猫を起こさないように
エベレスト
エベレスト

アニメ「神々の山嶺」感想

 神々の山嶺、アニメ版を見る。漫画版ーー小説は未読ーーは「山男の生き様」「魅力的な絵柄」、そして「山における食事」の3要素が渾然一体となった奇跡の名作なわけですが、このフランス映画は最初の1要素しか満たしていません。演出も含めて充分にいい作品だとは感じながら、残りの2要素に重きを置いている方には、大いに不満を残すだろうとも思います。じつは、「運命を分けたザイル」とか「エベレスト(エヴェレストじゃない方)」とか、山を題材にした映画がけっこう好きでして、冬場に暖房をきかせたシアタールームでぬくぬくとアルコールを入れながら見る極地での苦闘は、鉄骨渡りの馬主にも似た生の愉悦を最高度に味あわせてくれるからです。

 しかしながら、こういったドキュメンタリー調で極限を描く作品への没入を邪魔するのは、「はたして、このカメラはだれが回しているんだろう?」という疑問です。なんぴとをも寄せつけない過酷な環境にひとり挑む男の周囲に、カメラクルーたちが取り巻いているのを俯瞰で想像するとき、他の題材には抱かない「強いフィクション感」を覚えてしまうのです。神々の山嶺、漫画版にはない映画版の弱点を挙げるとすれば、まさにこの感覚ですかね。「オイオイ、雪の中に突っ伏して死にゆく主人公を、キメキメの画角で撮影する余裕のあるオマエが助けてやれよ!」とか脳内の関西人がどうしてもツッコんじゃう。

 あと、本作の大オチである「マロリーのフィルム現像結果」を曖昧にして終わらせたのは、ストーリーの背骨でもある登山界最大のミステリーについて解決篇をスッとばしたようなもので、漫画版からは爽快感を大幅に減じています。それもこれも、了見の狭いカエル喰い(仏)が意地の悪いウスターソース野郎(英)のエベレスト初登頂を認めるような絵を、死んでも描きたくなかったゆえじゃないかと邪推しちゃうなー。まあ、私に言わせれば登山家なんてのは、国籍に関わらず「俺たちゃ町には住めないからに」という選民思想の持ち主であり、彼らの驕りに対しては「じゃあ、もう二度と山から下りてくんなよ!」という陰キャ的な反発をしか感じません(栗本薫からの悪い影響)。