グレート・ギャツビー
学生時代に小説は読んだはずなのだが、修辞がくどいという印象だけ残っていて、物語として感銘を得たという記憶がない。名作と凡作、嗜好品と普及品を分けるのは「かそけき」差異であって、そのわずかな違いに大きな価値を認められる者にしか届かない。当時の私の鈍かったセンサーが、年齢を重ねることによって鋭敏になったとは言わない。配役から演出から、過剰なまでの(意図的な)下品さが、原作の「かそけき」部分を濃密に煮詰めた結果、私の鈍いセンサーにも届いたということだろう。ディカプリオ目当てでの試聴だったが、グレート・ギャツビーという物語を再発見できたことは大きな収穫だった。そして、ギャツビーの持つ虚像と実像の間を1,000m級のフリーフォールで往復させるギャップ萌えの手腕には、婦女子の股間も大洪水であろう。あと、人として成長できなかった者は神になるというのは、少女保護特区に通じるテーマだな、と思った。なかなかやるじゃないか、フィッツジェラルド君。それにしてもレオ様は、死ぬときは昔からいつも仰向けに水の中へ沈んでいくなあ、と思った。あとこの作品、邦画で言うとヘルター・スケルターよね。現実のディカプリオのキャラを主人公にオーバーラップして読ませる手法がそっくり。