猫を起こさないように
ドラマ「地面師たち」感想
ドラマ「地面師たち」感想

ドラマ「地面師たち」感想

 近しい人にすすめられて、見る気はなかった地面師たちを1話から流しはじめた。エルデンリング2周目のオトモにと考えていたのが、いつしかコントローラーから手は離れて、視線は画面に釘づけとなっていた。クライム・サスペンスとしては、ベター・コール・ソウル級のおもしろさである(言い過ぎ?)。じつは直前に、実写版のゴールデンカムイを流し見していたのだが、両者の違いについて少し考えこんでしまった。以前、事大主義な全共闘の闘士たちが人定作業の甘い映像会社や演劇業界にもぐりこみ、そこでフィクションを通じて継続した「革命」が、本邦のアニメや映画における人物像と演出を、前世代の作法と連絡を断絶した独特の中身へ変質させていったと指摘したことがある。それに加えて、大手芸能事務所がキャスティング・ボードをグリップし、作品内のキャラクターというより、当該人物の作品外におけるイメージ戦略を優先した配役が長年、横行してきたことも原因の一端ではあるだろう。つまり、本邦におけるドラマや映画は商品販売のためのショーケースに過ぎず、本体というよりは冷蔵機能のついたガラス製の棚と同じあつかいを受け続けてきたのである。陳列された新鮮な果物がよく見えて腐りさえしなければ、それで必要十分だったのだろう。ネトフリ資本によって、こういった本邦に固有の二重、三重となった、本来的に物語を物語るのには不要な”枷”がとりのぞかれたことで、作品のクオリティを飛躍的に高めたのは、戦後のエンタメ業界に向けた意図せぬ批評かつ最大級の皮肉と言えるかもしれない。この理屈は、本邦の2次元文化を模した大陸産や半島産のゲームが大躍進している理由にも紐づけられる気はするが、ここではあえてふれないでおく。

 実写版ゴールデンカムイで、劇的な音楽をバックに両のマナコをカッぴらいた「俺は不死身のフジモトだ!」の絶叫を見たあとだからかもしれないが、地面師たちにおける抑制的な演技と主張しすぎない劇伴は、虚構内で誇張されたキャラクターではない、実在の人物による思惑が、だれからの優遇も受けず等価にからみあっていることを、ただ静かに主張している。少し話はそれるが、電気グルーヴのファンたちは、石野卓球が彼の最高のバディのために本作へ楽曲を寄せている事実に、涙したことだろうと思う。だが、かつて深夜ラジオで「魂のルフラン」をボロッカスのクソミソにけなした石野卓球が、まさに魂のルフランそのもののオシャンティなメロディを提供しているのに、舌うちとともに苦虫をかみつぶした表情になったことを、場外の情報として付け加えておく(音楽の良し悪しは不明ながら、春エヴァから夏エヴァにかけて、死ぬほどリピートした曲なので……)。閑話休題。地面師たちのクオリティは、脚本のよく練られたアジアを含む海外ドラマや映画と同じ域に達しており、角界の闇を描いたサンクチュアリに引き続いて、ピエール瀧がイキイキと最悪に反社な演技ーー「もうええですやろ!」ーーをしているのには、「オールド・メディアから干されて、本当によかったな」と心から思えたし、黒人ハーフのオロチさんが最後の最後まで、見ているこっちがイライラする底抜けのバカのままなのは、まさに「ストーリーの都合で変質しない、生育史をさかのぼれる人格」が与えられている証拠で、じつにすばらしい美点である(ピエール瀧に言わせる「ええシャブでも手に入れたんか!」という台詞は、さすがに遊びすぎですが……)。

 まあ、ゴジラ・マイナスワンみたいな映画を見すぎて、虚構接種の体幹がナナメになってしまった身ながら、マトモな脚本で演出と演技指導を正しく行えば、本邦の俳優たちの”格”は何倍にも上がるのだなと、しみじみ感じました。本作のトヨエツなんて、ジャンカルロ・エスポジートに匹敵する風格と存在感ですよ(言い過ぎ?)! 特に最終話におけるGOアヤノとの対決なんて、沢田研二と藤竜也のテレビドラマからウッカリ「やおい文学」を創設してしまった栗本薫が見たら、墓穴からとびだして真夜中の天使クラスのナマモノを一晩で記述するだろうほどの、ヌレヌレとした濡れ場でしたよ! 細かい場面を思いつくまま書きますと、稟議書の捺印にまつわる社内政治には、組織の規模こそまったく異なりますが、メチャクチャ感情移入して胃が痛くなりましたし、その後の大はしゃぎの絶頂から、地獄の底の底までストンと一直線に落ちる感じも身に覚えがあり、なぜかずっと泣きながら見ていました。あと、トヨエツがリリーフランキーを突き落とす場面は、現場で演出担当が「ダイハードになぞらえて、1で押すと思わせて2で押しますから」とリリーフランキーに言いふくめたあと、トヨエツに「3で押してください」と伝えて撮影されたにちがいなく、その驚愕の表情に思わず笑ってしまいました。それと、暴力シーンはどれも目をおおいたくなるほどリアリティのある凄惨さなのに、セックスシーンがすべて着衣なのには、「コンプラを気にする場所がちゃうやんけ! 四十路の尼さんの乳首みせんかい! いや、それより、山本耕史の尻エクボださんかい!」と純粋な義憤にかられました。しかしながら、トランクスの前の穴からTINTINだけ出してバックから挿入する様子を、頭上のフキダシに想像すると、もっともフィジカルでプリミティブでフェティッシュなファックにも思えてきますね(きません)。