猫を起こさないように
ゴジラ
ゴジラ

ゴジラ


ゴジラ


また、ケトゥ族の別の若いギークにしてやられたなあ。 本邦では若さ以外に取り柄のないゲリチンジェット噴射a.k.a.ションベンジャリタレによって完膚なきまでにファイナルウォーズされてしまったシリーズが、深いレスペクトとともに異国の地で復活する。なぜいまさら死に体ゴジラの新作企画が通ったのか、その理由がわかった。核へのメッセージを孕ませるのにうってつけの本作を、あの事故にも関わらず無視しておきながら、ハリウッド様が巨大資本で宣伝してくれたからそれに乗っからせてもらおうっていう、臭気ただよう厚顔無恥に心の底から寒気がする。しかも事情を知りながら、嬉々として監督を引き受ける者さえいるのだから、やりきれない。外的状況に対するアンテナの低い感度と、昔からのファンというアーパーギャル的脳天フェイラーと、夏休みの宿題みたいな現状から逃げることが動機を構成するほとんどだと断言してもいい。しかも、ハリウッドより低予算だからみたいなエクスキューズを早くも口にしているようだ。我々の体験が新しいゴジラの本質をいかに変えるかを外の人々は読みとりたいと思っているに違いないのに、バジェットの差が生む絵面ばかりを気にしている様子はおたくの所作そのもので、情けなくなってくる。おのれが依拠する土地に刻まれた傷跡に何らの痛痒も感じていないからに違いなく、某エヴァQのあの皮相的な仕上がりも、だとすれば納得できる。あのねキミ、カネカネ言うけどね、破のときインタビューで「皆さんのおかげで生まれて初めて潤沢な資金を得た」とか答えといてからに、結局ピアノのCG作るのにごっついカネつこてましたやん。こんどは巨大トカゲのウンコの形した、純金の延べ棒でもつくるんでっか。とにかく、いまこの国でゴジラを作ることの意味に対する鈍い感性と、たぶん無邪気さにゾッとさせられるばかりだ。だいぶ話がそれたが、エメリッヒじゃないほうの新しいケトゥ族が撮影した神トカゲ、最高です! 日本の文化考証が相変わらずアレなのは、被災した方々の感情を傷つけないためですよね、わかります!