猫を起こさないように
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ゲーム「十三機兵防衛圏」感想

 十三機兵防衛圏、プレイしてる。たぶんいま、半分くらい。あんまり似てないのに、なんか久遠の絆のことを思い出す。ここまでの印象としては、「キツネ狩りにバズーカを持ち出す英国女王」。

 PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱが大好きで、WIN版のエターナルを買ってガックリしたことを思い出した。あんまりガックリしたので、エミュー(ヒクイドリ目ヒクイドリ科の鳥類で、完全に合法な存在)を使ってPCエンジン版を再プレイしたら、なんかフィールドの音楽に違和感がある。データ上での違いはないはずなのに、再生環境の問題かなと思っていたら、曲の終わりと始まりのループ部分でCDの読み込み音が聞こえないことが原因だとわかった。テキストサイト運営者の高度な文章技術で再現するとこんな感じだ。(突然立ち上がり、白痴の表情で)ちゃーちゃーちゃー、ちゃーちゃーちゃー、ちゃちゃちゃちゃっ(きゅるきゅる)ちゃー、ちゃらららー、らーららーらー。おわかりいただけただろうか。この「きゅるきゅる」が無いことが無意識のうちに気になっていたわけで、よほどプレイフィールそのものが身体感覚にまで染みこんでいたと言えるだろう。

 他の例で言えば、これまたPCエンジン版の天外魔境Ⅱでフィールド音楽はCDから読んでるのに、戦闘中は内臓音源で読み込みをゼロにしてたのも身体が覚えてて、より快適になったはずのリメイク版におけるプレイフィールにひどいニセモノ感(戦闘毎にフィールド曲が巻き戻ったり)を禁じえなかったりした。当時のCD媒体のゲームは、戦闘の前後で1分ぐらいCDを読みに行ってたーーいま思い出した、コズミックファンタジーとかひどかったーーから、天外魔境Ⅱのテンポ感は私にとって超絶的な革命であり、身体の芯にまでコンマ秒単位でタイミングが刷り込まれてしまっていたせいだと思う。そういえば、序盤にある祭りのムービーで暗黒ランが出現する直前にCD読み込みが入って、それが不気味な静寂を表現する演出上の「間」になってたりとか、すごい好きだったなー。

 共通するのは、どちらのゲームも制作者の意図が隅々にまで行きわたっており、ほんの小さなレスポンスに至るまで、作り手の統御下に無いものがないという安心感だった。エヴァQとかスターウォーズにする私の評を見てもらってもわかると思うけれど、制作サイドと周辺状況みたいなのが、まずもって気になる性質なのである。その神経症の客がする指摘に対して、「おいおい、なに言ってんだ、あんたはトーシローのお客さんだろ? 裏がどうなってるかなんて、余計なことは考えなくていいんだよ! さあ、細かい部分は俺たちプロにぜんぶまかせといて、大船に乗った気持ちで楽しむことだけに集中しなよ!」と豪放に笑いながら断言してくれる感じは、この上ない快感だった。懐古趣味と言われれば返す言葉もない。しかし当時のゲームには、腕自慢・材料自慢で客を委縮させたりしない暖かな空気のような、その場を離れた後にしみじみと喜びを反芻するような、高級な料理店で食事をするときに受けるサービスのような、そんなプロフェッショナルの仕事が確かに存在していたと思う。

 長々と書いたが、十三機兵防衛圏をプレイしていて、ひさしぶりに良質なプロのサービスを感じることができて嬉しかったという話です。プレイフィール以外でも、十三人の主人公がしっかりと別々の個人として書き分けられているのには感心しました。ひとつ例を挙げると、過去の国防少年が未来へ飛ばされたときの反応が、語彙レベルだけでなく意識レベルでも齟齬なく表現されていたり、書き手の真摯さと苦労の深さが端々に感じられます。ここまでの自分語りに共感を覚えた向きは、女房を質に入れてーー誤解がないように付け加えると「女性の配偶者を私有物品として担保に預けることで金銭の貸し付けを受ける」という意味で使っているーーマストバイでしょう!

 さて、以降は制作者の目に届かないことを祈りつつ、自分のために書き留める日記のような内容になります。

 たぶんシナリオを書いている人物は、同年代なのだろうと思います。「ピコピコ少年」のような少年時代を過ごし、映画・小説・マンガ・ゲームなど、私と同じフィクションを通過してきているのでしょう。本作はそういった過去の体験が複雑に織り込まれたガウディの建築物のようになっていて、すべての要素がどこに出典を持つかが同じ世代には手に取るようにわかります。昭和から平成にかけての虚構を、制作者のフィルタを通じて一個の集大成へとまとめあげていくさまに、私などは感動すら覚えるのですが、はたして若い世代が同じ感想に至ることができるのか、正直わかりません。本作は高校生を主人公に据えたジュブナイルの見かけなのに、三十代後半から四十代にもっとも強く訴求する内容になっている気がします。ジュブナイル物の本来のターゲット層である十代後半から二十代がこのシナリオを読んで何を感じるか、もしかすると意味不明と思われないか、とても気になりました。

