猫を起こさないように
月: <span>2024年12月</span>
月: 2024年12月

ゲーム「ドラクエ10オフライン」感想

 ドラクエ3リメイク、ついにはmod入りPC版で全トロフィーを獲得する。ここまでやって、まだドラクエ熱は冷めやらず、ネクサスに日参してはゲームバランスをフルチューンするmodの登場を期待したり、突然のバージョンアップによるオリジナルモード搭載や、完全版商法による「S」の発表がないかを確認していたが、どれもむなしく終わってしまった。3リメイクの出来があまりにひどかったため、11の売り上げが急に伸びるという現象があるようで、渇いた者に海水をあたえるがごとく、「ドラクエ熱のほてり」に苦しむ仲間が一定数いるらしいことがわかり、少しなぐさめられる感じはあった。しかしながら、11はPS4版の無印、3DS版、PC版のSとハードを変えながら3回クリアしており、いまさら手をだす気にはなれなかった。「ならば、PS5かPCで遊べる過去のナンバリングを」と検索して驚いたことに、456789のすべて、現役ハードでプレイできる状況にないことが判明したのだった。すなわち、ドラクエから剥いだ生皮をかぶったニセモノである3リメイクが、今後の世代にとってのファースト・チョイスとなるわけで、巨大船ドラゴンクエストが歴史の海中へと沈没していく様を、まざまざと眼前に幻視させられたのである。インタビューにおける「ドラクエ3のリメイクを失敗させたら、ゲーム業界にはいられない」とのヘラヘラした軽口を徹底的に追及し、この制作チーフにはしっかりと詰め腹を切らせていただきたい。

 長い前置きとなってしまったが、3リメイクをいくら周回してもいやせないドラクエへの渇きをしずめる手段として、なんとドラクエ10オフラインの購入にいたったのであった。オンライン版はローンチ直後の混乱期に、趣味である人間観察(笑)のため、バージョン1の後半ぐらいまでをログインし、以後10年はまったくふれていない。当時、バトル以外にロクなコンテンツはなく、メタルスライムを求めてキュララナ海岸で延々と「ひらめきタイガー」していたのが、アストルティアにおける最後の記憶である。オフライン版は女勇者と魔王にまつわる冒険譚を描くバージョン2までがリリースされており、おそらく冒険者の獲得に失敗した場合でも、ここまでは語りきろうと想定された区切りなので、これを機会にアンルシアなる人気キャラクターをじっさいに見ておくのもよかろうと考えたのだった。このオフライン版、じつはたいへんに評判が悪く、正規のナンバリングの中でも売り上げは最低とのことだが、タネを明かせばなんのことはない、グッツグツに煮つまったオンライン版の10年選手たちが、サービス終了への恐怖から過剰に反応して、各地の掲示板やSNSで盛大なネガティブ・キャンペーンを行ったせいである。FF11でも経験したことだが、ゲームの中で電子的にしか存在しないにもかかわらず、既得権を守ろうとする側の人間の精神はどこまでも醜悪になれるものなのだ。現在のドラクエ10オンラインをチラとながめると、モンスターハンター・フロンティアの末期と同じ臭いがしている。顕著なのは客層の悪さを反映してのことか、かつて暴走族のノボリや特攻服に刺繍され、中卒ヤンキーが息子の名前に使いそうな漢字が、コンテンツに多用されるようになっている点だろう。なにも見ずに近似した例えをだすならば、「聖煌龍・怒羅業蘊」みたいな表記が醸成する、アストルティアならぬアトモスフィアである。ドラクエの本質とは、「ひらがなとカタカナによるハイセンスな固有名詞」であり、断じて珍走団のチーム名のようなものではない。

 あらためてオフライン版をさわって感じたのは、10は9のシステムを下敷きに、そのアップグレードを企図して作られたゲームだということである。ドラクエ構文を守りながらもハイテンションに饒舌なジェネリック・ホーリー遊児のテキストは当時、新しいドラクエ世界の到来と広がりを感じさせたものだが、このライターたちが10オンラインに幽閉される結果となってしまったのは、同シリーズにとって大きな損失だったのではないかと思う。本作をプレイしていると、ドラクエ世界に底流しているのは「陽気さ」「コミカルさ」「すこしエッチ」であり、3リメイクのまとっていた「陰気さ」「生真面目さ」「むっつりスケベ」の空気感は、あらためてシリーズ愛に欠けた、解釈ちがいとしか言いようのないものであったことがわかる。このオフライン版では、オンライン由来の膨大なサブクエストと豊富なエンドコンテンツによって、自キャラの能力はどんどんインフレしていくのだが、敵の強さもそれにあわせたエスカレーションをともなっていて、探索にせよレベリングにせよ、いつまでもどこまでも底ぬけに楽しい。そして、3リメイクに感じていた小さな違和感やチグハグさの正体は、10からの仕様のいくつかを無思考に接ぎ木したゆえであることも見えてきた。つくづく残念なのは、過去にこれだけの正しい教本がありながら、どうやって「伝説」の再構築に失敗できたのか、個人の功名心ーー古くさいカビの生えたゲームを、オレのオリジナル計算式でよみがえらせてやるぜ!ーー以外に理由があるなら、どうか教えてほしい。

