猫を起こさないように
月: <span>2025年11月</span>
月: 2025年11月

ゲーム「ドラクエ1リメイク」感想

 ドラクエ1リメイクを13時間でクリア。原作の物語の「竜王の島にわたる方法を探す」「竜王をたおす(姫の救出は任意)」という2行しかないキュウリサンドみたいな行間に、でっぷりとソースを塗りつけたブ厚いトンカツをはさみこみ、パン生地のなかばまで茶色が浸潤したカツサンドみたいな作品であり、カンダタやローラ姫の親衛隊など、オリジナルにはなかった要素をこれでもかと盛りこみ、ずっと曖昧にされていた「3の勇者は、ついに元の世界へは帰れなかった」ことを、史実として確定させてしまった。つまり、リメイク3部作を通してふりかえれば、がSFC版のレシーブで「伝説のための土木工事」を行い、1が「母との再会かなわぬ勇者」というトスをあげ、が「はるかなる故郷への帰還」をスパイクするセットアップになっていて、ホーリー遊児による「アリアハンの生家へ、オルテガのかぶとを返す」というビッグアイデアa.k.a.思いつきのために、偉大なる3を踏み台にしたのはまったくもってゆるせないが、「母なる者を救済する、美しい構造」を形にする欲望にあらがえなかったのだろうと想像する。ゆえに、令和のリメイクは312の順でクリアするのが”正規ルート”なのだが、これにしたがった場合、1が2の到達への阻害要因になる可能性は、低くないように思う。なんとなれば、リメイク三部作の中で1だけが3とも2ともちがう、これまでのどのシリーズ作品とも似ていない、「異形のドラゴンクエスト」になっているからだ。

 2がストーリーに対して行ったように、1でグシャグシャに換骨奪胎されたのは戦闘システムで、イライラばかりがつのる多対一の雑魚戦や、初見で撃破することはまず不可能な死に覚えのボス戦は、過去のドラクエをよく知る者ほど深くハマりこむ、北斗逆死葬ーーnWo3度目の登場ーーのような泥沼である。ボス戦の攻略の手順をお伝えすると、ターン毎に決まっている敵の行動を、チビた鉛筆でチラシの裏に記述することからはじまる。それから、もっとも攻撃の苛烈なターンを「だいぼうぎょ」でしのぎ、比較的ゆるやかなターンを「リホイミ」「超ちからため」「弱点技」でダメージ累積するという、従来のドラクエとは完全に異なったゲーム性になっているのである。ここで注意したいのは、「弱点技」を「超絶技」に変じてはならない点で、後者はダメージあたりのMP効率が非常に悪く、長期戦にはまったく向いていない(ウーッ、ワナッ!)。さらに、ボスの体力が半分を割りこむと、シャドウ・オブ・ザ・エルドツリーばりに行動パターンが変化し、チラ裏メモ作戦は再びふりだしにもどる。ボス戦の攻略法をまとめると、「パターン1の行動観察」「死亡」「パターン1の撃破およびパターン2の行動観察」「死亡」「パターン1とパターン2の撃破」と最低でも”必ず”2回死ななければ、たおせない仕様となっているのである。これはもっとも乱数がうまくいったケースであり、ここに「つうこん」「かいしん」「ミス」「かいひ」が運要素として大きくからんでくる。

 特にボス戦は、「つうこん」イコール即死ないし瀕死みたいな調整がなされているため、余剰ターンにスカラをかけることで安定性を高めるのだが、主人公はスカラをおぼえない。未プレイの諸君の頭は、ときすでにメダパニ状態と推察するが、本作では武器防具をアイテム使用したときの効果に補助魔法が付与されていて、「ようせいのけん」のスカラに気づけるかが攻略の大きなカギとなる。特定の防具とアクセサリに付与された氷と炎への耐性も重要で、複数装備によってブレスを無効化し、余剰ターンを作りだす必要性から、最終装備がロトシリーズにならないという、ロトの伝説をかきみだす弊害ーーやまびこのぼうしとガイアのよろいで竜王を討伐ーーまで生みだす始末である。また、ゲーム終盤に必須の「ベホイム」と「めいそう」はレベルアップで修得せず、それぞれ本棚とメダル景品に巻物として配置してあり、探索をしっかりしておかないと、明確な”詰み”さえ生じるのだった。大問題なのは、ここまで述べてきたような、従来のドラクエとは大きく異なる、「コマンド式ソウルライクRPG」的なプレイを強いられるにも関わらず、その抜本的な変更がゲーム内でいっさい触れられない点であろう。

