猫を起こさないように
月: <span>2022年8月</span>
月: 2022年8月

映画「デューン」感想

 ヴィルヌーヴ版デューン、長く積んでいたのをようやく見る。やっぱり映画は90分くらいがベストで、長くても2時間前後、2時間30分以上あるものは、観客のことを度外視したディレクターのエゴが、どうしても編集に流入ーーいい撮影だし、切りたくねえなーーしてしまうような気がします。前監督作のブレラン続編と同じく、本作では引いたアングルから定点での長回しカメラが多用され、「タルコフスキーのデューン」というタイトルでもまったく違和感はないでしょう。原作小説は発表当時、我々の世代にとっての初代マトリックスと同じレベルで神格化した受容が行われましたが、数々の巨匠たちが挑むも満足のいく映像化にはついに至らなかった、悲運の作品でもあります。本作は間違いなく、これまでに撮られたどのデューンをも越えていますが、原作ファンの満足する域にあるかと問われれば、そうではないと答えるしかありません。

 最初の1時間ぐらいまでは世界観の提示と物語のビルドアップが非常に巧みで、「この監督にスターウォーズのシークエルを撮影してほしかったなー」とか考えてましたけど、後半にさしかかる頃には「でも、ライアン・ジョンソンと同じ結果になっただろうなー」と考えなおしました。この監督に足りないのは「大きなウソによるケレン味とアクションのアイデア」で、サンドワームにしてもさっさと全身を写せばいいのに、怪談話の幽霊みたいな焦らし方のチラ見せに終始するし、最終盤の決闘も薄味すぎて、予言の打破を象徴する「運命の戦い」の力強さは少しも感じられませんでした。ドゥニちゃんさあ、もっとこう、ナイフとナイフのつばぜり合いに火花が散るのを、毛穴が見えるくらいカメラを寄せて、決闘者が歯を食いしばる様ぐらい撮らなきゃダメじゃん! それもミラーボールみたいに、グルグル光源をまわしてさあ!

 ブレランの続編にも満々に表れていましたけど、全体的に「デューンの世界観を西洋人の思い描く東洋思想というテンプレで解釈した」みたいな中身になっています。最近、ブラピが高野山の厄除けに参加したニュースが流れてきましたが、「軽い気持ちで列席したけど、荘厳な雰囲気に圧倒された」みたいに語っていて、椅子に座らされて半開きの口で(これはいつもの)両目をうるませて、合掌する写真まで掲載されちゃってんの。いつも「うらやましいなあ」と思うのは、キリスト教の枠組みで思考様式までガチガチにしばられている西洋人が、それを本邦での体験を通じて徹底的にキャンセルされる、性的絶頂にも似た精神的な快楽へ全身を浸しているのを見せられるときです。詳述は避けますけれども、我々も文化による枠組みで思考や行動をガチガチにしばられていながら、西洋諸国を観光に訪れたところで、それが彼らのようにキャンセルされることなんて、ありえないのですから!

 話をデューンに戻しますと、いっしょに見た家人の感想は「長かったけど、主役の子がキレイやったから、面白かったわ」でした。まさしく無意識の慧眼であり、多くの女性にとってこの映画の魅力の8割くらいは、ティモシー・シャラメのルックスとエロいハダカ(あら!)に依拠するものでしょう。多くの男性にとって似たような映画がたしかあったなー、何だったかなーと考えていたら、レオンだった。いやいや、どんなにブヒ山肉之進の皆様が小鼻のふくらみをマスクの下に隠して否定しようとも、レオンの魅力の9割5分は13歳のナタリー・ポートマンが演じるマチルダの嬌態によって形づくられているのですよ! よろしい、「この意見に賛同するなら、ただちにマチルダが君の恋人か娘になるけど?」と問われて、ガックリと膝を折りながら「イエス……」と屈従しない男性のみが、私に石を投げなさい。ストーリー展開が「ほとんど漫画」であるレオンという映画は、13歳のリアル美少女がいなかったならば、いまよりずっとニッチな受け止められ方にとどまったことは、まず間違いありません(でも、完全版の未成年ガチ飲酒シーンはやりすぎ)。

 んで、デューンなんですけど、なんか話が終わってなくない? え、これパート1なのに加えて、全何部作かもまだ明らかになってないの? またしても、単品誤認の売り方じゃないですかァーッ!! 次回作も、劇場には見に行かなァーい!!