 そして、システム面で言えば「追想編」「崩壊編」「究明編」はひとつながりのゲーム進行の中にまとめられればよかったのにと思います。「究明編」はメニュー画面の図鑑要素に過ぎないし、ADVパートの「追想編」とSLGパートの「崩壊編」がバラバラに提示されているのには、過去の同種のゲームと比して、違和感があります。こうなった理由の一部として、時間が足りなかったことはあると思いますが、御社の強みであるところの「ドット絵風2D横スクロール」が、本作では「必ず使わなければならないモノ」として、枷になってしまっているのではないでしょうか。このシナリオを表現するのには、ビジュアルノベル方式のほうが内容的にもコスト的にもベターな気がするのです。

 いや、結果として出力されている中身は素晴らしいの一語に尽きるのですが、「英国女王がバズーカでするキツネ狩り」と表現したように、目的に対する手段のアンバランス感が否めません。アストロ球団的試合運びとでも言いましょうか、「全力で180キロを投げた絶対エースは右腕を骨折、しかもその球が打たれる」ような状況をグラウンドに見せられれば、観客席の女子マネージャーはただ両手で口元をおおって、涙を流すしかありません。

 さて、まだクリアには少し残していますが、パッケージ売りの大作ゲームが持つ、他の創作ジャンルに比した大きな利点を噛みしめています。それはエンディングまでがすでに作られており、プレイヤーの反応を見てそれが改変されたりする心配のないことです。福音戦士の新3部作とか、銀河戦争の続3部作みたいに、登っている途中のハシゴ(イコール伏線)へ他ならぬ作り手から足払いをかけられて、大転倒の大怪我をするのではないかと恐れる必要がないのは、本当にストレスフリーですね。制作者の大きなフトコロに抱かれて、ああでもないこうでもないと今後の展開を自由に想像できることは、なんて素晴らしいのでしょう!

 え、某潜入ゲームの第2作みたいなこともありますよ、だって? (少女が涙目で)そ、そんな怖いこと言わないでよッ!

 なんかサーティーン機兵が一周年みたいなので、感想を再アップしてみた。え、クリアしての評価はどうでしたかって? ファミコン時代からのアドベンチャーゲーム好きにとって、読後感は「メタルスレイダーグローリー」というより「ジーザス恐怖のバイオ・モンスター」でした。

ゲーム「FGO第2部第5章」感想

 FGO第2部第5章、ぼつぼつ進めてる。導入はさすがの面白さだったのに、いまアルゴノーツご一行あたりだけど、びっくりするほど低クオリティでイライラしてきた。おそらく、中盤はファンガス監修の手が回っていないんだろうな、と思った。後半の巻き返しに期待します。

 FGO第2部の最重要イベントであるドクターとの再会と、あれだけ強キャラを強調してきたカイニスの消滅を、こんな低クオリティで済ませてしまっていいの? 章の冒頭でブリテンの空想樹が伐採済みだったり、ファンガスに健康面で重大な問題が生じたか、生存を疑わせるレベルで深刻に心配なんですけど!

 FGO第2部第5章、いまのところ全体的にすごいどうでもいい。でも、これまでにすごい課金してるから、しかたなく読まされてる感じ。望月千代女も、別人レベルでキャラがちがってて、見ていられない。月商・百億円でこのていたらく、ひどい。

 え、ギリシャの神々が機械って、そんな設定どこに書いてあったの? 唐突すぎて絶句する。もうさっさと終わらせたいのに、言葉が汚い上に話がチンタラしてて、続けて読む気になれない。このマンぐり返しみたいなキャラ推しも、いい加減うざい。

 ふつう、あれだけハードル上げた最強万能キャラの章なんだから、ファンガスが書くだろうと思うじゃないですか、ふつう。第5章、これまでのところ、課金する気が1ミリも起こらないことだけが唯一の美点。何年でも待つので、ぜんぶファンガスのライティングでお願いします。

 そっかー、ナノマシンかー、さくげきじょうのもうてんだったなー。ナノマシンなら、おちんちんだけじゃなくって、せんすいかんもおっきくなっちゃうのは、なっとくだよなー。しょうがないよなー、ナノマシンだもんなー。よい大人のnWo 枯痔馬酷男(3)