 諸君がいだくだろう、「ドラクエなのだから、レベルを上げることで解決できるのではないか」との疑問には、「多対一の雑魚戦」が別の問題として立ちあがってくるのである。モンスター側が複数回攻撃にくわえて、「眠り」「麻痺」「すくみ」などの行動阻害を頻繁におこなうため、ひとつひとつの戦闘が長期化する上に、勝敗の結果はあまりに大きく運の要素に左右されてしまう。「イラつきすぎて、レベリングなんてやってられない」ため、制作側の想定する適正レベルかそれ以下で、中ボスたちと対峙しなければならない状況が、ずっと存在し続けるのである。エイリアンフライあたりで、マジメにメモをとるのがもうバカらしくなって、攻略サイトに書いてある”正解の手順”をそのまんまトレースしだすと、あとは「”瀕死の奴隷”の足下にはべるサル」みたいに、クリアまでのすべてを他者の模倣に終始するハメとなるのであった。そのくせ、最終盤でやまびこギガデインが解放ーーこれまでの苦労はどこへやら、開幕の2連発であらゆる雑魚を完全封殺ーーされると取得経験値は過剰ぎみとなり、ラスボスである竜王はレベル差で虫ケラのように轢き潰せるため、全ボス中でもっとも弱く感じるという本末転倒なバランスにしあがっている。

 全体的に、専門学校へ通うゲーム作りの初学者がRPGツクールでしあげた、「ぼくのかんがえるさいきょうのどらくえ」みたいな中身になっていて、楽しいはずのドライブに出かけたら、助手席の不機嫌なモラハラ・パートナーが大きなため息とともに、道順から速度からブレーキのタイミングまで、ギチギチに指図ーー「ハーッ、いまのは『だいぼうぎょ』のターンだろ? オマエは本当にドンくさいな!」ーーしてくるような窮屈さと不快さだとたとえれば、未プレイの女史にも伝わるかもしれない。このゲームをほめる評を書いている人物を見かけるにつけ、世界の広大さと人間の多様さへ感心する気持ちにはさせられるが、ぜったいに彼らを同僚や上司には持ちたくない。まずもって、社内にある「ハンコを捺印するさいの傾斜」に類するアンリトン・ルールをいっさい教えず、新人が失敗するのをニヤニヤ見過ごすことに優越感をおぼえるような、ゆがんだ性根の持ちぬしであるにちがいないから!

 あと、ローラ姫まわりも意味不明で、FC版では裏技的あつかいだった「エンディングまで冒険に連れまわせる」バグ?を、本リメイクにおいては仕様にまで昇華させ、すべてのイベントで無口の主人公をさしおいて、ボイスつきでしゃべりーー竜王への口ごたえまで!ーーまくり、終盤では”ローラの祈り”で戦闘補助までこなすくせに、うっかりラダトームの城の門をくぐったが最後、選択の余地なく強制離脱させられてしまうのである。ごていねいに別れの夜のイベントがさしこまれて、オートセーブを上書きされたーーこまめに冒険の書へ記録しようねーーのは本当にムカついたし、「ローラと最後まで冒険したかったら、2周目からがんばってね!」とでも言わんばかりの、ゲームの盤外で行われる他メディアとの苛烈な可処分時間戦争にきわめて無頓着なふるまいには、怒りをとおりこしてあきれるしかない。徹頭徹尾オールドファンを挑発し、ニューカマーに不親切なゲーム性であるところのドラクエ1リメイク、こんなものを認めてはnWoの沽券にかかわるため、すべての人類にオススメすることはできない。

