猫を起こさないように
日: <span>2024年1月25日</span>
日: 2024年1月25日

アニメ「ぽんの道」感想(あるいは、麻雀とはずがたり)

 ぽんの道を3話まで見る。ここからは本作にかこつけて、麻雀なる遊戯に関して世代間にわたる意識の違いを、独断的かつ一方的に記述する内容となる予定である。当時の市場規模なりに一世を風靡して、アニメ化にまでいたったスーパーヅガンで麻雀のルールを知り、阿佐田哲也のギャンブル小説群はすべて履修を終え、哭きの竜とショーイチをすりきれるほど読みかえし、スーパーリアル麻雀P3で人には言えぬ欲望を解放したリトル・ライフa.k.a.オールド・ファッションド・ラブソングにとって、麻雀なるもののイメージは「ヤクザ」「違法賭博」「裏社会」「脱衣」とわかちがたく結びついてしまっている。もう数年は前になるのだろうか、とある収録のバラエティ番組で、十代とおぼしき女性アスリートが「わたし、よく麻雀やるんですよー」とほがらかに語るのを聞いてギョッとして、すべてのながら作業を止めてテレビ画面をマジマジと見つめてしまったのを思いだす。生放送でないということは、テレビ局や番組スタッフや所属事務所や、もしかすると親御さんまでをも含めた複数の大人が、「編集で消さなくてもよし」との判断を下したということなのである。界隈の客層の悪さについては、主にフィクションから身にしみており、それこそ責任のある大人になってからは、「麻雀牌の存在する場所へは、決して近づかない」を意識していた身にとって、これはかなりの衝撃的な事件であった。この少女はスマホで麻雀をしているとのことで、おそらく使用アプリは大陸産の雀魂であろう。「ネット麻雀といえば東風荘」な世代にとって本来は、はぐれ者(出目徳!)の人生破滅遊戯であるのに、愛らしい萌えキャラの力によってここまでカジュアルな言及が可能なレベルにまで麻雀が脱色され、脱臭され、無害化されている事実に、大きな時代の変化を感じてしまったのである。

 ぽんの道についても、本作が竹書房どころではない講談社の、しかも「なかよし」連載であることに、サルトル的な実存のめまいをともなう強い異世界転生感をおぼえている。この気持ちを例え話で表現するなら、「天皇の崩御で恩赦を得た誘拐殺人犯が、近所の小学校で児童に人気の先生になっている」くらいの感じで、その先生の素性を知っている市井の一市民として、どこの教育委員会に密告しようかと小一時間ほど部屋の中をウロウロ歩きまわってから、例え話だったと思いだしてハッと我にかえるぐらいの狼狽ぶりなのである。読者アンケートによって、「雀魂を通じて、小中学生の女子に麻雀は静かなブームとなっている」みたいな分析から連載を決めたのだと推察するが、賭博愛好のうれしげなネット民のみなさんは、うかうかと口を開いて不用意なことを言う前に、大人として冷静になってくださいね。いったいぜんたい、どこの中高にマージャン部が実在し、甲子園に相当する大会めざして日々の練習を重ねているというのでしょうか。「酒、タバコ、麻雀」はヤンキー3種の神器であり、むしろ生徒指導により校内から排除される対象ですらあるのです。仮にですよ、御社を志望する就活生が、趣味やガクチカに「麻雀」と書いてきたらと想像してみてください。私が人事の採用担当なら、相殺できるよほどの加点要素がなければ、まちがいなく書類選考で落とします。会社のカネを、万が一にでもバクチに使われたら、たまりませんからね! すこし話はそれますが、最近では「親ガチャ」や「毒親」という単語がエス・エヌ・エスでカジュアルに使われすぎて、なんと採用面接で産みの親の悪口を言いだすヤツまで出てきたなんて話を耳にします。生まれたときからインターネットが存在する世代は、「現実において口にすべきでないことは、あるレイヤーから上において確実に存在する」ことに気づく機会をあらかじめ奪われているんでしょうねえ。いいですか、老婆心から忠告しておきますけど、雀魂やぽんの道で麻雀にハマッた学生さんは、ワンチャン若手のリクルーターには通用したとしても、ジェイ・ティー・シーの役員面接で、「大学時代に力を入れたことは、麻雀です! 雀荘は暴力をふるう義父からの、格好のシェルターになってくれました!」なんてぜったいに言ったらダメですからね!

 脱線だらけでぜんぜん作品の話にならないため、最後にもう一度、ぽんの道へと話を戻してみましょう。本作の印象をざっくり一言でまとめてしまうと、「オッサンのニッチな趣味を、中高生女子に男子不在で取り組ませる作品群のひとつ」であり、舞台を地方都市としているところが、シンカイ某「ユア・ネーム」後の作品だと教えてくれます。「なかよし」連載であることからもわかるように、本作は小中学生の女子へ麻雀の楽しさを伝えることを目的としているはずなのですが、アニメ版はその初期動機とも言うべきものを完全に裏切った客層へ向けてボールを投げているのは、非常に気になるところです。そもそものキャラデザからして、原作の「小さくて、かわいい」から「大きくて、セクシー」へと、なぜか大幅に改変されており、特にお嬢さま属性を担当するキャラなどは、あまりの大きさに手元の牌を確認するさい、自前のパイしか見えないのではないかと心配になるほどです。また、1話の後半に「ざわざわ」のアレを皮切りとして、ネットバズをねらった過去の麻雀漫画パロディがなんの脈絡もないまま、これでもかと連発されるのですが、「原作ファン層には意味不明で、元ネタを知っているオッサンたちにもしつこすぎてサムい」という、だれも得しない仕上がりになっています。全体的に、女子小中学生を対象とした原作を「四十代以降の古い麻雀ファン」に向けて再チューニングしたようなサジ加減で、毎話のエンドカードにギョーカイのジューチン(「盈月の儀」からの悪い影響)がイラストを寄せているのも、「昭和を令和で断罪する」現代社会において、リスクにしかなっていないように思います。冒頭で言及したスーパーヅガンにせよ、面白い麻雀漫画である以上に「昭和のイキり風俗」の集積ーーパッと思いだしたのは、実在する麻雀プロの分厚いクチビルを「カポジ肉腫」と揶揄する場面ーーでもあり、いまとなってはとても若いオタクたちに、履修をすすめることなんてできませんもの! 個人的に、「干支がひと回り以上はなれた相手との、プライベートな接触はひかえるべき」という感覚があり、それに照らして言うならば、「和気あいあいと楽しんでいる学生のグループに、昔のギャグでしつこくちょっかいをかけにいく中年のオッサン」みたいなアニメになっちゃってませんか、これ?(自分の言葉に、南4局での大トップから役満の三家和をくらってダンラスに落ちたのと同じ衝撃を受け、そのエネルギーを推進力として飛翔し、恋人が乗るアメリカ行きの飛行機へと追いつく)