アストロボット
半年ぶりに起動したPSVRでの官能体験の後、ほとばしりをぬぐいながら久しぶりにVRストアを眺めるうち、本タイトルへたどりついた。「オイオイ、今さらアストロロボ・ササの続編かよ(笑)」などとヘラヘラ笑いながら、中年の三段腹に置いたPSコントローラーからダウンロードしたら、30分後には居住まいを正したVRゴーグル姿のゴスロリ少女がそこに座っていた。あのさ、ゲームジャンルの更新っていうのはさ、他ならない体験の更新だと思うのよね。例えばスーパーマリオブラザーズは真のエポックメイキングだったけど、続編の2も3もワールドも、体験の部分では初代をまったく更新していないわけ。なに、USAは新しかったじゃないですか、だと? バカモノ! あれは夢工場ドキドキパニックだろうが! 同じシリーズで言えばスーパーマリオ64は、時のオカリナとともに以後の3Dゲームの標準器となるような、ゲーム体験を拡張する大更新だった。以後のサンシャインもギャラクシーもギャラクシー2もオデッセイも、シリーズを追うにつれてグラフィックは向上しギミックこそ増えたにせよ、ゲーム性のコアは64からの20年間(20年間!)少しも更新されていない。すれっからしのオールドファンであるところの小生も、マリオシリーズ、サンシャイン以降はプレイこそすれ、ひとつもクリアに至っていない(64はそれこそ数えきれないほど周回したというのに!)。オデッセイに至っては、開始10分ほどですべてわかった気分になってコントローラーを置いてしまった(つくづくハイコストな娯楽だ)。新奇さを嫌悪する市井の一市民ならば、水戸黄門や寅次郎のような同工異曲の繰り返しに怠惰な安らぎを覚えるのだろうが、極めて知性の高いリタイアを目前にした一皇族(おっと、身バレはカンベンにござるよ!)にとっては制作サイドが食っていくための、摩耗したクリエイティブとしか思えないのである。そして、このアストロボットである! ゲームの見かけを追えば64以降のマリオシリーズの忠実なフォロワーだと指摘できるだろう(特にサンシャインを強く感じる)。しかし本作は、ゲームが3Dに舞台を移したその瞬間から障害であり続け、プレイフィールに影響を与え続けたカメラワーク・イコール・視点の問題をVR空間に取り込んで融合し、新たなゲーム性にまで昇華した。これは正に、スーパーマリオ64から20年ぶりに行われる、3D空間でのゲーム体験の更新なのだ。いずれスミソニアン博物館に収められることを市井の一皇族が請け合うところのアストロボット、ゲーム好きを名乗る貴様ならばハードからすべてそろえて後悔のないマストバイであることを断言しようではないか! あとさあ、キャスリン・ビグロー監督じゃないほうのコケオドカシがゲーム史にどんな文脈を残すってえの? イーストちゃんさあ、雰囲気とかファッションだけでゲーム語ってんでしょ? 後々ふりかえって確実にメルクマールとされるだろうこういう作品をこそ、キチンと適時に見出して評価するのが本当のゲーム批評だし、ゲーム文化を称揚する土台になっていくんじゃないの?