 そねみフェイスでまた脱線してしまったが、オンラインではNPCあつかいだった各国の魅力的なサブキャラたちーーオンリー・フウラ・ウィンズ!ーーを、仲間として操作できるのはうれしい変更で、意味不明の「リアルタイム押し相撲」から11をベースとしたターン制に回帰しているのも、反射神経のおとろえた中年美少女には、たいへんに具合がよろしい。全体的に「大鍋で大量の具材とともにドラクエのエキスをじっくりコトコト煮つめたもの」になっていて、11をたっぷり堪能したあとに3リメイクへ絶望し、ドラクエのポテンシャルを「過去の思い出の美化」以上に信じたいと思っている向きには、10オフラインへふれることを強くオススメしておく(オンラインは客層が地元の中学校レベルなので、高等教育を受けた者が近よることは推奨できない)。なんとなれば、ゲーム畑以外から来たスクエニの執行役員が、「オンをオフにしても売れない」ことを学習してしまったら、半生を通じた悲願であるFF11オフラインの実現がまた一歩、遠のいてしまうからである。最後に、本作の数少ない不満点をあげておくと、カメラの上下動が禁止されていることであり、これはつたない描画性能しか持たないくせに業界でハバをきかせている、あのいまいましいスitchyにあわせての制限なのである。海外ゲームの容量が数百ギガを越えることもまれではない令和の御代において、マルチプラットフォームに含めざるをえない低スペックなスitchyの存在が、本邦のゲーム群を不必要にダウングレードさせ、不当に海外からの評価を下げさせていることは、厳然たる事実として存在する。この悪性腫瘍を切除することこそ、本邦における真の次世代ゲームの萌芽につながると指摘して、いい加減にドラクエへの言及を止めることとする。

漫画「推しの子16巻」感想

 タイムラインで見かけた「旧エヴァ劇場版と同じ読後感」という妄言にブチギレて、推しの子16巻を電書版で読む。本作はアニメ1期の主題歌が世界的なヒットとなったことでハイパーブーストを得た人気漫画ですが、それを「作者が飽きたから」みたいな理由でこんなに雑な感じでたたんでいいのかと、まずは困惑しました(ヒット作を延々と薄めて引きのばす態度から遠いことだけは、ほめていいと思います)。結論から言えば、推しの子の最終巻は「登場人物の自我を尊重した上で、物語の自走性に従う」という観点からは、旧エヴァ劇場版の足下にもおよびません(シンエヴァにはヨユーで勝ってる)。本作の抱える問題点を指摘すると、宗教観という語彙では色がつきすぎるのならば、ストーリー全体を通じて「自分をいまここに生かしている、大きな枠組み」ーーそれが生物学的なものなのか、哲学的なものなのかは、あえて問わないーーへの意識が完全に欠落していることでしょう。ふつうの作品にはここまでを求めませんが、主題歌の超ヒットで特に若年層へ強くリーチすることとなった本作は、彼らのやわらかな精神への否応な影響を無視できないからです。「16歳のアイドルが妊娠・出産し、その双子として意識を転生させる」という大きな物語フレームは、結果として多くの読者の期待を裏切る昨今のトレンドの流用にとどまり、転生なる事象の「作品世界を駆動するシステム」としての正体は、ついに解明されませんでした。ストーリー全体をふりかえっても、芸能界やアイドルへの言及にしたところで、「ネット由来の単発で辛辣な語群」から引用したもののパッチワークになっていて、「汚濁の極みから、きれいなものが立ちあがる」ところまではたどりつけていません。