ゲーム「ソウルハッカーズ2」感想

 ソウルハッカーズ2、プレイ中。まだ悪魔合体もできない序盤も序盤だけど、キャラクターとテキストに破綻が無いので、ここまでの印象はとてもよろしい。世界の滅亡をかけた物語のスケールもいいし、魂の定義にまつわる語りも好みです。人生を進めるにつれて、古い記憶の価値が相対的に高まり、思い出の美しさがいまを超えなくなってゆくのは、死の受容に向けた脳の機能ではないかと考えさせられました。でもこれ、ソウルハッカーズというより、全体的にペルソナだよね。あと、フフフ、リンゴたんってどこかネミッサの面影があって、萌えますよね……(怒れるドぎつい初代ファンたちが、引き戸を蹴破って電脳空間へなだれこみ、ペルソナ4の総攻撃を思わせるエフェクトで話し手の少女をボコボコにする)。アタシ、わからせられちゃったんだけど、(青タンの浮いた顔面で)やっぱり2を名乗って続編誤認させたのは、悪手だったかもしれない……タイトルをソウルリターナーズとかにして、関連をにおわせるだけだったら、ここまでの炎上には……あの年代のメガテンファンって、本当にややこしいオタクばかりだから……(ガクッと首を落とし、こときれる)。

 ソウルハッカーズ2、ギザ歯の元カノと戦うあたりまで進める。ようやく、みなさまの本作を酷評する理由が続編誤認だけでないことを、わかりはじめてきた次第です。本作はソウルハッカーズの名を継ぎ、ペルソナの見た目を踏襲しながら、ゲームの中身はどちらともベツモノになってしまっているのです。テキストに破綻がないことをほめましたが、進めるにつれてゲーム全体がシナリオありきの作り方になっていることが、マイナス要因として浮かびあがってきました。「どんなゲームを遊ばせたいか?」ではなく、「書いた物語をどうゲームに落としこむか?」に重きが置かれている感じなんですよねー。テキストはまあまあ読めるんだけど、ゲーム部分が気のきく専門学校生の習作みたいなレベルなんですよ。ソウルハッカーズとペルソナシリーズが持つ面白さの本質を理解しないまま、表面だけをなぞるような作りになっている。

 美麗なキャラとダンジョンを3Dで作っておきながら、ジャンプもダッシュもローリングもなく、ただただ平面を水平にイモムシのようにノロノロ歩かせるだけで、リンゴたんのオソソが見えそうなショートパンツの腰ふりモーション(エロい)を背後から見る眼福がなければ、早々に投げだしていたでしょう。「斬りつけると敵が倒れ、倒れた敵に接触しないと戦闘が始まらない」とか、「ファストトラベルの移動先が店内ではなく店外で、ボタンを押さないと入店しない」とか、ちょっと気のきいた専門学校生がデバッグすればわかりそうなテンポの悪さも、プレイの快適さを絶妙に下げています。仲魔の勧誘も改悪されてて、戦闘で話しかけるのではなく、ダンジョン内のNPCからランダムで紹介してもらうポン引きーーオトコマエノオニイサン、イイコイルヨーーみたいなシステムになっちゃってる。だんだんマジメにプレイするのがアホらしくなってきて、早々に経験値系アイテムのDLCを解禁したんですけど、これまでの「1個使って1回戦闘して1レベルアップ」から「使った数だけレベルアップ」に仕様が変わってて、それこそ1秒でレベル99にできちゃうの。まったく、その無能な専門学校生のテストプレイヤーはクビにすべきじゃないですかね(幻覚)!

