猫を起こさないように
日: <span>2021年8月2日</span>
日: 2021年8月2日

アニメ「スタートレック:ローワー・デッキ」感想(かなりエヴァ呪)

 「スタートレック:ローワー・デッキ」見る。サブタイトルとシンプソンズふうのキャラデザから、下層デッキの一画だけを舞台にした一話完結の「スタートレックあるあるシチュエーション・コメディ集」なのかと思ってたら、ちゃんとストーリーになってて驚きました。たしかに、本編では不可能なシモネタやグロ描写も多くあるんですけど、TNG世代をねらいうちーー「あの船、毎週事件起きてるよね」みたいな小ネタにクスッとさせられてしまうーーにした良質のスピンオフでした。最終回ではライカーが救助に来た瞬間、いい大人が笑いながら泣いてしまいましたもの! スタートレック・シリーズ(特にTNG)って、昔からずっと「自由の価値」と「多様性の正しさ」と「それらを維持するコストと責任」を嫌味なく描き続けてきた、「アメリカの国家的理想」を体現したフィクションであり続けていると思います。スターウォーズ・シリーズがシークエルでぜんぶ台無しにして途絶させた「作品固有のテーマ」というものが、敬意をもって未だに脈々と引き継がれていっているのです。二次創作的な悪ふざけスレスレのラインを攻める本作でも、「ルールを守ることと破ること」とか、「リーダーに必要な知恵と蛮勇のバランス」とか、過去のシリーズに込められてきたテーマがエッセンスとして凝縮されており、スタートレックの本質をわかっている人が脚本を書いているのが伝わってきました。

 TNGのシーズン4第2話が好きで、時おり見返すんですけど、宇宙艦隊のエリートである弟と父祖の代からの葡萄畑を守る兄の人生が交錯する瞬間を対比的に描き、ピカードは艦長の仮面を脱ぎ捨て己の弱さを吐露するとともに、銀河の何百光年を飛翔しようと自分がこの土に根差しているのだと気づくのです。この挿話は、ジャン・リュックというキャラクターを説明する上でとても重要なパーツであり、TNGの後日譚である「スタートレック:ピカード」の第1話で艦隊を辞した彼があの葡萄畑で隠居しているのには、強い感動を覚えました。もちろん、老境にさしかかったSir. パトリック・スチュアートの存在感に依るところ大なのですが、長く続いたこのSFシリーズはついに「老いること」を肯定的に描けるほどにまで成熟したのだと、本邦の「若さに価値を置いた」虚構群をかえりみて、とてもうらやましく思いました。ラバール村での描写は、新旧ともにピカードのアイデンティティへの敬意と愛にあふれています。これを見せられた後では、現実のミニチュアセットとだけ紐づき、作中のどのキャラクターとも連絡の無い空疎な書割である第三村(また!)を前にすると、恥ずかしさのあまり赤面して立ち尽くす他ありません。エンタープライズ号の識別番号NCC-1701が碇シンジのネルフIDであることは有名ですが、なぜ再びシンエヴァの方向へ感想が曲がっていったかと言えば、ローワー・デッキの余韻に浸りながら、ひさしぶりにスタートレックについて検索するうち、第三村でケンスケの乗っているジープ?のナンバーが1701だという小ネタを見つけてしまったからです。

 新スタートレック好きを公言ーーどうせエンタープライズ号の形が好きなだけでしょうけど!ーーし、作中にオマージュまで忍ばせるくせに、このシリーズが一貫して描いてきた深い精神性や人間の気高さにはいっさい学ばなかったの、ホンマにハラたつわ! ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身のナイト爵の毛並みの良さは、山口県民には理解できなかったのかもしれませんね! いや、ケベック州出身のウィリアム・シャトナーからオタクのディスり方だけを学んだのかな! 8月13日からアマプラでシンエヴァが全世界に配信されるそうですけど、目の肥えた本場のSFファンたちがどんなふうにこれを見るか想像するだけで、奈良県の土人は恥ずかしさのあまり悶絶しそうですよ! 執拗なチャイルド・アビュースにセクシャル・ハラスメントのあげく、ドローン・アタック・イン・ウベ・シンカワですからね! エヴァTV版とシンエヴァ、新スタートレックとスタートレック:ピカード、どちらもほぼ同じ年数を隔てた続編なのに、どうしてこんな天文学的な単位で差がついてしまったんでしょう! まあ、答えは明々白々としていて、「脚本家の軽視」なんですけどね! 背景としては、組織的なロジスティクスではなく英雄的なパーソナリティを讃えてきた、先の戦争と同じ病裡をエム・ロリの御大が長編アニメ制作へ持ちこみ、興収に目をくらまされた配給会社がそれを看過することで、次の世代へ「ムラの習わし」として固着させたのが悪いんですよ! つまり、スーパーアニメーターが何の試験もなく空気でフワッと監督へ昇格し、専門的訓練もいっさい受けないまま、演出から脚本から感性でぜんぶやっちゃう例のアレですよ! 私小説にするならするで、中年なら中年の、老人なら老人の実感をビビッドに描写すればいいのに、どいつもこいつも少年少女に「想い」を仮託しようとするから、年齢を重ねるごとにどんどんメッセージが歪んで、悪臭を発するようになるんですよ! ベビーブームの時代には市場戦略だとごまかせたかもしれませんが、少子高齢化の現代では性癖の披歴にしかなってませんからね、それ!

 書いてるうちに怒りがぶり返して大脱線(いつもの)しましたが、もしかしてエヴァにあり得たかもしれないーー公式が下品な未成年エロ絵を量産する過去や、公式がアホな解釈ミス絵を量産する現在とは異なるーーシリーズものの芳醇な可能性を示す「スタートレック:ローワー・デッキ」、オススメです!