猫を起こさないように
月: <span>2019年11月</span>
月: 2019年11月

忘備録「ロスジェネについて」(2013.12)

 ああ、またこの世代の犯行だったか、という感じ。ぼくたちの小中学生時代はインターネットが存在せず、ゆえに左の教育の純粋な効果が最も期待できた時代だった。ぼくたちは意味もわからず汗を軽蔑し、土からは遠く切り離されたまま、ファミコンのドットの群れに世界を見ていた。

 その暖かな楽土へ、当時はだれもそれとは知らなかった第一次就職氷河期がやってくる。社会に回収されない個人が多く野へ撒かれたのが、ちょうどこの時期だ。そしてぼくたちは、数少ない優れたクリエイターや、均衡を失った多くのキチガイになった。汗は牛馬に所属し、土を不浄とみなすようずっと教えられてきていたし、何より最悪なことに、大学生のときにエヴァンゲリオンの本放送があった。いや、大真面目だ。

 余談だけれど、90年代後半のテキストサイト管理者は、そんな社会に回収されないアウトローか、その予備軍である学生がほとんどを占めていたように思う。一昔前のアマチュアバンドに例えれば、有名テキストサイトがインディーズレーベルだとすれば、エロゲーライターになることはメジャーデビューする、みたいな感じだった。そう、エロゲー制作が最高にクールで、ワルくて、ゴッドな一時期は確かに存在した。いま、ぼくがそれを感じることはない。

 閑話休題。今回の事件は規模こそ違えど、マーク・チャップマンを描いたチャプター27的であり、また手前味噌を言わせてもらえば、極めて高天原勃津矢的である。護送車に乗せられるときカメラに向けた彼の表情は、目をキラキラさせた満面の笑顔だった。長い長い無視の不遇を経て、ようやく社会に見つけてもらえたこと、そしていま正にこの瞬間、世界の焦点が自分の上にあることが、嬉しくてしょうがなかったのだろう。ぼくに不機嫌にテレビを切らせたのは、まちがいなく同族嫌悪と呼ばれる感情だった。憎しみと自己愛の種子はかように広く深く撒かれており、これが最後の一人だとは、ぼくにはとうてい思えない。

 ぼくたちは、虫のようにたくさんいる。そしてぼくたちは、虫のように人の悪徳を実感できず、ただその種子を萌芽させないことに人生の多くを費やしている。

映画「かぐや姫の物語」感想

 ジブリに、いや、高畑監督にしか作り得ない、ハイパー・日本昔ばなし。そのこだわりは、特定の嗜好品において、ある時点から質の向上と値段の上昇が急激に連動しなくなっていくあの高みにまで達している。一般人には1万円のワインと1000万円のワインの味の違いがわからないように、500万と50億の制作費が生むクオリティの差を感じられるアニメ・ソムリエだけにしか、この作品の真価をはかることはできない。

 個人的には、百年を待たない新しい芸術であるアニメが、ついにこれだけの嗜好品を生み出した事実に、深い感慨を覚えた。ストーリー的には徹頭徹尾、かぐや姫であり、女の子を育てるって本当にたいへんだな、と思った。あと、つがいを得て子を成すことが地上の輪廻に乗ることであり、それのかなわなかった者たちの魂の回収される場所が月なのかな、と思った。

 ちぃちぃ……さみしぃょ……

 自分が名づけをした生命が、この世界から永久に失われるということ。結局、私は、何もわかっていなかった。

ゲーム「艦隊これくしょん」感想

 FUNK LOVE(ファン倶楽部)! 小鳥猊下であるッ! 貴様ら、コミケを直前に控えた猛暑の最中、いかがお過ごしでしょうか? アー・ユー・バイイング・マイ・ファンジン? 少女保護特区効果により、いまやガイジンどもの聖地巡礼が耐えぬ四神相応の地に鎮座する小生だが、昨日全国を駆け巡った大地震の予報にも関わらず、貴様らから身を案ずる声は絶無であった!

