猫を起こさないように
日: <span>2015年3月29日</span>
日: 2015年3月29日

ブラッドボーン


ブラッドボーン


実はこの二ヶ月というもの、ひどい気鬱に悩まされていた。サブカル道を歩む者は、三十路でマッチョ願望にとり憑かれ、四十路で抑鬱状態に陥るという。どのくらいひどい状態だったかと言えば、雨戸を閉めて電気を消した部屋で、新作の映画やゲームを傍らに積み上げたまま手も触れず、かろうじて視認できるほど輝度を低減したモニターで延々とディアブロ2をプレイしていたぐらいだ。しかも、音が耳に障るという理由でスピーカーは外してあった。バーバリアン用にグリーフとフォーティテュードを完成させたところで、さすがにこのままキャラ数分のエニグマを作成するのはまずいと感じはじめた。革張りの社長椅子から腰を上げ、長らく2月だったカレンダーを3月にめくると、明日がブラッドボーンの発売日であることに気づいた。よろよろとゲーム専用シアターに向かい、プロジェクターの埃をはらって、アンプに通電する。0時を待ってダウンロードを行い、120インチのスクリーンにタイトルが映し出されたとたん、現実が消失した。疲労と空腹が再びこの身に意識を取り戻してはじめて、私は自分が血濡れの病み人として別世界を徘徊していたことを知ったのである。ファミコンを体験したことに後の人生を大きく規定された私が、成人して以来ずっと求めていたゲームは、正にこれだと思った。極限まで突き詰めた映像と音楽と操作性が織りなすこの没入感を貴様らにわかりやすく説明するなら、決して萎えない理想のペニスが挿入され続けるアヘ顔ダブルピースの24時間であり、美少女にがんばれがんばれと励まされずとも間断ない最高の射精が続く状態である。実はドラクエヒーローズもプレイしたのだが、あれっ、鬱じゃなかったの、ゲーム性はひとまず置くとして、大音量での再生をわずかも想定しない最悪のモノラル的音質に耐えられず、早々にクリアを断念した。よりアッパーな再生環境に耐えるという、プレステ4でリリースすることの意味を制作側が少しも理解しておらず、すぎやま先生とオケの面々に土下座して謝れよ、てめえらはいつまでもジャリ相手の携帯ゲーム作ってろよ、パズドラ死ねよ、と素直に感じることができた。あとシレンジャーなので、家人の携帯ゲーム機を無理やり奪って世界樹の迷宮も嫌々プレイしたが、おまえ、ぜんぜん鬱じゃないじゃん、品薄が高評価を一時的に形成することがあるというネット特有の現象を体験したことだけが収穫だった。引き算が本質のゲーム性に足し算し続けるという、無駄な努力の天然色見本とも言うべき的外れのつまらなさで、これまた早々にクリアを断念した。これら二つのクソゲーを紹介したことで何が言いたいかといえば、ブラッドボーンは映像と音楽とゲーム性の極めて高いレベルでの融合に成功しており、既存の映画ジャンルを超える新たな映像芸術の位置にまでゲームという存在を止揚した、ひとつの到達点であるということだ。とはいえ、100インチ以上のスクリーンと7.1チャンネル以上のサラウンド環境で復元された本作を体験できない者は、この革新が見えないまま、幼年期の始まりに気づかないまま、過去作との愚かな比較を繰り返すばかりだろう。ゲームをチープな暇つぶしへと追いやってしまったのは、我々が街角の売春婦にするようにその対価を値切り続けてきたことが原因だ。パトロンであったはずの我々が安く買わんがために、美女の価値をことさらに世間へ貶め続けてきた。この新たな映像芸術に対して、現在の10倍、いや100倍を支払うことに私は一瞬のためらいもない。さあ、全国津々浦々のファミコン世代よ、クリミナルかセレブリティかの二択世代よ、じつは高学歴の金満家たちよ、いまこそ我々にゲームを取り戻そう。これだけ豊かな体験を人生に与えうるゲームにより高い敬意を、より多くの金を払おうではないか。