猫を起こさないように
サイダーのように言葉が湧き上がる
サイダーのように言葉が湧き上がる

映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」感想

 タイムラインで話題になってたのを覚えてて、ネトフリで「サイダーのように言葉が湧き上がる」を見る。謎の移動集団「癲狂族」の一員だった過去を持つ身として、たいへん興味深く見ました。ただ、ラスト10分までは60点を大きく越えていく仕上がりだったのに、そこからが個人的に20点の展開だったので、全体としては40点ぐらいの読後感に収まりました。特に恍惚の老人が物語のフロントから点景へと、あっという間に後退したのは、残念でした。俳句にしても海外への目くばせに止まり、物語のギミックとしてはあまり効果的でなかったと感じます。過去作の絶叫で強引に「伝える」のじゃなくて、新しい俳句ひとつで静かに「伝わって」いれば、同じ展開でも印象は違ったかもしれません。

 だれだったかの小説で初老を迎えた夫婦が寝室でいたした後、「私たち、いつまでこういうこと、するのかしらね」って妻がつぶやくシーンがあるんですけど、それになぞらえて言うなら、「俺たち、いつまでこういう作品、見るのかな」という気分になりました。男性の監督が描く少女の話って、女性の葛藤や成長には寄りそわないっていうか、どれも寄りそうポーズにとどまっているように感じます。底にあるのは、十代の少年が持つ「相手の人格なんか無視してムチャクチャにセックスしたい」という正露丸のごとき激臭を放つ真っ黒な核で、それをどんな甘さの糖衣を使ってどんな厚みで包むかってところに工夫があるだけで、突き詰めるとどれも同じ話なんですよね。

 あと、小道具としてのマスクも世間の状況が変わったことで、たぶん企画の段階にあったのとは違う意味になってしまっています。本作のラスト、少女がマスクを外して前歯を見せながらはにかむシーンがあるんですけど、演出の意図には微塵もないだろうにも関わらず、「うわ、エロいなー」って思ってしまいました。左耳のゴムを外してゆっくりと顔の下半分を露出していく仕草が、じらしながら下着を脱ぐストリッパーの様子と同じに見えてしまったのです。おそらく、この脚本は感染症で世界がこうなる前に書かれ、この2年を経て我々のマスクへの意識は「汚いものを出す穴」をおおい隠すもの、つまり「顔にはくパンティー(昭和の表現)」と同じになってしまったのでしょう。

 それと、背景がわたせせいぞうみたいだなーって思いました。