 FGO第2部第5章、気難しいテキスト目利きの諸君は嫌気がさして、読み進めることをあきらめたのではないかと思うが、クライマックスでまたファンガスの魔力がテキストに戻ってくる。第24節までを全スキップしてもいいから、第25節以降だけは読むといい。第24節まではキャラ全員が同じ自意識と語彙(汚い)レベルで繰り広げるワンピース的な胸やけ感動(仲間、絆、恋、ヤンキーなら泣く)の押し付けに辟易していたが、第25節の後半を境に質が変化した。オリオンの最期に至るくだりは、卑小な日常を越えた人間の高潔さーーそして、愛ーーへの賛歌であり、正しくFGO的なメッセージだった。その監修の確かさに、ファンガスへの信頼を改めて厚くした。彼ならばきっと裏切らないだろうという期待こそが、このゲームを続けるもはや唯一の理由である。この一節への敬意を表するために、いくばくかの課金をしようと思う。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あれ、でもエウロペ? エウロペはどこへ行ったんですかァーーッ! またボクをだましたなッ、ファンガスゥーーッ!

ゲーム「MHWI:ムフェトジーヴァ討伐戦」感想

 カンコレから解放された先の週末は、文芸の不自由な例の狩りゲームのレイドイベントやってた。ファースト・インプレッションは、動けるラオシャンロン。全部位破壊の一巡目討伐を目指さないのであれば、野良で適当にプレイしてもクリアできる程よい難易度ーー仕事帰りの深夜にアルコールを入れながらでも死なないのが「程よい難易度」だーーに社畜の小生も思わずニッコリ。ワールドおよびアイスボーンから導入されたアクションとギミックをフル活用させる攻略法には、「ボクの考えたゲームがいちばん最強なんだッ!」と絶叫する製作者の自負が垣間見えるようで微笑ましい。

 ただ、プレイさせる動機の部分でスマホゲーを想起させる焼き畑農業が始まっているのは気にかかった。つまり、新イベントでしか手に入らぬアイテムが、旧来すべてのそれらをしのぐ性能を持たされているという点である。「なァに、下位から上位、上位からマスターへの移行がすでに、サトウキビ畑にする米軍の火炎放射そのものですよ」と言われれば返す言葉は無い。だが、週末を費やして手に入れたショウグンギザミみたいなダサい(でもとても強い)この大剣が遠くない未来にゴミと化すのを想像すると、費やした時間でできただろう人生のよしなしごとを考えて、昏い気持ちにはなる。また、武器強化アイテムの取得だけでも他のモンスターへ分散することによって、遊び方の多様性を維持するという自明すぎる解決を避けるのは、プレイ人口の分母がそれを許さないほどまで減っているのやもしれず、正に焼き畑農業の指摘を裏打ちする。

 しかしながら、これらの述懐はすべて精神薄弱に起因した繰り言、本イベントの素晴らしさにとって些末事と言える。赤い巨竜とのバトルは、いまは顧みられることのない多くの海外ファンタジー小説たちを読んでいたとき、我が脳内に繰り広げられた妄想と驚くほどに合致している。男一匹が抜き身を引っさげ、スターウォーズ3の「運命の戦い」を想起させる甲高い男声の宗教コーラスが響き渡る中、巨大なレッドドラゴンに挑みかかるーーこれはシンプルに、当世風に言うならば「ぶちアガる」のだ!

 あとねー、フェムト・ジーヴァって名前がいいよねー、「戦いの刹那」って感じで……って、あれ? ムフェト? ムフェトなの? みなさまご高覧あれ……文芸のみならず、固有名詞のセンスにも不自由する始末でございます……!!

ゲーム「艦これ2014夏イベント」感想

 艦これの夏イベントが始まったので、本日の11時02分ちょうどに最初の海域へ艦隊を送り出した。どうやらアニメ化も決まっているようで、きっと今年のコミケトーも一時帰還した英霊たちが目を覆って空を仰ぐような感じになるのだろう。

 個人的なことを言わせてもらえば、今回のイベントに至る運営側のブレないやり方にひどく感心している。史実通りミッドウェーからの沖縄決戦(岡本喜八!)をやってしまえば、太平洋戦争をモチーフにしたこのゲームに残されたテーマは無く、本質的には役割を終えてしまう。周辺の異様な盛り上がりを考えれば、この最大にして最後の海戦を持ってくることは、来年にでも再来年にでも、あと何年かは引き伸ばせたはずなのだ。

 しかしながら、大和をかなり早い段階から登場させたことからもわかるように、このブームがいつか必ず終息していくことを運営側はすでに見越しているように思う。おそらくはその終わりの時点から振り返れば、いちばん熱く盛り上がっていたと思い出されるだろうこの夏に、しかも原爆の投下から終戦へと至る正にこの時期をねらって今回のイベントを合わせてきたことに、私は確かな強い意志を感じるのだ。これまでに幾度か紹介した愛するブラッドベリのフレーズ、「おれたちは滅びていくのかもしれない」が表現する静かな諦観をこの狂騒の盛夏に忘れない姿勢へ、私は最敬礼を送りたい。