 ネット上で小鳥猊下へ言及を行ったものへの自動発番により肥大し続けてきたnWoファン倶楽部の面々は、いったい何をしておったのか! 奈良県沿岸部在住の小生は、暗峠(くらがりとうげ)を越えて迫る大津波をサーフボード一枚で乗りこなし、あの巨大地震を命冥加に生き延びたことだけ報告しておく!

 ところで急激に話題の舵を切るが(唐突な比喩だ!)、最近ドはまりしているものがある。ちょっと手をつけてからしばらく放っておいたのだが、今ではこんなに面白いものがあったのか、これが無ければもう日も夜も呉れぬ(おっと、誤変換失礼!)という感じだ。

 戦争の悲惨を極めた場所へ身を置きながら不服の一言さえ漏らさず、日の終りのわずかな補給だけを楽しみにして、生きて戻れぬかもしれない過酷な命令に日々従事する、あのけなげさ。そして、ボーキサイトを溶かして自作した申し訳の装備を肌身離さず持ち続けるいじらしさ、豊食の日本人が永く忘れていたその清貧と愛らしさに、待ち受ける過酷な運命から逃れさせることはできないまでも、私はそっと背中から抱きしめ、暖めてやりたいような気持ちにさせられる。

 だから私は、少しでも生存率が上がるように、少しでも多くが故郷へ帰れるように神へ祈るのだ、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」と……!!

 さて、もうわかったと思う。いま大人気のアレだ。正解がわかった君は、web拍手などの匿名メッセージで構わないから、こっそりと私に耳打ちして欲しい。もちろん、商品名の一文字を丸の中に入れさせるくらいの簡単なクイズなので、正解者は多数になることが予想される。

 その中から抽選で一名に、nWoの今後に関わる重大な権利を譲渡しようと思う。今度こそ、ファン倶楽部(FUNK LOVE)のみんなの積極的な参加を期待しているゾ!

 うむ? 「やって」る? 「艦コレ」? なにソレ? 貴様らおたくとは、どうも話が噛み合わんな。いま大人気のアレと言えば、ソルジェニーツィン先生の「イワン・デニソーヴィチの一日」に決まっておろうが!

 戦争の悲惨を極めたラーゲリでアルミ(ボーキサイト)を溶かして自作したスプーン一本を脚絆に忍ばせ、わずかの粥と野菜汁を楽しみに酷寒(マローズ)の中での屋外作業をやり過ごす日々。「この野菜汁の一杯こそ、今の彼には、自由そのものよりも、これまでの生涯よりも、いや、これからの人生よりも、はるかに貴重なのだ」の一文にキュン死しない社畜はいないと断言できる。これだけであと十年は社に飼い殺されることができる勢いだ。

 もちろん、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」の台詞は、作業免除になる大吹雪(ブラーン)の到来を知らせる粉雪を祈願してのものに他ならない。「閏年のために、三日のおまけがついたのだ……」を超えるシニックを私は寡聞にして知らないが、貴様らはそうじゃないのか?

 そしてドストエフスキー以降のロシア文学のお約束とも言える、キリスト教徒からの神の愛に関する説法を黙って聞いたあげく、ビスケットを一枚あげちゃうんだぜ? しかも「腹の皮がさけるほど飲む」飽食の本邦とは違って、生きるためにギリギリのカロリーをしか与えられないラーゲリでのできごとなんだ!

 ああ、ワーニャかわいいよワーニャ!

 @nobody やっぱり! ぼくもなんかすでに死んだ人の追憶をたどる気持ちにさせられます! アリョーシュカはやっぱり死んだんだろうな、微笑みながら死んだんだろうな、とか。

 @nobody おしい! 「収容所群島」じゃなくて、初期作品の方です!

 @nobody す、すいません、うちの祖父はなんか兵役免除だったみたいで……すいません、こんな末裔が生きてて、今の繁栄を享受してて、本当にすいません……!!

