ビーン
ローワン・アトキンソンがMr.ビーンを引退するというニュースを遅ればせにネットで閲覧し、久しぶりに試聴した。ビーンらしさと言えば飛行機のゲロ袋とトイレのシーンぐらいで、イギリス・コメディの系譜に連なる偉大なイコンがアメリカの巨大映画資本に札束で横ツラをはたかれる惨めさに、何度見ても涙を禁じえない。泣きながらイギリスを追われた清教徒が腹いせに原住民を虐殺しまくる様をワイン片手に見下していたのに、モンティ・パイソンより売れたMr.ビーンを買収されたどころか、アメリカ風のウンコ脚本へとその本質を改変されてしまったのだから、英国人が心穏やかでいられるはずはない。さらに、コメディ文法のパーソナリティを現実世界に置いて彼がただのキチガイでしかないことを見せつけ、より大きな舞台でシリアスの俳優として活躍したいというローワン・アトキンソンの矮小な功名心を明るみにした。この映画は、イギリス人にとっても、Mr.ビーンのファンにとっても、ローワン・アトキンソン本人にとっても、まさに三方一両損の典型的な黒歴史なのだ。現在、この映画が無かったものとして誰からも黙殺されているのは、至極当然のことだと言える。ギャグやコメディで世に出た人は、あとになってみんなシリアスで認められたがるけれど、ギャグやコメディこそがこの世で一番インテリジェントで難しいフィクションであることは疑いがない。子育てと子離れみたいな、親子の相克と葛藤みたいな、誰がやっても同じハンコ状の白痴に向けた感動へ逃げずに、もっと自分の仕事に自信を持って取り組んで欲しい。政治やシリアスを志向するコメディアンを、私は絶対に信じない。あと、Mr.ビーンDVDの第二巻に収録されているドキュメンタリーは、ビーンというキャラクターの成り立ちと、ローワン・アトキンソンの出自を理解するのに役立つだろう。オックスフォード大学出身の英才が喜劇へ傾倒していく様は、同じくオックスフォードのガススタンドでセルフ給油の意味がわからず床にガソリンをぶちまけた経験のある小生にとって、深い共感を得られる内容だった。それと、フェラチオの正式な発音がフェラーティオウであることを学ぶ貴重な機会だった。