猫を起こさないように
日: <span>2013年8月14日</span>
日: 2013年8月14日

パシフィック・リム


パシフィック・リム


カンフーハッスルのときにも感じた、日本のサブカルの精髄を他国の人間が最も理解し、深い尊敬を持って換骨奪胎する様に腕をもみしぼりたいような思いにさせられる。ただ楽しみたい、そしてただ楽しんで欲しいという、エンターテイメントへの巨大な情熱を前にして、某福音漫画映画が見せた迷走のことを苦々しく思いだした。本邦のメディアが喧伝する「公」なる同調圧力は、ときにサブカルの作り手たちをひどく追いつめていく。実際のところ、西洋世界でのキリスト教倫理と似たスキームへの反抗心が、ロリコンのそしりを哲学へと昇華させ、荒唐無稽のそしりを政治へと昇華させた。そして己の愛を「公」に認めさせるための方法論のねじれ、出自を隠蔽しようとするねじれが、ほんの一部の作品たちを例外的な高みへと止揚したため、悪臭放つ無残なフォロワーたちを多く生んでしまったのだ。結果、「公」が是とするものとの融合だけを求める、ごく短命のキメラ的被造物が量産されていったのである。その歪んだ複雑さに比べ、積み上げた経歴で出資者をだまくらかし、まきあげたカネを湯水のように注ぎこんで、売れる売れない度外視のおたく趣味を完遂したギレルモ監督の確信犯的手口は、もはやさわやかでさえある。これはそのまま、西洋と東洋の対比、大人と子供、あるいは成熟と未成熟の対比のように思えてならないが、閑話休題、ともあれ本邦のマスメディアは、もういい加減、おたくたちを愚弄するのを止めよ。取材と記事のフォーマットが定まった白痴の自動書記a.k.a.プロ・アマの野球報道をいくら垂れ流そうとも、我々は文句を言わない。人気漫画の実写化にアイドルを配しても、笑って見過ごそう。だからもう、本邦のサブカルを情けないもの、大人の視聴に耐えないもの、いつか卒業すべき一等地低いものと刷り込み続けるのを止めよ。いまある才能が貴方たちにたわめられ、その伸びやかさを失っていくのが、私には忍びないのだ。けれど、エヴァンゲリオンがパシフィック・リムになれなかったことを、ただ口惜しく思う。