猫を起こさないように
月: <span>2026年5月</span>
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映画「マンダロリアン・アンド・グローグー」感想

 マンダロリアン・アンド・グローグーを愛最大・三次元で見る。もはや初代アバターを視聴するためだけの古代遺物と化した本技術は、3Dを意識した構図で撮影されていない場合、画面の彩度がわずかに下がるデメリットのみなので積極的に選択することはないのですが、複数の家人と都合のつく上映時間にうながされる形となりました。「スターウォーズ未履修者が最初に見る作品が決まった」などの、人気作にありがちなネットバスだけを意識した、トンチンカンな言説が巷間にあふれかえっているため、より正確な評価をおのれのテキストで残しておこうと思った次第です。以下は、スターウォーズ・シリーズでもっとも好きなのは3、もっとも嫌いなのはで、ライアン・ジョンソンの情婦であるキャスリーンへの強い反発から、ディズニーには一銭もはらいたくないため、ドラマ版はまったく見ておらず、初期トリロジーにはそれほど思い入れのない人物による感想となります。まず、「スターウォーズを見たことがなくても大丈夫」というのは大ウソで、主人公2人とハット族の造形からどういう背景を持つキャラクターなのかを説明なしに理解ーー本当になにひとつ説明しませんーーできることは、本作を楽しむための最低要件でしょう。もしかすると、アメリカ本国では本邦の青ダヌキやアンコ顔面のように、幼少期から全国民の意識に無条件で刷りこまれるレベルのIPなのかもしれませんが、地上波での放送がとんと途絶えた現在、我が国の若い世代に同じレベルの教養があるとは思えません。個人的なことを言えば、家人たちの成長とともに劇場へ足を運んだ123へ強い思い入れがあり、スターウォーズのスピンオフがいまだに半世紀も前の456をベースに作られ続けるのには、まったく納得がいっておりません。

 ファントム・メナスーーおなじみ、腰抜け田吾作邦題ーーの公開をめぐるファンとの騒動をフィルムにおさめたピープルVSジョージ・ルーカスを見てもわかるように、初期トリロジー愛好家は発達偏向のロコモーション・オタクと同じ特性を持っており、蒸気機関車が好きすぎるあまり新幹線を列車と認めないような、はたから見て病的なまでの執着へといたっている人々なのです(暴言)。国家間の紛争に個人で武力介入できるレベルのジェダイがゴロゴロしていた、明るく豪華絢爛な都市が惑星の地表をうめつくすプリクエルを「カエサル時代のローマ帝国」とするならば、戦えるジェダイはルークとベイダーぐらいしかおらず、辺境の砂漠と治安の乱れた薄暗いスラムばかりの初期トリロジーは「ローマ崩壊後の暗黒の中世」とでも表現できるでしょう。プリクエルは、マニアたちの”おもてたんとちがう”のかもしれませんが、毎作品、世界観から映像表現からキャラクターにいたるまで、確実に新しいものを見せてくれました。シークエルへの批判に、「すべての場面が既視感に満ち、スターウォーズ世界へなにひとつ新しいものを加えなかった」という言説がありますが、初期トリロジーを下敷きにしたディズニー傘下のスピンオフ作品の多くにも、同じくあてはまるように思います。これは本作においてもそうで、やっかいなファンの脳内に存在するスターウォーズ教科書a.k.a.不磨の大典を完全に読みこんでから作劇していることが、ある種の窮屈さとなって画面から伝わってくるのです。都市部はどんなに栄えていてもつねに薄暗く、計器はアナクロで解像度の低いデジタルのまま、操作系はタッチパネルを廃したボタンにレバーとくると、「もうええっちゅうねん」という気にさせられます。つまり、「おもしろいかどうか」「見ばえがいいかどうか」よりも、「不磨の大典に忠実かどうか」が優先されて作られており、プリクエルびいきは「帝国が滅んだんだから、いい加減、共和国時代の文明レベルにもどせよ」と、文句のひとつも言いたくなるわけです。

