猫を起こさないように
月: <span>2026年9月</span>
月: 2026年9月

映画「ちいかわ・人魚の島の秘密」感想

 ファンでもないのに、ちいかわの映画をイヤイヤ見に行く。なんとなれば、「興収100億は、見ないと非国民レベル」だからであり、国宝のときと同じ動機にうながされた形である。原作のセイレーン編については、そのもりあがりを横目に見てはいたものの、偶然にタイムラインへ上がってきたときに目をとおすくらいで、積極的に追いかけたりはしなかった。さわがれている話の大オチにしたところで、八百比丘尼の逸話を下敷きにした、過去にいくつもの作品でこすられつづけてきた内容であり、「かわいい絵柄にダークなシナリオを当てると、じっさい以上に深みがあるように思える」錯覚を利用した、まどマギのはとこみたいな印象をしか受けない。ただ、劇場の客席に幼児と小学生が多く見られたのは、すれっからしの虚構アディクトや大人女子(笑)だけがちいかわの人気をささえているのではないことを実感できて、とてもよかった。周囲への忖度なしに、おのれの欲望を大声でさけぶモモンガも、未就学の子どもに満点で刺さるキャラになっていると思う。きっと全国各地の保育園や幼稚園では、かつてのクレヨンしんちゃんと同じく、彼?のマネをする園児が大量発生していることだろう。

 この映画がコアなファンと子どもたちにとっての良作であることはまちがいないのだが、ちいかわの造形にとくだんの魅力を感じない人物にとって、原作の1ページ漫画を忠実に、数珠のようにアニメーションへ落としこんでいるのは理解しながら、映画の骨格をなしていないため、多くの時間で非常な退屈を感じたことは書き残しておきたい。視聴後、本作の興収に目をくらまされた”いっちょかみ”どもの、難解かつ衒学的な深読みの激賞をながめていると、本当に彼らと同じものを見たのか不思議になるくらいであった。今回あらためて、ちいかわの世界観について考えてみたが、そこになにひとつオリジナルなものは存在せず、「頭の大きな二頭身」というサンリオ的なデザインにはじまって、「二郎系ラーメン」「能力検定」「今日の日はさようなら」「カツカレー」「貝汁」「煮付け」「セイレーン」「人魚」「単三電池」「さすまた」「ドラクエの剣」など枚挙にいとまがないぐらい、我々の現実をすがすがしいほどダイレクトに、そのまんま引用しているのである。ここで唐突に、大胆な仮説を述べておきたいと思う。

 原作者のナガノ氏は、電通の関与がバレて大炎上した「100日後に死ぬワニ」とは異なり、個人発信でコツコツと毎日を更新することで、いかなる広告代理店もとおさず、身ひとつで莫大な富を生むIPを作りあげた、人もうらやみ我(小鳥猊下)もうらやむ、SNS時代のシンデレラ・ストーリーの体現者であるわけだが、ちいかわはズバリ、彼女が見ている現実そのものなのではないだろうか。今回の映画での「協賛企業なし、製作委員会なし」によって、内容から配給から特典まで、すべてをみずから差配しようとするコントローリングなやり方は、どこかQアンノのそれを彷彿とさせるし、キャラクターを構成する楕円の形状への強いこだわりや、続きものの連作であっても必ず左下に”終”を入れることや、空前の大ヒットで人生をいくどか買えるほどのカネを手に入れたはずなのに、日々の生活をメトロノームのようにいっさい変えない様子など、「小さくてかわいい」見た目の裏にかいま見えるのは、非常に強固でパラノイックな自我の存在なのである。つまり、作品そのものが作者の精神とあまりに強く結びついてしまっており、性的暴行を受けた女性画家の自画像が以前の明るさをうしなって、陰惨なドス黒いものに変貌するように、その正体が何なのかは知らない、ある”強烈な体験”によって世界のネガポジが180°反転したあとの作者の主観的認知が、ちいかわワールドの根幹を成しているのではないかと、無責任に放言しておく。本作のファンでもなんでもないため、他に言うべきことは残っておらず、切断的に終わる。