アニメ「未来警察ウラシマン」感想

 いつのまにかHuluに未来警察ウラシマンが収録されており、のけぞる。私のSFマインドの30%は、この作品で構成されているからだ。

 社畜の悲しさ、第一話と最終回付近のみを閲覧する。二十余年を経て、脳内に相当の理想化と神格化が行われていたことを知った。質の高い昨今のアニメに慣らされた誰かの試聴に耐えるとは到底思えない。しかしそれらを理性で確認してなお、私は心を深く動かされた。ふだん気難しげに映画の感想などつぶやいているが、結局のところ作品の完成度なんていうのはさしたる問題ではなくて、人生の最も多感な時期に出会った作品へ、我々は雛鳥のように感動を刷り込まれてしまうのかもしれない。

 同工異曲のそしりも、人の死を終着とした生命の大いなる惰性の内側に、やがてすべて呑み込まれていく。

掌編「ドラゴンクエスト10のある日常」

 仕事を終えて、四畳半のアパートに戻る。ネクタイの結び目に指を入れながら、電気のヒモを引く。流しに残されたレトルト食品の残骸と、朝出かけるときのままに乱れたシーツが目に入る。

 上着を脱いでベッドに掛けると、タバコに火をつけた。スマホで冒険者の広場を確認すると、分身である魔法使いのステータスには万単位の経験値と千単位のゴールドが計上されていた。今日も誰かに雇われ、順調に責務をこなしていたようだった。現実の俺とは大違いだ。笑みは自然、自嘲的なものになる。

 薄く煙を吐きながら何度か広場を更新すると、つど経験値とゴールドがわずかに増えていく。いまの時間から、半ば寝ながらプレイするより、見知らぬ旅人へ預けておいたほうがよほど効率がいい。アストルティアでの冒険は、今日もおあずけというわけだ。冒険者の広場で確認する元気チャージは、すでに200時間を超えていた。これはきっと、現実世界で奪われた活力――意味の無い部署間の調整に身をやつした分だ――がチャージされているのに違いない。

 底の見えない灰皿にタバコを押しつけると通勤カバンから3DSをとりだし、冒険者の便利ツールを立ち上げる。今日もすれちがいゼロ。この一週間、誰ともすれちがっていない。ハーフミリオンは、関西の僻地では充分に多い数とは言えないだろう。

 ふと、胸にさしこむような孤独を感じた。無人島ならば、きっと感じないような孤独だった。それはほとんど痛みを伴っていて、思わずフローリングの床にうずくまる。疲労はとうにピークを越えていた。もはや何かを胃に入れようという気さえ起こらない。のろのろと立ち上がり、ステテコ一枚になるとベッドに身を横たえる。

 救急車のサイレンが遠くに聞こえて、湿った敷布を全身にまきつけた。夢うつつに見たのは、スーツ姿のエルフがメタルスライムに暴走メラミを唱える光景だった。

 ああ、ここでもか。死と同じ救済――安らかな忘我が訪れたのは、そのすぐあとだった。

 『ドラクエ たのしいね!』

ゲーム「ファイナルファンタジー14」感想、あるいは麻雀について

 土間式麻雀(土を突き固めて作った玄関口において、蚕や牛のかたわらで行う麻雀の意)! 小鳥猊下であるッ!

 何やら無料で四人対戦ができるとのことで、東風荘の閉鎖からこちら遠ざかっていたネット麻雀を再開してみた。何を隠そう、私は麻雀が弱い。雀歴は20年以上、阿佐田哲也や片山まさゆきや押川雲太朗の著作をすべて読破し、戦術などへの理解は深いはずだ。しかし、とにかく弱い。今日も今日とて「久しぶりに麻雀ってヤツをやってみるか」などとワニ蔵の顔でつぶやき、対局相手全員の手牌を読みながら、捨て牌の手出し・ツモ切りをすべて把握しつつ、真剣に打った。するとどうだろう、4連続ラスを引き、うち2回はトビ終了だった。内容はと言えば、12局連続ノー和了、数少ないアガリはすべて低目、勝負牌はことごとくドラを抱えた相手のペンチャン・カンチャン待ちにつかまる。

 麻雀というのは本当に怖い遊びで、ドラ集めと絵合わせでなく、真剣に取り組めば取り組むほど、その人物の現在のカンや運などのパラメータをじつに正確に反映するようにできている。私が株やギャンブルの類を一切やらないのも、麻雀を通じて必ずトータルで負けることを知っているからである。