ゲーム「崩壊スターレイル第4章・明日は昨日に」感想

 崩壊スターレイルのバージョン3.7をクリア。1年近くにおよんだオンパロス編は、ここに堂々の完結をむかえました。この英雄譚は、はじめて彼の地へと足を踏みいれたときには想像だにしなかった、はるか遠い場所にまで我々を連れてきてくれたのです。生粋のストーリーテラーの脳内にあふれる物語を、湯水のようにこれでもかと間断なく浴びせかけられる体験は、長らく忘れていた書痴的な快楽でもありました。「最後の創世と火追いの旅」と「銀河の各勢力が結集する”壊滅”との対峙」を同時進行で見せながら、生命がかくある理由の深奥へと大きくせまり、クトゥルフ神話を彷彿とさせる狂気の神々までをも開示する、少年を主人公としたかつての物語類型がさまざまな理由から、絶頂の手前で頓挫させてきた、「世界という究極の謎」の解決ーー本邦でこれを達成したのはランス10のみで、FGO終章がより一般的な場所で同様の期待を背負っている状況ーーへ果敢に挑戦していく姿勢と、まばゆいばかりの才気のきらめきには、めまいのような感動をおぼえました。マダム・ヘルタと天才クラブの面々による丁々発止のやりとりは手に汗をにぎりましたし、にッくき仇敵ザンダーの弁にも理があると思わせる描き方は、本邦に主流の「IQ90の主人公をIQ50が平均の世界に置いて無双(笑)させる」作品群とは、視座の高さが天地ほども異なります。三千万回もの「読み聞かせ」が、ただの機械に過ぎなかったものの内側に”愛”を生じさせる過程や、巨大アヤナミを思わせる美少女とオクヘイマの12柱による”壊滅”との最終決戦は、ここにいたる膨大な積みあげがあるからこその、「激しい情動のドラマツルギー」へと昇華していました。このように、基本的な評価のベースは「観客席で滂沱の涙を流しながらブラヴォの拍手を送るスタンディング・オベーション」でありながら、上品に口を閉じておけず、苦言も同時に呈して読後感を汚すまでが、nWo節と言えるでしょう。

 ようやく重い腰を上げて参戦したサンデーが事態の解決になんら貢献しなかったのは残念ですし、”壊滅”への対処に向けた各勢力の内幕がROUGHでのシンクン・ソード将軍一派のものしか詳細に語られなかったのは不満ですし、オンパロスに結集した各勢力による銀英伝みたいな絵ヅラの艦隊戦が、ほんの短いムービーで終わってしまったのは、じつに拍子ぬけでした。なにより気になったのは、本章のライターから一身に恩寵を受けるキュレネの存在で、最初のうちは絶望の輪廻のうちにあって底抜けに前向きな言動や、冷厳なる論理による計画を”愛”のぬくもりで溶かそうとする在り方に涙が止まらなかったのですが、まさかこのピンク髪ポジティブ美少女モンスターのポエム語りだけで、最後まで走りきるとは思わないじゃないですか! たとえるなら、「ふわふわあま〜いパンケーキのおみせ」にはいったら、イクラかけほうだいならぬ、クリームとシロップかけほうだいのサービスをやっていて、マッチョ2めいが「おきゃくさまのタイミングで、ストップをもうしつけてください」といいながら、バケツからひしゃくですくったクリームとシロップをかけはじめるのですが、ディッシュをこえてテーブルにはみだして、ついにフロアにまでボドボドこぼれはじめて、おおごえで「ストップ、ストーップ!」とさけんでいるのに、おしかつんぼみたいにつうじなくて、「キミがッ、なくまでッ、かけるのをやめないッ!」とばかりに、クリームとシロップをかけるのをやめてくれないようなものです(バージョン3.7結部におけるロマンチックな”知恵”の融解現象を表現するため、ひらがな表記にしてみました)。特定のキャラクターに対する作り手の思い入れが、全体のバランスまで傾けた見本となってしまっており、なにか別のやり方があったのではないかと感じてしまいます。

