猫を起こさないように
日: <span>2025年6月9日</span>
日: 2025年6月9日

ゲーム「Clair Obscur: Expedition 33」感想

 海外で異様に評判のいい、仏国発のエクスペディション33を35時間弱でクリア。本邦のお家芸”だった”コマンド式RPGとソウルシリーズをガッチャンコしたシステムを用いて、世界観とストーリー以外のすべては過去のJRPG群、特にファイナルファンタジー・シリーズへのオマージュから構成されています。エフエフのナンバリングで言えば、7と8と10と13を下敷きにしながら、プレイフィールはそれらのゴチャマゼといった塩梅になっていて、なかば嫉妬に由来するエスプリをきかせまくった揶揄でJRPGをケチョンケチョンにけなし続けていたら、ガイアツに弱い本邦のメーカーがコマンド式RPGを作るのをなんとなくやめてしまい、絶滅危惧種と化した生物をあわてて異国の地で人工繁殖させたのが、このゲームの本質であると指摘できるでしょう。本作をプレイしていると、フランス人たちがときに蔑視の対象とし、音楽や舞台や映画に比べて一頭地劣るとされてきたゲームという名の革袋は、文化の精髄たるワインの豊潤を彼らに満たさせるほど、充分に古くなったのだという感慨がジワッとわいてきます。もっとも、ゲーム内で使われている美術や楽曲や文芸は、同時並行で制作進行中の映画版と共有することで爆死保険ーー学資保険のイントネーションーーをかけていたようで、「そういうところだぞ、この差別意識まみれのサレンダー・モンキーどもめ!」という気持ちにはさせられました。同じくJRPGの再興を目指した崩壊スターレイルが地に伏して我々を崇敬する一方で、エクスペディション33は青い瞳と天狗鼻を傲然とそらしながら我々を見くだす感じになっていて、不可解なアジア地域への恐怖ーードラゴンロード!ーーと劣等感が反転する、いつもの”西洋しぐさ”をそこに見ることができます。勝てない分野でのルール変更がきゃつらのオハコで、「ナイフを胸部中央に突き刺したのは認めるが、殺意はなかった」という態度で、「歴史に埋もれていた神秘のバサロ泳法を、私たちが再発掘した」みたいに喧伝してまわる様子には、さすがに「シェイム・オン・ユー!」とは言いたくなりますけれど!

 海外での激賞の裏には、こういった文化的な背景と歴史的な経緯があることを前置きとして、エクスペディション33への感想を述べていきましょう。RPGとしては、”かゆいところに手が届かない”不親切な部分が多くあり、メジャーな要素だけでも「ダンジョンでミニマップとコンパスが存在しない」「目的地へのガイドやマーカーが存在しない」「エフエフで言うところのアビリティに相当するルミナの仕様説明が充分ではない」「ほぼ必須のパリイにエフェクト等による補助が存在しない(モーションごとに目視で識別するしかない)」など、プレステ2か3時代のユーザー・アンフレンドリーを模している可能性は捨てきれませんが、とにかく「さわっておぼえる」しかないところが、現代のゲームにしては多すぎるように感じます。システムの全容を把握するまでの序盤は、いったいなにが楽しいのか伝わりにくいゲームなのですが、「エアリス相当の三十路独身男性」が退場(バレ)するあたりから、グングンと尻あがりにおもしろくなってゆくのです。ワールドマップに出てからは格段に自由度が高くなり、「キミはすべてをパリイする……それだけで、どんなボスにも勝てるよ」というソウルシリーズ由来のゲーム性によって、「序盤のうちから高難度ダンジョンに挑戦し、進行度に合わない高性能の武器を入手する」みたいな遊び方もゆるされています。くやしいですが、「わざと詰めを甘くしたバランス崩し」が大好きな、ファミコン時代からのRPGファンにとって、かなりグッとくる調整になっていることは、認めざるをえないでしょう。少し話はそれますが、いにしえの時代にバロックという中2病的な世界観をウリにしたゲームがありまして、「バランス調整に失敗した3D風来のシレン」としか形容できないシロモノなのですが、しつこく、しつこく、しつこぉく根強いファンがいて、延々とこすり続けていたのを、なぜか思いだしました(最近では、さすがに観測されなくなりましたが……)。