 ストーリー展開もJRPGの悪い部分を踏襲していて、主人公が絶対に間に合わない。とにかく、笑えるぐらい、徹底的に悪事の現場に間に合わない。敵が「ファファファ……」とか言いながら悪事をはたらくのを、リンゴたんは舌に指を当てて(エロい)ながめていることしかできない。キャラ描写の薄さも気になってきてて、「過去に何かあったことのにおわせ」に終始するばかり、アロウの親友をバトルで倒したあと、だれもソウルハックに言及せずスルーしてそのまま死なせたのには、「は?」と思わず声がもれました。物語を進めれば、これらの違和感はすべて解消していくんでしょうか。セリフが存在しない部分の演出も意味不明なものが多くて、あきれるを突き抜けて爆笑してしまったのは、強敵とのイベントバトル後、「勝てない。逃げよう」みたいなセリフから暗転して、「ふー、逃げ切れた」と自宅でくつろぐシーンへシームレスに移行したところです(ギャグでやってるんですよね?)。もう「リンゴたんがエロい」以外に見るべきところがなく、彼女の尻をガン見することがプレイの主目的になってきました。

 ビジュアルを作った段階で力つきて、ゲーム部分がとてもとても残念な作品、どこかでプレイしたことがあったなー、なんだったかなーと考えていたら、月風魔伝アンダイイング・ムーンだった。

 ソウルハッカーズ2、プレイ開始1時間までが最高潮で、そこで好きになったものをなんとか擁護しようとふんばるんだけど、プレイ時間に比例して印象は尻下がりにーーリンゴたんの尻はキュッと上がってるのにな、ってやかましいわーーとどまるところなく悪くなり続けています。ストーリーを追うために遊ばされるスカスカのゲーム部分が、スカスカなのにやたら時間を食う仕掛けで、もうテキストだけ読ませてよって気分になってきました。そのストーリーにしたころで、何の伏線も無かったのに衝撃の事実だけが明かされる展開が続いていて、いまは「鉄仮面は、別人物にすりかわっていたんだよ!」「な、なんだってー!」「わたしは知ってたわ(ドヤ顔)」のところで、かなり強めに「ハァ?」という声がほとばしりでました。ヤタガラスとかなんとか、組織名だけはいくつも提示されるものの、それらの実態についてはまったく描写がなく、まるで主人公格の人物たち以外は、世界に存在しないかのようです(5つのコヴェナントがぜんぶ東京にあるってのも、冷静に考えたらおかしな話ですね)。描かれるのは徹頭徹尾キャラクターの心情だけで、ダメな脚本の総天然色見本であるシンエヴァが、バナナの叩き売りの要領で100億円を達成したことで、本邦のフィクションへ確実に広がっている悪影響を、あらためて実感させられますね(真顔)。「テキストが破綻していないのに、ストーリーが支離滅裂で、キャラクターに魅力がない」という中身に、己の過去の創作物をふりかえっての共感性羞恥みたいな感情も芽生えはじめていて、難易度をイージーに下げた泥酔からのレベル99オートアタックで、この週末にクリアしてしまいたいと思います。

 ソウルハッカーズ2、クリア。魂の迷宮?に潜るのがメンドくさすぎて、ノーマルエンドでのフィニッシュです。結論から言いますと、「ソウルハック」という単語から着想を得ただけの、続編どころか2次創作とさえ言えない内容で、初代とは似ても似つかぬ別のゲームでした。全体を通しての印象を例えると、「こましな内装のビストロと思いきや、仕入れの目利きはいるのに料理人は不在で、コースの組み立てがメチャクチャ」でしょうか。「冒頭1時間が最高潮」と書きましたが、「電子の海で人知れずシンギュラリティを迎えた人工知能の受肉」というのが最大のネタで、これを越えるものが作中に無いため、「着席した瞬間にメインディッシュが出てくるコース料理」みたいになってしまっている(まあ、ゲーム実況全盛の時代に合わせたジャッジなのかもしれませんが……)。