 ここまではすべてガワの話で、ようやくマンダロリアン・アンド・グローグーの中身についてふれていきますと、映画というより1時間のドラマを2本つなげたような構成になっていて、アクションこそ多めではありながら、全体としては起伏に欠ける印象を持ちました。”ジェダイ”の語源が”時代劇”なのは有名な話ですが、「スターウォーズを作るさいは、昭和のクロサワ周辺を下敷きにせよ」という教科書に記載されている製造ルールを厳密に遵守し、本作では「子連れ狼」や「てなもんや三度笠」(たぶん、ちがう)が参照されております。ここまでゴチャゴチャとプリクエル好きの恨み節を書いてきましたが、この映画を評価するにあたっての本質的な部分はほぼプラグマタと同じであり、すなわち、ベイビー・ヨーダたるグローグーに対する印象の好悪が、そのままダイレクトに加点要素へつながると言えるでしょう。マンドーが大蛇の毒にたおれたあと、ダーククリスタル的なパペット操演とVFXのハイブリッドであろう小人族との冒険行を、「はじめてのおつかい」としてハラハラドキドキ見まもるのは新鮮な体験で、ひさしぶりにスターウォーズ関連のグッズがほしいと思わされました。やっかいなオールドファンのうずまくこの巨大IPにおいて、新たなキャラクターが商品として定着するのはきわめてむずかしく、に初登場したBB8はかなりいいセンいっていたと思うのですが、8によるスターウォーズ・スキームの盛大なブッこわしに激怒したファンの暴動から、泣く泣く過剰な原点回帰をせまられた結果、9ではまたぞろC3POとR2D2を前面に押しだすこととなり、愛されるべきだった新たなイコンは完全に銀河の塵と消えたのです(またぞろ、シークエルへの批判がエッキスで再燃しながら、だれもBB8の話をしないことが、これを証明しています)。

 あと、御年76歳のシガニー・ウィーバーが劇中では俳優としてブッちぎりの格上すぎて、ジャバ・ザ・ハットの息子さえしのぐ存在感をかもしだしており、「Xウイングを持ちだすまでもなく、マザー・エイリアンをブチころがしたアナタの手腕なら、ハット族の砦ぐらい単騎で壊滅できるのでは?」と考えてしまったのは、作品世界を堪能する上でのかなりなノイズとなったことをお伝えしておきます。ともあれ、マンダロリアン・アンド・グローグー、ベイビー・ヨーダがなんらかの形で再撮影のウワサされる789の本編にからんでくれることを期待しつつ、虚構審美集団nWoによる採点は、100億とんで60点としておきます。

ドラマ「九条の大罪」感想

 家人にすすめられた「九条の大罪」、柳楽くんが出演していると知り、ネトフリで全話まとめて見る。彼のデビュー作であるところの「誰も知らない」を個人的に偏愛しており、少年という未分化でテンポラリーな状態がまとうエロスを存分に堪能したことを思いだします。少年期の柳楽くんが撮影中に声がわりをむかえたことを脚本に落としこんでいたり、成長とともに失われたゆくものが、みごとにカメラへとおさめられている傑作と言えるでしょう(これがのちに、「万引き家族」「怪物」と時空を越えて、是枝作品に”柳楽顔”の少年が抜擢され続けるのを見せつけられ、監督の児ポ方面における審美眼のたしかさに戦慄することになるのですが……)。話を「九条の大罪」にもどしますと、要するに主人公の職業を弁護士にしたウシジマくんなわけですが、「地面師たち」や「サンクチュアリ」とおなじく、海外の巨大資本から潤沢な資金を得たことで、CM協賛企業や芸能事務所へ忖度する必要がなくなり、さらに地上波特有の倫理規定まで外れると、本邦の映像業界はまだまだこれだけの地力を発揮できるのだと、勇気づけられるクオリティにしあがっています。キャスティングのあんばいも絶妙で、柳楽くんの気弱で線の細い感じに対して、壬生くんの俳優をはじめとする反社の面々が、ぜったいに人生でかかわりたくない暴と凶のオーラをビンビンにはなっていて、視聴後はおのれの凡庸な日々と狭い人間関係が相対的に価値をあげたような感覚さえありました(けれど、全身に墨を入れたムロツヨシが真顔ですごんでみせるたびにわろてまうので、ここだけはミスキャストのように思います)。

