわけなのさ。いろいろ調べて、INIファイルへ追記してアンリアル・エンジンに無理やり質の高い描画をさせる方法を見つけたのね。それでグラフィックはまあPS4以上になったけど、下生えの草の量とかは少ないままだから、イケメンのハゲみたいな状態で我慢してプレイしてんの。無印のときは忙しかったこともあって、結構な駆け足でクリアしちゃってて、加齢の影響でいい具合にシナリオも忘れてるので、じっくり腰をすえて最後のドラクエを楽しもうってハラなのよ。ファミコン版の2からリアルタイムでプレイしてる原理主義者なので、「ドラクエにボイスってどうなん」とか最初は斜めに構えてたんだけど、聞いてみると存外わるくない。キャラのモデリングと動きの付け方もすごくいいし、声と相まってベロニカがちょう可愛くなってる。最初のうちは声がキンキンしててうるさいなーって思ってたけど、慣れてくるとアスカ系の罵倒(またエヴァ!)とツンデレ・ムーブ(人を指さすんじゃない!)がクセになる感じ。いま命の大樹のとこぐらいなんだけど、あらためてドラクエって浪花節っていうか、昭和的な人情の世界なんだなーって思わされました。結婚式で「お母さん、生んでくれてありがとう。お父さん、育ててくれてありがとう」って何のてらいもなく泣きながら言えちゃう健やかな人たちが生きている世界ね。ドラクエ・シリーズって長い時間を経て今や和製ファンタジーの源流となり、音楽で言えばビートルズ、映画で言えばリドリー・スコットみたいな、革命が陳腐化してオリジナルが忘れられて、形骸化した雛形だけが残っていく段階に来てると思うんです。いまネットに氾濫している、なんてーの、NARROW小説?は、ファンタジーの雛形としてドラクエを引用してるようだけど、この世界観の根幹である浪花節の昭和人情は、はたして引き継がれているのでしょうか。今回、ドラクエをプレイしていて強く思ったのは、この世界の中に入れられたら(転生!)、私は苦しくて一秒も生きていられないだろうなってことです。ナウシカの最終巻じゃないですけど、人という種族はすでに汚れた環境に適応して進化してしまったので、来たる福音の世界は清浄すぎてそこでは生きていけないというアレです。両親を敬って、与えられた生命に感謝するぐらいなら、それこそ死んだ方がマシですから! なんだか大きな話になっちゃいましたけど、細かいところで言うと、「エッチ」「スケベ」「ムフフ」という少年漫画的語彙が表現するドラクエ特有のお色気要素ですけど、本作では「女性が許容してくれると男性が思う性的なライン」をかなりアウト方向へ逸脱しちゃってる感じがしました。シリアスな場面でロウがエロ本を落とすシーンは、なんど見ても唐突すぎてワケがわからないです(もしかして、笑わせようと思ってる?)。近年のクリント・イーストウッドじゃないけど、「他の人がやったらダメだけど、ホーリー遊児ならしゃーねーなー」という受け止められ方ーーなにが「ぱふぱふ」や、パイズリやろが!ーーなのかもしれません。無印のときはあまり感じなかったので、もしかするとこの3年余りで世間の潮目が変わったのかなー。あと、ドラクエをプレイするときの安心感から、ゲームの持つ最大の美点は「物語が完結している」ことだと改めて気づかされました。連載中の漫画とかそれを原作にしたアニメとかは、もうなかなか怖くて手を出せなくて、最近では鬼滅の刃とかチェンソーマンとか、完結した物語を指差し確認してから手をつける感じになっています。だって、自分より若い作家の未完結作品に、もし万が一でもエヴァのようなハマり方をして、完結より先に寿命が来たりしたら、死んでも死にきれないじゃないですか。流行りのじゅぢちゅ廻戦(舌が短いので、正しく発音できない)も遠目に面白そうだとは感じますけど、作者のライフワークとして大長編化する例の作品群と同じにおいがして、触れる勇気がありません。不謹慎な話、年配の作家なら例え物語が完結しなかったとしても、続きがもうこれ以上は発表されない瞬間を確認して安心できるじゃないですか。それに、グイン・サーガとかスター・ウォーズみたいな、作者の手を離れた続編ってサイアクですしね。あー、なんかすごい呪いをふりまくメンタルになってきたので唐突に、切断的に終わります。

