猫を起こさないように
小鳥猊下蹴球のようす
小鳥猊下蹴球のようす

小鳥猊下蹴球のようす

 アフロ・ヘアーの男が猛然とピッチをかけあがる。両目の下には陽光の反射をふせぐためか、黒い塗料が塗られている。アフロ、華麗なドリブルで浅黒い肌の選手を二人抜き去り、パスを出す。
 ピッチの反対側、アニメプリントのTシャツを着た巨漢がフーフーとカンにさわる呼吸音を漏らしながら走りこむ。腹部にある脂肪の盛り上がりの裏側から、豚足をかろうじて飛来するボールの落下地点へ差し入れ、ワン・ツー・リターンを完成させる。直後、盛大にスッ転ぶアニメプリント。
 ふらふらとゴール前に高くあがったボールはそのままラインを割るかと思われたが、アフロ、身長の三倍ほどの高さを跳躍するスローモーションの背面宙返りでコマ送りのボールを逆さ蹴りにする。インパクトの瞬間の静止画からカメラはボールを回りこむように追い、ゴール隅に吸い込まれるのを映す。ネットに包まれてなおしばらく回転を続けた後、ピッチへ落ちたボールからは摩擦熱による煙が上がっている。
 呼吸をひとつにしたスタジアムの観客が、いっせいに息を吸い込む瞬間の静寂と、それに続く爆発するような歓声。
「ゴォール! 小鳥猊下Vゴォォーール!」
 絶叫するアナウンサー。
 自陣で膝の関節を従来とは反対の方向に曲げたまま倒れているイガグリ頭の青年が、両腕で上体を起こして、
「へへッ! やっぱりアイツは別格だ……必ず決めてくれると思ってたぜ!」
 イガグリ頭、うッとうめくと再びピッチに身を横たえる。
 地面をこぶしで打ってくやしがる浅黒い肌のゴールキーパー。
「ありえないッ……ヤツの萌えは不自由じゃなかったのか! まさか、まさかこんな土壇場で合わせてくるなんて……おたくたちの趣味嗜好に……ッ!」
 ユニフォームを脱ぎ、ピッチの中央でもみくちゃにされるアフロの男を見ながら、監督風のアジア人が背広姿で腕組みをしている。その目に光る涙。「滝沢健二は思い出していた」の一節で始まるモノローグが流れはじめたところで、アフロ、アフロのカツラをむしりとる。まとわりつく選手を振り払い大声で、
「おい、もうやめだ。おまえら全員帰れ」
 スタッフらしき一人が拡声器で、
「どうも今日はおつかれさまでしたー。バイト代と交通費は後日ご指定の口座に振り込ませていただきますんでー。気をつけておかえりくださいー」
 オー、という低い落胆の声がピッチと観客席を満たすが、元・アフロの男があぐらをかいて座り込み、考えを変えないようなのを見ると、三々五々、帰りはじめる。
 誰もいなくなったスタジアムの中央に、ぽつんと残される男。スタッフらしき一人が全員が帰った旨を伝えるのに、振り返りもせず片手で追い払うしぐさをする。
 やがて夜のとばりが降り、誰もいないスタジアムに照明が点る。男の影があらゆる方向へ放射状にのびる。
「もう、金にならない大がかりはやめだ。どいつもこいつも、なんでアンケートに答えようとしないんだ……なんで……」
 男、両手に顔をうずめる。人気のないスタジアムには、男へ手を差しのべる者は誰もいない。上空を渡る風の音が、与えられた唯一のいらえであった。
「辛いんだよ……『集まった親族一同に取り囲まれ年かさの孫のすすり泣きと年若い曾孫のあどけない質問とが交錯する厳粛な空気の中もはや虫の息で起き上がるはずのない祖父が突然ハネ起き下半身の局所を死後硬直ではない方で硬直させ“デリバリー・ヘルス! デリバリー・ヘルス!”と叫びだした』のを見るような、周囲の視線が辛いんだ……」