 この全10話のドラマ版はとんでもないクリフハンガーで幕を閉じるのですが、どれだけ調べてもシーズン2の配信予定どころか、鋭意撮影中との情報さえ出てきません。続きが気になってしょうがないので、原作漫画を電書で一括購入して読破し、ようやくその理由がわかりました。10巻まではドラマ版と同じく怒涛の展開で、底割れのしないキャラクターたちの引き起こす、一見たがいにつながりのない事件が有機的に連動してゆくさまには、良いフィクションを体験するとき特有の、ジェットコースター的な快感がありました。なのに、コロナ禍に影響されたのだろう医療編が脈絡なくはじまると、物語の疾走感へ急にブレーキがかかりはじめるのです。そこからは、ポケモンみたいに上位ヤクザが次々と登場するのに、いっこうにストーリーの本筋と作品テーマが前へと進まなくなり、10巻までの設定をこすりながらゆっくりと旋回するメリーゴーランドみたいな状態におちいってしまいました。おそらく、壬生くんが作者の中で半グレのボスから反骨のスーパーヒーローへと格上げされ、彼の口をかりて都会の自由業にしか有効ではない特殊な人生訓と、レフトウイングド国家観をたれ流すようになるのには、なんだか目をおおいたくなる感じがあります。演出にしても、作者の旅行写真をトレースした背景にムキムキのヤクザの立ち姿か、下くちびるの特徴的な若い女性の顔面アップがくりかえされるようになり、医療編の前後でまったくちがう漫画になったという印象を持ちました。ドラマ版の脚本は、漫画版の後半で登場する設定を前だおしで見せるなど、かなり構成が練られていて、壬生くんと京極および伏見組の因縁がキチンと決着するところまで話が進まないと、シーズン2の作りようがないのです。

 しかしながら、いまの原作の状況を見るにつけ、シーズン1終盤にただよう不穏きわまる気配はきれいサッパリ消滅しているばかりか、いつのまにか「ゆるせない悪徳に対するアレルギーとしてのくしゃみ」という設定も消え、直近の話では柔術の達人ーーこの男、隙がない(ハア?)ーーみたいな設定まで盛り盛りにつっこまれていて、九条先生が苦悩する弱き法の執行者ではなく、作者の考える社会正義を代弁して実行するスーパーマンになり”さがって”きている。ドラマ版がうまくすくいあげた「2つの巨大な暴力機構に呑みこまれそうになりながらも、その狭間において知識と信念だけを武器に危ういバランスをたもちつつ、おのれの信じる道をつらぬく」という主人公としての魅力が、すっかり失われてしまっているのです。もう壬生くんが京極をたおして伏見組を乗っとることはないし、九条先生が検事の兄と対決することはないし、烏丸先生はナアナアで九条法律事務所を離れることはないし、日本一のタコ焼きが小粋な伏線として回収されることもないのに、「焼肉に行って、とことん飲む」ことは作中における最高の贅沢であり続けるでしょう。ともあれ、ドラマ版がこのまま頓挫するのはあまりにもったいないので、シーズン2は完全オリジナル脚本でヤクザと警察、検察と弁護士の対立に、それぞれの家族の葛藤をからめた四つどもえの展開ーー法の正義は執行され、九条先生は弁護士のまま死ぬ(最後の晩餐ないし末期の水は例のタコ焼き)ーーが描かれることを期待しております。

漫画「Dr. STONE」感想

 Dr. STONEを電子書籍でイッキ読みする。ここにいたる経緯は、みなさまご明察のとおり、DiabloIIへの耽溺にともなう”ながら見“で同作のアニメ版を流しはじめたところ、「地球人類が滅亡したあと、ひとり地上にとりのこされたら?」というFallout3由来でおなじみの個人的な妄想に対する、別の視点からのアンサーが提示されており、スッと作品世界に引きこまれたからです。声優の演技を聞きながら、リニアーにストーリーを追うのがまだるっこしくなり、物語が完結していることをなんども指さし確認しながら、密林で電書を一括購入しました。ここで、だれも知りたくないDiabloIIの進捗へと脱線しておきますと、平場におけるウォーロックのあまりの強さに、「まあ、いけるやろ(笑)」とナメた態度でウーバー・トリストラムの強化3悪魔へといどんだところ、もののみごとに返り討ちにあい、特大紫ポーションの備蓄と虎の子のレベル90台の経験値を、根こそぎ吐きだす結果となりました。そこで正気にかえり、肩をゴキゴキいわせながら「ひさしぶりにやってみるか、ディアブロ2ってやつをよ」などとひとりごちながら、クソはずれハイルーンであるところのChamを破格のトレードでLoとOhmにかえて、GriefとCall to Armsーー631でしたーーを作り、いまはリベンジのためのスマイター・パラディン育成にはげんでおります。

