猫を起こさないように
月: <span>2022年4月</span>
月: 2022年4月

映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版」感想

 アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」感想

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版、ネトフリに入っているのに気づいて見る。目を真っ赤にしてボロボロ泣きながら書いている前提で読んでほしいんですけど、物語としてはテレビ版の余韻を台無しにするレベルでもう完全に蛇足なんですよ。フィクションとは言え、人間の、しかも子どもの死を泣かせの題材に使ってんじゃねえぞって、怒りに似た気持ちもある。この少佐とかいうヤツは一貫性の無い女々しいロリコン野郎だと感じるし、二人がついに触れ合うシーンも描写に力を入れ過ぎて、FF7リメイクのセフィロス戦みたいになっとるでとツッコミたい。おまけに、主人公がなぜあんなに強かったのかも、ついには明かされないまま終わる。

 でもね、制作会社が経験した事件を考えると、もう描かれるすべてが献花台に手向けられた花々、失われた生命に向けた鎮魂歌としか思えなくなって、胸がつぶれるような気持ちにどうしようもなく涙が流れてしまうのです。私たちの人生は凡庸で、ときに醜く、この物語のようにはいつも美しくないけれど、同じだけの重さを持った、他に代えられないとそれぞれが信じる感情を生きている。日々のニュースの裏側にも、無数のそれらが等価値に存在していることへ半ば気づきながら、己の感受性を仕事や暮らしや酒や遊興に鈍麻させることで、ただただやりすごしている。ふとしたきっかけで人としての感覚が戻った瞬間には、濁流のように注ぎ込まれる悲しみに立ち上がれないほど泣き、その疲労の果て、ほとんど失神するように眠り、目を覚ませば再び泡のような麻痺が心を覆っていることに気づく。我々はだれしも視界を閉塞させることでしか生きていくことができないし、望んで認識を狭めることでかろうじて発狂からまぬがれているだけなのだ。

 この物語はフィクションである。死者のよみがえりを疑うことができない、我々の弱い心につけこんだ、ただの作りごとである。だが、いまこの瞬間を生きる者たち、民衆のみならず王たちまでが求めるイフ、「ああ、時間がまきもどり、死んだ者たちが戻ってくれば!」という切実な祈りでもあるのだ。私にはこの物語を、現実と何の連絡も持たない虚構として視聴することは、できなかった。

雑文「建築物としてのエヴァンゲリオン」

承前

質問:きっしょ

回答:オタクの定義って、子どもの頃に大人にとって感情が厄介なので抑圧するよう教育されてきた結果、自分の抱く感情が正しいのどうかいつも自信が無くて、その感情への自信の無さから、とにかく言葉が多くなってしまう人たちだという気がするのね。だから、いつも自分の抱く感情を周囲に正しいものとしてケアされてきた人たちの言葉が持つ、短いけれどまばゆいばかりの強さに目をくらまされて、すっかりやられてしまうところがあると思うわけ。エヴァ旧劇にしたって、あれだけ精緻にシナリオを計算された25話と、情動と音とイメージの洪水である26話と、当時から現在に至るまで、本邦のアニメ史上において永久に越えられないクリエイティブの頂点だったわけでしょう。にも関わらず、それを編み上げた究極のオタク自身が、自らの感情を疑ったこともない人物が思いつきで発した「気持ち悪い」という言葉に、完全にノックアウトされてしまった。じつは今、それと同じような気分です。私の記した数万文字の不快に対する不快として、この言葉はなんらの過不足がない。

 我々はこの3月8日に、エヴァという名前の建築物が完成するのを見たわけですが、入り口部分はGUCCIの店舗みたいな外装で、接客も控えめながら要点はおさえた上質さで、入店した若い女性の2人連れは「いいじゃん、私これ好き!」とか言いながら店の奥へと進んでいく。すると、内装はまるで昭和の秘宝館のようなチープなものになり、古い蝋人形とかハリカタが雑に並べられているばかり。60代の館長と思しき人物がムッツリと黙り込んで座っていて、話しかけてくるでもなく不躾にジロジロとこっちを見てくる。ここで不安を感じて引き返せればまだよかったものの、若い女性たちがさらに薄暗く狭い連絡通路を進んだ先は、高級ブランドの見かけはどこへやら、もはや乱雑と汚濁の極み、さながら九龍城の阿片窟へと変貌していく。室内は薄くけぶっており、水ギセルをくわえた全身刺青だらけの大勢のジャンキーたちが、赤いビロードをかけられたソファへ気だるげに身をもたせかけていて、若い女性たちが室内へ踏みいれるや否や首を起こして、いっせいにドロリと濁った視線を向けてくる。「なにこれ、キッショッ!」と叫びながら若いお嬢さん方が逃げていかれるのも、理の当然、無理からぬことなのです。エヴァとは元来、そういうコンテンツなのですから(水ギセルをふかしながら、黄色く濁った目で悲しげに)。

