猫を起こさないように
君のこと憎憎にしてあげる
君のこと憎憎にしてあげる

君のこと憎憎にしてあげる

 両側頭部へ鉢巻で八墓村状に岩津ネギをくくりつけた素裸の巨漢が白いボードに乗り、メタボ基準を優に三倍は上回りそうな腹部の肉巻きをゴーゴー風のダンスで水平回転方向へぶるぶると震わせている。脂肪に圧迫された喉から、かすれ声で「君のこと肉肉にしてあげる」といった意味合いの単語をテキストリーダ調の節回しにうなるのが聞こえる。幾層にも重なった脂肪に隠れて先端しか見えないが、尻の谷間からのぞくのは諸君の期待通り岩津ネギである。素裸の巨漢、突如大きく痙攣すると、全身から汗を飛び散らせながら漫画的な動線を伴って振り返る。
 「ボルヘェェェス! 貴様らの雄奴隷、愛に盲目の小鳥猊下であるッ! 唐突に告白するが、私は学校を舞台にした物語を鑑賞することに対して重篤な障害を抱えている。特に男性が書いたものが駄目だ。かつての学生生活を思い出して欲しい。諸君の隣にいたあの、“表情の乏しいニヒル君”a.k.a.“陰鬱で不快な自意識のメルトダウン”は、『誰とでも、山羊とでもいいから直ちにファックしたい』という欲求と、『誰にもファックしたいと思っていることを知られたくない』という欲求とが半分ずつのエネルギーで、ちょうど互角の綱引きのように拮抗している状態であったと説明できる。その男子は表情と生気が乏しいどころではなく、押し寄せる欲望の波濤に台風をお知らせする地方局の新人アナの如く耐えていたのである。一方、この時期の女子は若さが自然に生む美への自負が膣内に充満しており、ファックを寄せ付けない自己完結を纏っている。この時期の男子のファックが外的な欲望としてのファックであるのに対し、女子のファックは内的な自己愛としてのファックなのである。男子のファックは生涯を通じて外的だが、女子のファックが外的になるためにはいましばしの時間を待たねばならない。女子のファック昂進は加齢による容色の減退と反比例の関係にあり、つまり綱引きにすべてのエネルギーを浪費する自意識の肉塊は、膣内から彼女らの自己完結を掻き出すために使う余力を持ち合わせておらず、血尿の如きオナニーとは裏腹にファックへは決してたどりつけないのである。学校を舞台にした物語が男性によって語られるとき、私はこの恨みを共通の基盤として感じざるをえない。大人になった彼らが、大人の知性と社会性でもって学生生活を送れば、という決して実現することのないifが次々に展開し、低予算映画を後から潤沢な資金でリメイクするように、ファックへの切歯扼腕に無表情の中で空費した灰色の時間への復讐が、無意識裡になされるのである。かつての無表情と無気力は実は、世界に対する絶望と生命に対する諦観であった、というクールな語り直しだ。ところで全く関係ない話になるが、慈愛期間中にweb拍手経由で送られたメッセージをひとつ見逃していた。特別に慈愛extra stageを披露したい。最後はweb拍手界隈にお住まいの今日送られたメッセージ君からだ! 『お勧めのゲーム→「CROSS CHANNEL」』 YoYoYoYoYoYoYoYo,Yo Men! ガン=カタにインスパイアされて、ハリ=カタという名前の新拳法を創出しろ!
 おっと、もうこんな時間だ! みんなからの萌え画像、いつでも待ってるぜ! それじゃ、次回のこの時間まで、C U Next Time!」