 最終巻における「アイドルはやがて枯れる花であって、永遠に輝く宝石ではない」というフレーズは、キチンと延伸できていれば、はるか太古より若者たちがくりかえし続けてきた「みな死ぬのに、なぜ生きるのか?」という問いに向けた、年長の賢者からする令和の回答になりえたと思うんですよね。小学生女子の憧れるナンバーワンが星野アイになるような流行り方をしたのだから、「終わることがわかっていてさえ、人生は生きるに値するものである」ことを、生真面目な言い様ながら、一定の説得力をもって語る大人としての責務はあったのではないでしょうか。16巻の前半で終われたストーリーを「主人公の片われの死による退場」へと不自然にねじ曲げたのは、未成年の妊婦へ性的な興奮を覚えるのと同じ、作者の性癖の吐露にしか思えない描き方をしていて、瑕疵を越えて「推しの子」という名前の玉をまっぷたつに割るクラックになってしまっているのです。グランド・セオリーの終焉が言われてひさしく、シンエヴァをワースト・イグザンプルとする、キャラだけを語るフィクションが令和の主流なのかもしれませんが、FGOにせよ鬼滅の刃にせよ、ある閾値を越えた大ヒットへとつながる近年の作品に共通していたのは、「人類の継続へ捧げる自己犠牲は、尊く美しいものである」というメッセージです。こういう書き方をすると、本邦ではライト方向からなにやらキナくさい気配がただよってしまうのは非常に残念ですが、「おのれの何をもって、世界に貢献するか?」という視点へ自覚的にさせるぐらいまでは、あとから来る者たちを誘導してもかまわないでしょう。

 まあ、「ひとりのアイドルを救うために、未来の医師が犠牲になる」という結末は、現代社会の実相に対して充分に批評的なのかもしれませんけどねー。まだ若いみんなは、豊かな社会基盤に吸血しておこぼれをあずかるだけの、アイドルやらユーチューバーやらクリエイターやらコンサルタントやらインベスターなんかは目指さず、社会基盤そのものを分厚くする側のキャリアを選ばなきゃダメだよー。「理系に進んでも、社長にはなれない」みたいな旧世代の文系的価値観に毒されて、無駄な遠回りを余儀なくされた小鳥猊下との約束だからねー。

雑文「STARRAIL, DQ3R and FGO」(近況報告2024.12.13)

  崩壊スターレイル、「八日目の旅立ち」がよすぎて、野郎にはいっさい課金しないことで有名な萌えコションであるところの小鳥猊下が、気がつけばアベンチュリンに引き続いてサンデーを星穹列車にむかえていました。この人物、神話世界をよく説明して人間精神の近似を取ることで有名な、Fateシリーズが丸パクりしながらもかたくなに言及を避ける、文系にとっての「不快な量子力学」であるところの、「女神転生アラインメント」ーーライト・ダークとロウ・カオスの対立構造にそれぞれニュートラルを加えた9象限の図式ーーで言えば、典型的なライト・ロウに当てはまります。「外出時はスラックスの折り目ただしく、靴のつま先に沿うように」し、深い挫折からの再起と成長には「事物への中庸的な態度」や「予断を持たない是々非々」というニュートラル・ニュートラル的なものを受け入れることが必要であるとなかば気づきながら、それを「嫌いです」と言い放つーー私にとって、彼の内面はまったく他人ごとのようには思えませんでした。我が来し方をふりかえれば、ライト・ロウの人生を選択しながら、心の中はどこまでいってもダーク・カオスであり続けたことに、小鳥猊下の苦しみの正体はあると言えるかもしれません。楽園の創出を生涯の目的とするライト・ロウのサンデーが、ニュートラル・ニュートラルな列車組とする旅と交わりの中でどのように変化していくのか、その最前列の観客であれることは、これからの楽しみであり、大きな喜びです。

 ついでにドラクエ3リメイクの話をしてーーまあまあ、眉をしかめず聞いてくださいよーーおくと、PC版いばらの道を”ゆせけま”でクリアしました。転職は僧侶から賢者の1回のみ、道中に入手したタネはすべて勇者につぎこみ、レベル48でゾーマにいどんだのですが、やはり従来的なドラクエのバランスになっているとは、とうてい言えません。制作者インタビューで開発責任者とおぼしき人物が、「他の組みあわせはスタッフにまかせ、自分は”ゆせそま”でのバランス調整を行った」とのたまっていましたが、それは謎の工業規格「USO800」であることがわかりました。ドーピングをおこなった勇者のHPが700、他のパーティメンバーのHPは300前後なのに対して、ゾーマのブレスとじゅもんが150〜200ダメージ、つうこんが300ダメージで、3回行動するものだから、けんじゃのいしとやまびこベホマラーによる80かける3の回復では、ジリ貧になってゆきます。ドラクエ3オリジナルのゾーマ戦は、適正レベルでスクルト、フバーハ、バイキルトなどの補助魔法を駆使した持久戦が楽しいのですが、本リメイクではいてつくはどうの頻度が高すぎることもあいまって、どうしても「2名が回復魔法をとなえつづけ、2名が無強化でなぐりつづける」という、非常に単調でつまらない展開になってしまいます。最後はひとり生き残った勇者が、「ベホマで自己回復しながら、3回行動にマヌーサかいてつくはどうが入ったときに攻撃する」という戦法で、からくもたおしました。死闘感こそありましたが、バランスの調整不足が原因なので、ちっともうれしくはありません。終盤までキチンとテストプレイをしていたのなら、ベホマラーとベホマズンのあいだにベホイムの全体版が必要なことにだれでも気づくと思いますが、「ホーリー遊児が考案した固有名詞しか追加してはならない」みたいな縛りがあるんですかねえ(気づいていないに一票)。

