猫を起こさないように
追憶の夕べ
追憶の夕べ

追憶の夕べ

 「(ベランダで海に沈む夕陽を眺めている。目尻を指でぬぐいながら振り返り)いや、失敬。みっともないところをお見せしてしまったようだ。今日はね、いつものような大騒ぎの感じではなく、一度静かに君と話してみたいと思っていたんだ。センチと笑ってくれてもいい。そういう気分なんだ。
 「アメリカと呼ばれる国がある。世界の中でも最も新しい国のひとつだ。映画産業や、宇宙開発や、まァいろいろあるが、かれのするすべての行動に共通する要素は、先へと進むことを自らの存在に課しているという点だ。誰に求められたわけでもないのに、かれが誰よりも先に前へと進まなければならないのは、野盗の切り取りのごとき後ろ暗い発生の理由を、その根源にごまかしようもなく抱えているからだよ。過去へ誇ることのできる存在の基盤を持つことができないかれの過剰なまでの進取は、殺戮と駆逐という名前の原液を溶液へと薄める続けることでついには無くしてしまおうとするためにそそぎ込まれた薄めの水そのものであり、知られたくない出生の秘密を覆い隠そうとする決死のもがきの現れに他ならない。かれの発する言葉がすべて論理であり、かつ奇妙なほど小昏い部分を持たないのは、かれの持つわずかの歴史のほとんどが、その正反対の性質のもの――つまり、不条理と昏い闇に彩られてきているからと言えるだろう。その意味からすると、宇宙開発は、誰かの手にあるものをもぎとるしかなかったかれが、誰の手のものでもない場所へ到達することによって、存在の基盤を清浄な次元へと移行させようとする必死の努力であると見ることができるし、、映画産業は、クレープの薄皮のように、誰の手にも触れられない虚構という次元を現実へと広げることでの、遠回しな集合無意識への介入であるとも言えるかもしれない。でも、それだけじゃあない。裏切りと策謀の果てに玉座へと上った孤独な王が毎夜見る、これまでの自身の行動の鏡写しとしての悪夢に、かれはさらに経済という名前の単一のパラダイムで世界のすべてを併呑しようとする。様々の血が混ざり合っているという、自らの存在の定義の曖昧さへの釈明として、かれが好んで声高に主張する”個性”という言葉はここにおいて反転し、かれが本当に求めていることは、多様さによる個性どころではまったくないことがわかる。かれが望むのは、自分と同じ価値観による世界の没個性化なんだ。かれの恨みは自分に歴史が無いことにあった。血とか、家とか、ただ続いてきたというだけで強烈に存在し、この上もない確かさで主張し、自らを脅かすものども、何の理屈も無く結びあい、維持する能力も持たないままゆるゆると愚かに継続する非論理。自分には無いその確かさ、ゆるぎない唯一性を、かれは気の狂うほど欲した。例えどれだけ時間が流れようとも、元々敷設されていた旧来のレールの上を走る限り、新参が新参でなくなることはありえないからね。かれがそれを達成するために求めたのは、かれの提供する新しいパラダイムの上でのすべてのやり直しだった。スタジアムに遅れてきたマラソン選手が、先を行く他の選手を呼び止めて、マラソンなんかつまんない、そんなのはやめてやっぱり走り高跳びで勝負しましょうってな具合だよ。でも、いったいどこのお人好しが自分のリードを放棄してまで、相手の得意分野に競技変更しようと思うだろう。匕首を相手の喉元につきつけてのやり直し請求はほとんど成功しかけているように見えた。だが、羽虫と羽虫が違うように、牛馬のそれぞれ持つ個性のように、たったひとつの価値観が世界をおしなべてしまうことは、少し東洋的に過ぎるかもしれないが、更なる巨大な摂理の流れに矛盾すると言える。そこへ、摂理の揺り返し、あるいはまったく別のパラダイムからの巻き返しが起こったとして、何の不思議があるだろう。業の精算を過去ではなく未来に求めたこと、自分は本当は生まれてくるべきではなかったのではないかと煩悶する子どもが、自らの存在を内へと許容することではなく、外へと主張することによって居場所を作り出そうとしたこと、それらの歪みが臨界点へと達した結果、かれのすべてを盲にする特異点が生まれ、 巨視からの揺り返しが起こった。簡単に言いかえれば、かれは自身のトラウマからの逆襲を受けたんだ。血塗れの半身を押さえながら立ち上がり、しかしかれはなお外へと主張しようとしている。許容することは、自分が正しくなかったことさえも同時に認めなくてはならないからね。そして、それを認めてしまえば、かれはこの世界に存在できなくなってしまう。
 「オヤ。なんだか岸田透みたくなってしまった。そうだね、こんななんでもお見通しの神様みたいな言い方じゃなくて、個人的な感想を言わせてもらおうかな。今回の事件を知ったとき、ぼくは本当に、心の底から興奮した。だって、そうじゃないか。ぼくが生まれたとき、すべては終わってしまっていて、世界は情事が終わった後の娼婦みたいに、ぼくを拒みもしないかわりに、ぼくを受け入れもしなくなっていた。ネクタイを締めて、あるいは制服を着て、毎日会社や学校へ行き、たまの休みには家族や友人とそれなりに楽しくないこともない時間を過ごす、そんな世界の揺るがなさは、例えぼくが百万年生きたところで、一千万年生きたところで、決して変わることはないと、ぼくは何の根拠も無しに信じていた。そうだということを知っていたんだ。ぼくは、死んだ祖父が熱っぽい目をして戦争を語るときに必ず感じた、あの言いようのない劣等感を久しぶりに思い出した。ぼくは、それに対しての快哉を叫んだのかもしれない。一番最初にぼくに浮かんだ気持ちは、同情でもなく、悲しみでもなく、まして憤りですらなく、そう、快哉だったんだ。世界という名前のゆるやかなあきらめに生じた亀裂を見た者の、変容への期待に満ちた快哉。言ってくれなくてもいい。ぼくは、異常者だ。どれだけ強く殴れば人が死ぬか、どれだけ深く刺せば人が死ぬか、最も秘すべき性の知識でさえも湯水以下の価値の情報として氾濫する中で、本来なら生物がすべて持っているのだろう、その命への実感がぼくには決定的に欠落している。ぼくの知っている血は、瞳に照り返すゲームのモニターの赤でしかない。ありとあらゆる知識をあびるように与えられ、肉を養うすべての栄養をふんだんに与えられ、そうして、ぼくは命の実感とは最も遠いところにいる。もう一度言うよ、ぼくが最初に感じた気持ちは、そのあと生まれたすべての良識的な社会からの感情を越えて、まぎれもない快哉だった。世界が再生するための死のイベントへ向けた、心からの喝采だったんだ。自分以外のもののする痛みを知らず、羽虫の浮いた水たまりに這いつくばり、陶酔した表情で泥水といっしょに快楽をすする、ぼくは、異常者だ。
  「相手に与えたものは、必ずそれ以上の大きさで返ってくる。暴力をするものには、より苛烈な暴力が。ただ、愛だけがこの法則の例外なんだ。いくら与えようとも、それは――(海へとせり出したバルコニーの籐椅子に腰掛ける一人の男。背後からその頭蓋に銃口が押しあてられる。次第に上昇してゆくカメラ。男の姿が完全に映像から消えた瞬間、銃声が鳴り響く。カメラのレンズへ、わずかに血の飛沫が付着する。照り返す夕陽に、無限の美しさをたたえた南国の海)