 だから、萌えではない方の状況をこそ意識しながら、今回のイベントを楽しみたいと思う。最近では思い出したときに艦隊を遠征に出すくらいしかしていなかったから、きっと高難易度の終盤ステージはクリアできないに違いない。

 でも、それでいいのだ。私たちの祖先も、ついにそれを果たさなかったのだから。終わりの延長線上にある今を、いつか思い出として語る今を、いっしょにじっくりと味わおう。

 そろそろ諸君のプリキアータイムも終わっただろうか。タイフーンに降りこめられたkinky地方在住(用例:His sexual demands are kinky.)の俺様が、ミッドウェーを攻略しながら片手間にダラダラとしゃべろうかと思う。

 チクショウ! 本土が攻められてるってのに、燃料が底をつきはじめた! 大和型の大破すること、まさに豆腐の如し! そのたびに鋼材が四桁単位でフッとんでいく! こいつァ、リアル沖縄決戦の様相を呈してきやがった!

 なに、燃費の悪い大和型をわざわざ使わなくても、金剛型とか長門型を使えばいいじゃないですかだと? バカヤロウ! マリー・アントワネットみたいなこと言ってんじゃねえ! おれァ、大和じゃなきゃダメなんだよ! 大和といっしょに、史実をくつがえすんだよ!

 燃料が、尽きた……!! (男の戰いの抑揚で)

 あと一度撃破すれば、露助ないし毛唐、もしくは紅毛人、あるいは鬼畜米英を本土から永久に追放できるという大詰めで、初めてボスマスからそれた。ちょうど燃料は尽きた。本当に、心の底からブッ殺してやりたい。憎悪でさえ、シミュレーションの対象なのか。

 沖縄決戦の反省会すっぞ、コラァ!

 このキソ野郎が! なんちゃって雷巡め、ちっともカットインしやがらねえ! たまにしたと思ったら、ドヤ顔で雑魚ばっかねらいやがって! アリューシャンの先輩方にヤキ入れてもらいてえのか!

 神妙な顔で聞いてるフリしてんじゃねえぞ、このヤマンバギャルめが! ポンポンポンポン爆竹みてえに大破したかと思や、立ちバックで突っ込まれたみてえな気に障るツラしやがって、ドM野郎め!

 大口あけて笑ってんじゃねえぞ、英検5級のイカサマビッチ帰国子女めが! 砲撃なんざハナから期待しちゃいねえが、オマエが毎回ちゃんと探照灯うってりゃ、とっくにこの戦争終わってんだよ!

 てめえもだよ、役立たずの尻軽空母が! 前から思ってたけど、なんで目の焦点があってねえんだよ、このテカテカトルコ相撲パイオツロンパリ野郎が! どの性癖層に訴求してんのかわかんねえよ!

 目ェ伏せてお通し作ってますみたいな顔してんじゃねえぞ、このドサ回りの演歌歌手めが! 高校生のガキがいそうなツラして、なんで3スロットなんだよ! スロットは秘裂の隠喩じゃねのかよ!

 土下座だ! おまえら全員、大和ねえさんに土下座しろ! 

ゲーム「サイコブレイク」感想

 サイコブレイクのPS4版やってる。ムービーとプレイのシームレスな融合を狙ってるのはわかるんだけど、ラスト・オブ・アスがより高いレベルで達成してしまっているので、つい最近リマスター版をプレイしたばかりの目で見ると、演出的にもモーション的にもグラフィック的にもかなり厳しい。インセプションを彷彿とさせる冒頭の都市崩壊とか、パイを彷彿とさせる白黒の精神病院での演出とか、ストーリーとシステム双方で全体的に既視感が強すぎる。

 いったん悪い印象を抱いてしまうと、映画的演出の一貫だろう画面上下の黒帯とか、主人公の背中を追い続けるカメラとか、ただただ視認性を悪くさせているだけで何の効果にもつながっていないように見えてくる。カメラが背後の位置から動かせないのは足回りの動きが地形の起伏とリンクしてないせいだろうなとか、ワイヤーとかトラバサミのトラップって世界観的にいったいだれが設置してんのとか、下手くそな性的愛撫に抱くような、うまく騙してくれないことへのイライラばかりが募っていく。

 ゴアモードも制作側が望んだ演出意図の再現とかではなく、どうせ強く吸えば気持ちいいんでしょみたいな、場末の娼婦的投げやりさをしか今のところ感じない。

 今後、この感想がくつがえされることを祈りたい。

ゲーム「艦これ2019秋イベント」感想

 艦これのイベントは、仕事にそっくりだ。

 前のイベントのダメージから完全には回復しないまま次のイベントが始まってしまうところなんか、仕事にそっくりだ。

 一隻の大破で連合艦隊を撤退させるとき、チーム力は最も弱い者のレベルになるというマネジメントを思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 敵の旗艦をあと一撃にまで追い詰めながら撃沈を逃したとき、部下のミスで大きな契約を逃したことを思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 イベントの終了時期と残り資源から逆算して難易度を下げるとき、納期と天秤で質へ目をつぶる決裁を思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 イベント海域をクリアしたときの「もうプレイしなくていい」という解放感は、オフィスで迎える納品後の朝の虚脱感を思わせて、仕事にそっくりだ。