 そして、「宇宙を救う活躍をした綺羅星のごとき英雄たちーー初期キャラのカフカや銀狼がかすむレベルーーは、どこまでもデータ上の存在にすぎず、出版された物語として現実に弱い影響を与えるのみである」という結末が、「どれだけ稼いで企業体として拡大したところで、つむがれたフィクションに現実の紛争や虐殺を止める力はなく、社是である”TECH OTAKUS SAVE THE WORLD”が達成される日は来ない」との内省だか諦念から来ているのだとしたら、あまりに生真面目でナイーブすぎると言っておきます。他のゲームでたとえるなら、「ボーダーランズの中にタイタンクエストがあって、タイタンクエストで育てたキャラはボーダーランズでは使えない」みたいな状況は、あまりにもったいなさすぎるでしょう。Gガンダムの最終回みたく、リアリティ・ラインを著しく下げ、オンパロスの英雄たちを受肉させて、スターレイル宇宙をみんなで冒険するほうが、ずっと楽しくてワクワクするにきまってるじゃないですか! まだ本章のバージョン更新が残っているみたいなので、ホヨバさん、ひとつたのみますよ!

ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(クリア後)

 ドラクエ2リメイク、1周目をクリアしてから続けざまに真エンドに到達。いやー、ホーリー遊児はこれをやりたかったんですねえ! ここにいたり、ピザがトマトソースとチーズを、お好み焼きがソースとマヨネーズを食べるための”台”であるーーデブが書いた表現ーーように、3リメイク2リメイクという素材をのせるために作られた”台”にすぎなかったことが確定しました。FC版では、ロム容量の関係でデフォルメ・サイズに縮小され、とばっちりでリムルダールまで滅んでいたアレフガルドが、3リメイクのそれをなんら変更せずにドカンと流用しているため、ゲーム全体の規模感は大幅にアップしています。後述する真エンドでも同じことをしていて、3に強い思い入れのある身には、制作側が2の露はらいぐらいにしか考えていなかった事実をあらためて突きつけられ、悲しくはなりました。クリア後の視点からバランス面にふれておくと、ゲーム中盤から終盤にかけては、敵の攻撃回数の多さに比して回復魔法がわずかに弱いため、持久戦にもちこむと次第にジリ貧になってゆきます。そのため、本来のドラクエからはすこし外れた、高火力で殲滅する「殺られるまえに殺る」戦術が前面に出てくるわけです。中盤以降の調整がメチャクチャだった3とは異なり、その危ういバランスが最後まで崩壊しないのは、6以降の転職システムがいかにダメだったかを、逆説的に証明してしまっていると言えます。最終的にすべての呪文と特技をおぼえて、パラメータのふりきったキャラを4人ならべる状態がゴールに見えている育成をどんなふうに楽しみ、エンドゲームにおけるバランスをどうやってとるというのでしょうか。つまり、2リメイクの絶妙な調整は、転職システムがないから成立しているとも指摘できるのです。

 あらかじめ断っておくと、「ムーンブルクが物理最強」「サマルトリアが最高ダメージ」みたいな、クリア後にレベルをカンストさせて経験値が無意味となってから、ドロップ率の低い種を数百個あつめる時間貴族の遊びーー「もし寿命が千年あったら、どうやって過ごす?」にひとしい思考実験ーーには、ハナからつきあうつもりはございません。本作では、多くのボスに100〜300の自動回復が付与されており、「すべてのターンでそれを上回らないと、永久にたおせない」という簡易DPSチェックになっているのですが、ローレシアの王子a.k.a.破壊神を破壊した男は、そんなすべての小細工を正面から物理のみで破壊します。道中の雑魚どもは、ムーンブルクのやまびこイオナズンとサマルトリア兄のやまびこギガデインで瞬時に蒸発するので、ローレシアには剣をサヤから抜く機会さえありません。しかしながら、ボス戦においては「先生、お願いします」「うゥむ」とばかりに、用心棒のごとくのっそりと重い腰をあげ、パーティのお飾りであるサマルトリア妹の黄色い声援を受けつつ、「3ターン耐えたならば、ぬしの勝ちでよい」と宣言しながら、やおら上段へとふりかぶり、”おうえんバイキルトはやぶさ渾身斬り”をえいと打ちおろせば、3000から4000ほどの、もはやファイナルファンタジー級な大ダメージをたたきだします。オリジナルの2に思い入れのある層ーー就職氷河期で絶滅の憂き目にあい、ほぼ生き残っていないーーには、たいそう不評であるストーリーのキャラづけだけでなく、たとえばアリーナやクリフトのように、ゲームデータとプレイフィールで”勇者たち”の個性が浮かびあがるのは、すばらしいと思いました。