 これ、無印デビルサマナーと同じく、アロウの「探偵物語」として始めて、バディのカブラギと街の悪魔事件を解決していく序盤、その親友の裏切りと謎の少女リンゴとの出会いを中盤、コヴェナントの存在とリンゴの正体が明かされる終盤と組み立て直せば、もっと好意的に受け入れられたかもしれません。本編ストーリー、依頼サブシナリオ、迷宮での回想編がバラバラに提示されて収まりが悪く、読み手へのストレスでしかないのも、この構成ならスッキリと一本にまとまったんじゃないでしょうか。本来なら1つにまとまるはずの3つの要素が、バラバラに提示されてストレスを感じるゲーム、どっかでプレイしたことあるなー、なんだったかなーと考えていたら、十三機兵防衛圏だった。

 あと、「クオリアの牢獄」ってフレーズがライターのお気に入りみたいですけど、「AIの受肉」というテーマでいちばんオイシイのって、セックスの話じゃないですか! 初めての快楽にとまどうリンゴたんどころか、登場キャラに酒まで飲ませるくせに、ワイ談のひとつも出てこない潔癖さはゆるせませんね! ちょっとしたエロいほのめかしやラッキースケベぐらい入れても、コンプライアンス上の問題は何ら生じませんよ! 「AIの受肉」がテーマなのにセックス描写が足りなくて不満を感じた作品、なんかあったなー、何だったかなーと考えていたら楽園追放だった。

 

雑文「現実と虚構について(2022.8.20)」

質問:猊下、ご無沙汰しております。 素朴な質問ですが、主観も虚構と言えるのでしょうか? そうすると現実社会も結果、虚構と言えると思うのです。 それは言葉にしてしまうから虚構なのかとも思うのですが、猊下のお考えを知りたく連絡しました。

回答:うーん、かなり抽象的な質問にとまどっております。ある画家の作品を指さして、「はたして、青は万人にとって青なのか」と問いを立てるようなことには、もう意味を見出せなくなるほど、時間が過ぎてしまいました。ほんの一部の才能か異常を除けば、青は99.9%の人間にとって同じ青なのです。瞬間瞬間に過ぎゆく現在は、その強固な事実にはばまれて、意味の受容が個人の言葉、すなわち虚構によって大きくブレることはないでしょう。現実における虚構とは、未来を先駆的に決定する意志のことであり、スティーブ・ジョブスの「現実歪曲空間」を究極とした、他者に対するイメージの強要なのだと考えるようになりました。巨視的に見れば文化や歴史、卑近には営業活動や家族関係など、より単純化すれば2つの考え方の一方に立つ者が、「フィフティ・フィフティを越えて、どの地点まで相手側に意志を押しこめるか?」という版図の争いが、現実における虚構の真相だと感じています。それは人間関係での摩擦をいとわぬ胆力によって成され、上書きした事実が時間で褪色するのに逆らって、繰り返し繰り返し上書きし続ける意志の力が不可欠です。なので、「現実社会は虚構か?」と問われれば、「だれかが思い描いた未来を、胆力と意志によって固着化しているという意味で虚構だが、私と貴方には何の連絡もない虚構である」という答えになるでしょう。たぶん、聞きたい回答とは違うと思います。申し訳ありません。