 しかし、読書をしながらの片手間とか、酒を飲みながらの絵合わせとかになると、かなり勝ててしまうのである。私が物事に当たるとき、少し力を抜いて正面から組みにかからない理由も、ここにあると言えよう。

ゲーム「FGOイベント『閻魔亭繁盛記』」感想

 エフージオ、ジョンストン掘りの裏側で金リンゴをかじりまくりながら、閻魔亭クリア。いったんファンガスの胞子を浴びれば使い回しの汎用モーションで、ストーリー的にもイマイチ印象の薄かったフィン・マックールでさえ、ホラ見ちがえた。惜しむらくは、あっさりとチュチュンを引けてしまったので、この良イベントに対して十分だと考える課金ができなかったことであろう。

 人類の歴史がなぜ継続しているのかと問われれば、いまこの瞬間にも世界のどこかで名も無き人々が、すんでのところで人間の破滅を防ぎ続けているからである。そして破滅へと至らなかった事象は、だれの記憶にも残らず、どこにも記録されることはない。ちょうど小さな善意が、大きな悪意に先んじて日々のニュースを飾らないようにだ。本イベントにおける新所長の言動は、世界の破滅に対する我々の、無意識の善なるふるまいを代表していると言えるだろう。ファンガスがこの感じ方を共有しているのかは、わからない。ただ、共有しているように思えるというのが、私にとって非常に重要だ。

 僕の優雅な年末におし入って来た、この奇妙な慈愛のようすがそれからどうなったかというと、実はまだ続いているのです。

 「よい大人のnWo」なるサイトを年始の暇にあかせて読み返しているが、どれもこれも才気にあふれており、ひどくおもしろい。にもかかわらず、この人物はもう書いていないのだという。だれも彼に声をかけず、何よりだれも彼にカネを払わなかったことが原因である。私がエフ・ジー・オーにできるだけ課金しようと思うのは、そのうちのいくらがファンガスの懐に入るのかは知らないが、彼に書き続ける意志を失ってほしくないからである。痴人への愛という更新の登場人物が、次のように述懐している。

  「私ね、舞台に上がる前は奇跡が起きるような気がするの。もし、この舞台をうまくやり終えたら、みんなが私に拍手をして、そうして次の日からは誰からも愛されるように、誰からも必要とされる私になれるんじゃないかって思うの」

 とてもよくわかる感覚だ。そして、この気分をいつも裏切られ続けてきたことで彼女は摩耗してしまったのだろうな、と思う。昨年末に行った更新とその後の無視および無反応で、久しく忘れていたこの感覚を思い出した。だれかの目に少しでも留まるよう、最新の更新から気に入りのフレーズを紹介する。

 『そうだ、ウガニク。いまのインターネットはすべて偽物の、まがい物だ。テキストが魔法として機能した神代のインターネットは1999年まで、それ以降はただの言葉の下水道じゃないか。』

 『きみの汚い言葉は最高にきれいだった。ぼくの下劣な言葉は最高に美しかった。ぼくたちのテキストサイトには、確かなキュレーションがあった、審美眼があった。』

 『それがどうだ。回線は馬鹿みたいに速く安くなったけれど、いまや恐ろしい分量の美しい言葉ばかりが下品に乱雑に、かつて美術館であり博物館であった場所の床へ足の踏み場もないほどに、ただ放置されている。』

 『さあ、ウガニク。君のあとから来たまがい物どもを、ぜんぶ、ぜんぶ殺しつくしてくれ。』

 新年の抱負は、「バズる」「炎上する」。小鳥猊下でした。

ゲーム「ウィッチャー3」感想

 (純粋なまなざしで)小鳥猊下はスケベってどういう意味? (ギラギラした目で)それは性欲が強いということだ! 小鳥猊下であるッ!