ゲーム「サイバーパンク2077(2週目)」感想

 サイバーパンク2077、いっさいの情報を遮断してメインストーリーをクリアした後、そのまま新キャラ作って2週目をプレイしてる。ジャッキーと別れるのがイヤで、紺碧プラザへ行くのを先延ばしにしながら、ときどき犯罪行為に武力介入したりゴミを拾ったりする以外は、特に目的もなくウロウロしてる。真っ暗にした部屋で大画面のナイトシティをそぞろ歩いていると、年末に必ずやってくる「まだ何もしていない」という謎の焦燥感をいっときでも忘れることができ、たいへんに心安らぐ。この街の住人は一様にクズで向上心がなく、いつも他人を陥れることばかりを考え、口を開けば政治的に間違った言葉ばかりが飛び出す。だからこそ、私は心やすらぐ。社会的な正しさの擬態が必要なく、人生に目的があるといった欺瞞から離れて過ごすことができるからだろう。

 ナイトシティでのできごとって、ぜんぶ「夜の街関連」だよな……。

 サイバーパンク2077の2周目プレイ中。1周目をクリアした後だと、最初は気づかなかった様々なアラが見えてきた。メインストーリーと箱庭の作りこみとサブシナリオとゲームシステムを別々に作って、最後にガッチャンコ(関西弁で「ひとつにまとめる」くらいの意)しようとしたらうまくいかなくて、それぞれが収まるよう順に枝葉を切り落としていったら、ついには幹にチェーンソーを入れざるをえなくなった感じ。ジャッキーやTバグとの関係性を深めるストーリーが丸々カットーーTバグに至ってはおつかいのサブシナリオがひとつポツンとあるのみーーされてたり、大小様々な組織の利害が入り乱れる街で出自まで選べるのにコーポ中心のエンディングしか用意されていなかったり、街頭の作り込みはすさまじいのに中に入れる建物が極端に少なーーこれはたぶん、エリア構築とハッキングのシステムが一体化していることが原因、コピペのがらんどうでいいのにーーかったり、独自AIで自律的に動くはずの住人や警官(犯罪行為の瞬間に間近へスポーンするのは萎える)についてたぶん発売直前に白痴化が行われたり、ちんちんの長短やヴァギナの有無や声帯の男女入れ替えなどのトランスジェンダー的キャラクリにほぼゲーム的な意味が無かったり、とにかく「あるべき場所にあるべきものがないことで生じる空洞」が多すぎるのです。細かいけど、ゲーム内でキャラクリを自由にやり直しできないのって世界観を真ッ正面から否定してるよなー、性別や見かけではないところに真のアイデンティティがあるっていうさー。

 あと、ジョニーというキャラが好きになれるかどうかがゲームへの印象を大きく左右する作りになってて、クリア後もジョニーのrelicを外せないのって、結構マイナスポイントになる人いると思うなー。冷凍漬けにしてた、あるいはクローンの肉体にrelic内の魂を転写してジョニー復活、以後はバディとして同行可能、みたいな展開を予想してたんだけどなー。いま挙げた不満の中には有志のMODで解決できるものもあるけど、メインの部分ではCD Projektにがんばってほしいところです。みんなウィッチャー3一作でこの会社の実力を判断しちゃってたとこはあると思うんだけど、ほんと前作が奇跡のバランスだったんでしょうね。数年(8年!)に渡って、出入りのある数百人のクリエイターの成果物をすべてチェックして次の方向性を与えて、ゴールを明確に提示しながらそれらを矛盾なくずっと統御し続けるって、よく考えたら人智を超えたマネジメントですもん(世界1個を丸々創造するという意味で、ヤハウェと同等の管理能力が求められるはず)。