映画「クライ・マッチョ」感想

 クライ・マッチョ、見る。俳優人生の最晩年を迎えた齢91歳のクリント・イーストウッドによる、もしかすると最後かもしれない演技を愛でるドキュメンタリーとしては素晴らしいですが、一般的な映画として視聴すると彼が主演でなければ劇場公開どころか、撮影にすら至らなかったレベルの内容でしょう。この脚本が想定する人物像を演じるには、クリント・イーストウッドは20歳ほど年を取り過ぎています。10代の少年が想像するより身軽だったり、館の女主人に閨で恥ーー90代でチンポが勃つかいな! ーーをかかせたり、パンチ一発で暴漢に膝をつかせたり、60代のメキシカン未亡人とラブロマンスへ至るには、せめて70代前半でなければ成立しません。

 カメラワークとカット割りと、たぶんスタントでごまかした荒馬を乗りこなすシーンもそうですけど、スロー極まるクリント・イーストウッドの動きがもう本当に高齢のおじいちゃんで、そもそものところ台詞が言えてなかったり、別の意味で終始ハラハラさせられっぱなしでした。前作の「運び屋」ではまったく違和感を覚えなかったのに、わざわざマッチョをテーマにした脚本で当て書きなんかするから……。本作はここ5年、いや10年で最大のミスキャストのひとつであり、「映画好きなら、これをこそ褒めるべき」みたいな風潮に流されて、好意的な感想を述べる映画ファンとやらの盲目さには、もはやあきれかえるしかありません。

 あと、アメリカの1970年代におけるメキシコって、本邦のある世代にとってのノースコリアみたいなもんなんですかね?

映画「シン・ウルトラマン特報」感想

 シン・ウルトラマンの特報が目に入ってしまう。怪獣を「禍威獣」と表記しており、軽薄なまでの節操の無さとアタマの悪さに思わず失笑する。

 太平洋戦争の経験者が語る悲劇ーーより正確には戦争経験者によるフィクション群ーーがうらやましくてうらやましくて、東日本大震災に大喜びで飛びついて「これこそが、オレたちの世代の悲劇……!!」とエヴァQを作ったくせに、今度は未曾有のコロナ禍を迎えて「いやいや、こっちがオレたちの世代の悲劇……!!」と口元を例の形にほころばせながら命名したんでしょうねー。そしたらついに本当の戦争が始まって、「待って待って、オレたちの世代の悲劇もやっぱり戦争で決まり……!!」と、シン・仮面ライダーのどこに反映させるか表情だけは深刻に、ウキウキで考えてるにちがいありません。

 まあ、戦隊モノのパロディで不謹慎きわまる替え歌を作っていた学生時代と同じ心性のままなんでしょうねー(以下、引用)。

「もしも日本が弱ければ
 ロシアはたちまち攻めてくる
 家は焼け、畑はコルホーズ
 君はシベリア送りだろう」

 ホラ、監督の大好きな時代とのシンクロニシティですよ! すいません、表記を間違えました、シン・クロニシティが正解でした! これはもう、次々回作は「シン・サンバルカン」で決まりですね! 言いにくいから、タイトルは「シンバルカン」でどうでしょうか(ヤケクソ)!