 俎上にのぼりがちなサマルトリア兄の優遇も、じっさいにさわってみれば「調子にのって皿に盛りすぎたバイキング」や「工学と物理学の博士号を持つ日本文学研究者」みたいなものだと了解できるでしょう。2リメイクにおけるサマルトリアの王子は、「人間はひとつの実存をしか持てないので、いちどに複数の対象へ意識を向けることは困難である」という哲学的命題さえはらんだ、矛盾に満ち満ちた存在となっているのです。また、ハーゴンの部下である”悪霊の神々”にも強い個性があたえられていて、「統率されておらず、横の連携もないが、個々の戦闘力がズバぬけている」という描き方は、鬼滅の刃における上弦の鬼たちをどこか連想させます。そして、おのれの妄執にだけとらわれ、部下たちを道具としか見ていないハーゴンの態度は、まさしく鬼舞辻無惨そのもので、「鬼滅のドラゴンクエスト」は、無限城たるハーゴンの神殿での最終決戦において、その絶頂をむかえるのでした。アトラスから身長を揶揄されたことに対するアオリ返しとか、バズズーー40年近く、ずっと”パ”ズズだと思ってたーーの最期に手向けられた優しさとか、シドーを”やっつけた”とたんに安堵で泣きだす様子とか、育ちの良さからくるサマルトリア妹の、いちども抑圧されたことのない自然な感情の発露ーー批判されてるキンキン声も好き(とても好き)ーーがとにかく最高なのですが、演出全般から目線にノリを貼られたクロコダイル先生の影がずっとチラチラただよってくる感じは、すこし笑えました。

 さて、ここからは真エンドの内容へとネタバレ全開でふれていきますので、年末年始に2リメイクをプレイする予定のある方々は、ひきかえすことをオススメします。頭では、ドラクエ初期3部作の世界構造を理解したつもりでおりましたが、ラーミアの背に乗って”偽りの天穹”を突破して上部世界へと飛びでたとき、「なんだか、原神みたいな設定だな」と感じてしまったのには、長さだけは人後に落ちない、おのれのゲーム遍歴を鳥瞰する気持ちになりました(ラーミアで鳥だけにって、やかましいわ!)。そして、始まりの地であるアリアハンにおいて、3の勇者の生家をおとずれ、ロトのかぶと・イコール・オルテガのかぶとを身につけたローレシアの王子を、母なる存在の残留思念が象徴的に抱きしめ、3の冒頭のセリフをささやくことで、「ロトの伝説」を冠する物語は数十年の時を超えて、ついにひとつの円環として幕を閉じたのです。国に命じられて戦場へと送りだした、生死もわからぬ夫と息子の帰りをずっと待ち続けるという意味で、彼女はまさに「岸壁の母」であったことに、いまさら気づかされました。若い人たちのために補足しておくと、ソ連抑留からの引き揚げ船を、舞鶴の港で待ち続ける母親を描いた昭和の歌謡曲で、老境をむかえたホーリー遊児のドラクエシリーズに対する心残りが、どうにかしてあの母親を救済することだったのには、胸をつかれるような思いになります。おそらく、本人が書いているだろうスタッフロール後の結部は、多くの言葉をついやさないまま、「ドラクエとは、なんだったのか?」を正しく総括しているように感じました。

 余談ながら、ときどき話題にのぼせる「丸刈りで首に毒薬の瓶をさげて、満州から逃げのびた祖母」は、命からがら舞鶴に帰港ーー訪れたところ、じつにうらさびしい場所でしたーーしましたが、生涯でそのときのことをいちども口にしないまま、亡くなりました。このエンディングについての評価は、個人的な感情とかなり混線しているので、そこをおふくみおきいただければと思います。「はかぶさの剣」「たたかいのドラム」「はぐメタ防具」など、まだまだやりこめる余地は残っていますが、NPCの発言から追加のエンドコンテンツがDLC配信されるほのめかしを読みとりましたので、いったんここで2の冒険を終えることとします。次は、ドラクエ1リメイクをやっていきましょう。

ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(開始25時間)

 ドラクエ2リメイクをプレイ中。せっかちなみなさまのために結論から申せば、制作会社にとって、ドラクエ3リメイクはHD-2Dのための習作で、こちらのほうが本命だったと思わせる出来になっております。3の印象が最悪だったので、ゲーム開始時点ではかなり批判的な視点で見ており、3段階の難易度とかリレミトとルーラの仕様とか、さんざん批判されたシステムをまったく変更しておらず、クリエイターのあまりの依怙地さには、あきれる気持ちが先に来ました。オリジナルにはない範囲物理のブッこわれ方もあいかわらずで、序盤は「チェーンクロス」「やいばのブーメラン」「いばらのムチ」をそれぞれ装備させ、決定ボタンを連打するだけで魔法いらずに戦闘が終了するため、「ほんとに、日本人はゲームを作るのが下手になったな……」とひとりごちながら、さっさとクリアしてしまおうと進行を早めたのです。ところが竜王の城あたりから、サマルトリアとムーンブルクの物理が通らなくなりはじめ、魔法でローレシアを援護しながら戦うという、ファミコン版のバトルへと質が変化してゆきます。中盤以降のボス戦は、スクルト、ルカニ、フバーハ、バイキルトなどの補助魔法を駆使した、じつにドラクエらしい持久戦に変じていて、「これができるなら、3リメイクからやっとけよ!」と思いました。広大なダンジョンにMPが枯渇し、買いこんだやくそうまでを使いつつ、ボス打倒に残すリソースを計算しながら、おそるおそる歩みを進めていくのは、まさにかつてのドラクエで経験した手ざわりになっています。よくよくふりかえれば、マップのサイズに比してエンカウント率が高すぎた問題は解消しているし、わざわざ「レベルアップ時にHPMP回復なし」のオプションを新設しながら、オフにするとかなり厳しいバランスに調整してきている。また、新規イベントが盛りだくさんなため、ガイドマーカーもオンにしておかないと、ストーリーを進めるのに支障が出るぐらいで、3リメイクをボロクソに言われたクリエイターが本来の発売日を延期してまで、中盤以降のゲームバランスをカリカリにチューニングし、批判をあびた要素をいっさい変更しないまま、新たにそこへ意味をあたえているのは、傲岸に腕組みして非虚業のプレイヤーたちを見下してくる感じで、「なんちゅう、なんちゅうプライドの高さや……」といい意味であきれました。

 そして、なにより特筆すべきなのは、ドラクエ2リメイクの正体は、”あってなきがごとし”なオリジナルのストーリーをグシャグシャに換骨奪胎して大幅な加筆をくわえた、40年(!)越しの公式による同人誌だという点でしょう。昭和の時代におけるムーンブルクの王女のあつかいは、犬の習性が抜けずに四つんばいで放尿するなど、かなり性的なまなざしに満ちたネタっぽいものばかりでしたが、本作では「亡国の王女による、悲しみと憎しみの復讐劇」にフォーカスを置いていて、「言われてみれば、ドラクエ2ってムーンブルクの王女が主人公の物語だよな」とあらためて気づかされ、オールド・ファンは得心するあまり、数十年来つまっていたウロコが目からボロボロと落ちまくった次第です。彼女の旅を助けるスケさんカクさん(古ッ!)ですが、プレイヤー代理の終始無言なローレシアの王子に対して、ことあるごとに針小棒大にさわぎたてるサマルトリアの王子のキャラ造形はまんま我妻善逸だし、ムーンブルクの王女のそれもほぼほぼ胡蝶しのぶなので、「鬼滅のドラゴンクエスト」みたいな同人感は、ストーリーが進むほどに加速してゆきます。しかしながら、「すべての魔物は、殺します」とひとりで部屋をとびだしたあと、「この魔物を見逃したら、ムーンブルクの人たちにうらまれないかしら……?」と地面に落涙する彼女の感情の落差は、なに不自由なく育てられた者がその平穏な人生をうばわれた事実を痛いほどに表していて、ひさしぶりの「ドラクエ浪花節」が強く胸にせまりました。また、「朗読を前提に書かれていないセリフを読みあげられるのは、とても聞いていられない」とボイスをオフにしてプレイする宣言をした脚本家?のツイートにカチンときたのでしょう、本作ではサマルトリアの王女の正式加入(バレ)後ぐらいから、声優がしゃべることを前提とした口語調がどんどん入ってきて、逆にテキストで読んださいに違和感を生じるレベルになっています。