 話をDr. STONEにもどしますと、本作は科学のすばらしさを啓蒙する正しい少年漫画になっていて、数だけはムダに多い氷河期世代相手の”海賊”商売ではなく、「もしも千空がアホだったら?」のミニコーナーを見てもわかるように、小学校高学年から中学生くらいの読者へ真摯に向きあって作られているのです。「科学とは、人類という種が総体として知恵を継承していく手段であり、個人の死は科学の終焉ではない」という描き方は充分に感動的で、若い世代がこれに共鳴すれば、世界はきっとより良い場所になるだろうと信じさせてくれます。そしてなにより、漫画がバツグンに上手い。週間連載だったとは信じられないほど、アニメ版の出来に不満が生じるほど、絵のクオリティからコマ割りから構図のケレン味にいたるまで、とにかく漫画が上手い。全巻をむさぼるように読み終えて、ひさしぶりに良い虚構体験をしたとの感慨にひたりつつ、本作の想定するターゲット層ではないがゆえの小さな不満点を書き残しておきましょう(また!)。まず、各章の最後における〆のバトルで「事前の準備がことごとく突破され、陥った大ピンチが主人公による関与の外側で解決する」展開が多く、この物語の主役は”科学”であると言いたいのでしょうけれど、わずかにカタルシスを減じているように感じました。また、ストーリーが進んで復活者が増え、科学知識が進展すればするほど、世界の描き方が悪い意味で漫画っぽくなってゆき、「数百人、数千人を遠隔からどう統治するのか?」という問いへの回答が郷土料理であったり、主人公チームの万能さがどんどんウソっぽくなっていくのです。

 さらに、過去なんども指摘していることながら、霊長類最強の高校生も銃器にはかなわない設定なのに、低体重で細腕のモデル体型をした女子がタッパがあって筋肉質の男子と互角になぐりあえるのは、いにしえのウーマンリブが年月を経るうちに、いつしか男性の性癖へとすりかわっており、現実の女性をカンちがいによる不要の危険にさらす可能性さえあると思います。きわめつけは、さんざんに引っぱったラスボスの正体で、「人類には理解できない動機やオーバーテクノロジーは、宇宙の彼方からやってきた機械生命体だったからでした」というのは、ちょっと反則のように感じました。「ここまでを毎週たのしませてくれたんだから、最終回ぐらいつまらなくたっていいじゃないですか」を地で行く展開で、「連載初期の興奮を最高潮として、そこから若干さがった位置で物語が幕を閉じる」のは、120点が100点になっただけなのに、位置エネルギーによる不満を生じさせていて、もったいないなと思います(連載終了後の後日譚である最終巻の冒頭で、科学による積みあげがゼロにもどったとたん、すこし色あせていた面白さがギラギラとよみがえるのは、皮肉な答えあわせになってしまっている気がします)。そして、ロケットの打ち上げを科学技術の極致として描き、石化と治癒の理屈やタイムマシンの詳細な原理をごまかしているところは、当たりまえですが、あくまで人類の有する既存の科学技術の内側でしか作劇できないことを表していて、最近、ピーター・ウォイトの「ストリング理論は科学か」をぽつぽつ読みすすめていることとあいまって、強い閉塞感をおぼえてしまいました。

 本書の内容を要約すると、1970年代を最後に人類の科学による世界理解は歩みを止めており、以後の半世紀にわたってストリングスなる数学的虚妄科学界を政治で支配し続けている事実への告発です。2026年という昭和の人間にとっての超未来において、いまだ時空と重力を統合する理論は完成の気配さえなく、軌道エレベーターも月面基地も恒星間旅行も夢のまた夢、先人たちが営々と築きあげてきた科学知という名の真円の辺縁を、未知の外側へむけてプッシュし続ける姿勢は鳴りをひそめ、いまや人工知能なる非生命体に既知の内側を高速でクロールさせることに、莫大なリソースをつぎこんでいる。月面着陸の虚構を疑う態度を笑えないほど、もはや人類は宇宙という「最後のフロンティア」に無関心で、地球なる楕円の表皮において、おなじみの資源をめぐる既視感に満ちた争いに窮々とする始末。千空たちの冒険をめぐる高揚は、日進月歩に人類の世界理解が更新されていた1970年までの「科学万能の時代」に満ちていた空気に帯電していたのであり、悲しいことに、いまやそれは雲散霧消して影も形もありません。ともあれ、オタク第二世代に特有のシニカルな態度へ終始しながらも、後生おそるべし、若い世代がグローバルなんちゃらみたいな私立ブンケイのキラキラ虚飾学部に進学するのを阻止し、理系分野の本質的な魅力へといざなう格好の啓蒙書として、プロジェクト・ヘイル・メアリーに引き続き、nWoが自信をもって、Dr. STONEを全国津々浦々の少年少女へと強く推薦するものである。