 そして毎回、「もう辞めよう、もうこれで終わりにしよう」と思うのに辞められないところなんか、仕事にそっくりだ。

 艦これのイベントは、仕事にそっくりだ。

 (何らかの激情に駆られて握ったこぶしを激しく交互にキーボードへ叩きつけながら)ウオアアアアーーッッ!! 小鳥猊下a.k.a.キーボードクラッシャーであるッ!

 社畜には、イベント開始と同時に攻略へ取りかかることは、ほとんど不可能である。時間も資源も圧倒的に足りず、試行錯誤の余地はあらかじめ奪われている。なので、先行者のクリア編成と装備を丸々コピーすることからイベントが始まる。慢性の鬱病で、音と光がとてもつらい。特にキンキンした若い女性の声が耳にさわる。モニターの明るさをできるだけ低減し、音声設定からBGMとVoiceをあらかじめ殺しておく。SEを切らないのは、戦闘終了とギミック解除の音を聞き逃さないためだ。なぜなら量子力学の観測問題ーー注視しながらプレイすると必ず道中大破し、ボスにはカットインせず撃破を逃す現象ーーを回避するため、攻略中は画面を他のウィンドウで覆って見えないようにするからだ。つまり私にとって、クリアまでの行程はセガサターンのリアルサウンドとほとんど変わらないのである。リアルイベントにもいっさい興味はないし、なぜプレイを続けているのか自分でもわからない。たぶん、アルコールと同じ類の耽溺なのではないかと思う。

 たったいま、甲甲乙乙乙乙でクリアしたお……もう年内はプレイしなくてすむお……ほんとうに、ほんとうにうれしいお……不幸のない状態を幸福と呼ぶんだお……(バスタオルに顔を埋める)

ゲーム「グリムドーン&FGOクエスト」感想

 令呪(れいわ)! 小鳥猊下であるッ!

 最近ではもっぱら、グリムドーンをプレイしている。ディアブロ2の良い部分をディアブロ3のシステムで再構築した感じで、プレイフィールがたいへんによろしい。正直なところ、ラダーとかシーズンとか、充分なプレイ時間が確保できない社畜にとって、先頭集団に追いつかねばと気ばかり急かされる辛い要素でしかない。それがないだけで、たいへんに心やすまる。世間的には周回遅れであろうと、自分のペースでポツポツ進めることができるのは、ありがたい。

 「気ばかり急かされる」つながりで言及しておくと、今回のエフジーオーのイベントと恒例のエイプリルフール限定アプリを順に体験し、私はなんともそら恐ろしい気分にさせられた。プログラマの技術力よりファンガスの思い描く設計が優越する暗転まみれの大奥に、数ヶ月にわたる制作の労を24時間でご破算にするFGOクエスト。そもそもエフジーオーにもっともカネを落とす年齢層が、年度初めの平日にドラクエ1と同規模のゲームをコンプリートできるはずがない。ファンガスはそれをわかっている。わかっていて、かくあるべしという己の想いを優先しているのだ。クリエイターとしてのこの傲慢さは例えるなら、庵野秀明が描いた緻密な軍艦の絵を、夜間だからの理由ですべて黒塗りに演出した高畑勲の領域にさえ到達している。

 予言しよう。現在進行中の第2部が終われば、どれほどの収益があろうとも、どれほど皆が哀願しようとも、エフジーオーが二度と起動できなくなる未来を。そう、まさにエイプリルフール限定のアプリのように。

 私は、ファンガスのそんな傲慢さを愛する。逆にそうならなければ、彼を軽蔑するだろう。だからこそ、いずれは無に帰すこの沼へ、カネを注ぎ続けるのである。

 え、今回はどのくらい注いだんですか、だって? 一千万プレイヤーかつクリスチャンの俺様にとっては、十分の一税にも満たぬビー・ケー・シーに過ぎぬわ!