小説「三体(第2部)」感想

 小説「三体(第1部)」感想

 三体第2部、上巻の後半から加速がついて、一気に読了する。正直、第1部から想像していた内容とは大きく異なった、怒涛の展開と破格の面白さでした。作中で言及のある銀英伝を始めとして、ヤマト、ガンダム、エヴァなど本邦の想像力を下敷きに出力されている感じが伝わってきて、やはり水滸伝や封神演義のようなフィクションとしてチューニングを合わせるべき作品だと思います。SFとしてとらえた場合、「黒暗森林」という概念がラストの謎解きを含めた世界観の骨格になっているので、これに充分な説得力を感じられるかが評価の分かれ目になるでしょう。まあ、私は「民明書房刊」ぐらいの感じで楽しみましたけど、エンタメ目的の理論やさかいに、スーパー・ストリングスの学者センセたちよりは、よっぽど罪がおまへんなあ(ウワメ遣い)。個人的には理論そのものより、「猜疑連鎖が宇宙の律だけど、やっぱ地球から愛を広めなくちゃね!」みたいな台詞に、思わず米粒を噴き出しました。中華思想にどっぷり浸かった人物が日本のアニメに衝撃を受けた様子(ヤック、デカルチャー!)を、何の加工もなく素直に表現しているんですかねえ。

 セカイ系をなぞると思わせながら、森雪のイビツな造形に代表される「童貞男性の中でボッコボコに発酵した女性のセクシャルな魅力」を連想させる文章表現は、第1部に引き続いてそこここに散見されるものの、ヒロインとの関係性に問題の解決を集約しなかったのには、己がいかに少女へ世界の命運を背負わせる本邦の虚構群に毒されていたか、恥じ入る気持ちにはなりました。そして、本作をエンタメとして楽しんだ以上に私を落ちこませたのは、「四百年先の未来」という視座から同胞の存続を我が事として真剣に考えることのできる者が、はたしていま本邦にいるのかという疑問と、遅れてやってくる諦念です。「己の人生と、願わくば子の代がマシな時代を逃げ切れればいい」ぐらいの祈りまでがせいぜいで、そんな長大な未来を現実の地続きとして思考する人物が本邦にひとりでもいるとは、まったく信じることができません。

 しかしながら、今期のFGO夏イベにも顕著な、個人的に”刃牙問題”と呼称している「文系の想像力が最上かつ最良の価値だという妄想」ーーオレの宇宙社会学による呪文は、スーパー水爆より破壊力バツグンだぜ!ーーが、本作にも中華思想さえ凌駕する作者の自我としてシミのように表出しているので、現実とフィクションの間に、何か実効的な相互作用を見出さないのが賢明だなと、いち社会人として正気に戻りました。あれ、でもまだ第3部が残ってるけど、ストーリーはきれいに終わってない? もしかして、「黒暗森林」の思想を前提に、地球の宗教が変容していく話とかをするのかしら?

雑文「BCSとKOJIMA、そして3BODY(近況報告2022.8.11)」

 世界のコジマ(笑)による「ベター・コール・ソウル、シーズン2の途中で止まってるけど、続きを見るべき?」みたいな妄言がタイムラインへ流れてきて、ひさびさの強烈な感情に脳が沸騰している。さらに最悪なのは、「シーズン6の11話だけ見た」と明言しているところで、いまこの地点から振り返って、極めて細密に編まれてきたことが明らかとなった物語を、結末部分だけつまみ食いしてるって、ネタバレ配信者とかファスト映画の持つ創作物への敬意の無さとアンタの態度、なにがちゃいますのん。この人物、ブレードランナーとか世間の評価が定まった基本的に「味つけの濃い」フィクションの骨格へ、「俺の考えた最強の設定」をトッピングしたパロディを創作のベースとしていて、彼の提示するオリジナル要素に感心したことは、ただの一度もありません。

 今回の発言は「モーツァルトの演奏に難癖をつける、自らの非才に気づかないサリエリ」みたいな滑稽さであることを、だれか教えてあげて下さい。デス・ストランディング、基地に到着する手前で止めたけど、最後までプレイするべきですかね? Youtubeでエンディングだけ見ちゃダメですか? メタルギアの版権にまつわる騒動も、これまでは同情的に眺めていましたが、今回の発言を目にして以降は、この人物のふるまいにも問題があり、コナミ側の言い分には充分な理があったのだろうなと思うようになりました。怖いですね、ツイッターって! この傲慢なサリエリ君は、ベター・コール・ソウルの面白さがわからない一方で、三体第1部を激賞してるんですけど、「白身魚の刺身は、バーガーより味が薄くて、不味い。大統領もそう言ってる」と公言して恥じない自称・美食家みたいなもんですね!

