猫を起こさないように
日: <span>2021年5月23日</span>
日: 2021年5月23日

雑文「マシリト&ウラケン対談」感想

 雑文「ベルセルク未完に寄せて」

 先のツイート群でちょろっと紹介したマシリトとウラケンの対談ですけど、ベルセルクのファンを自認するなら読んでおいた方がいいですよ。これ、ウラケンから対談を申し入れたんですけど、「大好きな『北斗の拳』を手がけた名物編集者から話を聞きたい」「新しい代表取締役から『ベルセルク』がどう処遇されるか探りたい」「だれも意見をしなくなった自作品の客観的な評価が知りたい」の3つの欲望がないまぜになった、玄妙極まる空気感が行間からビンビン伝わってくるのです。社長とチョクで面識を持つことで、懐に入りこむ意図もあったと思うんですけど、マシリトは白泉社の大看板としての商品価値を微塵も忖度せず、漫画作品としてのベルセルクをド正面から唐竹割でまっぷたつに切り捨て、「とっとと終わらせて、次の作品を書くべき」とまで言い放つのが痛快きわまりない。数少ないホンモノの「深海魚」であるマシリトの凄みと、蝕という一発芸だけで30年におよぶ連載を無批判に許してもらっていることをどこか後ろめたく思う「殿様(PDF)」の怯懦が対比され、思わず口元がほころんでしまうバツグンの読み味なのです。これを読んだあと、もしかするとベルセルクが絵画作品から漫画作品へと回帰するのではないかと一瞬だけ期待しましたが、まあ気のせいでしたねー。

 きのう紹介したマシリトとの対談を読み返したんだけど、まー強烈ですね。「なんで蝕なんか描いたの?」「漫画家として寿命が伸びると思ったので」「僕と出会っていれば(蝕を描かなければ)もっと寿命が伸びたのに!」ってやりとり、すごくないですか? つまり商品価値は認めるものの、漫画家として「お前はもう死んでいる」と正面から宣告してるようなもんじゃないですか! 白泉社の会長になってからのインタビューでも、キャスカ復活のことをふられて、「読んでないし、興味ない。ベルセルクは蝕で終わってるから」みたいなそっけない返答をしてて、ウラケンとの対談がオブラートに包んだ会話(あれで!)だったことがわかります。カイチョー、自社の商品でっせ! あんさん、どこまで自分に正直だんねん!

 でもまあ、ほとんどのファンが薄々は感じていたことですよね。いま「惜しまれて去るレジェンド」みたいな空気ありますけど、私を含めて13巻までを思春期に体験した者たちの思い出補正が強くて、漫画としての客観的な評価はマシリトが正しいのかもしれません。

 ベルセルク20巻くらいまで読んでる家人にウラケンの訃報を伝えたら、第一声が「だれ? 俳優?」でした。漫画家であることと同作の未完を伝えたら、「え、まだ終わってなかったん?」でした。うーん、温度差。小鳥猊下です。

 訃報に寄せたみなさんの嘆きとか読んでるんですけど、「死ぬまでに頭の中にあるものを描ききれるかわからない」という作者の言葉を真に受けてる人がけっこう多いのに驚きます。あれ、映画監督が最高傑作はどれか聞かれて、「次の作品だ」と答えるのと同じリップサービスだと思いますよ。あと、グイン・サーガ方式で別の書き手に続きをゆだねる案も見かけましたけど、カイチョーが許さないんじゃないかなあ。

 「ベルセルクは20年前に終わっています。どうしてもファンタジー作品を掲載したいというなら、次のベルセルクを探すか育てるかしてください。41巻は欠番になっている話を巻末に収録して、最終巻として発売します。私からは以上」くらいの感じでシンパの編集者たちを封殺してそう。知らんけど。

 「もっと言うと、背景はいらないです」。ここ20年のベルセルク全否定! チ、チビシーッ! 小鳥猊下であるッ!

 あのインタビュー再読してて感じたんですけど、自分よりも辛辣なことを言ってくれる人がいると、自分が言わなくてもよくなるっていうか、それこそちょっと擁護側にまわったりしていい人ぶれるっていうか、すごく気持ちが楽になりますね! 私の「:呪」も、そんな感じで広まったのだろうことが、なんとなくわかりました。