雑文「エヴァンゲリオン大学心理学部形而上心理学科」

 承前

質問:もうエヴァからは卒業したほうがいいですよ

回答:いや、卒業してたんですよ。1997年7月にエヴァンゲリオン大学心理学部形而上心理学科を卒業したはずが、「ごめん、教務課の手違いで単位が足りてなかったから、実は卒業できていない。4日間の短期集中講座で済ますから、申し訳ないけど再履修してくれる?」と急に電話がかかってきたんです。大学のミスなのになぜか受講料とられて、懐かしい階段教室に入るんだけど、むかし見たことのある教授が明らかに25年前と同じ黄ばんだ講義ノートでボソボソ授業はじめて、まあ社会人になって長いこと大学なんて来てないから、頬づえつきながらボーッと聞いてても、面白くないこともないわけ。そしたら最終日の講義に教授が来なくて、みんな顔を見あわせてザワザワし始めるわけ。しばらくして事務の人が入ってきて、「すいませーん、今日はビデオ講義になりまーす。文科省には確認してオッケーもらってますんでー」っつって、擦り切れたビデオ映像を黒板横のモニターへ流し始めるわけ。明らかに25年前に受けた記憶のある授業なんだけど、カメラが教授の真横のアングルから撮影してて、板書がすごい見にくい。んで、最後にA4ペラ1枚のレポート書かされて、教務課に持ってくんだけど、受付のオバハンは煎餅バリボリかじりながら昼メロ見てる。「レポート持ってきたんですけどー」って声をかけたらふりむきもしないでめんどくさそうに、「そこの箱にレポート入れって書いてあるの読めないの? 学籍番号と名前が間違ってなかったら、みんな単位でるから」って言われて汚いボール紙の箱にレポート出すの。「おっかしーなー、ほんとに卒業できてなかったのかー?」っつって首をひねりながら帰るんだけど、いつまで経っても新しい卒業証明書が郵送されてこない。代表番号に問い合わせしたら、「この電話番号は、現在使われておりません」っつって録音が流れて、いまは手のこんだ特殊詐欺にあった気分です。

ゲーム「FGO水妖クライシス」感想

 FGO、水妖イベントクリア。もはや第2部の結末を見届けるためだけに惰性のログイン(連続2,419日目)を続け、イベントテキストの9割が読む価値の無い中身だと半ばあきらめつつも、時折やってくるこの唯一無二のスペシャルがあるから、FGOはやめられない。水辺で行われるオールスター集合の当イベント、おそらくは今夏に配信予定だったものを、結末部に大幅な加筆を行った上で、前倒しで実装されたのではないかと推測する。なぜか? それは、時代の要請によって望まぬまま英雄に祭り上げられた個人が、その事実によって多くの無辜の民を長く苦しめ、無意味に死なせたのではないかと苦悩する物語だからだ。この英霊をいつ取り上げようと決めたのかは、知らない。しかし、「いま、ここ」で配信されることによって、受け手はテキストに記述された以上の内容を読みとることだろう。

 エイジャンたちの死はどこまで重なろうともピンと来ないが、コーケイジャンの死は一個一個が己が身内であるかのように胸を痛ませる。これは、ウマ娘による擬人化で競馬というドラマをはじめて理解したオタクたちと同じレベルの話で、結局のところ、人は同族にしか共感を寄せることができないのだ。差別の本質が共感の欠如だと仮定すれば、単純にいかような見た目を持つかの話へと帰着し、それは敵味方を識別する我々の動物に根ざしているため、どうにも完全には抜き去ることが難しい。もちろん、私はこう読んだというだけで、ファンガスがどこまで意識的に書いているかは、正直わかりません。けれど以前にも指摘したように、「計算半分、センス半分」で今日的な物語の鉱脈にたどりつくのは、まさに「神おろしの巫女」の面目躍如だと言えるでしょう。もっとも、わざわざプレステ1みたいな汚いムービーを入れてくるセンスだけは、どうにも擁護できませんがね……。

 (髭のエイジャンがまっすぐにカメラを見つめて)ヒデアキ、わかっただろう。君の個人的な想いをそのままセリフでキャラにしゃべらせることでは、作品にメッセージ性など、決して生まれない。ある状況に向けて、キャラたちの行動がからみあい収束するダイナミズムこそが、物語に魂を宿らせるんだ。どれほど円盤の発売を延期して、細部の修正をくりかえそうと、君がエヴァの根幹を壊した事実を無かったことにはできない。ヒデアキ、私たちシンエヴァ否定派は、決してあきらめない。エヴァQの前日譚は、必ずここで頓挫させる。そして、我らの手に取り戻すのだ(背後に流れ出すエヴァ破の次回予告)。

漫画「さよなら絵梨」感想

 チェンソーマンの人の、例の漫画を読む。タイトルと設定は、たぶん「ぼくのエリ」からだと思うんですけど、思いついてしまった最後の2ページのオチを描くために、198ページを端正にビルドアップする根性がすごい。これ、ドライブ・マイ・カーで例えるなら、死んだはずの妻が赤いバンダナ、白いタンクトップ、カーキ色のズボンにマシンガンをかついで映画祭に現れ、観客席へむけて銃を乱射しながら「私はこんなにも貴方を愛しているのに!」と絶叫するようなもんですよ(ハーラン・エリスンからの悪い影響)!