ゲーム「プラグマタ」感想

 話題のプラグマタをノーマル難度でクリア。本作は、たとえばステラーブレイドと同じく、幼女アンドロイドに対する印象の好悪がそのまま加点要素として乗ってくるタイプの作品で、生粋のDr. LOLICONならば、「ククク、正解だ……100億点くれてやんぜ」と、ご満悦になるのかもしれません。もちろん、みなさまのご承知おきどおり、小鳥猊下は金髪碧眼の少女をアバターとするテキストサイト管理者であり、心の底からのいつわらざる愛によって、プラグマタをゲームとして客観的に評価する資格を、あらかじめ喪失しているのです(ここからの話を聞くさいの前提にしましょうね)。このディアナというキャラ、まるで宮﨑御大が監修したのかと疑うほど、女児の言動がリアルに作りこまれているーー両腕を伸ばしたままのジャンプ地団駄や、「ねえ、聞いて!」からの「したかった」語尾などーーところへ、突如として瞳が輝くモニターとなってマシン語を話しだしたり、歯でじかにメモリースティックを噛むことでデータを吸いあげたり、愛らしさと異質さとのサイファイ的ギャップが、もうたまりません。特に、うっすら青筋の見える眉間をしかめてする困惑や不機嫌の演技がすばらしく、なぜかかんしゃくをおこすニナ・ケルヴェルーーぜんぶ、フィデルのせいーーの凶悪な面相を思いだしました。エッキス局所では「お父さんシミュレーター」などと称されておりますが、「美しい見た目をしており、性格は素直で頭の回転は速く、なにより父親のことが大好きである」存在を愛せるのは当たりまえの話で、このシミュレーターには100段階あると仮定すれば、レベルは3にも満たないぐらいでしょう。重篤な生得的ディスオーダーをかかえている場合をレベル100として、「見た目がうるわしくなく、性格は素直とは遠く頭の回転はにぶく、なにより父親とそりがあわない」なんて娘はいくらでも転がっており、世間の平均的なお父さんはレベル40ぐらいをシミュレーションどころか、実地でやっていることは知っておくべきでしょう。

 アクション・パートは、サードパーソン・シューターとひと筆書きハッキングを組みあわせたものになっていて、「右手でマル、左手で三角を同時に書く」ような混乱を脳にまねきます。やることの多さに、最初はパニック状態へおちいるのですが、操作に慣れてきて冷静にエネミーを観察できるようになると、動きはスローで攻撃のさいの予備動作も大きいことがわかってきます。完全新規のゲームシステムをどうプレイヤーの体験に落としこむかについて、手さぐりの調整をうかがわせ、数年にわたる発売延期の苦労の一端がしのばれます。ゲームの後半へと進むにつれて、「せまい場所に閉じこめられての多対一」が執拗にくりかえされるようになり、さらにはバリア破壊や浄化などの攻撃を阻害する要素が入ってくるのには、正直なところ、かなりイライラさせられました。そのいらだちとは裏腹に、すべてのボスをほぼ詰まらずにスルッとたおせてしまうので、「もしかすると自分は、ウメ・ハラばりにゲームが上手いのではないか?」と気持ちよくカンちがいさせてくれるのは、老舗ゲームメーカーの面目躍如と言ったところでしょう。これがトレーニングモードになると、とたんに酷薄な黒縁メガネのアメ・ミヤが足ばらいをかけてきて、高くなった鼻ごと泥水に顔面からつっこまされるハメになるわけです。このアクション・ミニゲーム群は、パーフェクトを意味する王冠を取るために、数十回におよぶ試行で行動の手順を詰めていかねばなりません。最悪なことに、主人公の育成に必要な素材が賞品としてまかれており、メインシナリオ部分が10時間ほどしかないため、リソースの使いまわしでプレイタイムを水増ししようとしているような印象をあたえてしまっています。

