猫を起こさないように
コクリコ坂から
コクリコ坂から

コクリコ坂から


コクリコ坂から


なんだろう、宮崎駿を失った後、ジブリはその遺産の管財人として生きるので無ければ、新たな当主を否応に担がなければならないはずのに、すべてにわたって全く結集できていない感じがする。ゲド戦記は原作者とファンの双方を激怒させるほどにクソだったが、少なくとも監督の個人的な反骨、父親を超えようという意志だけは感じることができた。今回はそれさえ失われている。作品選定の段階で、父親には認められたい、観客には自分を父親と重ねて見て欲しいという前回より退行した意志をしか感じない。監督の年齢から考えて、この作品の舞台設定に己の表現を重ねたい何の動機があるのかも全く不明だ。残された者の生活のためにスタジオを残す、それは充分に尊いことだと私は思う。