 いい加減ムカつくので、世界的な痔質野郎から離れますが、三体第1部を読んでいていちばん引っかかったのは、地球三体組織の創始者が物理学者になった娘を評する場面です。「あの子は特別だった。数式を教えると『何に使えるの?』ではなく、『美しいわね!』と答える子だった」という内容で、「それって、数学が得意な人間にとって、極めてノーマルな感覚では?」と思うと同時に、このくだりに文系と中国人、どちらの感性がより濃く反映しているか、いぶかしく思いました。いま三体第2部の前半を読み進めてますけど、グラップラー刃牙の「脳内シャドーを何千戦も行ってキャリアを積めるから、あらゆる格闘技の中でイマジネーションが最強」と同じ結論になりそうで、ハラハラしています。

小説「三体(第1部)」感想

 いまさらながら、三体の第1部を最後まで読む。オバマ前大統領の発言がよく引き合いに出されますが、「中国から出てきたサイファイ」というのが最大の評価軸で、例えばFBIなどによる「中華人民の心性を知るために熟読する」といった視点が、読み手の興味の半分ぐらいを占めている気がします。

 前半は近年の個人的な関心にクリティカルヒットする「物理学は死んだ」「三体問題に解は存在しない」に駆動されてグイグイ読んだんですけど、後半はアルファ・ケンタウリに知的生命体がいるベタさとか、その知的生命体の思考と文明が地球人のそれらを延伸したものでしかないとか、「少女」に向けた男性作家の視点がいちいちキモい(グロ趣味だし)なとか、そもそも史アニキぐらいしかキャラが立ってないんじゃねえのとか、全体的に事前情報で予期していたハードSFというよりは、大衆向けの武侠小説ノリだったのは意外でしたねー。

 あれですかね、全3部作はマトリックス・シリーズのように推移するんですかね、「理論」「ドンパチ」「宗教」っていうね。続きを読むべきかどうか、ちょっと迷っています。

質問:アンチを許さない空気感、みたいなものは感じざるを得ないなあと思いました
回答:小説の巧拙でいうと上手い方の作品ではないので、オバマからの言及が世間の評価を確定したように思います。中国共産党の中央政治局さえ許せば、少女をリョナりたいという欲望だけはビンビンに伝わってきました。

 小説「三体(第2部)」感想

ゲーム「2022年のFGO」雑文集

ゲーム「2021年のFGO」雑文集
ゲーム「FGO第2部6.5章」感想
雑文「虚構時評(FGO&MANGAS)」

 どこかで深く信頼していたものから、シンエヴァのごとく裏切られた傷心を癒すためにFGOを起動すると、なぜか聖晶石が1000個(時価総額6万円)ほどボックスに配布されていて、今度は自分の気がくるったのかと疑いました。7周年ピックアップを見て、「まーた、この顔かよ」なんて微苦笑しながらも、身内優遇で性能がいいことだけは間違いないので、300個分ぐらいガチャを回したら、運よく2枚を引けました。んで、種火をつっこんで再臨させてから、ようやく「これ、月姫のキャラじゃん!」と気がついた次第です。うーん、オルガマリーをアルクェイドで倒すみたいな展開は、昔ながらの型月?ファンにとっては嬉しいのかもしれませんが、エヴァンゲリオンマトリックスの最終作みたいに、作中の困難やテーマを「キャラで解決する」エンディングになってしまうのではないかと恐れています。時代時代の「人間」や「世界」といった抽象を語りきるのが文学の役割であって、FGOは現在までのところ、ファンガスの筆でのみという条件はありながら、その域に達していると思うのです。何度も言及していますが、キャラと文学を両立させて終わることのできたジュブナイルは近年においてランス10のみであり、これらの妄言もFGOがそれへと続くことを心から願うがゆえの老婆心だとお受け止めください。

