ネトフリでエイト・デイズ・ア・ウィーク見る。ビートルズのドキュメンタリーとしては、イマジンを擦り切れるほど(もはや黒電話とかフロッピーディスクみたいな表現)リピッてるんですけど、あっちはジョン・レノン中心の構成なので、解散後のオノ・ヨーコとの生活にかなり尺が割かれてるんですよね。本作はライブ・コンサートをやっていたアイドル時代に多くの時間を使っていて、とても新鮮な気持ちで見ることができました。シガニー・ウィーバーとか、少女の頃に彼らの熱烈なファンだった有名人たちのインタビューも挿入されてて、ウーピー・ゴールドバーグ(ガイナン!)が登場したのは、嬉しい驚きでした。母親がサプライズでチケットを押さえてくれていた話と、”They are colorless.”とため息みたいに言う様子が強く印象に残りました。ビートルズって、あれだけ豊かで多彩な音楽活動を繰り広げながら、デビューから解散まで実質9年くらいしかないんですよね。ちなみに、シンエヴァの制作期間も同じ9年で、両者の間に横たわる長大なクリエイティブの格差には、もはや愕然とするばかりです(鷺巣先生、かわいそう。まあ、特撮テーマの再録音以外はいっさい口出ししないし、ジャブジャブ無尽蔵にお金を使わせてくれる都合のいいパトロンぐらいにしか思ってないのかもしれませんけど!)。
ビートルズに話を戻しますと、スーツ姿にマッシュルーム・カットで、互いに区別のつかない4人のイギリスの若者が、まったく異なる個性と見かけを持った大人の男性へとメタモルフォーゼしながら劇的に楽曲を変化させていくその過程は、まさに「創造の魔法」という表現がピッタリと当てはまるでしょう。そして、アイドル時代の記録映像は白黒だったのが、スタジオ録音へと移行する時期からカラーへと転じるのも、撮影技術の進化と並走したまったくの偶然ながら、「サナギから羽化した」ような印象をさらに補強しています。もしジョン・レノンが凶弾に倒れなかったら、再結成した四人がどんな音楽を作ったのかは、ファンたちの間にいつまでもたくましい想像(僕はビートルズ!)をかきたてます。シンエヴァみたいな自己模倣のサンプリング集と化してしまった可能性もゼロではないとうそぶきつつも、想像の中でだけ楽しめる点においては、じつに優雅な遊びだと言えるでしょう。エヴァンゲリオンに関しては、いまだ作り手が存命であり、海外メディアによる監督インタビューから判断しても、さらに「どん底」の底が開く可能性が残されている絶望的な状況なのですから!
再びビートルズに話を戻しますと、有名なルーフトップ・コンサートが本作の締めとなるのですが、四人が屋上で「ドント・レット・ミー・ダウン」ーー「甘き死よ、来たれ」のサビは、この反転だと信じて疑いませんーーを演奏する姿には、なにか神々しいものさえ放たれているように感じます。以前、スーパーマン・リターンズの感想で「冒頭、スーパーマンが飛行機を不時着させるスタジアムの観客のひとりであれたら」と述懐したことがありました。もし立ち会うことができたら、どんな惨めな人生が後に残されていても、その瞬間を反芻するだけで生きていけるイベントがこの世には存在し、サヴィル・ロウの街路からアップル・コアの屋上を見上げる通行人であれれば、それだけでこの尊大な自意識を死ぬまで食餌していけただろうと夢想して止みません。そして私の生きる時代では、そこへもっとも近かったはずのシンエヴァ公開初日・初回の劇場が、そこからもっとも遠い場所だったというシンプルな事実に対する深い失望が、いつまでも、いつまでも、いつまでも、胸のうちから消えないのです。