ゲーム「艦これ2019夏イベント」感想

 うん、カンコレ? ……3海域だけだし、久しぶりに甲勲章ねらえるかもなどと考え、じっさい友軍が来るまえにイー・ツーをすんなりと抜けてしまったのがマズかった。イー・スリーも最終段階にさしかかり、ボスの装甲破壊ギミックに着手するも、なぜか基地防衛の航空優勢がなかなかとれない。調べてみると甲は乙の倍ほど制空値が必要なのだという。なけなしの装備をかき集めてみると、イー・ツーでもらったばかりの局戦の熟練度を最大まで上げれば、ギリギリ航空優勢の制空値に届きそうな感じである。そこで、イー・ワンに戻っての熟練度上げを始めた。

 幾度も出撃・撤退を繰り返すが、熟練度は遅々として上がらない。ちょうど二十回目の出撃後ぐらいだろうか、私の脳髄にトカトントンが響き始めた。人生の貴重な時間を、こんな無駄な作業に費やしていていいのか。何か大病をして、人生の残り時間が決まった場合、まっさきに後悔するのは正にこの時間なのではないかーーそう考えると、手が止まった。

 それ以来、一週間ほど遠征による資源回復も行わず、放置したままである。もしかすると、本当に引退かもしれない。

 カンコレのイベントどうなりましたか、だって? ハハハ、君はこんなバスエ・サイト・マネジャーの昏い趣味にまで気をかけてくれるいいヤツだなあ! あるいは、クリア済みの甲提督が優越感でなぐりに来ているのか、んん? まあ、その気分はわかる。イー・ツー・甲をクリアできないグズどもを見るのは、本当に胸のすく感じだったからな!

 あれから、トカトントンが響いていない瞬間は私の人生には無かったことに気づき、なんとか航空優勢のギミック解除にまではこぎつけた。しかし、それがワナだった。すなわち、ビッグ・スワンプの始まりである。大破、撤退、大破、撤退。ボス旗艦を中大破に追い込んでからの夜戦敗退は数知れず。繰り返される虚無と空費は、瞬発的な怒りとは異なった、日常生活では意識することのない、根源的で巨大な感情の存在を顕現させる。表面はしんと静まり返っていて、煮え立ちもしない。

 しかしこれこそが、他者の肉に刃物を通し、幻想の肉を火刑にし、肉親の骨を鈍器で砕き、偽りの肉を電気コードで締め上げるときの感情なのだ。私たちの世代が本質的に呪われていることの証左である。受験、就職、結婚、出産、育児、マイカー、マイホーム、昭和の追憶を表面だけトレースしても、決して満たされることはない。こんな玄妙極まる激情を惹起するゲームは、他にないだろう。

 そして、ほとんど誤差にしか見えない微細な数値を膨大な時間を費やして積み重ねた先に、かろうじて届く領域がある。これは最高のギャンブルと同じで、技術を突き詰めた究極の先には、純粋に運だけが残る。その場所では、自分は勝てないことを改めて思い知らされた。人生についての苦い学びがあるのは、良いゲームの証拠だ(そういえば、エフエフ・イレブンもそんなゲームだった)。やがてバケツが尽き、アルミが尽き、燃料が尽きた。イベントの終了期限から判断して、難易度を乙に落とす。すると、エス勝利が2回続いて嘘のようにスッとクリアできた。

 至高のステージでは敗者にしかなれず、一流にはわずか届かない技術で二流を相手に糊口をしのぐ。つまらない勝ち、達成感のない勝ち、無意味な勝ちだけが積み重なる日々。本イベントは、己の人生をふりかえって自嘲するが如き顛末に終わった。カンコレ、罪なゲームである。

ゲーム「FGOセイバーウォーズ2」感想

 ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で右から左へなぎ倒しながら)! 小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの新イベント、エス・ダブユー・ツー、たいへんに面白うございます。常ならば時限式にしそうなところがそうなっていないのも、たいへんによろしゅうございます。さすがマッシュ(SW2準拠の呼び名)、感性の合うファンの声にはキチンと耳を傾けてくれる……(マーク・チャップマンのまなざしで虚空を見つめながら)。

 メリハリのある展開に、キチッとした文章でクスッと笑わせてくれる、正しいギャグ時空。実のところ、シリアスは少し文章が甘くてもそれなりに読めてしまう。だが、ギャグはそうはいかない。おふさげにこそ、確かな文章力が必要なのです。

 ただ、キャットが私にはそろそろ辛くなってきた。黒タイツの例の芸人、ホニャララ・テン・トゥー・スリーみたいに、行動の読めないキチガイ芸で売ってきたのが、登場を繰り返すうち、次に何をするのかわかってしまうのに似ている。嫌いじゃないけど痛々しくて、チャンネルを変えてしまう感じ。

 だが、これは批判ではなく個人のつまらぬ感想であり、エス・ダブユー・ツー、本編をのぞいてはひさしぶりの、エフ・ジー・オーの名に恥じぬハイ・クオリティ・イベントであることを俺様が保証しよう! 惜しむらくは、「よーし、今回はパパ、大目に課金しちゃうぞー」などとマン札のビラビラ、いや、マン札をビラビラさせていたところ、溜まっていた呼符と無償石で新キャラを2体とも引けてしまったことだ。

 マッシュ、すまぬ、すまぬ……ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で左から右へなぎ倒しながら)!