 ストーリーにふれておくと、先に述べた「お父さんシミュレーター」という呼称が心のスロットにナナメから入った状態でプレイを開始したため、うかうかとそれにのってやるものかと批判的な気分に満ちていたのですが、その防衛規制はエンディング間際になって、もののみごとに瓦解することとなります。デッドフィラメントに侵食されて満身創痍の主人公が、何も知らないディアナの「ヒュー、カーゴを見つけたよ!」という無邪気な報告に「ほんとうか!」と返すときの声の調子が、前日の午前様から疲労と寝不足でフラフラの状態でする家族サービスのさなか、先を走る我が子がなにを見つけたか知っているのに知らないふりをするときの、空元気をふりしぼって幼い存在に心配をかけまいとする、まじりけのない父性からの「ほんとうか!」になっていて、お父さんレベル20の胸は共感と哀切に突かれ、涙腺という名のダムはそこで決壊しました。そのあとも、両腕を水平に広げて「抱きあげられ待ち」をするディアナの、性的プレデターにはけっして向けられることのない、満面の笑みによる信頼を目のあたりにして、独り身の孤児と倉庫に打ち捨てられたアンドロイドは、ついにほんとうの家族になったのだとわかり、画面も見えないほどの号泣をしてしまったほどです。その深い感動の余勢をかって、トゥルーエンドを見ようとクリアデータからプレイを再開したのですが、「全エリアの探索率100%」と「全エリアの強化ボス打倒」を条件にしているのは、昨今のアジア的なユルい調整に慣れている身にとって、あまりにギチギチの”日式ゲーム”すぎ、早々に自力での達成を断念して、動画サイトによる視聴へと切りかえたことをお伝えしておきます(あれくらいの変化に求める対価としては、少々プレイヤーへの負荷が大きすぎませんか?)。ともあれ、欧米の価値基準に照らせば、まったく政治的に正しくないプラグマタ、謎の交響管弦楽団ペドフィルに籍を置かない奏者にも、胸を張ってオススメできるオリジナル作品にしあがっていることを、虚構審美集団エヌ・ダブユ・オーがここに請けあいましょう。

雑文「D2:RotW and K.Rider」(近況報告2026.4.30)

 DiabloIIR: RotWに1日1時間を捧げる日々を過ごしている。路上のムシロに出勤する前にメフィストの対岸焼きを数回、ルンペン・ワークからの帰宅後にkey集めと各地のトレハンスポットをぐるり1周するのが、もはや生活の一部となってしまった。それもこれも、新クラスのウォーロックが万能すぎるせいで、「ブリソサは耐久性に欠け、ハマーディンは狭い場所が苦手」みたいな定番ビルドの愛嬌みたいなものが、コイツにはまったく存在しないのである。1ヶ月のプレイで死んだ記憶はわずか2回ーー骨チビの連続爆発とゴーストの収束雷ビームというド定番の死因ーーで、アルコールさえ入れなければハードコアでのレベル99達成もできると確信するほどのブッ壊れぶりなのだった。なぜこんな調整になっているのかと言えば、同名のクラスがDiablo4の次期大型アップデートで導入されるからで、短期集中の文字通り「客寄せパンダ」として、意図的なバランス崩しをやっていると思われる。それを証拠に、先日リリースされた次期ラダーにおけるウォーロックの下方修正リストは、ホヨバの課金アプリで実行されたならば、ネットはファンの暴動で大騒ぎになり、翌日には株価急落のストップ安になるレベルのひどい内容になっている。自分の手元にある「ぼくのかんがえたさいきょうまほうつかい」が1シーズンのみの仇花になるとわかったことで、急速に気持ちは冷めてきており、心の熱が完全に失われないうちに、DiabloIIなる古代の遊戯について、駄テキストを残しておこうと思いたった次第である。