 余談ながら、この妹、ハチャメチャに性格がカッとんでいて、たとえばメルキドを守護する一族の長男との応答で「いいえ」を選択すると、とたんにスッとんできたかと思えば、「なにやってんだよ! オマエだって勇者の末裔のくせに、呪文を使えねーじゃねーかよ! それを言ってはげましてやるのが、フツウだろーがよ!」みたいな罵倒をあびせてきたのは、ひかえめに言って最高でした(本作は「いいえ」を選んだときの展開でかなり遊んでいて、どれも楽しいです)。まだクリアにはいたっていない段階ーーロンダルキアの洞窟あたりーーでの推測を放言しておきますと、ローレシアの王子にセリフがあたえられていないのは、2の後日譚だとのウワサがあるドラクエ12への布石ではないでしょうか。だとすれば、ファンの期待がより高いはずの3と発売の順番を入れかえてきたのには、納得できます。ドラクエ2リメイク、原作をほぼ無視した完全オリジナル作品になっており、まったく意想外でしたが、3のリメイクに文句のあった人ほどオススメです! あと、ドラクエシリーズでいちばん好きな曲は、2で3人の仲間がそろったときのフィールド音楽だなと、あらためて感じました。

ゲーム「原神・Luna2」感想

 原神のバージョン6.1、別称「ルナツー」を実装部分までクリア。話が前に進んでいたころの日本ファルコムや、世界の謎に迫ろうとしていたころのスレイヤーズ!を彷彿とさせる展開になっており、「五大罪人」のひとりをナド・クライの総力戦によって、討伐・封印するところまでが描かれる。ストーリーのクオリティに文句をつける気はないのだが、新マップをいっさい追加せずに、セリフのかけあいと豪華なムービーだけでお話が進んでいくのは、原神というより崩壊スターレイルの手法になっていて、社内の別チームから悪い学習をしているなと感じた次第である。大トリのクライマックスにひかえるイベント戦闘も、どんなになぐってどれだけ元素爆発しようと、なぜか敵の体力は0.1ミリずつしか減らず、たいへんにイライラさせられるものだった。原神の魅力をズバリ言えば、簡易な操作による爽快アクションとギミックの作りこまれたマップ探索なのに、今回の更新部分にはそのどちらもが欠けていて、鳴りもの入りの広報で盛大に幕を上げ、タイトルロゴにまで併記された「空月の歌」の先行きには、すでに暗雲が垂れこめているように感じてしまった。もっとも、「少女」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、雷電将軍ほど課金しようと心に決めているため、おのれのふるまいが「母乳の味に文句をつける赤子」みたいなものであることも、理解しているつもりである。

 ひらきなおって母乳への文句を続けると、原神がまだ海のものとも山のものともつかない中国産ゲームだった時代に、単価の安さが理由で選ばれたのだろう声優による、台本にないアドリブを入れまくったドリーの演技が、耳にした瞬間にサブイボがたつレベルできつくなってきた。どうせすぐにサービスを終了する泡沫の中華アプリだとタカをくくり、前日の酒が残った状態で中国語原文を無視した巻き舌とかドモリとか間投詞を入れまくったオフザケを仲間内でゲラゲラ笑っていたら、あれよあれよというまに原神は世界的な超ヒットとなってしまい、背中に流れる冷や汗とナメた姿勢への後悔をぬりつぶすかのように、いっそうアドリブを過激化させていったというのが実情ではないかと推測する。これまでの脇役的なあつかいなら、まだ捨ておけたかもしれないが、ナド・クライにおけるサングマハベイ氏は、メインストーリーにガッツリとからむ主演級のあつかいへと昇格してしまった。過去に姉を亡くしている設定など、ドリーを深掘りしていこうとする制作側の意志を感じるし、そろそろヘンな抑揚の西風騎士(名前失念)ともども、キチンとした演技のできる正統派の、単価が高い声優で全セリフを録音しなおすべき時期が来ているのではないだろうか。