 同社のウィッチャー3の何がすごかったかと言うと、オープンワールドRPGなのにシナリオに整合性があって、ゲームバランスが破綻していないことだったと思うんです。オブリビオンにせよフォールアウト3にせよ、最初期のオープンワールドは箱庭に特化した、良くも悪くも雑な作りのゲームでした(逆に言えば、細部を雑にしておかないと立ち行かない)。そして後発のオープンワールドでストーリー重視のものは、箱庭要素を極限まで切り捨ててほぼ一本道にすることで、物語ることに特化していたわけです。ウィッチャー3は箱庭要素と物語要素が初めて矛盾なく高いレベルで成立したという点で、極めて画期的だったと思うのです。サイバーパンク2077にも同じレベルが内外から要求され、8年間の発酵期間を経て膨れに膨れた期待を結果として上回ることができなかったのが、発売後の騒動の原因ではないでしょうか。発売直前の絨毯爆撃的アドバタイズメントで初めて今作を知った私にとっては、自宅に押し込められた空虚な年の瀬へ、予想外に訪れた良質のエンターテイメント体験だったのですが、AAAタイトルはその宿命として空前を更新する大傑作であることを常に求められ、「良ゲー」ぐらいの評価では済まされないのでしょう。

 世界観とそこで提示しようとしている命題については今日的ですばらしいと思うんですよ。殺人犯(ヨハネよりルカが好き発言とか萌え)が殉教者として十字架の上での磔刑を選び、その様をブレインダンス(VRのすごいヤツ)で録画されることを希望するとか、アラサカ社のプレジデントが息子の肉体を魂の上書きで乗っ取り、恒久の企業的安定を手に入れる(それに関する法解釈と生命倫理の演説も好き)とか、そこここで考えさせられる、魅力的なモチーフにあふれているのです。特に後者は「最良の名君による王政問題」、それが大げさなら「中小企業の創業社長問題」を想起させ、人間社会における問題の多くは個の寿命に由来しているのだなあと改めて感じさせられました。アホが総体をダメにしないよう任期を決めて支配の実権をローテーションする仕組みは、天才をアホですげかえねばならない事態を同時に抱えてしまいます(たしか銀英伝でも同じ話してましたね)。養育者に生命の継続を依存しなければならない十数年の体験から、ヒトという生き物にはどうしても神様ーーそれの命令を聞けば、脅威は取り除かれ心の安寧が約束される存在ーーを求めてしまう性向が植え付けられています。バランス感覚のある清廉潔白な無私の天才が永久の生命を有するとしたら、彼/彼女に永世を支配してもらうことにいち大衆として何の不都合が想像できるでしょうか。この架空の、それでいて根源的な問いに対する答えは、しかしあらかじめ決まっています。「変化し続け、やがては死ぬこと」が人間の本質であると同時に尊厳の根幹を成しており、被支配を求める頑なな凡夫である私たちにその点をじっくりと諭してくれるのが、今年のFGOや鬼滅のような良質の物語なのです。虚構の持つ機能のひとつとは、日常生活では起こりえないイフを突き詰めることで、隠された真実の片鱗を明らかにすることだと言えましょう。それはときに数式が世界の真理を体現するのと同じ明晰さと強度で、我々の倫理に迫るのです。

 話がそれましたが、この命題に対する西洋の物語は英雄譚に寄りがち(マーベル!)なので、魂の不滅についてサイバーパンク2077の世界観の内側で弱い人間たちが出す結論を、今後のDLCで期待したいと思います。

 サイバーパンク2077、2周目はメインストーリーをガン無視して、サイドジョブばっかやってる。女性の声にしてるんだけど、同じやりとりなのにガラッと印象が変わるのが面白い。今度こそJUNKERプレイに徹しようとハンドガンのパークにポイントを入れるも、あまりに弾が当たらなくてイライラして、「ウワーッ!」と絶叫しながら突撃してはブレードをふりまわしていたが、オートエイムのスマート武器を手に入れてから、ようやくそれらしくなってきた。

 サイバーパンク2077、女性声のVだとジョニーとのやりとりがぜんぶ痴話喧嘩っぽくなるなー。ウザさがすごく増幅されて、「ぼくのかんがえたさいこうにカッコいいバディ」を制作者に強要される感じ、どっかで体験したことあるなー、どこだったかなー、と考えていたら、「俺の屍を越えてゆけ2」だった。

