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全体的にアメリカ国民としての常識を前提に進んでいくため、あらかじめ想定外の視聴者として拒絶されている感が強い。ジャッキー・ロビンソンの生涯と南北戦争からこちらの黒人差別についてある程度まで知悉していなければ、どこに共感すべきかわからないまま、盛り上がりに欠ける二時間がいつのまにか経過することになるだろう。伝記映画のはずがメジャー昇格一年目までしか語られず、作中に行われる差別描写も相手監督からの執拗な言葉責めぐらいがせいぜいで、極東在住の名誉白人にはイマイチ当時の黒人の置かれた苛烈な状況が伝わらず、アホなジー・エイ・エルが見れば適度な悪意で退屈な日常にスパイス、適度な放射線ホルミシス効果でお肌ツルツルぐらいにしか感じないに違いない。ベースボール部分の描写も甘く、野球ファン的な盛り上がりも期待できないため、ジェイ・エイ・ピーにとって視聴のハードルが非常に高い作品であると言える。もしかすると、69というタイトルで双葉山のバイオグラフィーを制作すれば、奴らに同じ感情を味わわせることができるのやも知れぬ。主人公の名前を聞いて、スラントバックナックルからサマーソルトしそうだな、ぐらいにしか思わなかった貴様は手を出さぬが無難だろう。あと、老齢を迎えたハリソン・フォードの台詞のしゃべり方がヘンだなあ、と思った。
月: 2014年7月
ザ・マペッツ
ザ・マペッツ
本邦の文化は長い歴史を持ちながら、本質的には古いものを嫌っているのではないかと感じることがある。すなわち、石と葡萄酒の文化を異質とした、存続と成熟を拒否する文化だ。古いものは冷えた尊重を与えられこそするが、熱狂的に迎えられるのはいつだって新しく登場した何かである。未だ死を未踏とする処女性と、あらかじめ失われることを内包しているという事実へ向けた先駆的な哀悼こそが、その理由だろうと思う。ひるがえって、古いものが持つ死の予期を裏切り続けたがゆえの存続を、おそらくある断絶を境として、醜く潔さに欠けるものとして捉えるようになったのではないか。我々の多くにとって、死と消滅こそが真であり善であり、そして美なのだ。この意識の根幹に、先の大戦を越えて“死ななかった”者たちの末裔である己の実存を深く恥じ、潜在する罪悪感から一刻も早い破滅を切に求め続ける、ほとんど民族レベルの集合無意識を見ずにはおられない。以前、「けいおん!」にからめて似た話をしたら、どぎついティータイマーを召喚してしまったことを思い出したので、このへんで閑話休題。この映画を見て考えるのは、ジム・ヘンソン亡き後も多くから愛され、幾度も忘却からよみがえるマペットたちと比べて、ただ新しいものへ更新することを目的とする文化の中に生まれた本邦の古いキャラクターたちは、いったい誰によって救済されるのだろうかということだ。ガチャピンは? ムックは? ゴン太くんは? ピッコロは? ポロリは? じゃじゃ丸は? きかんしゃやえもんは? マルチは? なに、マルチ商法はキャラクターじゃないですよ、だと? 黙れ、こわっぱが! 1クール三ヶ月で少女たちを記憶から埋葬する貴様らの欺瞞に満ちた倫理観と、二次元へ人生ごと捧げた俺様の鋼鉄の貞操とでは、比較にすらならんわ!
キック・アス ジャスティス・フォーエバー
キック・アス ジャスティス・フォーエバー
この腐れロリコンどもめ! 貴様らが救いようもないクズである理由は3つある! ひとつ目は、その性癖が人類の未来を汚染することだ! 正しい教育や適切なカウンセリングが無ければ、心の傷を含めた母親の持ち物はそっくりそのまま次世代へと引き継がれる! 可能性の母体を汚すことは、ヒトラーの例を上げるまでもなく、人類共同体への脅威の種を蒔くことと同義である! ふたつ目は、性と父性の混乱を自覚さえしていないことだ! 社会的に然るべき年齢に達しながら家庭を持たないがゆえに、己が性を子孫を繋ぐという意味での正しい形に昇華できない! みっつ目は、ある個人を愛するとき、彼らに訪れるほんの短い季節をしか愛せないということだ! ただその季節が過ぎたというだけで、どれほど高い内面の精神性をも一言下に否定し、即座に無価値なゴミにするように路傍へと廃棄する! もう一度言う、貴様らロリコンどもは、あらゆる卑劣な犯罪者のうちの最悪の犯罪者、人類カースト最底辺の更に下に置くことさえはばかられる、真性のクズだ! ああ、さようなら、クロエ・モレッツちゃん! 君の数年間は、ぼくたちにとって本当にキラキラと、この上ない宝物のように輝いていたよ!