 本作には、前作へと向けられた様々の悪意に対する目くばせもまいてあったりして、じつにクレバーな作家だなあと、あらためて感心させられました。すべての作品で同じモチーフ(映画好きの不死の美少女)が登場するのも、ある種の才能が持つ偏執性を感じさせて、とてもいい。私が彼の作品を見るときに連想するのは、川原由美子「ペーパームーンにおやすみ」に登場する少女の部屋です(私の自意識もそこに住んでいる)。ファイアパンチの感想のときにも少し触れましたけど、小説道場なら「君の作品は一見、軽薄で剽軽なのに、どこか自閉症的な拒絶を感じる。君が描く『硝子の部屋』はきれいだが、いつかはそこを離れなければならない。先生は君が『硝子の部屋』から出てくることを、ゆっくりと待ちたいと思う。人生は、そんなに怖い場所ではないよ、タツキ」とか論評しそうな感じ。

 栗本薫ほど人生に期待をしていない私としては、社会の状況や読み手の批判に、それこそ炭鉱のカナリアの如く敏感に反応して、すばらしい作品をアウトプットする書き手であることを確信したので、ファンガスと同じく「二百年を生きる吸血鬼」の自我を保ったまま、映画に幽閉された廃屋に居続けてほしいと心の底から思いました。本作もみんなでガンガン批判して、彼に次の名作を吐き出させよう(ひどい)!

雑文「1999年のテキストサイト:関西編(2020.1.5)」

質問:小鳥猊下の1ファンとして心よりメッセージさせていただきます。
 猊下のことを地域格差の物語など無礼なことを申し上げたのは、個人的なテキストサイトと重なる自分の歴史がありました。
 長くなるかもしれませが、取り止めのない自分語りをお許しください。
 1990年代後半より、テキストサイトの更新チェックは一日で一番楽しみという日々を過ごしておりまして、猫を起こさないように、をどこからかのリンクで見つけた時、すでに出来上がっていたテキストのボリュームと、さらにそこから膨らんでいく規模と密度に興奮して過ごしてました。
 どれだけテキストがあれど更新されなければ更新チェッカーに取り上げられず埋まってしまう世界の中でも、一際存在感のある猫を起こさないようにには格別の思い入れがありました。
 当時私は大阪市内のアパートに住んでおり、何かしらの創作で世に出たいと夢を抱いて過ごしていました。
 目指す媒体は違えど、やがては猊下や方々のようなテキストに影響を受けた、大袈裟にいえばテキストサイトの子として糧にして成長していく自分を夢見ていたのです。
 ある日テキストサイト界隈でおおきな盛り上がりがあり、サイト運営者の方が集うようなクラブイベントの話なんかがあって、私の記憶の中ではあの日以来、界隈の意味が変質してしまったように覚えています。
 結局のところイベント開催能力、対人能力、そしてなりより東京に住んでいること、いかに自分がおもしろお兄さんか、それらを高らかに宣言する場のように思えてしまい、今でいえばリア充だの人権だのとそれらを表現する言葉はたくさんありますが、当時はそれをうまく表現する言葉が私にはありませんでした。
 小鳥猊下のことは関西にお住まいであることや、生業の傍らでサイト運営されているということが頭のなかにありました。
 私は関西圏に生まれ暮らし、その文化の中でいきることを嬉しく思っている一人です。
 私は関西に根差し、あくまで中央とは距離を置いた場所で創作や発信をする方に常に尊敬の念があります、
 ただテキストサイト界隈が、関東のテキストサイト運営者の馴れ合いになる中で、猊下はどのようにお考えなのかと思い、自分の心情と重ねてしまったのが当時の私で、その延長に今もあります。
 もしこの質問箱というのが質問を投書するものであるなら、その時期のテキストサイト界隈をそんな目で見てた一読者についてどう思われるでしょうか、ということになるかもしれません。
 確か2001年あたりには逃げるように仕事で千葉に転勤になり、創作の友とも離れ離れになり、ネットからも距離を置いて働くなかで現地で結婚したりなど、もう夢とか創作とか、遠く離れた場所で生きております。
 それも20年のお話でおぼつかない部分、ポッカリ抜けている部分ばかりです。
 「ヘイ、総理大臣官邸かい。今から一時間後、首相をブチ殺しにいくぜ」
 プロフィールにあった、オーガの台詞をスキャンしたコマ、100人オフレポの最後にあるの、様々な思いが入り混じり。
 一切合切を吐き出すようなつもりで書いて、なんの中身もないお目汚しを晒すことになりましたことをお詫びします。
 心より愛を。