 ちゅーる(スベッたギャグが場を冷やし熱力学的死を迎えたことを表現する擬音)! 小鳥猊下であるッ!

 エス・ダブユー・ツー、ストーリー部分クリア。時限式への批判に対して、大量のアホ毛と賞金首を進行遅延として用意してきたのは、ゲーム的回答でとても良いと思いました。ラストでまた、いつものとんち合戦が始まるんだけど、女神の善悪に関するくだりは年を取ったせいか、上質な語り口もあいまって、ひどく心を動かされた。「人よんで」の傍点も、すごくいい。

 ただ、最後の最後、同格であるはずの存在同士に優劣が生じるくだりで、いつものファンガスなら「五十億と十四年、神ではなく人として育てられたわずかな年月がアナタと私を分けた」みたいな内容で、人間賛歌を絡めたネッチリとしたアロガント・ゴッド・ディスをおッぱじめたはずである。ワクワクしながら、普段は強固に締め上げている涙腺を緩めて待ち構えていたところ、しかしその期待は完全に肩すかしをくらい、至極あっさり風味で話を切り上げられてしまった。この部分だけは、濃厚豚骨ラーメンを期待して店に入ったら、戦時中のすいとんが出てきたみたいなガッカリだった。常のファンガスなら、間違いなく書いたはずの展開であり、日常生活ではありえない貴重な情動失禁のチャンスを逃し、寸止めにされた射精のような悶々とした不満をつのらせている次第である。エピローグのテキストなし紙芝居から推測するに、締め切りありきでライティングを追い立てられたに違いない。

 あのね、エフ・ジー・オーの最大の価値はファンガスの最新テキストーーつまり、リアルタイムの彼の思想ーーが定期的に読めることで、その他はいわばビッグワンガムの菓子部分みたいなもんでしょ! 周囲の悪い大人たちは目を覚ましてもう一度その原点に立ち帰って、すべての作業工程にファンガスのテキスト・クオリティを優先させなさい。猊下との約束だぞ!

 あと最近、電子書籍で「もっこり半兵衛」を読んでるんだけど、目を覆うような下ネタから、人間の本質へ鋭角に切り込む落差に、年とったせいもあると思うんだけど、ひどく涙腺を刺激されるんだよね。たぶんnWoと同じく含羞が理由の、「ターちゃん」「狂四郎」の昔から変わらない手法で、そのエログロさ加減からNHKの時代劇で原作に取り上げられるようなことは決してないにせよ、狭いがゆえに逆説的に、ある感性を持った人々にとってはより深い普遍へと通じていくように思う。今回のイベントを通じて、ファンガスの手法にも同じ側面があると感じたことを最後に付け加えておきたい。

ゲーム「FGOダ・ヴィンチちゃん礼賛」、あるいはガチャと運の管理について

 人生は、とても楽しい(バスタオルで両目を押さえてワッと泣き出す)! 小鳥猊下であるッ!

 昔からそうだが、長く苦しみを味わってきたはずの人物が最後の最後で伝える、生きることを肯定する言葉に本当に弱い。古典でいうならファウストの「時よ止まれ、おまえはいかにも美しい」がそれだし、グイン・サーガでいうならサウル老帝が「わしはいつも、生きているのがとても好きであったよ」ともらす場面なんか、読むたびに泣ける。

 「人生は、とても楽しい」ーーここまでの伏線を考えれば、ほとんど遺言のようにさえ響く。種火周回もこの台詞を聞きたいがために、わざわざシステムとやらを組んで彼女の宝具を連発しては、そのつど涙ぐむ日々である。

 キミ、FGOを愛しながら、このキャラがいないカルデアでアプリの終焉を迎えるつもりなの? ほんと、嫁を質に入れてでも引いておきなさいよ。 彼女が永久に失われる前の、最後の夏の強い輝きを、ともに喜ぼうじゃないの。そう、私たちの人生は、ビューティフル・ジャーニーなのだから!

 質問:小鳥猊下…ダ・ヴィンチちゃんマジで出ねぇっすけど…

 回答:「出る」のではない、意志をもって「引く」のだ。今回のような大きな機会をピンポイントでモノにできるかどうかは、貴君が常日頃から己の運をいかに管理しているかによるだろう。もしそれを行ってこなかったのならば、色川武大の「うらおもて人生録」を購入し、二度、三度と熟読せよ。人生における勝ち負け、そして運のなんたるかを理解すれば、次のピックアップでは必ず引けるにちがいない。とはいえ、貴君がツッタイーに貼り付けた、あまりにも漫然とした「爆死」画像群を見るにつけ、もう少し技術的なアドバイスが必要だと感じたので、そうする。『(巨デブが声音を作って)ーー五十連分の聖晶石があれば、ピックアップの星5は9割以上の確率で引いてみせる』。ありがたく拝聴したまえ。