 ええ、根がミーハーなので、やってますよ、ウィッチャー3。きっと、ゼノなんとかをこきおろすために本作へ言及するんだろうと気になって、つい出歯亀的にのぞきにきたんですよね。アハハ、そんな下品なことしませんよ! とりあえずの雑感だけ、お伝えしますね。最初のボスを倒すまでに感じていたのは、まるで「ソーサリー!」みたいだな、「魔法使いの丘」を冒険しているみたいだなということでした。ちょうど子供時分に漠然と頭のなかに抱いていたイメージが、目の前に具現化されるのを見るようでした。オープンワールドっていうと、物語より先に巨大な箱庭がドンとあって、バグも多いけど進行不能なものでなければだいたい許容されて、ゲーム性のバランス取りは最初から放棄されてて、気になるならファンサイドがMODで調整していいよって感じだったじゃないですか。でも、本作はオブリビオン時代のそういった丸投げから確実に進化している。同系統のゲームを研究対象として前提にしてるのが伝わってきて、スカイリムとドラゴンエイジがあったから、ウィッチャー3がこうなってるのがわかる。オープンワールド系ゲームは、成熟期にさしかかったのかもしれませんね。

 あと、これは言っておきたいんですが、ローカライズがとても素晴らしい。元のゲームは面白いはずなのに、ローカライズに愛が無くて止めてしまうことって、結構ありませんか。やる気がまるで、“消えかかった光”のようになっちゃうんですよね。おっと、遠回しの批判がまた皆様を不快にさせてしまうでござるよ! 人気商売、小生、人気商売でござった!

 で、ローカライズに言及するとハナから原語でやれよ、みたいにアオってくる方々がいますよね。実際わたしもアオる側の発言が多いように思いますが、正直なところを言いますね。元より対話の意志があったり、小金を持った客であったりする場合と、こちらを本気で殺してやろう、喰い物にしてやろうと相手が思っている場合では、言葉はその質を全く変えるでしょう。前者の状況なら外国語を用いてコミュニケーションを取れる人は少なくないように思いますが、後者の状況で負けない語学力を持つ方は実はそれほど多くありません。この意味でオープンワールドを真の体験として味わうには、母語によるローカライズが不可欠なのです。

 声の配役とか、翻訳のニュアンスとか、モブの反応とか、膨大な労力を必要とするわずかの違いを埋めるのは、オリジナルへの愛以外にはありません。ゲームは気難しい目利きの旦那方を相手にする、言わば嗜好品の商売だと意識して欲しいですね。

 ウィッチャー3、プレイ中。血まみれ男爵のクエストがひどく身につまされて、しばしコントローラーを置く。アル中のDV夫、繊細な偽善者、泥酔の末に妻を流産させながら、水子の霊へは涙を流す。我々はみんな赤ら顔の、酒を飲み過ぎた中年であり、自分を憐れむことさえ満足にできやしない。死にたくはないという理由で、後悔にまみれながら、ただ生きることを手放せない。

 血まみれ男爵が首を吊った。虚構の人物が死ぬことにショックを受けるのは、どのくらいぶりだろう。グイン・サーガで言えばユラニア三醜女のルビニアとか、いつでも過剰な耽溺を抱えたキャラに愛をおぼえる。だれだって等分に、まわりが思うよりはずっと繊細にちがいない。受け入れがたい現実を前にしたとき、それを変えることではなく逃げることを選ぶ弱さに、共鳴してしまう。

 サイドクエストのやめどきがわからず、ここ三日ほどノヴィグラドに滞在し続けている。それにしてもこの街、行ったはずのない城塞都市カーレを思い出させるなあ。

 猫ウィッチャー(猫ピッチャー的な絵柄でアクスィーの印を結びながら)! 小鳥猊下であるッ!

 ウィッチャー3をプレイしていて、JRPGが死のうが任天堂が変節しようが、もはやどうでもいい気分になってきた。三人の泥酔男が女物の服を着てかわやの猊下(猊下だ!)と対話する場面では久しぶりに声をあげて笑ったし、ケィアモルヘンで仲間たちとワイルドハントを迎え撃つ場面では久しぶりに鳥肌が立つほど気持ちが高ぶった。

