これまた何年か、シアターで棚ざらしになっていたジョン・レノン・ニューヨーク見る。エイト・デイズ・ア・ウィークがイマジンの前半部分の拡大版だとしたら、こちらは後半部分のそれ。構成としては、ジョンの死を受けて「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」から「イマジン」「イン・マイ・ライフ」と畳みかけるイマジンの方がずっと好みです(少年期のショーンが父の丸眼鏡をかけて東京バビロンみたいな肩幅の服でインタビューに答える激萌え映像もあるし)。けれど、大まかな流れとしてだけ把握していたビートルズ解散後のジョン・レノンの軌跡が、関係者インタビューを通じて私の中でより精彩になったのは、僥倖でした。ヨーコから追い出されたジョンが、ロサンゼルスで酒びたりの生活となった後、狂乱する群衆の中へ「奴らは俺を欲しがってる」と言いながら自暴自棄に飛び込んでいった話や、関係者による「彼は本当に泥酔すると必ず『ヨーコ!』と叫んだ」という証言には、思わず涙がにじみました。
オノ・ヨーコって、ビートルズ・ファンにとっては解散の引き金となった、エヴァで言うところの碇ユイばりの魔女で、むしろその存在は疎ましく語られることの方が多いように思います。しかし、泥酔してすべての理性のタガが外れたあげく湧き上がる「ヨーコ!」という叫びに、ジョンは真実に彼女を愛していたことが伝わってきました。若い時分のオノ・ヨーコのことを言えば、英語の発音のマネがうまい典型的な帰国子女(財閥の御令嬢)って感じで、よくよく聞いてみると話の中身はカラッポなんですよ。ジョンとマスコミの前に出るときも、基本的に相づちか、直前のジョンの言葉をオウム返しすることに終始している。共通の友人たちの前でグルーピーとファックして恥をかかされたことが、ジョンを追い出した理由みたいに話していましたけど、巨大なカリスマとペアで語られ続けることによるアイデンティティの衰弱も大きかったと思うんですよね。じっさい、彼と別れたあとの活動が彼女に自立と主体性を回復させ、それらをあらためて確立したからこそ、またヨリを戻すことができたのでしょう。その後、誕生日に米国の永住権を手に入れ、二人目の息子を同じ日に授かって、そこから父親として「人間になろうとする」ジョンの決意と生活は、涙なしにみることはできません。
最近、葬送のフリーレンを読んだんですけど、高齢化するドラクエ世代に向けた、遠くない己の死を追想する物語だと感じました。淡々とした筆致で紡がれる美しい記憶のストーリーは、しかし次第に変質していきます。淡々とした筆致は、取り扱うテーマを表現するための手法ではなく、作画担当の個性であることが判明し、ハンターハンターの念を連想させる魔力の描写など、次第に原作者が富樫先生フォロワーであることを隠さなくなっていきます。「勇者の死から29年後」から時間が動かなくなり始めているのも気になります。このト書きが30年、40年と動いていく物語だと思っていました。「勇者のときには満足のいく看取りができなかったフリーレンが、新しい仲間たちをーー新しい仲間がフリーレンを、でもいいーー今度こそは正しく看取る」という岩のように静かな成長譚だと思っていたのに、週刊少年ジャンプ的なバトル漫画に内容がシフトし始めたのは気にかかります。「葬送の」が魔王軍の幹部を殺しまくったゆえの二つ名として作中に語られたのには、思わず「えー!」と声が出ました。
なぜ唐突に葬送のフリーレンの話を始めたかといえば、ジョンの亡くなった翌日、オノ・ヨーコとプロデューサーがスタジオに集まって、残された曲や録音を聞いて故人を追悼するエピソードが出てきたからでした。「どのように記憶に残るか?」という問題は、ある程度まで人間社会に関わった者ならば、大なり小なり、だれもが抱くようになるものなのかもしれません。曲はもちろんのこと、大量の写真や映像、そしてスタジオ内のバンドに指示を出す声までが録音として残されていて、それらを見聞きすれば、ジョン・レノンという個人は、いつでも我々の目の前へ鮮やかによみがえります。テキストしか表現方法を持たない私にとって、どこか頭の片隅に栗本薫(中島梓)の残り方があるのだと思います。小説ではなく、彼女が本人として登場するエッセイ群のほうにそれを強く感じるのです。特に小説道場は、35年前に始まり、25年前に幕を閉じ、道場主が亡くなって10年以上が経ち、門弟に故人もいるのに、紙面を開いた瞬間、すべてがリアルタイムで行われている鮮やかさで、眼前によみがえります。まるでみんな、生きているかのようです。私がいまだにインターネットでテキストを書いているのは、このたぐいの不滅を求めているからのような気がしてなりません。データは10年、紙は1,000年、石は100,000年、SNSのサービスを提供する会社には、せめて100年を長らえて、次の世代へと私たちの記憶を運んでほしいものです。
そして、ジョン・レノンがたったの40歳で亡くなったのだという事実と、彼が残した膨大なクリエーションの足跡に、あらためて打ちのめされる思いがしました。