猫を起こさないように
ダークソウル
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DV男や悪女から逃れられない人の気持ちって、たぶんこんな感じ。なぜなら、彼らはすごいペニスやヴァギナを持っている上に、絶世の美男美女だから。クセのある操作感を覚える段階は、まさにおまえの膣を俺のチンポの形にしてやるぜ状態。最初の調教が終わり痛みが消えると、待っているのは快楽地獄。背後から地面に頭ごと押さえつけられ、身の毛もよだつ太いチンポを次から次へとブチ込まれ、いつまでも終わらないアクメに全身は痙攣して、足の指は開きっぱなし。頭からは言葉が消えて、日常では経験できないほどの増幅した喜怒哀楽がただ渦巻く。私はもともと自己抑制の強い性質で、実は深く耽溺してしまう本性を恐れての防衛機制なのだと思うが、本当に愛しているものにさえ正面きって好きと言うことが難しい。つれないふりで実は、当アカウントをフォローしているあの人やあの人のことも、毎日愛のメッセージを送りたいほど大好きなのだ。安心しなさい、もちろん君のことは生理的に受け付けないほど憎んでいるから。そんなシャイでプリティでキュアフルな小生が宣言する、このゲームが好きだ、好きだ、大好きだ! ロンダルキアに降り立った瞬間の胸のおののきに端を発した我がゲーム遍歴、ゲーム好きを広言できないほどいい大人になってからでさえ、スピークイージーに通いつめるアル中が如くゲームを続けてきたのは、ダークソウルをプレイするためだったのだ。多くを不快にすることを承知で、話を蛇足的に続ける。私は3DSやらPSPやらモバゲーやら、本邦の携帯ゲーム群が大嫌いだ。グローブのような両手を持った身長2メートルを超える雲突く大男である小鳥猊下には、あのチマチマした画面と、何より操作のしにくさが致命的になじまない。そして、ゲーム性までそのサイズにたわめられる気がする。ニンテンドー64時代の、ちょうど与党から野党に転落した時期の任天堂が持っていたゲームのイノベーション感が、私は大好きだった。最近、時のオカリナが3DSでリメイクされたというから、3DSを本体ごと購入してひさしぶりにプレイしてみた。結果、ひどくガッカリさせられた。当時ハイラル平原に感じたあの無限の広がりが、小さな画面の内側に矮小化されているように感じたのである。マンホールのようなヴァギナを持った身長3メートルを超える雲突く大女である小鳥猊下には、3DSもPSPもモバゲーも言わば細すぎるペニス、致命的にGスポットへ届かないのだ。昨今の携帯ゲーム隆盛は、不況下の本邦における経済退潮が文化にまで侵食し、自信の喪失による精神退行を物理的な形に落とし込んだもの、言わば内向きの消去法で選択されたレジデューに過ぎないと考えている。人の叡智が創り出した何かが、適者生存の混沌に敗北した格好だ。64時代には、夢見ていた。じめじめとした洞穴を抜けた先、濡れたブーツが人類未踏の大地へ触れる。新雪は粉のように、足元へぱっと散る。風鳴りの向こうから聞こえるのは、一ツ目巨人の悲しげな吠え声だ。等身大の世界をそのままに体験するという場所へ、ゲームは進んでいくと夢見ていた。完全無欠のロックンローラーである私がロスに構えた邸宅へ、巨大スクリーンと多重サラウンドの完全防音シアターを備えたのは、正にその、ロンダルキアの夢を受け入れんがためだった。かつての希望とは真逆の携帯ゲーム台頭に、我が願いは虚しく終わるはずだった。しかし、最後に大逆転が待ち構かまえていたのである! とりあえず本邦のガバマンコ、違った、ガバメントはフロムソフトウェアにクールジャパン推進の先鞭として6兆円ほど投資すればいいと本気で思う。なに、こないだまで洋ゲーを礼賛してたし、ダークソウルも似たようなもんじゃないですか、だって? シャット・アップ・ユアフェイス! 若造がきいたふうな口をきくな! 国粋主義者の私にとって洋ゲーなど、和ゲーという幼妻を前にすれば、ただ性欲を静めるための買春、粗悪な代替物に過ぎないのだ! フロムソフトウェアのゲームはキングスフィールド2の昔から、中世ヨーロッパを思わせる西洋ファンタジー風の硬派な見かけで始まりながら中盤を過ぎたあたりから急激に、武器・防具・モンスター・ストーリーが本邦の伝統芸能であるところの厨二病化してゆくのが最大の魅力なのだ。中世の古城から折れた長剣を片手に始まったはずの冒険が、気がつけば異次元空間でレーザーを放つ月光剣をふるい、悪の首魁・スペースドラゴンをブッたぎるという大団円を迎えてしまう。いい意味で気が狂ったこの匙加減は、外人ぐらいの常識では到底たどりつけるものではない。すべての携帯ゲームよ、滅びるがいい。手のひらサイズのハイラル平原こそ、我が怒りの火の中へ燃え落ちよ。次世代ゲームの覇権だって? そんなものは小鳥猊下と十四歳以下の美少女とダークソウル以外の人類で勝手に決めればいい。