猫を起こさないように
日: <span>2026年11月1日</span>
日: 2026年11月1日

漫画「レジスタ!」感想

 noteのアクセス数ページが改悪されてしまった。以前は、往年のホームページにおけるカウンターを回す感覚で1日になんどか目視確認して、数字が増えているとうれしかったし、週あたりの閲覧数を1,500〜2,000人でキープしようすることが、更新のモチベーションにもつながっていた。それがどうだ、新形式ではインプレッションにページビューというよくわからない指標が2つ登場し、以前の数字との関連性がわからなくなってしまった。おまけに、アクセス数ページのデフォルト表示が月単位となり、週単位の表示を見ようとしても、遷移が遅すぎて使いものにならない。たとえるなら、深宇宙をゆくボイジャーがついに地球からの信号を喪失したようなもので、なんとなくやる気をうしなって、4年ばかり継続していた「週刊・小鳥猊下」が途切れると、すかさず「書くことを習慣化しましょう」などとAIによるマッチポンプのアドバイスが表示され、「だれのせいで習慣が壊れたと思ってんじゃ、このダボが!」と激昂したところで、心の火は完全に消えてしまった。今後は、必要も要請もないのにムリヤリおもしろテキストをひねりだすのはやめにして、本当に書きたい内容ができたときにのみ、更新することにしようと思う。きょうは、絶賛炎上中の「レジスタ!」について、所感を述べていきたい。

 まず、エロ漫画に出自を持つ男性作家の女性にむける視線が気持ち悪いという指摘だが、それはLGBTQFーーレズ・ゲイ・バイ・トランス・クイア・フィーメイルを指すnWo語ーー以外の性的傾向を持つ方々が軽く考えている以上に、生々しく”真”なのである。家人へエロ漫画家の一般作品をすすめたら、その事実をまったく知らないはずなのに、表紙の絵柄のみで一種異様な拒否反応を示されたことは、以前にも話をしたと思う。ふだんから、男性は女性をこんなにも性的に見ているのだというオーラの差分について、わたしが自覚的になった瞬間でもある。一世を風靡しながらも、終盤の展開で迷走してすべてを台無しにした料理バトル少年漫画があったが、あれもエロ漫画家による一般作品だった。うまい料理を食べる快感と性的エクスタシーをオーバーラップさせるという意味で、この題材を選ばせたのは編集者の慧眼だったと認めながら、最初期のころはヒップに”ムチッ”、バストに”ぷるん”などの擬音が執拗に付加されており、「編集部はなにをやっとるんや! これを消させるのが少年誌の仕事やろがい!」と、ひとりいきどおっていたのを思いだす。閑話は休題して、いよいよ「レジスタ!」の中身についてふれていくと、「胸囲の大きい女子高生の着衣のみが謎素材によって乳袋を形成する」や「更衣室で読者方向にせりだしたパンツどうしが会話する」など、最初の数話はエロ漫画に特有の「男性視点による性的差分オーラ」がすさまじく、こういった表現に耐性のない女性読者が無意識のうちに忌避感をしめすのは、とてもよくわかる。「若い女性に対するストーカー被害を軽く考えさせ、犯罪を助長する」みたいな語られ方はおそらく理性によるあとづけで、「男たちはいつも、こんなにも性的なまなざしでわたしたちを見ているのか!」という衝撃がまっさきにおとずれた感情なのではないかと推測する。

 じゃあ、オマエの旗色はどうなんだとたずねられれば、大人になってからも虚構作品に耽溺するような人物は、16歳から18歳ぐらいにかけての青春期にリアルで充分にはリビドーを解放できず、いまなおその補償をもとめつづけているわけであるから、「レジスタ!」を肯定しないわけがないのである。「中高年の男性が若い女性と接点を持とうとすることの是非」に関しては、すでにげっぷがでるほどエッキスという名の便所壁に茶色くなすくられているので、別の視点から個人的な感想を残そうと思う。見た目がかわいらしく、聡明でまっすぐな性格をしており、片親ながら経済的な困窮状態にはないイマドキの女子高生が、高卒で地元のスーパーに就職しようとしているところは、本作における最大のファンタジーだと言えよう。根無し草であるクリエイターの自分に脅威をあたえないという意味でちょうどいい、作者の性癖をグッツグツに煮つめた存在が、本作のヒロインである「レジのおねえさん」なのだ。女子高生とは、まだなにも確定していない未分化の象徴であり、彼女が有名国立大学に合格したり、一部上場企業に内定したりして、よりアッパーなアイデンティティが生じた瞬間、本作の作者をふくめた弱者男性の陰茎は、たちまち勃起不全におちいるのである。また、この設定を性癖由来の妄想ではなく、純粋な事実として突きつめていくならば、刑事を生業とする彼女の母親による、教育虐待とは真反対の位置にある、我が子を低みにとどめる目的のうっすらとした悪意すら感じさせる、明白なネグレクト行為だと指摘できるだろう。「母と娘の関係は、仲の良い友人どうしか、いがみあう女と女のいずれかに帰着する」との指摘は至言だが、見目うるわしく、性的魅力に富んだ我が子について、そのスペックにはとうてい見あわない職業と配偶者へ”墜ちて”いくことを看過するのは、彼女の不明を罵倒するための準備しぐさであり、年を重ねた女が若い女へとむける正体のない憎しみには、慄然とせざるをえない。

 本作と好対照をなしており、積極的に比較して語られるべきは「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」なのだが、「レジ係の女性とオッサンの恋」というまったく同じ設定の読み味を180度ちがうものにしているのは、ズバリ、作者の性別なのである(「レジスタ!」が男性、「ヤニ吸う」が女性の手による作品であることに、全財産をベットしてもかまわない)。こちらは「男性側の圧倒的な忍耐と譲歩によって、なんどもうまくいきかけるのに、女性側が感情をおさえきれずに爆発して、ふたりの関係があとずさりする」という”試し行為”を作中でずっとくりかえしており、アルファオスである小鳥猊下からすれば、「いい加減、こんなワガママなメスはブンなぐって、一発ヤッちまえよ!」と感じるぐらいのイライラする迂遠さであるわけだが、察するに「セックスの自己決定権を主導されない」のは、女性にとって重要なファクターなのであろう。ゆえに、諸兄が両作品を通じて会得すべきなのは、「オッサンによる若い女性への声かけすべてが、禁忌されているのではない」というありがたい教訓なのだ。「相手の心情を想像せず、性欲を先だたせてガツガツ話しかける」ことには明確なノー・グッドの判定がしめされるが、「チンポをていねいにしまいこみ、理解ある父親かカウンセラーのようにすべての話を傾聴し、感情の暴発をかわいげとして対処する」ことさえ可能なら、不潔ではない外見を最低条件として、オッサンにも若いレジのスターをコマせるチャンスは充分にあるのだと、挑発的に断言しておこう。ここまでを書いてきて、1週間ほど筆が止まったのは、noteのユーザー・インターフェース改悪だけではなく、村上龍の死にショックを受けていたからではないかと思いいたった。終わる。