 サイバーパンク2077、1周目のキチガイに刃物プレイにくらべて、だいぶハンドガンVがサマになってきた。それもこれも、ガチのFPS者にとっては当たり前の話なのかもしれないけど、マウスでエイムするようになったから。スマートリンクの無い銃でもまともに戦えるようになると、なんだか銃撃戦が楽しくなってくる。街中で黄色い矢印のついたキャラを見かけると、いままではビクビク迂回してたのに、ガンガン喧嘩をしかけるようになった。いま、なんか腱鞘炎になりにくい縦につかむマウス使ってんだけど、コントローラーでの移動から黄色い矢印を視認して右手でマウスをつかむ一連の動作が、ちょうどホルスターに手を伸ばして拳銃のグリップをつかむみたいで、すごく没入感がある。結果、黄色い矢印をもとめて街中をうろついては、ほとんどスナック感覚で文字通りの快楽殺人を繰り返す、サイコキラー・プレイになってしまっております。ロード画面のフレイバーテキストに「この年、合衆国の人口が15%減った」みたいのがあるんだけど、たぶんうちの主人公のせい。

ゲーム「サイバーパンク2077(あるいはドラクエ11S)」感想

 FF14のシナリオに心萎えてFF11に出戻ったものの、カラドボルグ制作過程で時間ポップNMを他PCと取り合うという古いMMORPGに特有の時間グラインダーに心折られて、もうオフラインのRPGがしたい、ふつうのRPGがしたいとなって(と、なって!)、そういえばドラクエ11の完全版がPCで出たんだったとスチームボーイ(駄作)から体験版をダウンロードしたのです。ほどよくストーリーも忘れてて、やっぱドラクエは面白いなー、なんて最初は無邪気にプレイしてたんですけど、そのうち違和感が出てきました。色調が妙に明るくのっぺりしていて、画面に密度感がなくて、グラフィックも全体的に毛羽だってるというか、ジャギジャギしてる。「おっかしーなー、いよいよ老眼がはじまったのかー?」なんつって目をこするんだけど、画面のクオリティは低いままです。気になってググッてみたら、いちどPS4版からスitchyだかゆう低機能のマイクロマシン向けにダウングレード移植されて、その劣化版をベースにしてPC版を作ったよって書いてある。つまり、原本のコピーのコピーを見るときに感じる質への違和感だったわけで、激昂した私は「スクエニはん、ゲームゆうのは目利きの玄人旦那衆へ向けた嗜好品だっせ。なにがドラクエアイランドや、まず本業のゲームを大切にせんかいな。こんなクソ商売しとったら、企業として先があれへんで!」と土壁に向かって一人ごちる(笑)と、すっかりプレイする気を無くしてしまいました。

 そんで、新聞紙でふさいだだけの割れ窓(エヴァQのときのDVで割れた)からスキマ風がびょうびょう吹きこむ四畳半で「これはいよいよ鉄パイプでモニターを粉砕して、PCを捨てよ、町に出ようってことかー?(しかし、町には殺人ウイルスが蔓延しているぞ、どうする?)」などと中指で鼻ほじってたら、ツッタイーの縦長ウィンドウに生息するサナダ虫どもが、「サイバーパンク2077が本年度最高のオープンワールドRPG」「ウィッチャー3を作ったところだから、万に一つの間違いもなし」なんてジメジメささやきあってる。「よーし、嘘だったらみんな殺しちゃうぞー!」なんて朗らかに叫びながらサクッと購入して、パッチだけで45ギガもあるのをアホみたいな時間かけてダウンロードしてプレイをはじめるんだけど、結果として殺人者にならなくてすんだことは僥倖でした。ブレードランナーをより日本びいきにした世界観のオープンワールドRPGで、開始5時間ばかりの段階ですが、かなりの没入感に終始ワクワクさせられっぱなしです。でも、コントローラを握ってキャラを動かした瞬間に「またいつものだ」という強いマンネリ感を覚えたことは否定できず、ほんの10分ほどですけど、その感覚を乗り越えるのには結構なパワーを要しました。オブリビオンとフォールアウト3でオープンワールドゲームの基礎部分はすでに完成してしまっており、その後の15年間(15年間!)は与えられた共通の幹に対して自由度の振り幅とビジュアルのガワをどうするかの試行錯誤が個々の作品の違いを作っている状況だと指摘できるでしょう。少し話はそれますが、左右のトリガーでアクセルとブレーキ、アナログレバーがハンドルという「いつもの」車の操作には少しも慣れません。どのゲームも挙動が異様にセンシティブで、ふつうに車線を守ってまっすぐ走ることすら難しく、そろそろ前例踏襲でない操作性に登場してほしいところです。ネチネチ難癖つけた感じになりました(いつもの)が、ひさしぶりにコンプリートしたいと思える大作ゲームだということは、間違いありません。

