「飛行機の関係で到着の遅れていたマリヤ・ポコチンスキー嬢がただいま到着なさいました。どうぞ、マリヤさん」
「記者のみなさん、お待たせしちゃってごめんなさい。ただいまご紹介に預かりましたマリヤ・ポコチンスキーです。よろしくお願いします」
「すでにご存じでしょうが、ポコチンスキー嬢は弱冠13歳でシェフチェンコ劇場にてオネーギンのヒロイン役タチヤーナに抜擢された天才バレリーナです。加えて、この春モスクワ大学の博士課程を修了なされた英才でもあります。日本文学を専門に研究しておられ、今回の訪日に際しまして通訳は一切つけておりません。記者のみなさまもご質問は日本語でどうぞとのことです」
「なんや、沢木、ぼ~っとして。ははぁん、さてはおまえあのロシア娘に惚れたな。やめとけやめとけ。三流私大出て、こんなやくたいもない地方新聞の記者やっとるおまえとは人生の格が違いすぎるわ」
「ち、違いますよ、柳谷さん。取材対象としてちょっと興味をそそられただけです」
「若い若い。ええわ、そういうことにしといたろ」
「それでは、みなさまからご質問をお受けしたいと思います。こちらが指名しますので、挙手を願います」
「はいッ!」
「さ、沢木。今日は俺のおともで現場の雰囲気を味わいに来ただけやろうが。はよ手ぇ下げんかい」
「それでは、ええと、浜北新聞社さん?」
「まかせておいて下さいよ、先輩。…ロシアの距離の単位を日本では露里(ろり)と翻訳することもしばしばですが、研究者としてのポコチンスキー嬢はこの事実についてどのようにお考えですか?」
「グロロロロロロロ。くちばしの黄色いのが勢いこんで何を尋ねるかと思えばそんなことか」
「なんだと、無礼な! ううッ、なんだ、この恐ろしいまでのプレッシャーは。ほとんど突風のような妖気が押し寄せて来る・・・うわっ」
「ふふん、若造めが」
「大丈夫か、沢木」
「あいたた…ええ、なんとか」
「命を取られんかっただけでめっけもんや。あれは逢坂新聞の今村征五郎や」
「えっ。あれが今村征五郎ですか」
「この世界で喰うていこ思たらあいつとだけは張り合ったらあかん。22歳で東大法学部を主席卒業した後、各官庁からの誘いをすべて断って逢坂新聞の事件記者になったという経歴だけでもふるってるが、それからのヤツの活躍ぶりはそれに数倍する勢いや。当時ほとんど潰れかけとった逢坂新聞社の売り上げが、ヤツが入社してから一年で数百倍以上に跳ね上がり、いちやく一流新聞社の仲間入りをしたのはあまりにも有名な、ほとんど伝説と化している話やで」
「くそっ。きっとあの3メートルもあるような巨体でライバルを汚いやり方で始末してきたのに決まってるんだ」
「それは違うで、沢木。ヤツの外見にだまされたらあかん。ヤツの一番の武器はその舌鋒の鋭さや。ヤツを前にしたら、どんなに韜晦の強い政治家もタレントも、文字通り丸裸にされてまう。ヤツが記者会見の席で潰してきた哀れな人間たちの数は十や二十じゃとうていきかへんで」
「そ、そんなにすごいやつなんですか」
「ああ。おまえも事件記者を続けたかったあいつには極力関わらんほうがええ…見ろ、今村が質問するで」
「それでは、逢坂新聞さん」
「今村や」「逢坂新聞の今村が質問するで」「鬼の今村が口をあくんや」「みんな、静かにせえ、今村がしゃべりよる」
「しぃん」
「…ときにポコチンスキー嬢は」
「ごくり」
「殿方のポコチンはお好きですかな」
「ざわざわざわざわ」
「(額ににじむ汗をぬぐいながら)どうや、沢木」
「(蒼白な顔面で)おそろしい…悪魔のように完璧な質問です。あの悪魔的な知性に比べたら、かれの外見などとるにたらない小動物みたいな飾りだ。ぼくの質問は、あの寒い国から来たロリータの口からロリという単語を引き出せればと、ただ安直に自分のつまらない知識をひけらかしただけに過ぎない。そうか、そうに決まってる…大衆はあの美しいロシアの妖精が男性のポコチンを好きかどうかをこそ切実に知りたがっているに決まっている。ぼくは今かれが質問して、初めてその隠された、しかし何よりも明らかな事実に気がつくことができました。おそろしい、おそろしい男…今村征五郎」
「あの。あたし」
「ポコチンスキー嬢が今村の質問に答えるぞ」
「ポコチン、嫌いじゃありません」
「おお」
「ポコチン、わりと好きです」
「ああっ。寒い国からやってきた15歳の少女がむくつけき大男から発された質問に先端に球形のひっかかりのついたフロイト的に判断するならばカリ高ポコチンの直喩であるところのふっといマイクをちっちゃなおててでつかんで初冬の雪をおもわせるぬけるような白い肌を薔薇のピンクに紅潮させながらチロチロと愛らしい真っ赤な舌を見せつつたどたどしく回答する様子に記者団は全員前傾姿勢でうずくまってしまいました。怪物今村も例外ではありません」
「カメラ、何してるカメラだ!」
「駄目です、今村さん。みんなテントを張ってしまってそれどころじゃありません」
「くそ、あの様子を写すことができれば部数倍増は間違いないのに!」
「パシャパシャ」
「誰や、あそこでフラッシュをたいとるのは。ここにいる全員が動けへんはずやぞ」
「ああっ。局部をスーツのジッパーからぼろりと露出した沢木記者が望遠レンズを装着したカメラでポコチンスキー嬢を激写しています。それぞれがいったい男性のどの部位とどの行為を暗喩しているのかについてはあえて言及しませんよ」
「チンポがテントを張って動けないなら、チンポを解放してやればいい。単純で明快な理屈さ」
「でかした、沢木。大手柄やで」
「(携帯電話で)あ、俺です。沢木です。今すぐ輪転機を止めて下さい。ええ。今日の夕刊の一面を差し替えるんです。(今村に視線を送りながら)見出しはこうです、『妄想のロリータ、ロシアの妖精はポコチンがお好き』」
「いいんですか、今村さん」
「ふふ、あの若いのなかなかにやりよるで。気に入ったわ。今日のところはゆずるとしようや」
「見てみぃ、沢木、逢坂新聞の連中、ガウォーク状態でご退場やで! ざまぁみさらせ! ひゃっほう!」
「よくやった、マリヤ。あれからCMとグラビアの依頼が殺到しているぞ。これで明日からの公演は大性交、いや、大成功をあらかじめ約束されたようなものだ」
「うん、お父さん。ところでポコチンって何なのかしらね」
「さぁ、クロサワとか、そんな日本の有名人の名前か何かじゃないのか」
「ポコチンっていったい何なのかしらね…」