 これ、初期ウィザードリィの「ディアラマ・マディ問題」ーーディアラマがHP30前後、マディがHP全回復であり、レベル13ぐらいまではよく機能するが、レベル1000の忍者を育成する標準的なプレイヤーを想定していないーーとまったく同じ構図で、ステータス上限を999に拡張しながら、エンドゲームの遊ばせ方にまったく思考が存在せず、「ジブン、なにがしたかったん? 歴史に学べないアホなん?」との感想しかでてきません。「みんな、まものよびのことをたたくけど、”ゆせそま”はちゃんとバランス調整したもん!」という制作責任者の妄言をズタズタに論破したところで、ようやくこの陰鬱な遊戯からコントローラーを置こうとしたのですが、なぜかまた転職のための「はぐれメタル狩り」をはじめているという……あッ、クリア後の裏マップがすべてダンジョンあつかいになってて、modで改変したオリジナル・ルーラじゃ脱出できないじゃん! リレミトも???にもどるだけだし、これ、完全な詰みじゃん! ほんま、ドラクエ3リメイクは、どこまでも古参ファンを苦しめよるがな(ダーク・ニュートラル)! あと、またぞろFGOが炎上しているようですが、ホームズを雑に退場させた女性ライターが「ぞぅ」語尾でファンガスをプリテンダーして誤認を引き起こそうとしたり、愛人特権で「アテクシの考えた最高のオリキャラ」へ高性能を与えてもらっている事実にイッライラしていたので、現在進行形の騒動を見ながら、どこか溜飲を下げているところはあります(ダーク・ロウ)。しかしながら、「工数の少なくてすむ弱めの発表で様子を見て、SNSが鎮火しなかったから対応を最大化する」のはパブリック・リレーションズとしては下の下の下で、経済優先の集金装置である人類悪そのもののアプリに、ファンガスの高貴な善性がテキストとして格納されている事実が、FGO最大の皮肉なのかもしれませんね……(ニュートラル・ニュートラル)。

雑文「そしてPC版へ…(DQ3R哀歌)」

雑文「THE ODORU and DQ3 LEGEND ALREADY DIED」(近況報告2024.11.28

 プラチナトロフィーをゲット。つまるところ、私はドラクエ3が大好きなのだ。最後に入手したトロフィーがブロンズの「しんでしまうとは なさけない!」(とてもレア|14.8%のプレイヤーが獲得)だったことに、本作の問題点が集約されている気はします。

ドラクエ3リメイク、グランドラゴーンを10ターンで撃破。すべてのじゅもんととくぎを習得したレベル99のキャラに、はやぶさのけんを装備させてビーストモードを発動したあとは、ほしふるやまびこラリホーとヒュプノスハント4連撃かける3が正しい順番で出つづけることを祈るだけのゲームなので、まだまだターン数は縮められると思います。しかしながら、「10ターン以内に撃破すると、グランドラゴーンとは2度と戦えない」という謎仕様ーー(白と紫の配色で)このおバカさんたちは、最後の最後までイライラさせてくれますねーーになっていて、かつての名作の残骸をストレスフルに遊ぶ日々から強制的に解放され、原神の新エリアのマップ埋めにもどったわけです。ナタの美麗な景色を上空からボンヤリとながめるうち、新要素におもねった不本意の”ゆまとあ”で踏破したアリアハンは、本当の意味でアリアハンと呼べるのか、”ととけけ”あるいは”とととと”がドラクエ最終パーティの「格」を有するのかなど、不思議な不完全燃焼感がふつふつとわきあがってきて、「そうだ、女勇者の”ゆせそま”で最初からやりなおすしかない!」と決意してしまったのでした。