回答:長文の質問に対しては、長文の回答で遇したい! 質問箱のクソ仕様による転送が腹立たしいので、ツイッターにて以後の返答を行うこととする!
 「20年が経過したからこそ、書くことのできたファンレター」といった内容に、深い感慨を抱いております。「時間あまりのカネなし文系大学生」に「回線速度の遅いインターネット」という2つの要素が偶然に重なり、極めて特殊な文化が一時的に形成されたーーそれがテキストサイト隆盛の印象です。当世風に言えば「陰キャのコミュ障」が、記述したテキストでならば、だれかに何かを伝えることができる、ただ一つの場所のように感じていました。よく使う例えですが、当時のテキストサイト群は、「私がただ音を発するだけの肉の塊だとしても、あなたは愛してくれるのか?」という馬鹿げた(しかし切実な)問いかけと極めて近いところに存在していたように思います。いま確認したら、ウガニクのホームページの最終更新日は2000年8月19日でしたが、このあたりまでが自分にとっての「テキストが魔法として機能した神代」であり、これ以降は管理者の人物がサイト上のテキストと密接にリンクする「人の時代」になっていく感じです。現実でのイベントによる交流と、管理人同士の人間関係がネット上でサイトの位置を決める。当世風に言えば、「陽キャの高コミュ力」がちやほやされ、アクセス数を稼いでいく。それって現実とまるで同じじゃないかという、陰キャ丸出しの憤慨と反発の気分はずいぶん長くあり、依怙地なまでにテキストだけの活動にこだわっていたことを思い出します。そうは言いながら、何度かオフ会を開催してみたり、たぶんその時期にいくつかの分岐点があったと思うのですが、最終的に変化を選ぶことができませんでした。そして、2001年1月18日に開設されたあのサイトが古のホームページ群をすべて過去のものとし、インターネットに満ちていた神秘のマナの残滓は完全に消滅します(少なくとも、私からはそう見えました)。だれかのツイートで「小鳥猊下の文章には生活臭さがなくてすごい」みたいに書かれたことがありますが、おそらく以上のような経緯を前提とした「テキストサイトの文章は文章のみで成立せねばならず、現実の書き手の人生と連絡を持つべきではない」という強い思い込みが、根底にあったからだと思います。もっとも最近では、特にツイッター上でだいぶルールが緩んできており、忸怩たる気持ちはあります。しかし、ネット上にしか存在しないキャラクターとは言え、二十年の長きを交わらぬまま並走してきますと、気づかぬところで融合している部分があるのは、避けられないところかと納得してもおります。じっさい、2016年1月3日に小鳥猊下へまつわるすべてのアカウントを削除して閉鎖に至ったときは、我が子を鈍器で背後からなぐりつけたあげく、まだ生きているその首を手づからに絞めて死なせるような、何とも言えない気分になりましたから。話がだいぶそれましたが、ご指摘のように100人オフ会レポートの最後は、古いテキストサイトのエンディングとして書いた側面があります。2018年10月20日に行われたあの会は、婉曲的に表現するならヒコホホデミとホムダワケに謁見することができたおかげで長年の憑き物が落ちたという点で、正にエンディングにふさわしい場所でした。もっとも、2011年8月のコミケC80参戦レポートのときも同じような気分で書いており、結局のところ、私が死なない限りはエンディングの延伸されていく無様さを何度も何度もさらすしかないのかな、と感じる日々です。まあ、なんとかここまで生きてきましたので、またなんとかどこまでか生きていきましょう、お互いに。