猫を起こさないように
雑文「J. METATRON and D. SHINKANSEN(近況報告2025.5.8)
雑文「J. METATRON and D. SHINKANSEN(近況報告2025.5.8)

雑文「J. METATRON and D. SHINKANSEN(近況報告2025.5.8)

 FGO奏章IV、喜怒哀楽のいっさいが脳裏に浮上しないよう、心を無にして流し読みする。細かい批判はトラオムのときにさんざん述べましたので、まずは大枠からひどいことを言います。FGOが「他の課金ゲームに比べて、テキストがすばらしい」ともてはやされていたのは、もはや数年以上も前のこと、いまや半島や大陸のライターたちがおのれの置かれた政治状況から、当局の検閲による逮捕や投獄ギリギリのラインを攻めた「決死の文学」を試みているのに対して、かつてエロゲーや”軽い文芸”に従事しながら、一線級には届かず他分野への転身もできず、ほそぼそと業界の落ち穂ひろいをしている中高年ライターたちへの、老人ホーム的な社会福祉の場と化しています。すなわち、FGOという一大テキスト集金装置からブ厚く切り分けた肉を、大学のサークル棟の一室で仲間に分配しているようなもので、ときどき顔をのぞかせる一線級の書き手たちも、不健全な状況へ早々に見切りをつけて離れていっているのでしょう。それも当然のこと、この同人サークルではなにを書いても主催者であるファンガスのテキストと比較され、彼/彼女の筆が圧倒的でただ互することさえ困難であるという純然たる事実にくわえて、古くからの信奉者である取り巻き連からの激しい批判にさらされる、自分のウデだけで食えている人間にとって、まったく割にあわない仕事なのですから! 結果として、サークル棟の一室にずっとたむろしているのは、業界でひとりだちできない、食いつめた二線級のライターばかりになるというわけです。

 なぜアガルタのクソ女が、物語のプロット的にとても重要な部分ばかりをまかされるーーそして毎回、FGOの屋台骨を傾かせるレベルでぜんぶ台無しにするーーのかは、この「同人サークル理論」で簡単に説明がつきます。室内には、黒ぶち眼鏡でチェックのシャツを着た前歯が長めの男子数名と、フリル多めなピンクのワンピースをふっくらした体型にまとわせた女子1名がいると想像してください。次回の同人誌を作成するため、サークルの部長が各章に登場する人物とおおまかなプロットをまとめたカードをテーブルの上にならべてゆき、どれが書きたいかをメンバーたちへ問いかけます。「ハイハーイ、アテシ、これ書きたーい!」とまっさきに手を挙げたアニメ声のピンクフリルが、”オイシイ”場面をすべてかっさらったあげく、「ダメ? アテシ、欲ばりかな?」と得意のウワメヅカイで哀願します。その様子を見つめて微笑する男子たちに、元より否やはありません。なぜって、その部屋にいる全員が、ピンクフリルと寝ているのですから! そして、いいですか、この舞台裏はアラフィフからアラカンの登場人物によって演じられていると想像してみてください! おのれの力量に自負のある一線級の書き手や、現世のカネを前にして少しの理性と品性を失わなかった者たちが、このサークル棟の一室には、けっして近づかない理由をおわかりいただけたことでしょう。閨(ねや)で男子の胸に指で”の”の字を書きながら、「アテシ、アンタがファーストマスターだからぁ、ほんとよぉ?」と甘い声をだすふっくら女子が目に浮かぶようです(幻覚です)。

 今回のストーリーについては、細かいところを指摘しだすと数万字の呪詛になりそうなので、ざっくりと例え話でお伝えします。ふつうの書き手なら、「読み手の肩ごし」ぐらいの少し俯瞰した位置から、読者の予測を先まわりしながら、物語のつむぎ方をコントロールして、驚きを演出していくものです。これに対してアガルタのクソ女は、「読者の目の前で地面に這いつくばって、棟方志功ばりの近視眼で原稿用紙のマスを埋めていっている」と表現できるでしょう(ちなみに、平井大橋の特異性は、衛星軌道上から人工衛星の目で、物語と読者の双方を視界におさめているところです)。アタマが悪いとまでは申しませんが、不必要に冗長な描写をするくせに必要な説明や情報はつねに欠落し、ほんの短いテキスト射程距離のあいだでも論理と情緒が矛盾か破綻をしていて、登場人物たちの会話は成立する以前に崩壊しており、スキマだらけの行間をネットスラングに強く依存したーーたのむから、マトモな紙の本を読んでくださいーー品性の下劣な、「言っている本人だけが爆笑している」サムい水増しギャグで埋めていくのです。「いまながめているテキストは、本当にあの、天下のFGOなのか?」という疑問がずっとつきまとい続けるような始末で、たいへんによろしくない言い様ながら、「昭和時代の小規模な女性向け同人サークルによる、ハイテンションでやおい成分の多めな二次創作(手刷りホチキス)」を、ノンケ男性が強要されるのにも似た苦行でした。三国鼎立とライヘンバッハ、ダンテの神曲とメタトロン、多く人々が共有する既存の枠組みで物語のビルドアップをスッとばせるのはFGOの発明ですが、アガルタのクソ女は最高級の食材をあたえられながら、調理の結果は大量の塩と油で素材の良さをすべて殺した、印象派の絵画を原色ペンキで修復するがごとき、栗本薫のコンビーフ飯なのです(わかりにくい例え)。アテシのオリキャラにプレイヤーの分身たる主人公をベタベタとさわらせ、アテシのオリキャラでコヤンスカヤとホームズを雑に退場させ、アテシのオリキャラがとくだん因縁もないのにヒロイン(笑)へ執拗にウザがらみするーー被愛妄想からのストーカー殺人や通り魔事件の横行する世の中で、こんな気味の悪いサイコパスを、ファンガスの気高いFGOへチンポみたいにブチこめる厚顔無恥とデリカシーの欠如だけは超々一級品で、高畑勲とは真逆の意味で「現実では、ぜったいに遭遇したくない人物」だと吐き捨てておきましょう。

