塔の上のラプンツェル
ピクサーがここまで大きくなったのは、ダビデとゴリアテの昔から、みんな驕れる巨人を倒す小人の話が大好きだからだ。しかし、驕らない巨人、休まないウサギが勝負にさえ見えないレベルで圧倒的に勝ち続けるという状況が世界の大部分を占めることは覚えておいて欲しい。君たちは為政者側が提供する弱者慰撫の寓話に騙されてはならない。閑話休題。「魔法にかけられて」を作ったことでいよいよディズニーは両目が開き、二つ目の千年紀に突入したのかもしれぬ。本作ではディズニー定番の恋愛劇の裏側で、原作の持つしたたるような毒が希釈されずに保持されている。見たくない者には見えない場所に配置したことで、観客を選抜せずに物語へ厚みを与えることに成功したのだ。アングラ劇の陥りがちな、過激化で少数を選抜しその少数をさらにコア化するという手法とは真逆であり、己の出自を強く誇る胸を張った王道感が素晴らしい。「予を誰と心得る。ディズニーであるぞ。かような姑息の勝ちは我が覇道を昏くする」といった台詞が、公家っぽいボイスですぐ耳元に再生されるようだ(幻聴です)。指摘するまでもないが、この物語は母と娘の間にまま生じる深い共依存、さらには相姦関係を描いており、「仲良しの、友だちみたいな母娘って、なんか気持ちワリーな」などと漠然と感じている全国六千万のマスオさんは、その漠然とした違和感を明瞭化するために、サザエさんとともに視聴するとよい。サザエさんは表層に目を輝かせ、マスオさんは裏の本質に呻吟する状況を世紀末覇者・ディズニーが想定していたとすれば、実にパンクだ。けど、ゴムみたいなチューはいただけないと思った。作り手のフェチを強要されていると感じるぐらい淫靡な髪の毛の描写と対照的で、ラバーメン感がものすごい。もっとこう、フワッとマシュマロみたいなチューをせんかい。