休日の朝、アルコールの抜けた状態を選んでティアーズ・オブ・ザ・キングダムを開始する。なんとなれば、ネットが他人の言葉でうめつくされる前に、自分の印象を獲得しておきたかったからである。そして、陽気な西洋人たちからゴキゲンな歓声が流れてくる中で、陰気な東洋人による不機嫌な感想を残しておくことに、あながち意味がないとも思われないのである。シアタールームの擬似4Kプロジェクターでプレイし始めるも、グラフィックがジャギジャギすぎて早々に中断することとなった。それから、4K大画面テレビ、PC用の4Kモニターと試して、最終的にはHD画質の小型モニターでようやく低精細を許容できるレベルに落ち着いた。あらためてオープンワールド(エア?)のゼルダを遊んでみると、原神が真似できたのはルックスのデフォルメ感だけであることがわかった。本質的に、ひとつながりの広大な世界の「物理法則」を楽しむゲームであり、なるほどホヨバが謙遜していたように、この点のフォロワーであるとは言いがたいだろう。
低スペックでグラフィックを高精細にすれば、世界を複数のエリアへと分割するロード時間が生じてしまい、遊びの自由さとトレードオフになることを避けるジャッジは、さすがゲーム制作を熟知したプロの仕事だと感心しないこともない。しかし同時に、ハードの世代交代ごとに抜本的な仕様変更で新たな遊びを提案するクリエイティブの狭間に、仕様を据え置いて性能だけを向上させるグラデーション的なステップを導入してもいいのではないかとも思う(PS5の性能を有したSwitchみたいなものを想定している)。すなわち、本邦のウサギ小屋の四畳半だけでなく、世界の金満家の再生環境にもそろそろ配慮がほしいとの哀願だが、これをしないのは「子どもという属性」に向けたまなざしが、企業理念としていまだに脈うっている証拠でもあるだろう。前社長がスカイウォードソードの開発者インタビューで「ゼルダに5年の開発時間は長すぎる」とやんわり釘をさしていたように、「子ども時代に遭遇するからこそ、強烈な原体験になる」という単純な事実を、少子高齢化時代に住まう多くの大人はどこか忘れているか、その実感を失ってしまっている。
前社長の問いかけは、例えば小5でゼルダに衝撃を受けただれかが、高1になって発売されたその続編をはたして手に取るのかという問いかけだ。両者はもう、まったくの別人なのである(ドラクエ1〜3は、たった3年のスパンで全作がリリースさたことを思い出してほしい)。もちろん、かつてとは比べものにならないほどゲームの規模が拡大していることも事実であろう。しかし、大陸のメーカーは人海戦術ーーしかも、一人ひとりが優秀ーーで制作期間の圧縮を実現しており、「忘却の生き物」である人間を相手にするとき、いかに時間の取り扱いがリソースとして重要かを熟知する姿勢は、近年の本邦に欠けているものである。これは「老人と若者のタイムスケール」の話でもあるのだが、それを語るのは別の機会にゆずろう。
「人生いち少年」とでも表現すべき、生涯にわたって趣味嗜好が変遷しない現代のオタクたちにとっては、「大人の少年が子どもの少年と、30年前にリリースされたゲームの続編を同じ目線で楽しむ」ような状況が当たり前になっている。潔癖な言い方をすれば、これは「大人が子どもの原体験を蹂躙している」とも指摘できるだろう。本来、子どもは子どものためだけに作られたものを与えられるべきなのに、現代においては経済的なマス層にめがけて投げたボールが「将来の顧客」である子どもへは付随的に届けばいいという態度が大手をふってまかり通っており、とても気がかりだ。かつてのニンテンドーは、この「時の移ろいとともに、失われゆく子ども」という属性に関して非常に意識的ーー前社長の発言にもそれは色濃く現れているーーだったと思うし、「子どもに向けて作られているのに、大人も楽しむことができる」という作り方は、最近でこそだいぶ薄れてきたものの、初代スーパーマリオ以来ずっと同社の圧倒的な美点であり続けている。
だいぶそれた話をそろそろティアキンへ戻すと、ニンテンドーにしてはチュートリアルが不親切だなとか、最初の空島からして動線不在で難易度が高すぎるなとか、反射神経への依存度が強い戦闘システムはやっぱり嫌いだなとか、ブツクサ言いながら8時間ブッ通しでプレイして、気がつけば風の神殿まで来ていました。この過程において、重篤な高所恐怖症である自分が、前作で高所からのパラセールをかなりの苦手としていたことも思い出しました(原神にそれを感じたことはないので、画質の問題なのかもしれません)。世界最少のアナグラムであるリト(トリ)村を抜け、ヘブラ山の遺跡を上へ上へと進みながら、気づけば手にはじっとりと汗がにじみ、股間のブレワイとティアキンーーそれが言いたいだけちゃうんかい!ーーは恐怖に縮みあがっていました。ほうほうの体で目的地へたどり着いたと思ったら、ボス戦で詰まってしまい、とりあえずハートとスタミナを増やそうと各地のホコラめぐりを行っていると、なんだかロケーションの多くに既視感がある。
気になって調べてみたら、これ、前作マップのリユースーー解説:「使い回し」「中古」を避けるための小賢しいパラフレーズ。用例:「彼女はリユース女性です。」ーーじゃないですか! 前社長なら「ゼルダを使い回しで6年は長すぎます」と苦言を呈しているところですよ! つまり本作は、「裏ゼルダ」とか「スーパーマリオブラザーズ2」とか「ムジュラの仮面」に相当する作品だったわけで、そらアンタ、チュートリアル不在の高難度になるわけやわ! ともあれ、これで心置きなく本作をブレワイごとタイムカプセルに入れて、十数年後の自分へ送ることができます(表ゼルダをクリアしていないのに裏ゼルダへ挑戦する本末転倒を、ディスクシステム世代の方々にはよくご理解いただけることと思います)。その頃にはきっと、8Kや16Kの解像度にアップチューンされたリメイク版が発売されており、本シリーズへ向けた唯一の不満点も解消されていることでしょう。ティアキン、私は2合目くらいで引き返すこととなりましたが、みなさんは引き続き良い旅を!