 FGO、やはりファンガス千年王国の礎を築いた母たる存在だからだろう、7周年記念のマザー・ムーンキャンサー(中黒の位置に注意)の異様に優遇された性能が使うほどにわかってきた。さらに言えば、今後の第2部クライマックスに向けて、シナリオでの最恵鯖待遇(なんじゃそりゃ)も間違いないだろう。そんなわけで、宝具3&スキルMAXの状態から、ベター・コール・ソウルの2周目マラソンと並行してレベル120まで上げたーー参考として、AP半減+大成功率UPで青リンゴ130個くらいで到達ーーものの、今度は宝具の威力に不満が出てくる。このマザームー、おっとマザー・ムーンキャンサーは宝具レベルに比例して威力が上昇する仕様であり、気前よく1000個も石を配布しているように見せかけて、星5キャラを5枚引く期待値とだいたい同じ数が計算づくで、プレイヤーに手渡されているのである。さらに、マザームーン・キャンサーのガチャは夏イベ開催の直前でちょうど終わることになっていて、無料石でガチャの気持ちよさを思い出させると同時に課金への抵抗感を下げてから、3体の星5水着を投入するというユニファイなチャーチばりの奸計が、善意を見かけとした裏に張りめぐらされているのだ。就職アイスエイジ・エラを出自に持つ金髪美少女である実存は、貧困層の常として短絡的な消費に我慢がきかないため、「乗ろう、あなたのイービル・集金スキームに!」と高らかに叫びながら残った600個ほどの石をブン回して、マザームーンのガン細胞野郎を宝具5にしてやりました。

 あと、例のファミ通インタビューを読みましたけど、業界にまぎれこんだガチのファンから矢継ぎ早に投げかけられる第2部6章に関する質問へ、まさに快刀乱麻、すべて明快な即答を与えていくのは、さすがファンガスだと感心しました(まあ、取材後の校正で追記した可能性もありますが……)。そのやりとりを生温かい視線でながめながら、かつて栗本薫が「ファンタジー小説を書くなら、作品世界の隅々までを熟知してないとダメ。もし何か聞かれて即答できなくても、『次までに、現地の生物学者に聞いておきます』ぐらい言えなきゃ」みたいな話をしていたのを思い出した次第です。そして、「長くサービスを続けていくために、開発の方法を抜本的に見直した」という発言から、第2部終了をFGOのそれとしない(できない)気配がただよってきましたが、第3部は所持サーヴァントと育成状況のデータごと、「古臭く」ない新アプリへと引き継ぐことを大いに期待しております(2回目)。

質問:小鳥、シンエヴァ呪詛は面白かったのにfgoはエアプが漏れてんな
月姫リメイクなんてクソオタクは買ってないのでアルクェイドは古参が騒いで回してるから回しとこ!のクソ短絡的なゴミですよ バカじゃなかったら温存してるか徐福引いてる
回答:いいですね、じつにいい! 最近のネットって凪いだ水面に清らかな水質って感じで、古参の泥魚にとっては棲みにくさに窒息しそうな場所ですが、湖底の泥の下には昔ながらのエゲツないクリーチャーどもが、まだまだ元気に生き残っているのですね! こういうこじらせたファンが現存してるのって、さすが30年を長らえた同人IPだなーって気持ちにさせられました(まさか、「ブドウ酸っぱい」じゃないよね?)。エヴァのことなら人後に落ちる気はまったくしませんが、月姫についてはリメイク(オリジナルは未プレイ)のアルク・ルートだけ、かろうじてクリアして投げてしまった程度の、文字通りの「エアプ野郎」ですからね! ぶっちゃけ本丸のFGOにしたところで、萎えていく気持ちをおもしろテキストで自家発電して盛りあげて、第2部の終わりを見届けるために、離れていく心を無理矢理つなぎとめるだけになってきているのです。ともあれ、テキストに残されたほんのわずかな瑕疵から、サトリの化物のようにニュウビイのエアプを見抜いてウザがらみする古参とは、あらゆる創作物のファンがやがてたどりつく、異形の終末なのかもしれません(エヴァ呪を読み返しながら)。

