猫を起こさないように
月: <span>2014年12月</span>
月: 2014年12月

ドラゴンエイジ:インクイジション


ドラゴンエイジ:インクイジション


3D全盛の時代に、これよりグラフィックやモーションのいいゲームはいくらでもある。UIも使いづらくダサいし、戦闘の戦略性もそれほど高いとは言えない。しかしながら、本シリーズを他の凡百のRPGと峻別するのは、ストーリーである。その精緻な紡がれ方を見れば、ジャンルはRPGに属しこそすれ、本質を複数分岐のアドベンチャーゲームだと指摘できるほどだ。話は少しそれるが、本邦のRPGにおいては物語を駆動する主体が常に主人公とは別のところにあって、ヒーローのする行為はすべて敵側の決断に対するリアクションに過ぎず、本質的に事件の現場へ「間に合わない」ことで進行していく。そして、その溜まりに溜まったフラストレーションを純然たる暴力として敵にぶつけ、最後の最後で解放のカタルシスを得る。これはつまり、水戸黄門や暴れん坊将軍や忠臣蔵に代表される、日本人の好む昔からの物語類型だ。理不尽へは忍耐を求めるが、相手のふるまいが大きく度を越えていく場合、暴力に訴えても非難されず、むしろ称賛を与えられる閾値がこの社会には確かに存在している。JRPGのストーリーはこういった本邦の気質によく合うし、何よりシナリオライターの力量の問題もあるだろう。悲劇や理不尽を定型的に繰り返すことによる物語の駆動は、白黒つかぬ権謀術策や成熟した者たちの政治劇を興味深く描くより、はるかに簡単だからである。話を戻そう。以前nWoでは、FF12がキリストの復活をモチーフにしたギャルゲーになると的外れの予言をしたことがあった。恐ろしいことにドラゴンエイジ最新作は正にその、私の求めるファイナルファンタジーの正統な後継であり、聖痕を持つ者の復活と遍歴を真正面から四つ相撲に描いているのだ。例えるなら、ローマ帝国健在なりし頃、そしてユダヤ教全盛の時代に、キリストを主人公として展開していくようなストーリーである。己の現し身がビホールド・ザ・マンのその人となり、まさに唯一無二の存在として世界の中心に置かれ、我が一挙手一投足、我が言葉と決断がそのまま歴史を紡いでいくというこの圧倒的な感覚は、JRPGなどでは到底得られぬ次元の快感であり、大人の愉悦と言えよう。だが、台詞をボタン連打でスキップするような遊び方をする層には、ひとつの凡庸な3Dゲームに過ぎないこともまた、事実である。激しく人を選ぶが、選ばれた者には至高のゲーム体験を与えてくれるだろう。本年度のジー・オー・ティー・エヌ(Game of the nWo)、堂々の大賞である。