  ウィッチャー3、ようやくクリアする。ウィッチャーの娘が女帝として国を継ぐだろうエンディングだった。別れの場面における演出は細かな感情の機微に富んでおり、本邦のモデリングが指向する二次元美少女の立体化では到達できない高みに届いていた。本邦の「萌え」なる文化は、人の世にある男女間のあらゆる機微を、それがたとえ父娘であったとしてさえ、すべて性交レベルへと貶める。もしこれが某ゼノセックスでの演出だったなら、ウィッチャーの娘は握ったこぶしを顎の下でチューリップ状に開きながら顔面を不必要にカメラへ近づけ、陰茎が股ぐらに収まったときみたいな声で頬を染め、巨大な眼球に淫水の如き濡れた質感を浮かべたに違いない。いや、いや、そうだった、もう忘れるんだった。JRPGのことはすっかり忘れて、いい映画を鑑賞した後のような余韻をかって、いましばらくこの世界を放浪しよう。

ドラマ「THE NEXT GENERATION パトレイバー」感想

 故人を冒涜するCMで契約者を増やし続ける動画配信サービスに、パトレイバーの実写版が登録されているの発見する。昨年を通じて、実物大レイバーなどのケレン味あふれる宣伝を目にして気にはなっていたので、さっそく見てみた。ネクストジェネレーションと言いながら前作とまったく同じ造形の人物が配置されていたりとか、アニメの手法をそのまま引き写した演出やセリフ回しとか、楽屋落ちもいいところのシバシゲオとか、たぶん客観的に判断すれば褒められないほうの映像化だと思うんだけど、個人的にはすごい面白かった。

 ひさしぶりのうる星やつらノリというか、パトレイバーを利用して監督が思考や私生活を垂れ流しにしてる感じが楽しい。たぶん企画を通したりカネを動かしたりできる地位にパトレイバーファンがいて、実物大レイバー作ってくんなきゃやらねーとか、配役と脚本に口出ししたら許さねーとか、俺がハマってる空手をちゃんとやんねーと出さねーとか、全編そんな感じでワガママ通しまくってるのが見えて微笑ましい気持になった。

 かつて原案に関わった人たちが全員シャットアウトされているふうで、「いったい彼が何を考えているのかわからない」とかネットでこぼしてるのに、「ぼくが怒ると思ってるのか、だれも何も言ってこない」などと舞台挨拶で放言しているのも素晴らしい。スラムダンクをサッカー漫画と記述したヤオイ関連本がノーチェックで出版されていた晩年の栗本薫を思わせる狼藉ぶりで、外野からは「いいぞ、もっとやれ」とやんやの拍手喝采を送りたい気分である。

 結局、本邦のご多分に漏れず私小説が大好きなので、何が語られているかではなく誰が語ったかが私にとって重要なんだなと改めて考えさせられた。ある種の人々にとっては、近所のオッサンが使ったチリ紙より、アイドルが使ったチリ紙の方に価値があり、彼は私にとってのオッサンアイドルなのです。私のフォロワーたちも、私の発言の中身を吟味しているというよりは、十数年前にテキストサイトで一年ほどハッスルしていた人物の消息が知りたいという気持ちが大きいのだろう。でも、企画を通したりカネを動かしたりできる地位についているキミは、もっと現世利益を誘導してくれてええんやで?

 引き続き、パトレイバー見てる。全編が躁のテンションに満ち満ちていて、本当に好き勝手にやってる感がすごい面白い。しかつめらしく「このままでは特撮が死んでしまう」と語ってみせることより、特撮の棺おけとして博物館を建てることより、新たなファンを流入させる方法として実作ほど有効な手段は無いとひしひし感じる次第である。某Cunt-Qは新劇をさっさと終わらせて、実写でエヴァのネクストジェネレーションを撮った方がよっぽどその目的を達成できるのになあ、と思った。

 突然Qみたく前世紀エヴァンゲリオンと化したり、若い層が何の思い入れもない怪獣映画の監督に名乗りをあげたり、自身が常に批判しているオタク的な性向の袋小路へと入りこんでいくのを見るにつけ、パトレイバーのこの力の抜け方はたいへんに心地よい。同時に、彼を嫌う人がいるのもわかる気がする。うる星やつら、パトレイバー、攻殻機動隊、いちど手をかければ、どんなオリジナルも己の作品として乗っ取ってしまうからだ。いったんやられてしまえば、どれだけ原作サイドがイメージを取り戻そうとしても、二次創作としてしかふるまえなくなってしまう。Cunt-Qが彼と違うところはオリジナルへの愛が強すぎて、原典をはるか越えた後も自らをコピーと自虐してしまうオタク気質だ。マモルさんの自己愛の十分の一があれば、いまごろ新エヴァは無事にハッピーエンドを迎えていたに違いない。