 今回のメインテーマである箱男の対偶a.k.a.盾女の話も、「味のしなくなったガム」を延々としがみながら唾液を嚥下している感じで、「男性作家による、世界の命運を少女に背負わせる話は、平成に置いてくるべきだったよなー」と、内省的な気分にさせられました。あッ、「少女に背負わせる話」で思いだしました! 連休中、ネトフリのオススメへ頻繁にあがってくる新幹線大爆発のリメイクを視聴したのですが、「失敗したシン・ゴジラ」としか形容しようのない作品に仕上がっているのです。車掌役なのにひどく滑舌の悪いクサナギ君と、干された事実への同情が消えるぐらいの大根役者ッぷりである「ouiの反対の意味の二つ名を持つ女優」が織りなす、題材のわりに緊張感に欠けるストーリー展開を、しまりのない撮影と編集でダラダラと垂れ流しにしてゆきます。昔ッから、ヒグチのほうのシンちゃんは、「映画を制作する過程が楽しいなら、出来あがったものは二の次でかまわない」という姿勢を貫いているようで、以前も紹介しましたが、シン・ゴジラ撮影時にQアンノの現場でのふるまいを見て、「本当にすごいし真似できないが、同時にああなったら終わりだなとも思う」と言及していたことは、この推測を裏づけます。底抜けのコミュ力でJR東日本との折衝を嬉々として行い、いち鉄道オタクとしてホンモノの統合指令所での撮影にテンション爆上げになり、ただただ和気あいあいとした現場を維持するため、演技にダメだしをしない一発撮りで役者をヨイショして、一日の終わりには気のおけない昔からの仲間たちと反省会と称した飲み会をもうけ、とにかく文化祭の前日の延長みたいに、クランクアップまでイヤな感情ぬきで楽しく仕事をしたいーーその姿勢が、よくも悪くもフィルムへと熱転写されているように思います。きわめつけは、女子高生が事件の真犯人だった(ハァ?)という話で、ガメラ3から連綿と続く作劇の手クセと言えば手クセなのですが、「男性の視点から見た、ギラギラした性欲を経由するがゆえの、一方通行の神秘性」をただの”未成年の子ども”へと、アラカンになっても付与し続ける態度って、「大の大人として恥ずかしくないのかなー」などと考えてしまう人生の季節をむかえております。

 だいぶにそれた話を奏章IVへともどしますと、ようやくクリプターの最後の生き残りが物語から退場する機会を与えられた直後に、「恥丘白痴化(だっけ?)が解決すれば、2016年に時間が巻きもどって復活する」可能性が提示されたことに、ファンガスの作品を貫くテーマであるところの「網膜を焼く生命の輝きと、二度と取り返せない喪失」をなにもわかっていないと、小鳥猊下はたいそう怒りくるっているだろうと、みなさんはご心配のことかもしれません。じつはねー、それとは真反対の精神状態なんですよねー、どうしよっかなー、これねー、型月本体と関連会社の株価に影響が出るレベルのインサイダーな憶測になるけど、言っちゃおっかなー。ズバリ、今回の唐突な「時間遡行による大団円の明示」が意味するところは、FGOの物語は第2部で終わりをむかえ、同一アプリで主人公を変えた第3部を開始するのではなく、崩壊スターレイルの開発チームとゲームエンジンによる、第1部からの3Dフルリメイクが行われる計画のほのめかしなのです。これはファンガスの負担を減らして、新たなクリエイティブへと向かわせるためのウルトラC(古ッ!)で、すでに存在する膨大な世界設定とキャラクターとストーリーを、世界最高峰の開発力を持った会社にあずけて、初期の拙劣なテキストとワイバーン地獄を修正しつつ、ときおり制作物の監修作業を行えばよいだけになるのですから! 余った時間を月姫やら魔法使いの夜やら、古いファンの期待を尻目に頓挫しているシリーズの続きーー私は読みませんがーーへと着手したり、まったく新しい物語を立ちあげることさえできるでしょう(まあ、執筆への強制力を失ったファンガスが、与えられた余暇をすべてゲームやマンガなどの消費活動に使ってしまう可能性は、きわめて高いと思っていますが……)。

 あと、今回の盾女のセリフに「始まったって、いないのです!」という文法の壊滅した一文ーーもしかして、「始まってすらいない」と言いたい? 日本語ネイティブではないライターなの?ーーがあり、「テキストサイト管理人の文章力を虚仮にしくさって、オォ? 要介護のロートル・ライターにはらうカネがあるんやったら、とっとと校閲部門を立ちあげんかい、ダボが!」と思いました。おわり。