猫を起こさないように
わたし、しちゃった!
わたし、しちゃった!

わたし、しちゃった!

最近は人間のふりをする技術がとても向上し、生きづらくないことが逆につらい小鳥猊下なわけであるが、第二関節まで人差し指を鼻の穴に埋めて口を半開きの貴様らに一つ断っておきたいことがある。それは更新が全く行われない事実が、更新を行うための作業を全くしていないのと同義であると勘違いしてもらっては困るということだ。齧歯類を思わせる黄色い前歯に食べ滓の付着している貴様らにもわかりやすいよう、例え話で私の労苦を伝え聞かせることにする。

あるところに趣味で素潜りをしている男がいる。男は人の寄りつかない、とある浜辺の沖合いに素晴らしい財宝が眠っていることを知っている。わずかずつその財宝を引き上げては好事家に開帳し、彼らの感嘆する表情を見るのを楽しんでいる。潜れば必ず財宝のある場所にいきつく、というわけではない。目測を誤って違う場所にたどりついたり、息が続かずに空手で戻ってきてしまうこともしばしばである。ところで、男は別に仕事を持っており、都会に住居を構えている。秘密の浜辺にたどりつくには、実のところ二時間ほども車を走らせなくてはならない。仕事への影響を考えれば、そう気軽に通える距離ではない。一度などは万難を排して浜辺にたどりついたが、海が時化てしまい潜れないということもあった。いっそ浜辺に住居を構えれば毎日素潜りができるとも考えるが、男が引き上げる財宝を喜ぶ好事家は決して多くはない。最近では、浅い場所にある財宝を取り尽くしてしまったようで、男はますます深く潜らなくてはならなくなった。どうやら深く潜れば潜るほど財宝の質は高まっていくらしく、いつか引き返し損ねるのではないかと頭のどこかで思いつつも、男はそのスリルを楽しんでいる。日の出から日没まで、浜辺で海面を見つめながら、集中力を高めている男の姿を見ることもしばしばである。それほどの大事業なのだ。財宝は引き上げた段階では長く塩にさらされているせいか、男の美意識からすれば到底見られたものではない。研磨し、補修をする必要がある。熱心な好事家のひとりは、引き上げたものをそのまま見せてくれと懇願するが、男は自分のこだわりを裏切ることを嫌っている。財宝かと思ったものが、実はガラクタだったということも少なくはない。はたして潜ることが好きなのか、財宝が好きなのか、好事家が喜ぶのが好きなのか、男にはわからなくなっている。しかし、そのどれかが欠ければ、自分はもう素潜りはしないだろうと男は思う。

なんかすごい、ふつうのブログっぽい文章だ。何が言いたいかというと、つまり、少女保護特区を更新したということだ。「人を殺した者が罰を与えられないならば、その精神はどのような終焉を迎えるのか」というドストエフスキー以来の命題に現代的な解答を与えるべく、小鳥猊下が四つ相撲で取り組む骨太の作品の続きである。半ば以上、本気だ。そろそろ作品内の状況を図画した萌え絵を贈呈しやすい展開になってきたように思う。好事家どもの対価に期待している。