猫を起こさないように
日: <span>2024年6月14日</span>
日: 2024年6月14日

書籍「麻雀漫画50年史」感想

 麻雀漫画50年史をようやく読了。電子版が無いために読む場所が限られ、ずいぶん時間がかかってしまいました。え、通勤カバンに忍ばせていけばいいじゃないですかって? おお、とんでもない! 同僚や近隣の住人に、麻雀好きの博徒だなんて思われたら、社会生命が終わってしまうじゃないですか! それに、同じ車両へ居あわせた乗客を不必要に怖がらせたくもないですからね! 冗談(半ば本気)はこのくらいにして、本書の内容にふれていきますと、比較的まだ歴史の浅い、一般人よりは知識があると自負している分野で、こんなにも知らないことがあるのかと、まず驚かされました。小鳥猊下がモノを書くときの基本スタンスは「やがて一人になるだろう読者へ向けての、感情と記憶の記録」であり、事実の誤認や反社会的な感情さえ、その一人にとって「意味のある過誤」だとひらきなおっていますが、こういう「ちゃんと調べて、正しく書く」姿勢の方には、ずいぶんといい加減なテキストに見えるんだろうなと少し反省しました。本書を読みながら感じていたのは、「組織内にいる若い世代が、かつての自分より優秀だとわかったときの安堵」にも似た気分であり、よくぞ10年の長きを費やしてここまで調べ、よくぞ最後まで書ききったと、ブラヴォの拍手を送りたいです。

 著者が生まれる前の70年代については、事実のみをベースとした研究書を思わせる淡々とした語りだったのが、おそらく実体験の伴う80年代後半以降からは、書き手の主観の漏れだす瞬間がいくつかあり、たいへん微笑ましく読みました(以前も述べましたが、私がもっとも知りたいのは「同時代の作り手の感情」なのです)。「ナルミ」とか「麻雀放浪記classic」とか、長らく忘れていた漫画の絵柄を目にして、かつての記憶がよみがえるのも楽しい体験でした。「遊戯の代償行為としてスタートした麻雀漫画が、ネット麻雀の台頭にその快楽の唯一性を奪われ、衰退が始まる」という指摘はまさに慧眼であり、「セックスの代償行為として発展したエロゲー」に置換しても成立しそうな、ロングスパンでの鳥瞰が可能にした上質の社会分析だと言えるでしょう。しかしながら、本書に最大級の敬意を表して、筆者が麻雀漫画のベストだと推薦する「麻雀蜃気楼」と、もっとも紙幅が割かれた上、表紙にまでキャラを使っている「咲-saki-」を全巻購入して読み進めるうち、小鳥猊下の表情は穏やかな微笑から眉根を寄せたしかめツラへと、みるみる曇っていったのでした。あらかじめ断っておきますと、ここから記述する内容は本書の評価とはまったく関係のない、それぞれの作品へ向けた単独の感想となります。

 「麻雀蜃気楼」は、昭和のモーレツ社員を想起させる懐かしいサラリーマン描写が魅力で、麻雀打ちというより勤め人に向けた印象的な人生訓がいくつもとびだします。師匠とする雀荘の立ち退きをかけた勝負までは、ストーリーに一貫性があるのですが、最終巻になると、おそらく人気の低迷から打ち切りに至るまでの試行錯誤と言いますか、迷走感がただよっており、「麻雀とどう向きあうか?」という問いに主人公の出した答えが、保育園だか児童養護施設だかの運営だったのには、たいそうガッカリさせられました(子どもたちを守るため、悪の地上げ屋と麻雀勝負するってこと? もしかして、タイガーマスクの影響?)。余談ながら、これは絶賛放映中であるユーフォニアム3期で、あれだけ奮闘している主人公の行く末が、母校の教員ーーしかも、吹部の顧問ーーであることをwikiで知ってしまったときと、同じガッカリ感だと言えるでしょう(10年後の同窓会でプロの奏者となった友人と再会したとき、学生時代と同じ笑顔で男性顧問との不倫と金賞の話しかしない、タコツボ某みたいな未来を幻視したためです)。

 そして、いよいよ、多くに嫌われる覚悟を決めて、「咲-saki-」の話をしてゆきましょう。本作は「はじめて漫画を描くことになった、美少女ゲームのイラストレーターによる作品」であり、最近タイムラインで見かけた「凄腕アニメーターだからといって、漫画を上手く描けるわけではない」と同じ問題が、白日の下に提起されています。50年史では、いくつもの点から「画期的」であり、「00年代で最も重要な作品」とまで持ちあげられているのですが、「女子中高生にオッサンの趣味をさせる一般漫画の系譜から生まれた亜種であって、麻雀漫画の通史の延長線上にはいないのでは?」と考えてしまいました。人生でいちどは口に出したい台詞が「三カンツリンシャンカイホウ、マンガン」であり、麻雀漫画でもっとも好きな擬音がひらがな縦書きの「りんしゃん」である哭きの竜ファンにとって、主人公の能力である「嶺上開花で必ずツモる」はオマージュの範疇を越えたパクりのように感じるし、「海底で必ずアガる」という敵ーー国文学者の父を持つ幼女という設定で、漢語によるキャラ立てが痛々しいーーとの対局も麻雀というより、もはや異能力バトルになってしまっています。「どんな点棒状況からも、気迫と胆力でまさったほうが役満で勝つ」みたいな闘牌を、残念ながら面白いと感じることはできませんでした。

 この序盤のトンデモ決勝戦のあとは、美少女ゲームのキャラデザという作者の得意分野を生かし、全国大会に向けてこれでもかと美少女キャラが追加されていくのですが、「萌え」を引退してひさしい身には外見と個性ーーたい焼きの代わりにタコスを使うなどーーのリャンメンでまったく見分けがつきません。本作の本質は「汗か小水か愛汁か判断のつかない液体が付着した、パンツをはいてない股ぐらを写す不自然なカットの多い、ソフトレズ風味の美少女動物園」であり、麻雀要素を重視しなかったからこそ、LGBTQF以外の絶大な支持を得て大ヒットした作品だと思うのですが、これを麻雀漫画のカテゴリ内でほめあげるのは、ステラーブレイド(また!)を称揚するのにブレワイとかエルデンリングを持ちだすようなものでしょう。求められていたのは、「ポコチンを外して記述し、ポコチンを装着して読みなおす」というリビドー・フリーな態度だったと思います。オタクとは、すなわち「脳からポコチンを外せないホヤであり、性欲を客体化できない生物である」ことの傍証がまたそろってしまったなーというのが、本作へ向けた偽らざる感想です。もちろん、よく内容を確認もせずに「電書で既刊25巻を一括購入」してしまった憤りも、この筆の勢いを多分に手伝っているのは間違いありません。私からの「咲-saki-」に対する歴史評価は、「麻雀漫画50年史を書かせる強い動機のひとつとなった」という一点のみであることを、吐き捨てるようにお伝えしておきます。

 最後に公平を期すため、小鳥猊下のオススメ麻雀漫画6選を挙げておきますと、「哭きの竜」「ショーイチ」「トーキョーゲーム」「根こそぎフランケン」「ノーマーク爆牌党」「むこうぶち」です。