 このエクスペディション33も世界観が肌にあう人にはブッささり、そうでない人には意味不明という危ないラインをボールが転がっているような気はしますが、ベル・エポックへの造詣はあまり深くなく、記憶にあるフランス映画は「ロスト・チルドレン」「レオン」「アメリ」「エコール(最低)」ぐらいの人物にとって、まったく先の読めない物語の展開に、プレイの興趣を刺激された側面が大きかったことは否定いたしません。本作のストーリーを簡単に説明しますと、タイトルの33はある人物の享年(バレ)を意味しておりまして、この年齢以下の人間しか生存をゆるされず、年々カウントダウンが進行する世界という設定になっております。三十路半ばの独身男性が、年上の恋人の消滅を見送るところから物語は始まるのですが、「古いものほど価値がある」石の文明の有するアンティークの見立てを、脳がバグって人間にまで適用してしまった”おフランス”らしい導入だと言えるでしょう。MCRN大統領は世界でもっとも有名なグルーミングの被害者だと信じて疑わないのですが、この奇ッ怪の価値観を最先端だと叫んでやまない彼の国では、こんな当たり前の同情を口にすることさえできないのですから、まったく「進歩的である」とは、いつだって窮屈なものです。その一方で、おぶぁ(おぢの対義語)とのバランスをとるために少女愛ーージュディット・ヴィッテ! ナタリー・ポートマン!ーーを天秤の反対側に置くのが”カエル食い”どもの習い性で、本作のヒロインたちは順に「三十路独身女性」「三十路経産寡婦」「10代半ばの少女」となっており、ほとんど放言に思えるだろう分析の裏付けとなってしまっております(結果として、20代女性への言及が完全に消えるのは仏国のおもしろいところですが、それを愛でる中央値の男性は芸術になど、たどりつかないからかもしれません)。

 そして、FF7で言うところのクラウドに相当するマエルたんの造形がじつにすばらしく、本作の傑出している点は表情による演技の細かな機微であり、ひそかに思慕を寄せる年上の男性が惨殺(バレ)される場面で見せる絶望の様子には、局部へ電流が走りました。このグロテスクかつ壮麗なノワールは残念なことに、やがて「ある家族の問題」へと収斂していくのですが、ゲーム文化が充分に成熟して大人も楽しめるものになった結果、「各国の家族観」をそこに見られるようになったのは、非常に興味深いことです。イヤイヤながらに言及しておきますと、本邦の創作トレンドは「時代と毒親に人生を破壊された(と信じる)人物が、墓じまいをしてから自身を海に散骨する」みたいな内容ばかりですが、他方で大陸のそれは「祖父母の仕事と人生に敬意をはらい、家名に恥じぬ行動をおのれに求める」ような筋立てになっていて、人間集団の総体としてどちらが衰退してどちらが繁栄するかは、あまりにも自明すぎるでしょう。「愛国と差別」をそれに並立して矛盾を感じない心性は、全共闘世代のまいた病理の種の萌芽によるものだと考えていますが、以前よりくり返している話題なので、これ以上はここで申しますまい。ただ、我々の文化が西洋化されて長いため、本作に描かれる家族の軋轢はどこか既視感ーー山崎豊子とか横溝正史?ーーをともなうもので、大陸産のRPGにふれたときのような「蒙を啓かれる」感覚は生じませんでした。エクスペディション33の中核を成すミステリー要素について不満を述べておくと、そもそも「虚構内虚構」という入れ子細工でより外側にあるフィクションを補強しようとする仕掛けは、作り手の創作に対する強い自意識が臭みになるケースが圧倒的に多く、本作でもきついパルファムの香りの下から消せぬ臭気がただよってしまっております。「こんな大傑作を初手から上梓してしまうなんて、ミーの才能はそらおそろしいザマス! ジャポンで継承の途絶えた伝統芸能を復活させたフランセの手腕をもっとほめたたえるでセボン!」と大はしゃぎなのを、無言の微笑で生温かく見まもるぐらいが、我々にとってちょうどよい距離感でしょう。

 いつものごとく、メチャクチャにディスってるみたいになってしまいましたが、なァに、きゃつらのエスプリとやらへ対抗したまでのことです。ともあれ、エクスペディション33、ACT3の世界探索とマエルたんのダメージインフレまでを加味するならば、ファイファン派に敵愾心を燃やしていた、かつてのエフエフ愛好家のみなさんに、心の底からオススメできる珠玉の一品となっております。