猫を起こさないように
日: <span>2015年4月29日</span>
日: 2015年4月29日

ゼノブレイドクロス


ゼノブレイドクロス


ブラッドボーンの直後だと、全般的にきつい。グラフィックの細部が粗くて気になるし、昭和のSFみたいな固有名詞のセンスと造形デザインには目眩を感じる。13歳という設定の女性キャラのモデリングがきつい。長年、二次元のみを見続けたおたくが、その精神の歪さを客観視できなくなっている感じがありありと伝わる容姿である。このキャラだけは一般人には絶対に見られたくないし、「おたく=ペドフィリア」の偏見を助長するので誰にも見せたくない。前世紀末のライトノベルを未だに地でいくキャラどうしのかけあいがきつい。視点の置きどころがない、構図のないカメラで撮影されたムービーでそれをやるため、なんというかひどくいたたまれなくなる。「斃す」とか「赦す」とか、常用漢字に親を殺された感もすごいきつい。でも、さすがにゲーム部分は面白いので、無理して我慢して作品世界へ没入しようとする。けれど、頻繁に挿入されるムービーにいちいち現実へと引き戻され、その決意をさんざんに砕かれる。いい年齢をして未だにゲームを止められない自分が恥ずかしくなり、さらにいい年齢をした大人がこれを作っているかと思うと暗澹たる気持ちにさせられる。「社長が訊く」で制作側の素顔をダブルミーニングで知ったゆえか、名状しがたい負の感情がとめどなく噴き上がり、本当に冗談ではなく死にたくなる。ぼくたちおたくは嫌われて当たり前だし、軽蔑されてもしょうがないんですも。なんだこれですも。

ベイマックス


ベイマックス


あ、あれっ。貴様らがマジンガーZだのグレンラガンだのに言及して褒めそやすから、すごいワクワクして視聴を開始したのに、なにこのガッカリ感。ちょうど大トロを食いにいったのに、アボカド巻きが出てきたみたい。きれいに伏線を回収するシナリオとか、物語中ただひとり喪失を経験したヒーローが復讐を放棄するメッセージとか、すべてが然るべき場所へとピッタリ収まる気持ち良さは、確かにある。でも、これはアートじゃなくてプロダクトなんだという感じにすごくさせられた。こういうのを見ると、エヴァQの側につきたい自分を発見して複雑な気分になる。エヴァQにベイマックスの工業製品感を与え、ベイマックスにエヴァQの歪みと情念を与えれば、両者ともちょうどいい塩梅になるのになあと思った。ともあれ、これだけ絶賛のみが聞こえてくるというのは、デザインとかアクションだけでフィクションを視聴をできる層が本邦にとくべつ多いのだろうな。たぶん、ロコモーションにいれあげる特定層と同じで、情感の部分が乏しいか欠落しているのかもしれない。