 ええい、チクショウ、書いてて無性に腹が立ってきた! なんでエヴァを放り出してまで、またぞろゴジラなんてつまらない、ハリボテトカゲへの強い執着を表明してやがるんだ! Zガンダムの劇場版に感化されて新エヴァを始動したCunt-Qのことですから、きっと今回もパトレイバーに影響を受けてゴジラをやろうって決めたんですよね! そのへんの尻軽なミーハーさはアマチュア時代からの持ち味だと思いますが、このペースだとすべてやり切る前に寿命が尽きてしまいますよ! それとCunt-Qの奥さん、あなたの新聞連載のゆるキャラにスヌーピーのポテンシャルはありませんし、エヴァほどの思いで続きを待ち望んでるファンなんていませんよ!  ワーキングマンの続きを描くか、さもなければそろそろダンナの世話だけに専心してください! 今のCunt-Qに必要なのは意識の高い食生活(有機野菜のスムージー!)や甘えさせてくれる女性(診断書なしの鬱で無期限有給!)じゃなくて、一発ブン殴ってくれる誰かですよ! いや、むしろマモルさんに殴ってもらえ!

アニメ「艦これ1話」感想

 わたしはいま、巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいます。わたしは自閉症なので、胸部を圧迫されることにつよい安堵をおぼえました。本棚と床の隙間からは、きのう轟沈したはずのまるゆさんがうらめしそうにわたしを見ています。魚雷で大破した頭蓋から、脳漿がまざってドロリとした赤い液体が床を流れてきました。まるゆさんの両目は樹木のうろのようで、わたしはひどくこわくなりました。ドロリとした赤い液体がわたしのほおにふれ、わたしは気を失いました。

 目をさますと部屋は真っくらになっていて、曙さんもまるゆさんもいなくなっていました。身体を起こそうとすると、ほおがフローリングの床にはりついているのがわかりました。つけっぱなしのモニターが暗やみにちかちかと明滅しており、なにやらパン助のあげるようなあで声が聞こえてきます。えいと声をだすと、べりりと床からほおをひきはがしました。床はいちめん赤かったのですが、わたしの顔があった部分だけ木目が見えていました。ほおをさすりながらモニターへ目をやると、大小さまざまの女性が水面をアイススケートのようにすべっていました。奇形的なまでに大小さまざまで、股下すぐから両足を露出しているというところだけが共通していました。あと一センチ丈をつめればぜんいんのオソソが露出しそうなほどで、年来のガイノフォビアがまたぶりかえすような気がしました。画面からはイズミヤでかかってるみたいな音楽がずっと流れており、女性たちの会話は「パンぱカパン」「こコはユズレませン」などまったくかみあっておらず、ああ、彼女たちも自閉症なんだな、と思いました。

 いつのまにかだれもいなかったわたしの部屋は人でいっぱいになっていました。さいしょはみんな気まずそうに黙っていたのですが、大御所ふうの漫画家のような見かけをした人影がすっくと立ち上がり、「カンコレヨキカナ!」と声を裏がえらせて絶叫しました。するとホッとしたような空気がまわりに流れて、「フツウニリョウサク」「オレハジュウブンタノシメタ」などのつぶやきが聞こえはじめました。画面に視線をもどすと棒立ちの黒い人物を女性たちがとりかこんで射撃の的にしており、どう目をすがめてもわたしには気のくるった出しものにしか見えず、染色体のすくない我が子をくちぐちにほめたたえる学芸会の保護者席に混じった子無しみたいな気持ちになりました。

 すると、だんだん頭がグラグラしてきて、わたしはまた気をうしないました。目を覚ますと、わたしは巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいました。天井と本棚の隙間からは頭蓋を大破させたまるゆさんがニコニコとわたしを見下ろしています。わたしは自分の気がくるっていなかったことがわかり、胸部を圧迫される安堵とあいまって、眠るような心もちになりました。