 配布石1000個でアルクェイドを宝具5にしたことはご存じのことと思いますが、話題のレディ・アヴァロンもなぜかちょこちょこ配布される石の無償11連1回だけで手に入ってしまいました。最後にFGOへ課金したのがいつだったか忘れるほど課金してないので、そろそろ課金したかったのになーと残念に思っている自分がいて、それを不思議な気持ちでながめております。まあ、残り2体の星5水着の性能に期待しましょう。型月ガチ勢の皆様にエアプの感想を漏らしますと、レディ・アヴァロンは劣化マーリンといった手触りで、宝具を重ねる意味もあまりなく、マザームーンとはちがって追い課金の魅力に乏しいキャラですね。ただ、顔がいい。顔だけは、すごくいい。なので、NP100礼装をつけた浴衣道満とアルクェイドで周回する際、レースクイーンとしてカタワらに立たせております。2騎3ターンでバトルは終わるので、レベル10にしたスキル群に指を触れてさえやりません。タイムラインによく流れてくる「ひとりだけ腕立て伏せをさせてもらえない」漫画のように、レディ・アヴァロンを精神的に痛めつけるのはゾクゾクします。

 いやー、それにしてもアルクェイドをレベル120宝具5にしたのは大正解でした! こういう大きな決断を躊躇なく下せるのは、まがりなりにもマネジメントを経験し、自由にできるカネがある大人の特権ですね! ムーンキャンサーの「ほぼ全クラスに等倍」という特性は、言い換えれば「弱点がない」ということですからね! さらに再臨2はバニヤンばりの高速宝具なので、イベント周回もストレスフリーです! 「充分に強化したアルクェイドは、全体宝具バーサーカーと見分けがつかない」というアーサー・C・クラーク御大の名言を引用することで、ニュウビイからパイセンへの反論に代えておきましょう。(熊フェイスで)宝具1か2のみんな、いまどんな気持ち? ねえねえ、どんな気持ち? (女児フェイスで)宝具3とか4でビビッちゃうなんて、ざこ、ざぁーこ! 上手にお願いできれば、(視線をそらし、頬を赤らめ、鼻の下を指でこすりながら)フレンドになってやってもいいんだぜ……?

 ゲーム「FGOぐだぐだ新邪馬台国」感想

 FGOの新イベント、開始5行でだれが書いたかわかり、ゲンナリして読む気をなくさせるって、逆にすごくないですか? スタートアップの黎明期に創業メンバーとしてまぎれこんだミソっかすが、大企業へと躍進したあとの重厚な広報誌に嬉々としてポンチ絵の4コマ漫画を寄せている感じ。きっとハイテンションで早口の、アゲアゲアッパーな女性なんでしょうねー。「そういえば、小鳥猊下がほめていたな」とFGOをいまさら始めただれかが、今回のイベントから読みだしたとするなら、恥ずかしさのあまり首を吊るレベルです。それに、今回の新キャラにせよ、ジャック・ド・モレーにせよ、書き手の力量に対して豪華すぎるメンツ(ポプテピピックじゃないんだから!)で、あまりにもったいない使い方だと思います。本編での活躍予定がないなら、早くファンガス再生工場に回さないと、ヨゴレが落ちなくなっちゃいますよ!

『生きるということは、
 即ち濁るということ。』

これぞ、茸再生工場の面目躍如となるフレーズ。 けれどトラオムは、「濁り」どころか「腐れ」。