猫を起こさないように
アイドルマスターシンデレラガールズ
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アニメ「アイドルマスター・シンデレラガールズ第23話」感想

 年を取ると感受性が摩耗するのか、新たな経験が肥大化し続ける過去の体験群から参照できてしまうからか、ずっと軽度の鬱状態にいるせいか、おそらくいずれもが理由に一定の割合を占めているのだろうが、大きく感情が動く瞬間が少なくなっていく。なので、ときどき訪れるそういった瞬間を書きとどめておくことは、インターネットを日記帳とするテキストサイト管理者にとって、まったく意味のないことでもないと思われるのである(あるのかないのかどっちなんだ、はっきりしろ)。

 数年前のある晩、いつものようにアルコホリック・ドリンクーーそういえば、過去に一度アルコール飲料の意味で使って、フライト・アテンダントに失笑されたことを思い出したーーを入れながらテレビに流れているアニメをぼんやりと眺めていた。ツッタイーでエシ(壊死?)の方々が大衆の関心を得るために頻繁に原典の模写を公開するところの、「偶像主人・シンデレラ少女」みたいな名前のアニメだった。

 主人公はアイドルというには若干トウのたった少女で、周囲のより若い才能たちの活躍に自信を失って「大丈夫?」と声をかけられると「大丈夫です」と応答する例の状態に陥っていく。アルコホリックの底つきーーなるほど! だからあのフライト・アテンダントは笑ったのかーーみたいな位置でその話は終わった。酩酊した頭には、「かわいそうだな」ぐらいの感想しかなかったのだが、予告で次回タイトルとして提示された”Barefoot girl.”の文字列を見た瞬間、眼球から潮吹きのように涙があふれた。

 たぶん、「シンデレラ」「ガラスの靴」「王子様」「裸足の少女」の連想から、アイドルとして消費される少女ーーつまりそれは、己の価値をすべて、男性側の審判に委ねることに他ならないーーが、王子様の求婚を拒絶し、ガラスの靴を捨て、はじめて自分の意志で人生と相対することを決める、みたいな物語を一瞬で想像したからだろう。決意に満ちた強いまなざしとか、頬に涙の乾いた跡とか、泥に汚れたドレスの裾とか、砂まみれの素足とか、そういったイメージが次々と湧き上がって、自分でも驚くぐらいに感情が動いたことを思い出す。

 家人がやってくる気配にあわてて涙をぬぐい、テレビを消したが、私の目はどうやら真っ赤になっていたらしく、「飲みすぎじゃない?」と言われ、大の大人にあるまじき情動失禁へ気づかれなかったことにホッとしたのを覚えている。

 さて、”Barefoot girl.”と題された続きの話は今日にいたるまで見ていない。たぶん、己を見失ったあの少女が、アイドルとしての自信を取り戻す様子について、コンサートを通じて描かれるのだろう。至極まっとうなその筋立てに文句をつけるところではないが、私が幻視した鮮やかなビジョン、私が味わった大きな情動へ勝ることは決してできないと思っている。

 このダラダラとした犬のような文章を通じて、何が伝えたかったかと言えば、諸君の偶像主人に対する愛や思い入れを否定することではない。結局、テキストサイト村の人間は、長年にわたるテキスト記述を通じて、文字でしか感動できないという奇矯な性癖を身に着けてしまっているということだ。もちろん、”Barefoot girl.”なる文字列から得た私のビジョンや感動を萌え画像化してくれる君の好意については、最大限の敬意と感謝をもって迎え入れられることだろう。

 ほら、おだいはしめしたんだからスケブ(助平?)でコミッション(コミュ障?)をもとめるエシ(壊死?)のみなさんははやくしてやくめでしょ!