 1周目はプレステ5版だったのですが、「最高のドラクエ体験」をみずからクリエイトするため、steam版を新たにフルプライスで購入ーー36年を日割りすれば1日1円ほどの支出にすぎませんーーして、導入するmodの吟味からはじめました。フォールアウト3スカイリムを魔改造しまくって、4ケタ時間は遊んだ身からすると、ドラクエ3リメイクのmod界隈は悲しいほど盛りあがっておらず、ユーザーインターフェース改善とわずかのバランス調整だけで、ゲームを抜本的に改変するようなものは、まだひとつもありません。それもそのはず、ドラクエ3を「伝説」としてあがめているのは日本人だけで、海外のユーザーにとって本リメイクは、出来の悪い残念な和製RPGのひとつにすぎないのですから! 小鳥猊下が導入したmodを以下に列挙しておきますので、年末年始で新たにドラクエ3リメイクを始める予定のFC版ファンは、参考にしてください。

・サードパーソンビュー(バトル全体を通じて自キャラの背中を表示)
・バトルUIの改善(HPMP表示バーを画面上部で横向きに配列)
・バトル時ボイスの削除(呪文の名前をさけぶのが、聞いてて恥ずかしいので)
・光源による明暗の強化(フレームレート関連と併用すると異様に重くなるので注意)
・ルーラの仕様変更(消費MPを0から8に変更し、迷宮内で使用不可に)
・レベルアップによるHPMP回復なし(リソース管理の楽しさが復活)
・「うんのよさ」と「かしこさ」の仕様変更(レベルが上がるほど弱体化する現状の是正)
・特定装備の持つ性別制限を削除(CERO対策の裏に残された、「男性の欲情を誘う性別が強い」という昭和の倫理観を撤廃)
・ハードモードから経験値とゴールドの減少を削除(ほんと、ゲーム作りのセンスがない……)
・ダンジョンの地図を削除(まあ、すべて記憶してるので、雰囲気の問題です)
・船とラーミアの移動速度を上方修正(言うまでもないでしょう)
・エンカウント率の減少(マップを拡大しているのに、これを変更しない気のきかなさ)

 あと、ゲーム用に調整されていないオケの垂れ流しが気にくわないため、音楽関係も少しさわってますが、権利の問題がありそうなので詳述は避けます(ほぼ言ってる)。ここまでやって、ようやくオリジナルのゲーム体験の背中が少し見える感じになりました。恥ずかしながら、mod入りの2周目にして、はじめて「やくそう」を使い、上と特の存在に気づいた次第です(あらためて、調整不足による多くの仕様の無意味化を実感しました)。でもね、多少なりとも原作への愛があって、ちょっとでも気のきく作り手なら、脳天ファイラーなイージーモードーーパンドラボックス戦で殺しも殺されも逃げもできぬ「千日手」となった話を聞いて、ハラの底から爆笑しましたーーではなく、上記mod群の修正にくわえて、「とくぎ」「せいかく」「とうぞく」「まものつかい」「ふくろ」「範囲武器」を削除し、「パラメータ上限を999から255に」「ルックス(笑)をおとこ・おんなに」「アカイライがさとりのしょをドロップ」まで組みこんだ、オリジナルモードを用意するはずなんですよ。クリア後のダンジョンにしても、SFC版ではFC版経験者にサービスするため、容量不足をやりくりした「本編グラフィックの使いまわし」をしていただけなのに、容量過剰な令和のゲームでそれを嬉々として再現するのは、原作レスペクトというより作り手の怠慢でしょう(冨樫義博の荒れた筆致をマネする呪術廻戦を連想)。

 さんざん文句ばかり言ってきましたが、本リメイクに対する不満の大きな部分を占めているのは、ゲーム内の様々な数値の調整不足と、「秘伝のタレ」たるダメージ等の計算式を変更したことであり、たとえ残骸を縫いあわせたものであっても、私にとってドラクエ3は、やはりドラクエ3なのです。なつかしい地名や固有名詞、定番の音楽や効果音へ身をゆだねていると、人生でもっとも悩みや苦しみからは遠かった日曜の午後へと心がもどっていくようで、さまざまな過去の記憶がよびおこされ、安逸そのものの気分にひたれるのでした。きょうは、ダンジョンの音楽がリピートに入る直前のフレーズにあわせて、小学生の自分が「なかとってーいー、なかとってーいー」と歌っていたのを思いだしました(神戸で幼少期を過ごしたので……)。あッ、ドラクエ3リメイクへの大きな不満をひとつ言い忘れていました! カギで扉を開けるときの「キュイキュイキュイ」という甲高い効果音を削除した担当者は、万死に値します! ほんとオマエら、ドラクエのこと、なーんもわかってねえな!