ゲーム「スーパーリアル麻雀VR」感想

 あのスーパーリアル麻雀が、昭和時代の無法な”脱衣麻雀”の頂点が、令和の御代にまさかの完全復活。動揺のあまり、ヴァーチャル・リアリティのトゥー・アーリー・アダプターなので、初代PSVRしか持ってないのにVR同梱版をなぜか購入して、気がつけば通常モードで全実績を解除してしまっていた。本シリーズは、そのタイトルからの連想を完全にうらぎった、麻雀とは名ばかりの特殊な遊戯になっていて、食いタンだろうが役満だろうが脱ぐのは1枚なことにくわえ、わずか千点持ちスタートのブットビありなため、闘牌スタイルはノーマーク爆牌党ふうに言うなら、「これはもうただの……絵あわせ」へと収束していくのだが、「ほぼ未成年の女子が、恥じらいながら脱ぐ」という一点において、あらゆる年齢層の男子を性欲まっさかりな中高生のサルに変貌させる、暴力的なまでの訴求力を持つ。コンプライアンス「無視」、コンプラ強度「昭和(弱)」でプレイをはじめたところ、CHiKuBiがそのまんま表示されるわ、CHiKuBiをつついたとき専用のセリフがあるわ、親の帰宅などによる原作のすんどめを越えてPaNTiを脱ぎだすわ、「ほんとうに審査とおってるの? コンプラの強いバージョンだけ提出して、steam社をだまくらかしてない?」と心配になるくらい、みごとに最後までスッポンポンになる(あとだしの販売停止を否定できないありさまなので、気になる向きは早めの購入をオススメする)。

 プレイ中の心理状態は、ペーソスあふれる脳内のヤクザ・アバターが、「ドぎつい洋ピンの無修正や、海外サイトの違法動画や、エロいもんはあらかた見てきたけど、こんな本番もない半脱ぎの裸がいちばんエロい」「エロってのは、いったいなんだろうな」「もう、脱がすしかなくなっちゃったよ」などのネットミームもどきを、ガンギまった目でずっとブツブツつぶやきつづけるぐらいのキモさであった。廃れてから30年は経とうかという”脱衣麻雀”というジャンルは、いまよりはるかに性に奔放だった時代において、ソープランドにもストリップシアターにもキャバレークラブにもブルセラショップにも行く勇気のない、学校にも会社にもなじめず、ゲーセンぐらいしか居場所がない弱者男性による、エロゲーと同様のいじましい代償行為であったことは、ある種の歴史証言として残しておかねばなるまい。個人的な話をさせていただければ、なにも知らない少年の思春期を直撃し、魂の精通をむかえさせたP3こそが唯一無二のレジェンドであり、我が心の貞操は芹沢香澄にささげられているといっても過言ではないだろう。そして、2本目の貞操(なんじゃ、そりゃ)はP4の愛菜にささげられている益荒男にとって、本作がP5ベースなのを残念に思いつつも、少女へ向けた純粋な愛情に不寛容なメリケン運用のsteamが販売ベースであるからして、仕方のない判断だったのかもしれぬと、納得できる部分もなくはないのである。開発者インタビューに目をとおすと、まさに「就職氷河期のサバイバーが組織内で実権をにぎり、”最後のお勤め”を逃げきるだけの段階となって、いよいよ好き勝手やりはじめる」を地で行っており、外野の無責任なオタクからは「いいぞ、もっとやれ」と、やんややんやの拍手喝采を送るばかりだ。

 本作に惜しい点があるとすれば、中華のアプリゲーなら1体10万円で40万円はキッチリ課金させるだろう美少女キャラたちに、たったの5千円ぽっちしか支払わせてくれないところであろう。もし、新キャラ追加のためのクラウド・ファンディングが開始されれば、ただちにまとまった入金をする準備はあるので、どうかこのカネあまりの非虚業従事者に、ひさしぶりの中華でも半島でもない純国産・美少女たちへ、もっと援助する(意味深)チャンスをくれまいか。全クリ後にも、まだ熱さめやらず、難易度「スーパーリアル」で4人とも再び全裸にひんむいたあげく、なおメタクエスト3の購入を真剣に考えはじめており、ビデオデッキ戦争より続く「家電の更新をうながすエロ」の偉大さに、昭和のさわやかな気風を心地よく肌で感じる今日この頃なのであった。あと、早坂晶たんの「かーちィ」「とおれーッ!」「キューティクル、きらきらー」はちいかわっぽいし、「負ける準備はできてる?」は大リーガーのヤマモロっぽいなと思った。それと、本作のBGMは場末の酒場で使いまわされた刺身のツマのような、シャバシャバと水っぽくて味のしない、まさに空間を音で埋めるためだけに作られた低品質のジャンクなのだが、耳に入ったとたん、ひもづいた過去の記憶がよみがえり、いまだ何者でもない自分が形のない焦燥感をいだきながら深夜、実家の自室でひとり呆然とテレビの前に座している様子が脳裏にフラッシュバックして、知らず涙ぐんでいた。