 さて、いよいよ本アップデートにおける最大の懸案事項である、「星々の幻境」a.k.a.原神ツクールにふれていくことにしよう。まず最悪なことに、軽い気持ちで当コンテンツにログインし、テキトーに鼻歌まじりで着せ替えドールを作成したところ、本編のキャラクターリストに珍妙な同人誌みたいなオリキャラ(それはキミのせい)が追加され、なんと永久に削除できなくなってしまった。見た目をマシなものに変更するガチャの石を集めるため、他のユーザーが作ったミニゲームを泣く泣く遊ぶハメになるわけだが、まあ、どれもこれも、まともにクリアまで動けば御の字で、ゲームバランスなんてまったく考慮の埒外にある、最大限ひかえめに表現したとしても、タワーリング・エス・エイチ・アイ・ティーみたいな内容のものばかりなのだ。「ときどき粗悪品にふれないと、一級品の良さがわからなくなる」とはよく言ったもので、アマチュアの作る数々のガベッジにふれたことで、メタファーサイレントヒルfにはいたツバをのみこみたい気持ちにさせられた(マシンチャイルドは除く)。作成ツールのほうにも少しさわってみたものの、できることは膨大に提供されながら、トリセツもなく講師もいない、LEGOプログラミング教室のアッパー・バージョンみたいな手ざわりに、早々に離脱せざるをえなかった。「星々の幻境」のデイリーをイヤイヤ消化していると、小学生対象のプログラミング大会で審査員席に座らされた、どれもこれも赤点以下のクラップなのに、80点から100点のレンジで評価をつけるよう運営側から厳命された、現役プログラマーみたいな気分になってくる。

 そもそも、どうしてこんなハードディスクの容量を圧迫し、ネットのトラフィックを増大させるだけのジャンクを、高級な白磁の壺へ投げこんできたのかを分析すれば、中華の心性に由来すると指摘できるだろう。三体や原神や崩壊スターレイルでくりかえされてきた「個人の肉体が不滅と化したところで、精神の摩耗はわずか数百年を耐えない」という考え方がそれで、さらに内奥へ横たわるのがなにかと問えば、「永遠の繁栄を約束するものは、すなわち”家族”である」という思想なのだ。それは同時に、世界各地の中華街が体現する、中華人民の美徳と悪徳が表裏となった「生き汚なさ」の正体でもある。原神の本編は、いよいよロシア相当の国家であるスネージナヤを残すのみとなり、このままのペースでいけば2、3年のうちにメインストーリーを語り終えてしまうところまで来ている。地平線のかなたに見えはじめたエンド・オブ・エターニティを前にして、中華の心性にひそむ「生き汚なさ」がオートマティックに発動し、多国籍からなる数千万人のユーザーたちに、原神世界を永遠につむがせる方策をあわてて考案したのにちがいない。しかしながら、その決断が開発リソースを圧迫し、原神本体のゲーム体験を毀損ないし劣化させていることは、大きな問題だと言える。フォンテーヌまでの冒険と、ナタ、そしてナド・クライにおけるそれは、ほとんど異なるものになっており、根本的な原因は、新規マップを導入する頻度のあからさまな減衰だと指摘できるだろう。

 冒頭にも述べたように、原神の楽しさの本質とは、ストーリー進行と密接にからみあった新世界の探索であり、崩壊スターレイルとはちがって、セリフとムービーの紙芝居だけで自立できる物語強度を持つわけではない。制作陣が早くこの事実に気づき、しょうもない原神ツクールに貴重な人員と工数を割くのをやめて、まずは本編の物語を最高のクオリティで語りきるのに注力してくれることを、心から願っている。ここまでを読みかえすと、驚くほどに愚痴ばかり(いつもの)となってしまっているが、「傀儡」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、炎神ほど課金することも辞さない萌えコションの手によるテキストであることを、まずもって諸君は念頭に置くべきであろう。終わる。