アニー
原作に思い入れがないどころか見たことさえないのに、一般女性の「日々に疲れた時のサプリ(某ネット通販感想より抜粋)」を一般おたくが視聴してしまって、なんかごめんなさい。きっと、一般女性がドギツイ抜きゲーをついうっかりプレイしてしまったら(どんな状況だ!)、こんな気持ちになるんだろうなと反省させられました。なので、内容にはいっさい触れません。私に言えるのは、ジェイミー・フォックスが全体的に手を抜いて流した演技をしているなということと、やっぱりキャメロン・ディアスは卑猥で下品な役柄がピッタリの最高のアバズレ女優だなということです。(しかし、最近のキルスティン・ダンストには油断が生じているのか? だとしたら、キャメロン・ディアスに追い抜かれるのは時間の問題だぞ)
月: 2015年5月
グランド・ブダペスト・ホテル
グランド・ブダペスト・ホテル
センスと外殻だけがある、きれいな昆虫のような、メリーゴーラウンドのような作品。誰が言ってたか、「すべての映画はアニメになる」を地で行く、ポスプロまみれの怪作でもある。画面の色合いから構図までのすべてが監督の意図に支配されており、時間軸の違いをアスペクト比で表現したり、映画芸術の枠組みに対してもやりたい放題である。また、凡百の創作ならトラウマ感情のゆらぎがどうしても作品へにじみでてしまうものだ。しかし、この監督はそういう雑味を徹底して自作品から排除していて、それゆえのドライな手触りに憧れる。どんな人物がすごく興味あるけど、絶対に会いたくはない。
西遊
西遊
確かに、ロード・オブ・ザ・リングに匹敵するスケールの物語をアジアから探すとしたら、西遊記しかないだろう。相変わらずドラゴンボールやらエヴァンゲリオンやら、日本のおたく文化の精髄を換骨奪胎するのが歯噛みするほど上手く、近作の定番パターンではありながら、凡人が超人へと化身する瞬間の描き方も充分に感動的だ。以前も指摘したけど、おたく文化を一等地低いものと見なし続ける本邦のメインカルチャーとやらからの蔑視のせいで、我々はパシフィック・リムを作られ、ゴジラを作られ、今度は西遊を作られてしまった。同じ内容の繰り返しになるからより詳しく聞きたい向きはカンフーハッスル当たりの評を見返して欲しいが、もうそろそろカネを動かせるという一点だけに頼った根拠の無い優越感は捨てて、君たちは真摯に無から有を作り出す才能へ向き合うべきだと思う。ゼロには何億をかけても、ゼロのままなのだから。
ドライビング・ミス・デイジー
ドライビング・ミス・デイジー
「日の名残り」と同じ系統の、ある人物にフォーカスして時代を追うことで、語りすぎず、淡い社会風刺を匂わせる作品……のはずが、インセスターZことモーガン・フリーマンの胸焼け演技によって爽やかな読後感はぶち壊されている。さすがだぜ!