 FGOのガチャは、ファンガスの素晴らしい文章を勘案してさえ、企業の強欲なる収奪を目的とした許しがたい倫理欠如(人類悪)である。実際、サービス開始からプレイしている古参にとっては、ピックアップ・サーヴァント以外のカードはもはや全く必要のない、文字通りのデータ・クラップと化している。いまや日本銀行券を直接シュレッダーに投入するが如きマシンと化したこのガチャに対して、貴君のように徒手空拳で当たるのは、ブルーカラー的労働(ドカチン)を資本家に搾取させることと同義だ。

 例えば一般に、ポーカーや麻雀は運の要素が大きすぎる遊戯と思われている。しかしそれらにも、最善の結果をたぐりよせる技術やセオリーが確かに存在するのだ。FGOのガチャはおそろしく勝率のしぼられたギャンブル沼だが、ポーカーや麻雀のような遊戯としてとらえなおせば、勝ち筋が見えてくる。「十連の内容(星4以上の出現数および礼装とサーヴァントの比率)をエクセルに記録し観察する」「フレポの星3サーヴァントおよび星5種火の排出頻度を記録し観察する」「強化時の大成功、極大成功の出現頻度を記録し観察する」、これくらいはやって当たり前である。もしひとつもやっていないとすれば、それは腹をすかせた猛獣の群れの中を全裸で歩くようなものだ。そして、「星4が礼装一枚の場合は連続では引かず、時間帯を変える。どうしても欲求を抑えられないなら、少なくともアプリを再起動する」ことも忘れてはいけない。

 さらに付け加えれば、貴君がクレジットカードの審査にパスできるほどの社会的な強者ならば、「課金をコンビニ等で購入するプリペイドカードに限る」ことも重要だ。繰り返すが、FGOのガチャはイカサマの横行する場末の賭場である。手放す日本銀行券の額面と生活とをリンクさせて失うものへの実感を持つと同時に、賭場を出るまではそれが紙切れと等価である状態を維持するためには、カード決済は後者に寄りすぎる。体感に満たない気配を細く細く積み重ねていけば、どのタイミングでガチャを回すべきかが見えてくるはずだ。ガチャを引く際の、自分のフォームを作ることが肝要なのである。どこで引けば星5ピックアップを引く可能性を最大化できるかのルールを決め、それに己を殉じさせる覚悟が、胴元の圧倒的に有利なーー運営(ビースト)の、十一連開始みたいな目くらましに騙されてはならぬーー賭場で胴元を出し抜くには不可欠である。

 最後に、「うらおもて人生録」から少し引用しておこう。『フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。(略)ことわっとくが、フォームに既製品はない。自分で手縫いで作るんだよ』

 とりあえず、貴君の長年の忠誠に応えて、入り口部分だけは伝えた。これ以上を知りたければ、指定の口座に現金を振り込むか、棚ざらしとなっている萌え画像を寄贈するとよかろう。「描くと出る」らしいよ?

 質問:小鳥猊下が突如ガチャ必勝法めいたツイートをおっぱじめたが、まだまだ精度の低い初歩的な内容であるが、それでもそこに羅針盤を求めてのことだと思う。「ガチャ必勝法などと言う世迷いごとを言う暇があれば毎日ログインしろ!ログイン1日以上はリムーブ対象だ」と言われたことを思い出していた

 回答:喝ッ! 「必勝法」などという万人が利用可能なティップスぐらいに、色川御大の金言を矮小化するでないわ! 運を人為的に操作するのではなく、運を感得し管理することこそが重要なのだ! 貴様に足りないのは、「いかに負けるべきときに負けるか」の視点である。「必勝法」とやらで浮いた端金で御大の著作を百冊ほど購入し、致命傷を負う前に負け方を学ぶがよい。あとログイン間隔が一日を超えると、どんなカネのかかったアカウントだろうと即座にリムーブするのが、俺様のフォームである。このブラック労働に耐える自信があり、なおかつ俺様とエフ・ジー・オー・フレドンになりたいのならば、ディー・エムせよ!

 レベル100にした女史とする種火周回を通じて、例の台詞に心が動かされるのは、絶妙なラインを踏まえた演技(ファンガスの監修に違いない)もまた、素晴らしいからだと気づいた。ぬけるような青空の下、生命の絶頂がかすかに死の陰を帯びるーーすなわち、本邦に生きる者たちの心性に深く刷り込まれた「盛夏の滅び」への共鳴を惹起するには、あれ以上はしゃいでも、あれ以上おとなしくても、ダメだ。

 この意味で、スキルをまくときの「とても楽しかったさ」は少しマイナス方向へ逸脱していると感じました。