 以前にも述べたように、DiabloIIはラダーリセットですべてがご破算になるまでの、約4ヶ月にわたる市場経済の推移を楽しむゲームであると言えるだろう。アイテムの価値はシーズン開始直後を最高として漸減してゆくのだが、それを順に追いかけるなら、ざっと次のようになる。最初期はトレハン用ユニークとセットがとぶように売れ、次にビルド完成用のユニークとセットが求められるようになる。有用なユニークとセットが市場に飽和ーーRingとAmuletは値崩れしない印象ーーしだすと、付与された可変値が重視されはじめ、Skillerと呼ばれるスキルレベルを上昇させるgrand charmの募集がはじまる。そして、超級ルーンワード用のルーンとソケットアイテムに需要が高まる時期が長く続き、ラダー終盤では超級unique small charmであるAnnihilusと超級unique large charmであるHellfire Torchの良可変値を求めて市場がにぎわい、やがて可変値MAX品にしか価値が無くなる頃に、ラダーは終焉をむかえるのである。ちなみに、このAnnihilusーー”あにひらす”と記述すると、アラ、まるで地方行政のPR誌のような印象にーーは、Stone of Jordan(以下、SOJ)というunique ringをサーバー上で100個ほど売却したあとに出現するDiablo Cloneをたおすと、確定ドロップとなる。SOJのドロップ率は0.0003%程度なので、個人ではぜったいに到達しえない気のくるった仕様になっている。いまでは文脈が消えてしまっているが、無印DiabloIIの時代はSOJがトレード通貨として機能ーーアイテムの種類が少なく、LoD以降よりずっとドロップしやすかったためーーしており、それゆえに大量のdupe(複製)が出まわっていたのである。その違法コピー品を、Blizzard社が市場から一掃するための施作として生まれた仕様なのであり、出現するsuper unique monsterがDiablo “Clone”なのも気がきいている。

 ちなみに、ゲーム中でもっとも出現率の低いアイテムはハイルーンのZODで、0.0000003%ーー宝くじで1等を当てる確率は0.000005%ーーほどとなっており、「20年プレイし続けているが、いちども自力で入手したことはない」のも、当たりまえの世界なのである。DiabloIIでは、パーティの人数が多いほどドロップ率がよくなるーー正確に言うと、落ちるアイテムの数が増えるので、レアの抽選回数が増えるーーため、本質的にラダーは勤め人のサラリーマンが資産形成でたちうちできる場所ではない。1回のラダー開催期間を120日と仮定して、bot入りの8人パーティで1日24時間を稼働し続けるチームと、アルコール入りの1人パーティで1日1時間ほどしかさわれないソロとの差は、単純に各項目をかけ算すれば、一目瞭然であろう(過去、「Hellfire Torchを入手するための3種のkeyは、ラダー全期間を通じてほぼ価値が変動しないから、hell act1の通称”ルーンおばさん”を狩り続けてbotterとトレードするのが、ソロによる資産形成の最高効率」という指摘に、目からウロコが落ちて実行にうつしたところ、工場のベルトコンベアーめいたその単純労働は、小鳥猊下がゲームに求める喜びとはあまりにも遠いものだったので、早々に断念したのを思いだした)。Hellfire Torch入手のために”強化3悪魔”を打倒できるビルドの育成が、ながらくDiabloIIのエンドゲームだったのだが、RotWにおいてはさらなる強敵”Colossal Ancients”が導入された。私のプレイスタイルでは、ギリギリそこに届かないぐらいで今シーズンのラダーは終了しそうであり、ここまで、DiabloIIなる古代の遊戯ついての客観的な認識をつらつらとならべてきて、以後はタイムリミットのないノンラダーで細々と遊ぶのが、正解のような気分になってきた。それだけでも、だれも読まない駄テキストをつづった意味があったというものだろう。

 オマケ的に報告しておくと、今回、非常な勢いで進捗した映像のながら見は「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」だった。ハチワンダイバーの作者による原作で、氏の悪癖ならぬ性癖であるところの「特撮が好き」「巨乳巨女が好き」「鼻血とゲロが好き」だけを極限まで煮つめたような作品になっている。どういった政治力によるものか、2クール24話の枠をいただいているのに、「仮面ライダーのいない社会に、なぜショッカーが存在するのか?」という特大かつ原初の問いからどんどん遠ざかりながら、ガタイのいい女がグーで顔面をなぐったりなぐられたりするのを、延々と見せられ続けるのである。長時間におよぶ無為なトレハンとのSOJ(相乗)効果もあり、物語にはテーマを見いだしたい古い虚構耽溺者にとって、かゆいところをいっこうにかいてくれないイライラは、最高潮へと高まっていったのだった。東映が本作へ全面協力しているようなのは、おそらく組織内の世代交代が進行して創業初期メンバーが消滅したゆえの悲劇的ナンセンスであり、1話と最終話だけを見れば物語の極薄エッセンスを嚥下するのに寸分の過不足もないと、ここに吐きすてておこう。