 あと、ちんちんの長さや真性か仮性まで選べるのには感動しました。私はキリスト教徒ではないので、割礼なしのビガー・チンポを選びましたが、今後ゲーム内でこの特殊パラメータ(性器の長さ)がなんらかの影響を与えることを期待しています。

 サイバーパンク2077、毀誉褒貶あるようですが、オープンワールドRPGなんてのは2年ぐらい経過してMODが出そろってからが本番なので、今のところ楽しんでプレイできています。世界観に合わせて、草薙素子とかスパイクとかネオ(キアヌ!)みたいなロールプレイを心がけて進行してきましたが、アラサカ社に潜入したあたりから戦闘が厳しくなりはじめ、リトライ地獄と化してきました。敵の体力がアホみたいに多すぎ、FPSが苦手でエイムが下手すぎ、頼みの綱のグレネードの威力が弱すぎ、ハッキングのシステムがわからなすぎ、銃撃もステルスもうまくいかず死にまくりなのです。おそらくサブシナリオやトレハンでキャラを強化しながら進めていく前提のバランスなのでしょうが、メインストーリーを進めたくてしょうがないイラチの私が最終的にたどりついたのは、被弾しながら無理くり近づき、強パンチからの左右ラッシュでボコボコに殴りたおすというステゴロ花山薫プレイでした(じっさい、強化外骨格でも仕込んであるのか、銃でのヘッドショットよりも強パンチの方が3倍くらいダメージが出る)。そしてデジタル娼館で刀を入手して以降はブレードのパークを取りまくり、近接戦闘の手段が殴打から斬撃に変わりました。ついさっきも、エヴリンを奪還するために発電所へ乗りこんできたのですが、同行するジュディが「隠れて、見つかっちゃう」とか小声でいさめてくる(いちいちかわいいんだからコイツ、もう!)のを尻目に、監視カメラも索敵もガン無視して抜き身を引っさげ猛進し、狭い室内でキチガイのように刃物を振りまわしまくり、八つ墓村(あるいは津山三十人殺し)プレイで鏖殺(みなごろし)にしてやりました。PC版は死体欠損ありなので、四肢や生首があちこちに転がって、画面越しにも濃厚な血の匂いが漂ってくるような凄惨きわまる現場だったことをお伝えしておきます(もはやロールプレイもクソもない)。思うんですけど、オープンワールドRPGの近接戦闘に足りないのは、蹴り技ですね。ここはキアヌをキャスティングしていることですし、思いきってこの世界観でバーチャファイターの格闘アクションを導入してーーってそれ、シェンムーやないかい!

 (刀を正眼に構えた小鳥猊下がモールの中央で銃を持った輩の集団に囲まれながら)早くも37564戦法が限界を迎えるとはッ……!! 「発砲には2アクション必要だ。刀なら1アクション、この距離なら確実に私の方が速い」とうそぶいていたあの頃がウソのよう……!!

 年末恒例「慈愛のようす」、今年は高度36,000km、軌道ステーションに格納された魂の座「神輿(みこし)」よりお送りします。眼下のジャンク街では、様々の煩悶や葛藤がありましたが、すべては漂白された遠い過去となり、いまは満ち足りた穏やかな気分です。わずかの余命を伴って地球に帰ることもできのたですが、魂をデジタル化するという体験へのSF的な興味がわずかに勝りました。その瞬間まで主人公としてのロールプレイを心がけてきたのに、「最後の選択」では画面の前に座る現実のプレイヤーとしてふるまってしまったというわけです。魂を肉体から分離したあとは、銃夢の続編のような宇宙規模のお話が展開するのだろうとワクワクしていましたが、そのままスタッフロールに突入したのにはガッカリさせられました。ともあれ肉体を喪失し、青いホログラムとして机上に投射された状態ではありながら、今年も「慈愛のようす」を粛々と執り行ってまいります。皆さまからの問いかけすべてに丁寧にお答えしていきますので、遠慮なくお声かけ下さい。もちろん、萌え画像などの寄贈もお待ちしております。致死バイラスの蔓延により外出を禁じられるというSF的展開による皆さまの無聊(あるいは多忙)を、少しでもなぐさめられればと思います。

 ゲーム「サイバーパンク2077(2週目)」感想